表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
ロード・トゥ~星属性の不運~  作者: スミだまり
PR
35/36

35話 勝ってしまった


 だれかのすすり泣く声で目が覚めた。

 ゆっくりと(まぶた)を開けば、いつ崩れてもおかしくはない、粗雑(そざつ)な組み方がされた石壁が視界に映る。うす暗くて土臭く、ひんやりとした空気が肌寒い。

 いったいどこだろうと頭を働かせた瞬間、こめかみに鋭い痛みが走り、顔をしかめる。反射的に触れると、顔の右半分が砂埃(すなぼこり)のような、カサついた何かで汚れていた。


「……?」


 手に付いた汚れは、濃い褐色の粉のようなものだ。土、ではない。これはおそらく。


「血?」


 乾ききった血だ。自分がつぶやくと、すぐ隣で人の動く気配がした。

 少し驚いて顔を向けると、若い女性ヒューマンが自分を心配そうに見つめていた。見覚えのない顔だ。不可解な気持ちで見つめ返していると、「傷、痛む?」と彼女は気遣(きづか)うように声をかけてくる。


「ごめんなさい。わたしのせいで、そんな大怪我をさせてしまった」


 そういって顔を伏せる彼女の服装を見て、ようやく思い出した。


「……気にするな。オレが勝手に飛び込んだまでだ」血の乾燥具合からして、アレからだいぶ時間が経過したようだ。「くそっ、聞いてないぞ。盗賊連中は荷を狙うだけで、暴力は振るわないって話だったのにな。しかも、こんなふうに監禁までしやがって」


 そうだ。高価な商品を荷台に載せて、しばらく山道を進んでいたところで盗賊に襲撃されたのだ。想定どおりに。

 話では、逆らわずに荷物を渡せば怪我することなく終わると聞いていたのに、やつらは彼女を拘束しようと迫ってきた。その乱暴を目にしたとたん、自分の頭に血がのぼって殴りかかってしまった。

 直後、こめかみに衝撃を感じて視界が暗転し、意識を取り戻すとこの状況である。


 石造りの牢屋(ろうや)は太い鉄格子によって閉ざされている。誰かが脱出を試みたのか、数か所に攻撃術式による魔力の残滓(ざんし)を感じとれるが、無駄だったらしい。キズひとつない。石壁に魔術を行使しようものなら、そのまま生き埋めは(まぬが)れない。この粗雑な造りには多少なりとも意味があるようだ。

 周囲を見渡すと、自分と彼女、それに町を出発する前にあいさつを交わした行商隊の面々がそろっている。全員ではないが、ほとんどがこのせま苦しい牢屋に囚われてしまった。

 だがしかし、自分はそれほど悲観な気持ちには沈まなかった。


「まあいい。治療代をポートサイドのお坊ちゃんにふっかけてやるとするか。いや、どうせならエンカブリッジ教団の上等な神官様に治療魔術をお願いしよう。教団への寄付という(てい)なら、向こうもケチケチすることはないはずだな」


 自分たちが襲撃された事実は、本隊もすでに把握しているだろう。であれば、あとは余計なことはせず、救助に動いている彼らを待てばそれでいい。

 そう考えて石壁に背中を預けたのだが、「……ははっ!」と、(あざけ)るような声が牢屋内に響く。

 声の方へ目を向けると、年若い男性ビーストが、自分を馬鹿にするような顔で(わら)っていた。あの顔には見覚えがある。町で契約したときに同席していた一人だ。

 彼の反応に戸惑っていると、「あなたが気絶している間にね」と、隣の女性ヒューマンが口を動かす。


「盗賊どもから真相を明かされたの。全部、罠だったんだって」


「罠、だと? ……まさか、契約が嘘だったってことか?」


 (うなず)く彼女のことが信じられず、「待て待て待て、たしかにやつらの商品はすべて本物だった! あの場には町長だっていたんだぞ! 疑う余地……なんて……」と(わめ)いていると、痛む頭に嫌な予感が生じる。

 まさか、町長も賊側だったのだろうかと。


「二日前の自分をぶん殴ってやりてえ」さっき、こちらに嘲る顔を向けたビーストがいう。「話が出来過ぎだ。いくら本隊の運ぶ荷が高級品だからといってさ、俺たちが運ぶ荷を犠牲にして、採算が合うほどのものなんてなかったはずだ。っつうか、(おとり)だとしてもわざとらしい安物じゃなけりゃ、なんでも良かったはずだしな」


 そう、囮。自分たちはただの囮であるはずだった。

 いまの状況を察して流れ落ちる汗により、水気を取り戻した顔の血が自分の腕にぽたりと落ちる。血と汗の結晶だ。なんの価値もない。

 これまでの努力がすべて奪われてしまった絶望のなかで、二日前に酒場で交わした契約を思い起こす。


 大陸南部に大きな都市は少ないが、中規模の町や村が寄り添うように集まる土地がある。

 険しい山々や奥深い森林が、それらの町村を寸断するため、各地を結ぶ行商人たちの需要が高い。旅する行商生活をはじめるにはちょうどいい土地なので、若手を支援する行商ギルドからも修行の場として推奨されている。

 そんな土地の片隅にある町へと訪れた自分は、こんな商談をもちかけられた。


 ──ポートサイド島の威信を賭けて、この輸送任務は必ず成功させなければいけない。だが聞いてのとおり、あの山道は最近、盗賊がよく出没するだろ? そこで、やつらの気を引く囮を用意することにした。


 あの有名なポートサイド島出身だと名乗る、身なりの良い男性ヒューマンから酒場で声をかけられた。

 本命の荷物を安全に運ぶために、危険な山道を先行する偽装の輸送隊に参加してくれないか、というものである。


 ──奪われる想定の荷は、きみたちの持ち金から支払ってもらうことになるが、ポートサイドの重鎮(じゅうちん)が必ず補填(ほてん)する。当然、報酬と礼金を上乗せした額でな。ただし、取引証書はきちんと残しておいてくれ。きみたちが補填を水増しするだなんて疑うつもりはないが、念のためにだよ。


 その場には彼以外だと、自分をあわせて六人いた。

 性急な判断は求められず、厳重に護られている倉庫に移動し、本隊が運ぶ予定とされている荷物を特別に見せてもらえた。まだ行商人としての自分の経験は浅いほうだが、たしかに最上級の品々であることは一目瞭然(いちもくりょうぜん)で、その場に本物の町長も姿を見せた。

 だがやはり、心に満ちる不安を(いな)めない。自分と同じく、踏ん切りがつかない表情を浮かべる男性ビーストと視線を交わしていると、しかし協力を申し出る者がいた。六人のうち、四人だ。

 男性ビーストは、そんな周囲に流されたのか協力を申し出た。そして、一人残された自分も。


 いま振り返れば間違いなく、あの四人は賊側の仕掛け人だったのだろう。

 あのとき抱え込んだ不安は翌日、同じような立場の若手行商人が、十数人もいる大所帯であると判明したことで霧散してしまった。規模の大きさに、これなら安心だと思い込んでしまった。

 その結果が、このザマだ。


「おまえも、身寄りがないんだって?」


 同じく囚われている、まったく知らない男性ドワーフから声をかけられた。

 たしかに、自分にはもう家族がいない。故郷の村が魔物に襲撃されてしまったのだ。彼に首肯すると同時に気が付き、疑問を口にする。


「おまえ、も?」


「おう、そうだ。おれ様も天涯孤独(てんがいこどく)の身よ。これでようやく、どうしておれ様たちが生贄に選ばれたのかって理由が判明したな。くそったれ! 身のうえ話をしたのはほかの町だぜ!? やつらの仲間が、この土地にはたくさんいるってこった。盗賊の死体にしても問題ないやつを捜してたんだ!」


 自分が気絶している間に、彼らは賊にこのように説明された。

 囚われた自分たちは、このまま盗賊の一味として殺される。本物の盗賊たちは、自分たちの取引証書と町人の捏造(ねつぞう)した証言をもとに、その身の潔白を表明する。そして町長は賊を討伐した名誉を手にし、町人たちは売却した商品を取り戻し、賊たちは新しい身分を手に入れ、自分たちから巻き上げた金をまんまと確保するのだ。

 外部から訪れる帝国の警備隊や調査機関すらも(あざむ)くこれは、ときおり繰り返されている町の産業だと、賊は腹を抱えて嗤っていたのだと。


「……ふっ、ははっ、ははははっ!」


 とつぜん笑い出した自分に、男性ドワーフも、男性ビーストも、隣の女性ヒューマンも、ほかの全員もが両目を見開く。


「き、気をしっかり持って!」隣の彼女の表情は、哀しそうにゆがんでいる。「あきらめないで、きっと助けが──」


「利用されてばっかりだった」彼女の励ましをさえぎって、自分は続ける。「ずっとずっと、家族を失ってからずっと利用されてきた。オレが商談をうまく(さば)けば、上席の手柄になった。オレが組織内の問題を解決してやれば、声がデカいだけの同僚が称讃された。そんな立場に嫌気が差して独立したら……ははっ、ははは! 最後の最期、死体までも利用されるってか!? これが笑わずにいられるか!!」


 涙を流さぬ、笑いのかたちをとった慟哭(どうこく)

 石壁に反響する自分の叫びに反応するものは、できるものは、一人もいなかった。

 あぁ、そうだ。一人もいない。こんな死を待つだけの身となった瞬間でさえ、頭に浮かぶ顔は亡き家族のものだけだ。生きようとする意志が湧いてこない。全身にまとわりつく泥のような絶望に抗うことができない。

 自分の生存に、価値を見いだせない。


「さっきからウルせえぞ!!!」


 奥から怒声が響く。

 黙り込むと、鉄格子向こうの通路、その右手からのっそりと、固太りした豚の男性ビーストが歩み出てきた。

 自分たちからの攻撃魔術を警戒しているのか、彼は地属性の防御魔術を盾にしている。こちらを覗きこんでは、「てめえら。それ以上騒げば楽には殺さねえぞ? 苦しんで死にたくねえなら、あきらめて静かにしやがれ」と吐き捨てた。


「ったく、落ち着かねえ。さっきは入口のほうからネズミが一匹、侵入したって報告があったしよお」


 ネズミの侵入。もしや助けが来たのか。

 隣の女性ヒューマンがそんな希望を瞳に輝かせると、豚の賊は、「くははっ! ちげえよ、マジでただのネズミだ。魔力の探知機器にちっこい反応があっただけだ」と嗤う。

 絶望に沈む女性ヒューマンの顔が気に入ったのか、賊がこちらに近づいてきて覗きこんできては、さらに口を動かす。そこで、彼の背後で小さな影が動いた。


「ここは誰にも知られちゃいっねえぇえ゙っ!?」


 豚の賊の後頭部に青白い閃光が走ると同時に、そのまま鉄格子に向かって倒れ込んできた。

 気絶した彼の背後から、「だれがネズミですって? 失礼しちゃうな~」ぷんぷんと怒った様子の少女ビーストが姿を現す。その手には、賊を攻撃したと思われる魔道具があった。


「まっ、この魔力(まりょく)欠乏症(けつぼうしょう)のおかげで侵入できたんだから、今回だけはよしとしますか」


 牢屋内の全員が、ぽかんと口を開けてしまった。

 腰まで届くレモン色の長髪。紺碧(こんぺき)色の瞳は整った顔に輝き、身なりはどこか良家のお嬢様。猫の少女ビーストだ。彼女は気絶した男の懐を漁って、カギを見つける。鼻唄まじりであっさりと牢屋の扉を開いてくれた。

 救助だ。囚われていた者たちが、希望に満ちあふれた笑顔で立ち上がる。


「あ、あの、助けてくれて──」


「待って!」少女は、声をあげた一人に向かって手のひらを押しだす。「動いちゃダメ。ほかの悪い人たちはまだ元気いっぱいなの。見つかったら危ないわ」


 このまま脱出しようとすれば、途中で仕掛けられた魔導機器で見つかってしまう。少女はそう忠告した。


「お嬢ちゃん。ほかに仲間は?」男性ドワーフが訊くと。


「頼りになる弟がいるわ」という少女の返答に、ふたたび牢屋内に絶望の空気が満ちる。


 しかし、そんな雰囲気を楽しそうに受け止めた少女が、小さな鞄から魔導機器を取りだす。先ほどの魔道具とは別の、引き金が付いた信号の発信機器と思われる簡素な機器だ。


「ここ以外に、悪い人たちに捕まっちゃった人はいる?」少女の問いに。


「いいえ、ここに全員いるわ。その気絶した男が、これで全員って仲間から聞かされてたの」女性ヒューマンが答えた。


「了解! ありがと、お姉さん」


 少女はそのまま機器の引き金を三回つづけて引いた。

 するとまもなく、通路の奥から強大な魔力が流れ込んできた。魔技や魔術といった戦闘技術に詳しくない自分でも、異常だと断言できる術式。

 探査魔術なぞ使わずとも、自分たちのいるこの牢屋が洞窟内にあるのだと、さらに洞窟の内部構造すらもわかってしまうほどの魔力が満ちる。

 この異常事態に残りの賊たちが反応したようだが、意味はなかった。


「やっちゃえ、タラニス」


 少女のつぶやきと同時に、轟音が洞窟内で響きわたる。

 この牢屋内を除いた洞窟の全域に、背筋が凍る雷撃の魔術が走っている。賊どもはひとり残らず巻き込まれたはずだ。

 だがこの衝撃に、粗雑な造りであるこの石の牢屋が耐えきれなかった。


「あぶないっ!!」


 少女の頭に砂が落ちた直後、天井の一部が崩れて複数の石が降り注ぐ。

 気が付いたときには、自分はすでに走りだしていた。


 ふたたび目を覚ますと、瞳に涙を(たた)えた猫の少女が自分を見下ろしていた。

 介抱してくれていたようだ。案の定というか、彼女を(かば)ったことでまたもや気絶してしまったらしい。

 上体を起こして見まわすと、ここは森の中だ。樹々の奥に洞窟の入口が見える。どうやら自分は、あの内部で囚われていたようだ。

 周囲ではバルジ帝国の警備隊が走り回っている。人数は頼もしくなるほどに多い。少女いわく、自分たちを(だま)した町のほうにも捜査の手が伸びており、本格的にこの土地を“掃除”するという。


「本物のポートサイド島出身の若手がね? あの町で島出身を名乗る男を怪しんで、急いで生家に確認したの。で、真っ赤な嘘だってすぐにわかった。さっそく調査隊を派遣してこのとおり。帆柱都市(ほばしらとし)パイク・ルラーニャ……いいえ、ヴェーラ一族の威信を賭けての事件解決よ。もうこの土地で悪だくみだなんて許しません!」


 ふふんと胸を張る少女。

 自分の命の恩人は、そんな怪しい男を調査する部隊に弟が同行すると耳にし、無理をいって付き添ってきたらしい。そして行商隊を襲う賊を目撃し、追跡するとお手本のような怪しい洞窟を発見した。

 手遅れになる前にと、まわりが止める声も聞かずに潜り込んだ彼女によって、囚われた自分たちの位置を特定し、あとは弟の魔術で一発解決という力業(ちからわざ)であった。

 身の危険を(かえり)みない少女の救助活動に感謝を告げると、彼女は不意を突かれたように目を見開く。


「えっと、こんなわたしなんかでも、少しは意味があったのかな……」少女は思いつめた表情を浮かべるも、すぐにほほえみで上書きした。「それより、おたがいさまよ? お兄さん。わたしを助けてくれてありがとう。改めてお礼をさせてください……っとと、その前にごあいさつ!」


 少女は座ったまま背筋を伸ばし、まっすぐ自分と目を合わせる。


「わたしの名前は、レイン・ヴェーラと申します。……まあヴェーラといっても分家、しかも弱小一派の家だけれどさ」


 あなたは?

 目で問われたので、自分も名乗ることにした。


「グウェンドル……グウェンドル・ミナジオだ」


 数年後。

 グウェンドルはその手腕を発揮し、レインの一派を分家筋の最上位まで押し上げた。その後、レインと結婚したことで自身もヴェーラの一族に加わることができた。

 地位、名誉、財産、栄光。それらよりもはるかに()(がた)いものを手にしたことで、はじめて叶ったものである。




   =   =   =   =   =  




 カイロウドウケツという海綿動物(かいめんどうぶつ)の仲間がいる。

 海底に生息し、もろいガラス質の骨針でできた網目構造の骨格は円筒状で、しばしば観賞用にもされているうつくしい動物だ。中身は空洞となっており、一部の小さな別の動物が内部に()みつき、そのまま生命をまっとうすることなんかでも有名である。

 ユーリスは、テオから教わった存在を例にあげながら説明する。


「エルコニアンは、そんな海綿動物の一種だよ。信じられないかもしれないけれど、浅瀬に広がるあの大穴は、いち個体である海綿動物の魔物がつくりだした、特殊な海域なんだ」


 上部が開いているのは、魔物として生まれたことに起因する。

 超巨大な海綿動物として生誕したエルコニアンは、自身を構成している骨格から分体の魔物を生み出し、外部で狩りをさせる。そして成長した分体は、骨格の内部に戻ってきてはその身をエルコニアンに捧げ、巨大な骨の魔物素材だけを残し、自身を生み出した存在の栄養となる。

 光り輝くエルコニアンの底を広く探査した結果だ。魔物としての大部分はすでに浄化されていたため、玻璃錨(はりびょう)カシオペヤが封じている場所にたどりつかなければ知りえぬ真相であった。


「信じるよ」雷雲(らいうん)()る者が、こちらに背中を向けたまま応じる。「エルコニアンの底までつづくあの特徴的な坂道は、岩石ではなく生物の身体だった。だから壁面付近では自然魔力ではなく、光属性の魔力に(かたよ)っていたんだ。エルコニアンは、光属性の魔物なんだね」


 ここはヴェーラ分家筋の屋敷前。帆柱都市パイク・ルラーニャを眼下に見渡すことができる、崖の上だ。

 ユーリスはフロム、シンシア、ミレイとともにタラニス・ヴェーラの背中を見つめている。彼は自身のみぞおちほどまである木製の柵に手を置き、落ち着いた口調でつづける。


「あなたたちにとっては不運なことに、そのおかげでぼくたちの探索はとても都合よく進んだ。……防壁魔術を生成する魔道具だよ。エルコニアンの底に向けて筒状の防壁をつくり、安全を確保しながら坂道を無視して進むことができた。じつは疑問を抱いていたんだ。かの底なし湖の内部は自然魔力が豊富とはいえ、あそこまで頑丈な防壁が生成されるだなんて不可解だった。それでもまあ、魔界の魔道具であれば可能なのかもしれない、だなんて思い込んでしまったけれどさ」


 魔界の魔道具。

 タラニスの言葉に、フロムは鼻を鳴らし、シンシアは「やはり」とつぶやき、ミレイは両手を腰に当てて片眉をあげる。


「気付いていたんだね」ユーリスもまた、冷静に口を動かす。「だから君は、本来であればもっと早く探索を進めることができたのに、あえてそうはしなかった」


 いちど強い風が吹いた直後、少年ビーストがこちらに振り返った。

 そろそろ昼となる太陽が、タラニスの中性的に整った顔を、「さすがは星属性さん。……いっしょに探索してた連中からは、ずいぶんと怪しまれてしまったけれどね」なんてこぼす苦笑を照らしつける。


「本音を言えば、迷っていたんだ。姉さんの体調がとてもよかったこと。最近の分家筋の商業実績に、そして今回の騒動。極めつけは義兄(にい)さんから渡された魔道具だ。どんなに察しが悪いやつでも魔界の関与を想像することができる。でも、ぼくがそれを暴いてしまえば姉さんは救われない。だからといって、遺星錬器(いせいれんき)とされる兵器を宰相(さいしょう)派魔族に持ち帰らせてしまえば、想像することもできない犠牲者(ぎせいしゃ)を生むことになる」


 できることは時間稼ぎだけだった。

 ため息交じりにいうタラニスだが、しかし救われたようにこちらへほほえむ。


「本当に感謝の言葉が見つからないよ。星のみなさん。あなたたちが勝利してくれたおかげで、今回の主権争いは結着がついた。宰相派と密輸していた連中は、もう好き勝手には動けない。そして、なによりも──」


 姉であるレイン・ヴェーラの命が救われる。

 熱が込められた彼の感謝を受け、ユーリスたちはほほえみながら小さくうなずいた。


 エルコニアンの底に広がる、光の庭園。

 常に超過魔力の放出現象が起きているあの場所であれば、生息する動植物が宿す魔力は魔界のそれらにも負けていない。レインの命をつなぐ食材が、あそこであればじゅうぶん確保することができるのだ。

 さらに、彼女の症状を根治する手段もまもなく届けられる。


「安心なさい、タラニス。完全に信用していいわけじゃないけれど、ティティルンとの取引ならきっとだいじょうぶ」ミレイの声には確信が込められている。「身体から魔力が漏出する症状は、かつて原初魔族たちが苦しんでいたものだった。現代の魔族でも同じ症状を(わずら)う人は少なくない。だからこそ魔界では、その病に対処する魔道具が開発されているし、治療手段も確立されているの」


 ──ってなわけで。わたくしが応急措置として渡すこの封魔道具でも、根治までの時間稼ぎ程度なら問題ないわ~。そして本格的に治療するための鉱石も、あの脳筋女が顔役になっているレイディアントコールを経由すれば、問題なく到着するはずね~。


「あいついわく、魔力を保持する性質をもったその鉱石を、岩塩みたいに少しずつ体内へ取り込むことで症状を改善させる。接種しつづけてしばらくすれば、魔力を保持する身体機能が強まり、根治することができる……って話だったわね」


 ──本当かって? わたくしの同僚に、この病について誰よりも詳しいやつがいるのよ~。一時期そいつの手伝いをしていたこともあったから、まず間違いないわ~。五大種族であれば、この方法で救われるはずよ~。


 ティティルンとの会話は、ユーリスもよく覚えている。

 彼女から手渡された封魔道具(ふうまどうぐ)は、紫色の宝石があしらわれた銀の腕輪であった。危険がないか、試着を申し出たテオの身体を星の瞳で確認すると、彼自身の魔力と空気中の自然魔力とのつながりが完全に遮断(しゃだん)されていた。

 たしかにこれさえあれば、レインの身体からの漏出はほぼ完ぺきに抑えることができる。そう判断し、ティティルンと取引することを決めたのであった。


「魔族、か」フロムは腕を組んで首をかしげる。「そういえば、ポートサイド島にやってきた宰相派魔族たちは、倉庫区画で大人しくしているのだったな。これ以上やつらに余計な動きをさせないように、メールニアが監視についているとティティルンは言っていたが……」


 竜の少女の言葉にうなずく。ユーリスは探査魔術を使用して、宰相派魔族たちの居場所をすでにつかんでいた。

 エルコニアンの底まで到達することができる道は、完全には構築されていない。レインのために食材採取が可能となるのはまだ先の話だ。封魔道具があるとはいえ、魔界の食材が警備隊の手で接収される事態は避けたい。

 また、魔族を捕らえることによってティティルンとの摩擦も懸念(けねん)される。当主代理ローザによる判断により、ポートサイド島の魔族は見逃すことにした。

 といった姿勢をこちらが示したからか、彼らを魔界へ引率する役目をティティルンが申し出てくれたのだ。あちらに戻るまで、悪事を働かぬようにとメールニアに見張りをさせて。

 タラニスは、やれやれというように首を左右に振って口を動かす。


「分家の一人としては、ローザさんたちには頭が上がらない。魔界との関与を疑われている状態で、主権争いが終わったとなれば本家からの内部調査は(まぬが)れない。当主代理から時間という恩情をもらった彼らは今ごろ、あの屋敷の向こう──」


 彼は分家屋敷の奥、あの広大な庭園の先を指さした。


「庭園に建てられた秘密会議用の小屋の中で、証拠を隠滅する手段に四苦八苦しているところかな」


 レインが例の書類を手に入れた離れのことだろう。黒豹のビースト、グウェンドル・ヴェーラもそこにいるはずだ。

 振り返ったユーリスは先日、自分が潜入した庭園を見つめる。さわやかな南国の青空の下、あの嵐の夜では目にすることができなかった花園の奥では、分家筋の暗部たちが冷や汗を流しているのだろう。


「ともかく、これで一件落着だ」ゆっくりと首をまわすフロムが言う。「だが、玻璃錨カシオペヤを回収できなかったことが心残りだ。遺星錬器探しの旅はまだ続きそうだな」


 ユーリスは苦笑しつつ同意する。

 ヴェーラ一族には遺星錬器の現状を伝えている。エルコニアンの底で眠る真実は、ゆくゆくはパイク・ルラーニャ、引いては世界にも知れ渡るのかもしれない。


「しょ~がないわ。まっ、貴重な体験ができたのだから気分は悪くないけれどね」ミレイはひょいと肩をすくめながらほほえむ。「それに、ハーティがヴェーラの未来を背負う大親分となるわけだし、この魔王様の人脈が充実していってなによりだわ。……ところでシンシア。本当にハーティには黙ったままでいいわけ?」


 魔王からの問いかけに、星命(せいめい)の聖女候補を眉尻をさげた笑みを見せる。


「そうします。これから多忙を極めるハーティちゃんですからね。今はこっそりとお手伝いする程度に留めておきたいのです」


 シンシアの答えに、ユーリスは隣で首肯してみせた。

 いつの日か、彼女たちがゆっくりと思い出を語り合えるときに真相を話せばいい。平和となった未来で。


「たしかに黙っておきたいところだな」フロムが片眉をあげ、責める視線をこちらに向けてきた。「一歩でも誤れば命を落としかねない方法で、海底に沈んでいった男の話を聞けば、あいつもきっと怒りだすはずだ」


 ユーリスは困ったようにこめかみを掻きながら、「えっと、その……あはは」とごまかすように笑うしかない。


「そう、そこだよ。星属性さん」タラニスが、どこか不満そうな声色で発した。「言っておくけれど、魔界の魔道具なんかに頼らなくても、ぼくだけならエルコニアンの底へ先に到達することができたんだからね。例の魔族たちは、なぜか海底に留まることができるように防壁魔術の魔道具を使わせてきたんだ。非効率極まりない。あっという間に進むのなら、ぼくの晶析武装(しょうせきぶそう)で海中に渦を作って──」


 迫ってきては説き伏せるよう口を動かす雷雲を識る者に、ユーリスがたじたじとなったところで内海から鐘の音が鳴り響く。

 魔物の出現、ではない。内海の(しお)の流れが変わることを(しら)せる、観光客向けの平穏な音色であった。


「…………」


 全員、口を閉じてパイク・ルラーニャの内海を見下ろす。

 この場所から、多くの船が行き交う帆柱都市のにぎわいを感じとることができた。将来はきっと、堂々と魔界からやってきた船を迎え入れるだろうビーストたちの心臓の音だ。

 もうしばらくすれば終わりを迎える、夏の風をこの身に受けながら、心地よい鼓動を耳にした。




   =   =   =   =   =  




 ミレイはすぐに、これは夢を見ているのだと理解する。

 炎に包まれたヒライス・トゥパンを脱し、短くはない逃亡生活の果てにやっとたどりついた街。そこで一夜を明かし、最後に気合いを入れて山を超え、マリア派魔族の土地へと逃げ込む。

 そんな決意と希望を胸に宿し、粗末な宿の入口から出てきた自分の姿を、ミレイは道路をはさんだ反対側から見つめている。


 山越えの装備を整えようと、目抜き通りへと向かう自分の姿。そんな自分に後方からこっそりと付いてくる、頭からローブを被った不審人物は、男性ビーストのウェズンだ。

 大部分は想像だ。自分の記憶がつくりだした、きっとこうだったに違いないという視界の外の光景。何度も夢に見るうちに、細部まで作り込まれた空間を前にして、ミレイは早く、早く目を覚ませと願いつづける。

 夢の世界では、瞼を閉じることすら許してくれないと知りながら。


「……ん?」


 周囲の様子がおかしいことに気が付いた自分の姿が、怪訝(けげん)そうに前方の人混みを見つめる。

 初めて訪れた街とはいえ、人々の困惑した表情を目にすれば容易に異常を察せる。そこであの自分は、「ねえ、そこのお兄さん」街の者らしき人物に声をかけた。

 逃亡者だからといって、よそよそしい態度を見せればいっそう怪しいものだ。むしろ胸をはって、さも偶然ここへ訪れた旅人のように、堂々とした態度を貫いたほうが安全である。


「なんだい? お嬢ちゃん」魔族の男は、とくに怪しむこともなく返事をしてきた。


「街の人たちが集まっているけれど、なにか(もよお)しでも始まるのかしら」


「いや、そうじゃないよ。俺もさっき知ったばかりなんだが、とつぜんダウィートン様が軍を率いてこの街にやってきたんだ。ほら、あそこ」


 彼の指さす先を見ると、立派な鎧姿の領主軍が立ち並んでいた。

 そのうち豪奢(ごうしゃ)な飾り布を鎧に這わせた上級兵士が、なにやら重要そうな巻物を取りだした。なにがしかの布告をするようだ。

 ものものしい様子に、男性魔族は落ち着きがない。


「なんだろうな。ちゃんと納税しているから、妙な探りを入れにきたとかじゃないと思うけれど……」


 ダウィートン。この街を含む土地の領主だ。

 当時の彼は、周辺の木っ端領主たちとなにかを争うように動いていた。マリア派の土地が襲撃されたそれとは異なるきな臭い話は、このときのミレイも知っていた。

 嫌な予感がする。さっきの宿にもどって隠れ潜んだほうがいいかもしれない。そう判断した。


「そうなんだ。領主さまのお顔を拝見できそうで楽しみだわ」焦らず、慎重に後ずさる。「教えてくれてありがとう、お兄さん。それじゃあね」背後を意識しつつ、元の道を引き返そうとした、その直前だ。


「領主ダウィートン様の名のもとに、この瞬間、この街に居るすべての者へと命ずるっ!!」


 上級兵士の居丈高(いたけだか)な怒声に、自分の姿を含めた人々は身を固くした。


「これより魔王の器を鑑別する! 全員ひとり残らず、いますぐ中央広場へと集合せよ! 逆らえば領主への謀反(むほん)とみなし、問答無用の投獄とする!!」


 ミレイは、自分や周囲の人々が唖然(あぜん)とする様子をため息交じりに観察する。

 彼らの反応は当然だ。当時はエーテル・オドスが指名した魔王が存命していた。だというのに魔王の器を捜索するということは。


「うそ、まさか……レアシーズ様が崩御(ほうぎょ)されたの!?」


 女性魔族が悲鳴をあげるように叫ぶ。

 レアシーズ・ランプロス。当時の魔王だ。サルゴン派出身ではあるが、マリア派にも理解を示す平和的な魔王であったため、ミレイの抱く印象は悪くなかった。


「だ、だとしてもだ! エーテル・オドスがそんなすぐに次代魔王を捜させるだなんて……!」


 魔王とは、この魔界を覆う超巨大魔力伝達回廊が、必要に応じて指名する存在である。だれかが常任する役職でもないので、王都ポンテム・トランシレの玉座が空白となることはめずらしくない。


「ひょっとして、事故か急病か──」


「静まれっ!!」


 ふたたび響きわたる怒声に、自分の姿と民衆たちの姿勢が凍り付いた。

 彼らを見まわした上級兵士は、「遠からず知ることになるだろうから、ここで先に教えてやろう」と、興奮混じりの声でつづける。


「われらが偉大なる領主ダウィートン様は、魔王擁立戦争を宣言されることにした! 現在の魔王ランプロスを討ち取り、エーテル・オドスの恩寵(おんちょう)をフルブライト領地へともたらすために!!」


 いよいよ人々は絶句するほかなかった。つまり、存命する魔王へと反旗を(ひるがえ)すというのだ。

 領土争いを繰り返すサルゴン派であればこそ、戦争とは日常に寄り添う隣人でしかない。だとしても、護剣(ごけん)の居る王都へ挑むとなれば話が違ってくる。

 さらに宣言したのが田舎領主となれば、もはや気の迷いとしか言えない。街の人々の表情が青ざめるなかで、しかし、兵士たちは異様に興奮しているようだ。


「さあ、こっちにきて並ぶんだ。はははっ! そう怯えた顔をするな!」ひとり。

「魔王の器があれば、たとえ魔王になれずとも、その貢献に見合った報酬を(たまわ)ることができるのです!」ふたり。

「心配することはなにひとつない! われわれフルブライト軍が栄光を手にすることは、すでに約束されているのだ!」さんにん。


 異様な士気の高さだ。彼ら兵士は勝利を確信している。

 ミレイはその理由を知っている。あの盾だ。この時点で彼らは、少数だがあの奇妙な膨らみのある盾を所有していたのだ。それを使用して、小規模ながらも戦争に圧勝している。尊大な自信をもつには余りあるほどの勝利だったのだ。

 だが民衆にとっては逆効果で、兵士たちの様子にますます不安と恐怖を(つの)らせる。それによって。


「……そこっ! 逃げるなぁ!!」


 逃げだそうとした年若い女性魔族が、兵士のひとりに腕をつかまれて倒れ込む。

 その場所を起点にさわぎが広がりはじめた。好機だ。


 自分の姿が人混みから離れ、あの粗末な宿に戻ろうと駆け出した。

 途中で建物の陰に隠れ、ウェズンと合流し、そして去っていく自分と彼の背中を、ミレイは黙って見送る。

 この後、自分たちは宿に戻ることができたのだが、荷物をまとめている最中に兵士たちがやってくることを知っている。おそらくだが、さきほど声をかけた男性魔族が兵士に自分のことを伝えたのだろう。

 今でも耳に残っている。部屋の扉を叩く、あのけたたましい騒音を。

 ドンドンと、ドンドンと、そこに居ることはわかっていると。

 ドンドンと、ドンドンと、自分と彼が追い込まれていると伝える絶望を。


「ミレイ、起きてくれ! ミレイ!!」 


 ドンドンと、扉を叩くユーリスの声によって目を覚ました。

 ミレイは目元をこすり、涙の跡を消しながら身をよじる。


「……もぅ、なに~?」


 ヴェーラ本家筋によって提供された、最上級の客室の中は真っ暗だ。

 時計へと手を伸ばす。まだ深夜となったばかりのような時刻だ。しかし。


「あぇっ。この鐘の音。……まさか!」


 カーテンが引かれた窓へと目を向ける。うっすらと聞こえるこの鐘の音色には、聞き覚えがあった。

 扉の外でユーリスが叫ぶ。


「魔物だ、ミレイ! 内海だけじゃない!! パイク・ルラーニャ諸島ですらない……南の海の各所に、大量の魔物が出現したんだ!!」


 かつて底なし湖エルコニアンが、魔物として活動していた時代のように。

 つづけて発した星属性の言葉によって、当代魔王はベッドから飛び起きた。




   =   =   =   =   =  




 嵐だ。

 先日の台風といった自然現象ではない。殺意と悪意による破壊の嵐が、パイク・ルラーニャを襲っている。


重星風槍(じゅうせいふうそう)、ステラ・ウィンド!!」


 数多くの魔物が暴れまわる内海に向けて、ユーリスは係船岸壁から星属性魔術を行使した。

 前方にかざした手のひらから十数本の銀に輝く長大な槍の魔術がひと塊となって放たれ、飛翔する槍が海中にひしめく魔物を探知して軌道を修正し、的確に撃ち抜いていく。

 さらに。


「あっちはまかせて!」


 月属性の晶析武装、月光引きセレノグラフィアを顕現(けんげん)させるミレイ。

 彼女が構える深い群青色をした結晶の弓から、雨のように光の矢が内海へと降りそそがれた。


「あのデカいのは、私が!」


 火属性の竜体化を変形させ、三つの刃を翼とするブーメランを作るフロム。

 彼女が投げ飛ばした刃は空中で小さく爆発し、避けようのない速度となって海面とともに海獣の魔物を斬り裂いた。

 ふたりの少女による奮闘(ふんとう)を横目にしつつも、ユーリスは眉をひそめてしまった。


「テオさん。あとは警備隊の人たちだけでも、内海の掃討は完遂できるよ。それでも……!」


「あぁ、ユーリス殿。言いたいことは分かっている!」苦々しい顔のテオが、すぐそこの海の上で斧を構えながら返事をした。「内海だけだ! この諸島を取り巻く海域を相手どるには、戦力がまったく足りていない! ヴェーラの旗艦(きかん)はハーティとともに今は大陸にある……こんなときに限って!」


 五大種族の歴史上においても、現在の帆柱都市が有する海上戦力は指折りだ。

 諸島全域を囲いこむように出現した海の魔物に対し、都市部に被害がでるまえに迎撃しきれたのはさすがと言わざるを得ない。

 だがしかし、魔物の勢いは止まらない。


「み、みなさん! あそこ!」


 負傷した警備隊を治療するシンシアの叫びに振り返ると、彼女は内海の南側、外海への海峡を指さしている。

 ユーリスは視線をそちらへ動かすと、「まずいっ!」巨大なウミヘビの魔物が、警備隊による封鎖を突破したところであった。先日、エルコニアンの自然生物に捕食された魔物と同種なのだが、あれよりも狂暴かつ強大な存在となっている。

 すぐに対処しようと動いたのだが、内海をはさんだポートサイド島から強烈な風属性の魔力が立ち昇る。


「あの魔術は……タラニスくん!」


 極小の晶析武装。砂粒と同じか、それ以上に微細な結晶ひとつひとつに術式が込められている。

 それら自体は単純なのだが、計算された動かし方や周囲から受ける影響により、いっそう大きな現象を引き起こすのだ。

 高速で飛来してきた輝く緑色の雲、あるいは霧のようなものが海面に接した直後、急速に渦巻いては海中の水と魔力を取り込みはじめる。氷の穂先(ほさき)。海水でつくりあげた刃を核にした風の魔弾が放たれた。

 要塞にある巨大魔導兵器のような威力だ。視界にひと筋の残光を描いたそれは、ウミヘビの頭部から大部分を瞬時に吹き飛ばし、消失させる。


「……──さん! 星の、みなさん!!」


 すさまじい魔術に唖然としていると、手柄を立てた雷雲を識る者、タラニスの声が耳に届く。

 顔を向けると、彼はポートサイド島からこちらに向かって上空を飛んできていた。風魔術を解いて着地するやいなや、自分たちのもとへと駆け寄ってくる。


「姉さんと義兄さん、レイン・ヴェーラとグウェンドル・ヴェーラがこっちに来ていないか!?」


「レインさんと、グウェンドルさん?」


 見た覚えはない。

 ユーリスがこちらのスターボート島で目にしたのは、指示を飛ばすローズといった本家筋の人間や、人々を護るために奔走(ほんそう)するラカイユ家をはじめとした警備隊ぐらいだ。


「いいえ、こちらでは見ていません」シンシアが応じる。「タラニスさん。ひょっとして、おふたりの行方がわからないのですか?」


 そうだと、血走った眼で応じるタラニスがこちらに顔を向けてくる。


「星属性さん。頼む。姉さんと義兄さんがどこにいるのか──」


「ダメだ。タラニスくん」すでにユーリスは、このパイク・ルラーニャ諸島の全域に探査魔術を放っていた。「この諸島内からは反応がない。エルフ御三家のフレイヤ家当主や、護剣の摩天空間(まてんくうかん)といった水準で隠されていなければ、だけれどさ」


 ティティルンが動いているのか。そのような懸念をみんなで顔に出していると。


「ちょっと星属性ちゃま~? わたくしのいないところで好き勝手に言ってくれるじゃないの~!」と、怒りと不満の炎をまとわせた女性の声が響きわたる。

 全員いっしょに顔を向けると、たった今このスターボード島の岸壁に停泊したらしき船から、ティティルンとメールニアの姿が現れた。

 配下であるメールニアはどこか負傷しているのか、ティティルンの肩を借りながらゆっくりとこちらへ歩いてきている。


「あぇっ。あんたたち、どうしたの!?」というミレイの驚きと同時に、シンシアが走りだす。


 苦痛か疲労か。表情をゆがめるメールニアであったが、星命の聖女候補による有無を言わせぬ治療魔術で、「……ありがとう、ございます」となかば驚きながらも、足腰にちからを取り戻したようだ。

 その様子を見たティティルンが、ほんの一瞬だけうれしそうな笑みを浮かべたかと思えば、「ちょっとそこの識者(しきしゃ)ちゃま~!? あなたのお姉さん、どうしちゃったのよ~!」とふたたび怒りを見せる。


「わたくしの大事な部下を襲ってくれちゃって~。この代償は高くつくわよ~!?」


「……は?」タラニスは、まるで知らない言葉をぶつけられたかのように固まる。「姉さんが、その人を? いや、そんな馬鹿な──!」


「なにやら事情があるようです」と主人から身を離し、きちんと背筋を伸ばして立つメールニアが応じた。

 そして懐から一枚の紙片を取りだしては口を動かす。


 数時間前。

 倉庫の一角で宰相派魔族を監視していたメールニアのそばに、あの銀の腕輪を身に着けたレインが現れた。

 取引した仲とはいえ、五大種族に対して油断のないメールニアであったが、しかし予断はあった。あの封魔道具を身に着けている状態では、魔技も魔術も行使することができないはず。宰相派魔族の様子を尋ねるレインに接近を許してしまった。


「雷撃を発する風属性の魔道具でしょう。首すじに衝撃を感じたかと思えば、全身が(しび)れてしまって身動きすることができなくなりました。いやはや、大陸にも恐ろしい魔道具があるものですね」


「それ……」と、タラニスは心当たりがある反応をこぼす。

 ユーリスは、彼が新しい系統魔術や魔道具を開発していることをよく知っている。世間一般的にも有名だ。


「で、あっけなく自分は倒れてしまいました。まもなく、身なりの良いビーストが複数人その場にあらわれたのです。分家筋の連中ですね。やつらはレイン・ヴェーラに自分が気絶したかどうかを尋ね、そして彼女は『気を失っている』と応じました」


 分家筋の連中からは見えない角度で、必死に目を動かすメールニアと視線を交わしながら、である。


 すぐそばに屈みこんだレインは耳元で小さく、謝罪の言葉を発した。

 そして一枚の紙片をそっと隠すように、自分の身体の下に差し込んできたと彼女はつづける。


「それは、なんとかこれだけでもと走り書きされた、弟へと向けた言葉でした」


「み、見せてくれ!」


 魔族への警戒心なんて欠片もない、あわてふためくタラニスの様子を少し心配したが、とくになにもなく彼はメールニアから紙片を受け取った。

 そして、「…………これ、姉さんの字だ。なにが『今までありがとう』だ。なにが『ごめんなさい、タラニス』だ。姉さん、どうして」と肩を落とす。

 メールニアは文句ひとつぶつけることもなく、ただ静かに彼の様子を見つめるだけであった。


「連中の行き先はわかってるわ~」ティティルンが確信を込めて言い放つ。「メルちゃまの様子を見にいく途中、もう陽が落ちているのに分家筋の軍艦が二隻、逃げるように出航していたの~。警備隊が制止するよう呼び掛けていたのに無理やりね~」


 倒れているメールニアを発見したティティルンは、すぐに宰相派魔族たちの姿が消えていることも確認した。

 まもなく、パイク・ルラーニャ諸島を取り囲む南海の各地で魔物が出現したのだ。


「主権争いに敗北して追い詰められた分家の連中は、魔界に亡命することにしたのだわ~。交渉材料とする存在を回収しながらよ~。……魔王ちゃまがアストロラーベ片手に騒いでいたけれど、エルコニアンのお宝は遺星錬器なのよね~?」


 ──そもそも、ローテッドはどうしてまた遺星錬器なんてものをエルコニアンに沈めちゃったのよ!


 ユーリスは、虹の入り江でミレイがそのように叫んでいたことを思い出した。

 そっと振り返ると、われらが魔王さまは恥じ入る表情で顔を伏せている。う~ん、まあ、うん。


「ユーリス!」フロムが叫ぶ。「この状況は間違いなく、そいつらがカシオペヤを抜いたからだ! エルコニアンが魔物として目覚めてしまった。急いで対処しにいくしかない!」


「しかしフロム殿、この状況だ」岸壁にあがってきたテオの声色は冷静だ。「外海は魔物だらけ。大陸の沿岸国とパイク・ルラーニャが協力して艦隊を編成し、準備をしてからでなければまともに航行することができない」


「待ってくれ、テオフェンドス!」タラニスが悲痛な叫び声をあげる。「姉さんが連れ去られてしまう! やつらがエルコニアンの底へ向かえたのは、ぼくが作った防壁魔術の道を利用したからだろう。遺星錬器を抜いてから海上に戻るまで時間がかかるはず。今ならまだ追いつけるんだ!」


「それにエルコニアンをふたたび封じるなら、カシオペヤが必要なはず」シンシアも焦りを見せながら口を動かす。「どうにかして分家筋の軍艦までたどりつかないと、南の海が魔物に支配されてしまいますよ!」


 しかし、そのためには魔物であふれかえる海域を突き進まなければならない。

 自分が探査魔術を駆使しながら進む? いや、現実的じゃない。ミレイに船へ隠密魔術を施してもらいながらであっても、とてもじゃないが避けきるなんて不可能だ。向こうがそうと気づかず突っ込んでくることは確実である。

 いまの内海の様子を見ても、この考えはけっして間違いではないとユーリスは確信した。と、同時に。


「そういえば、なんで、どうして?」


 間の抜けたこの声に、二名を除いた全員がこちらに怪訝な表情を向けてきた。

 その二名のうち片方のティティルンが、ニヤリと片頬を吊り上げる。


「星属性ちゃまは気が付いたのね~。まっ、いちばん状況を把握してるのだから当然かしら~」


「ティティルンさん。君たちはたった今、ポートサイド島からこのスターボート島まであの船でやってきたんだよね。魔物で荒れ狂う内海を突っ切って」


「そのとおりよ~。わたくしの摩天空間があれば、今すぐにでもエルコニアンへと向かえるわ~」


 希望と同時に、ユーリスは警戒心を抱いた。その代償としていったい何を要求してくるのか。

 なんて身構える自分たちに、「なに突っ立ってんの~。ほら、さっさとヴェーラご自慢の高速船を準備してちょうだいな~。はやく向かうわよ~」とティティルンがじれったそうにする。


「へっ? いや、いいのかい?」


「いいもなにも、ウチの部下がやらかした失態よ~? 上司が責任をとるのは世の常識なんだから~」


 気まずそうに(せき)(ばら)いするメールニアの隣で、ティティルンは「それにね~」といってシンシアに視線を移す。


「相手が魔族だろうが関係なく、躊躇(ちゅうちょ)もなく、一直線に治療しに向かってきてくれた聖女候補ちゃま~? あなたにお力添えしてあげたいって気分なのよね~」


 きょとんとするシンシア。

 そんなこちらの様子を横目に、ティティルンはすぐそばを走っていた警備隊の一人を捕まえて、すぐそこにいるテオの指示だと偽ってヴェーラの船を準備させた。




   =   =   =   =   =  




 これで、彼らが魔界と交渉する準備が整ってしまった。レインは腕に着けた銀の腕輪を不安そうに撫でる。

 弟のタラニスが構築した、エルコニアンの底へと向かう防壁魔術の道。海面に開かれた真っ白な光の回廊の入口付近で、この戦艦は待機していた。

 甲板に立つレインは、そっと周囲の海を見わたす。魔界で制作された魔道具のおかげで、辺りをうごめく海の魔物からこの戦艦は認識されずに済んでいる。だが、命奪う脅威に囲まれている事実は変わらない。満天の星空が照らしだす恐怖の象徴に心が支配されている。

 そんな自分とは打って変わって、ヴェーラ分家筋を真に掌握している山猫のビーストが、機嫌よく「よぉおし!!」と吠えた。


「よくやった、グウェンドル! その献身に免じ、レインとおまえの身の安全は保障してやろう。このさき魔界でも、ワシたち分家筋……いや、魔界に(おこ)す新たな一族の奴隷(どれい)としてこき使ってやるわ!!」


 重量のある存在を背負い、必死に縄梯子(なわばしこ)をのぼりきっては甲板の端で両手を床についている、夫グウェンドルに向けての言葉だ。

 夫は最新式である潜水服の頭部、ガラス製の装備を脱いではすぐそばに投げ棄てる。滝のような汗を流す険しい表情の彼は、人質として囚われている自分に視線を向け、心配ないというように小さくうなずいた。


「……あなた」


 許しを()うようにつぶやく自分の声は、つづけて縄梯子をのぼってきた二人の音によって打ち消された。

 一人は、傭兵である男性ヒューマンだ。ラカイユ家の次世代を担うテオフェンドス以上にたくましい肉体であるが、しかし瞳にあるのは任務遂行だけを見据える、冷たく硬い光しか宿していない。

 もう一人は。


「あの人もいっしょだったのね」


 ボニートという男性ビースト。

 五年ほど前まで、大陸北部にて魔界と密輸していた組織の男性ビーストであり、グウェンドルに魔界との密輸を提案した者だ。彼と夫がはじめた密輸がほかの分家筋に露見(ろけん)してしまい、そして利用されてしまった。

 グウェンドルは分家の屋敷を引き継ぐ代表であるものの、実際は()婿(むこ)ゆえ血筋には逆らえない。当初、この自分を治療するためだけであった裏取引は、しだいに分家筋の損失を穴埋めする手段となり、取返しのつかないところまで関係が深く結ばれてしまったようだ。

 身体の調子が良くなっていることを能天気に喜んでいた時期、知らないところで夫は想像することもできない心労を抱えていたのだ。

 こんな自分なんかの命を救うために。


「よく……いう」立ち上がったグウェンドルは、背中から床にそれを下ろす。「私がいなければ、まともな商取引もできず、こいつを引き抜くこともできない。そんな貴様たちが新天地で家を興す? ハッ。とんだお笑いぐさ──」


 傭兵が、その手にもつ槍を振るう。

 グウェンドルはわき腹を槍の柄で殴りつけられ、「──がっ……はぁ」と苦痛にうめきながら片膝をついた。そんな彼につかつかと歩み寄った山猫のビーストは、嘲る表情で見下しながら口を動かす。


「口に気を付けろよ、若僧。泥と責任を被るためだけの、屋敷を継ぐ表向きの立場に勘違いしてしまったか? これからレインともどもたっぷりと調教してやるから覚悟しろ。魔界への到着には、日数がた~っぷりとかかるからなあ」


 レインは思わず、彼のそばに近寄ろうと駆け出そうとしたのだが、「動くな!」と腕をつかまれてしまう。

 自分の両端には女性ドワーフと男性エルフが控えている。あの男性ヒューマンと同様に、分家に雇われた傭兵だ。こちらを気に掛けるグウェンドルは、「……妻には、手を出すな」と痛みによる脂汗を顔に浮かべていう。


「うす汚いおまえごときが偉そうに」山猫のビーストは、夫がエルコニアンの底から持ち帰ったそれにゆっくりと近づく。「大陸を裏切って魔界と取引しはじめ、つぎは本家どもに尻尾をふって証拠となる資料を持ち出した。ははっ! とんだ浮気性だ。これだから貧民出身はいかん。あのレインが哀れでしかたない。向こうに着いた後は、このワシが代わりに愛でてやるとしよう」


 周囲が嘲笑で満たされるなか、レインは自分のせいで命の危険を(おか)した夫を見つめる。

 本家筋へ渡すために、自分があの庭園の小屋から資料を持ち出したことが、彼らに知られてしまったのだ。使用した鍵が夫の属性(ぞくせい)励起情報(れいきじょうほう)のものであったがゆえに、彼らは夫を裏切り者だと糾弾(きゅうだん)した。

 グウェンドルは冤罪(えんざい)を反論することなく受け入れた。妻である自分の仕業であることを、間違いなく理解したうえで。


「……すばらしい」それを目前にし、感動に打ち震える山猫のビースト。「これこそが橋渡しが世に(のこ)した兵器……遺星錬器!」


 太い棒の先から、四方向に爪が反り返っている結晶質の錨。玻璃錨カシオペヤ。

 魔力欠乏症を患っているこの身体ですら、魔力の鼓動を感じとれるほどの圧力だ。歴史に語られる伝説を、偉業を、神話を創ることができる触媒は、ただ静かに静謐(せいひつ)な光を放っている。

 その威容を確認した山猫のビーストが片手をあげた。

 船首楼甲板に立っていた傭兵が反応し、魔導機器の照明を操作する。


「ふむ。やつらに手渡すのは惜しいが、やむをえん」


 山猫がつぶやきながら手を下ろす。

 今のは魔界から呼び寄せた、宰相派魔族たちが乗船している戦艦に向けた合図だ。こちらを信用していない彼らはすぐ付近で待機しており、取引材料となる遺星錬器を受け取ってからようやく魔界へ案内する手筈(てはず)となっている。

 このままではカシオペヤが、ローテッドの遺産が五大種族に牙を()くことになってしまう。


「……タラニス」


 夫を人質に取られた自分は、あのメールニアという魔族へ護身用の魔道具を使ってしまった。

 せめてもの抵抗と考え、彼女が意識を保てるように威力を調整した。本家筋に異常を報せに向かってもらうことを祈っての判断であった。

 だが、無駄だった。まさか忠告されていたにもかかわらず、彼らがエルコニアンを魔物として目覚めさせるとは想像もしていなかった。

 この魔物があふれ返る海を渡ってこられるはずがない。


「だれか……っ!」


 自分はどうでもいい。せめて夫だけでも救われてほしい。

 レインがそのように夜空の星へと願った直後だ。


「あ?」さきほど合図を送った傭兵が、間の抜けた声をあげた。「なんだ、あいつら。どうしてこっちに来な……待て待て、はぁ!? どこへ行くってんだ!!」


 彼の叫びにレインを含む周囲の全員が反応して顔を動かす。

 こちらに向かって来ていた戦艦が急旋回し、まるで何かから逃げるよう一目散に逆側へと進んでいた。風魔術や水魔術を駆使してまでだ。

 ぽかんと口を開けていると、「だ、旦那!」と傭兵の一人が山猫のビーストを呼ぶ。


「何かが、こっちへ高速で向かって来ています! アレ……まさか。いや、こんな海の真っただ中で!?」


 ふたたび全員が反応し、その傭兵が指さす先へと視線を移す。ちょうど魔族たちが逃げた方角と正反対だ。


「えっ」


 レインは、わが目を疑った。どうして。


「灯台が、ここに?」


 エルコニアン。有名な南海の危険海域で、灯台の輝きがこちらに近づいてきている。




   =   =   =   =   =  




 満天の星空が照らす浅瀬の大穴、エルコニアンが見えてきた。

 ユーリスは旧式潜水服の頭部を装着する。視界が狭まるが仕方ないし、助かるのだ。先ほどからつづくメールニアの早口から、この両耳を守ってくれるはず。


「これこそまさに華炎灯台(かえんとうだい)。ティティルンお嬢様が行使する摩天空間、クルスス・ジャスタス!」


 うん。ふつうに貫通してくるね、この声量。

 彼女の声はヴェーラの高速船、その船首から船尾まで響きわたっている。


灯火(ともしび)とは導くもの。この概念(がいねん)はありとあらゆるものへと作用し、魔技や魔術といった魔力による術式は当然として、人類をはじめとした知性ある生き物も(あらが)えません! もちろん魔物だって! この灯台のもとであれば、いかなる存在もお嬢様の誘導によってあらぬ方向へと針路をとってしまうのです!!」


 なるほど。ユーリスは納得した。

 いつの日かソンレス平原で、自分の星属性魔術を回避したのはそういう理屈であったらしい。魔力の意味を喰らう星属性魔術だろうと、術式まではともかく空間そのものとなると勝手が異なるようだ。

 術式は焼失していなかった。彼女が示す灯台に誘導されたことで対象を見失い、霧散してしまったことが真相なのだろう。


「いや、ちょい待って。メールニア。え、なに。あなた、どうしてそんな堂々と主人の摩天空間を解説してるわけ?」


 信じられないという表情で言い放つティティルンに、メールニアはきょとんとした表情で、「何も問題はないと判断しています」と返している。

 はぁ~と、大きなため息をついた華炎灯台は(ひたい)に手のひらを当てつつ、あきらめたように押し黙った。こんなやりとりが日常であるかのように。


「……いや、とんでもないな」フロムが、心の底から感心したように船の上を見上げている。「不思議な輝きだ。説明されたところで逆らえる気がしない。この炎の幕のうちでなければ、私がなにをどうしたところで攻撃は届かないだろう」


「本当にすごいです」シンシアの視線は、周囲の海に向けられている。「魔物たちはこの船へ突進しているつもりなのでしょうが、見当違いの方角へ泳ぐばかり。こちらに近づくことすらできていません」


 ユーリスも護剣の実力を痛感している。

 帆柱の先、やや上空に浮かぶ光球から広がる炎の薄膜にこの船は包まれている。ティティルンの摩天空間だ。魔物に支配されているこの海であっても、なんら問題なく高速で突っ切っている。シンシアのいうとおり、魔物どころか小魚一匹この船には接近できていない。

 これが、ティティルン・ヴァシラタスの摩天空間。しかしユーリスは、あの灯火が宿す孤独に気が付いてしまった。


「みんな、あそこだ!」テオの鋭い声に、ハッとする。「ティティルン……殿(どの)が確認したとおり分家の戦艦が二隻、いや片方が逃げているぞ!」


「星属性さん!」というタラニスの声に応じ、「まかせてくれ!」ユーリスは思いきり探査魔術を放った。

 ティティルンの摩天空間は、内側からであれば問題なく機能した。つまり戦場で使えば、問答無用で一方的に攻撃することができるのだろう。この事実に寒気を覚えつつ、判明した探査結果を口にする。


「……安心して、タラニスくん。レインさんとグウェンドルさんは、あの留まっている戦艦のほうにいる。遺星錬器もいっしょだよ。逃げているほうの戦艦には宰相派魔族たちの反応しかない」


「ティティルンのクルスス・ジャスタスは魔界でも有名なの」やれやれといったふうに言うミレイ。「この()()が近づいてきているのを目にしたあいつらは、遺星錬器や取引相手を置き去りにみっともなく逃げだしたってこと」


 それだけ彼女の実力を恐れているに違いない。

 もともと見逃す相手であっただけに、ここで退いてくれるのは素直にいって助かる話だ。あとは彼らが大陸で悪さをしないよう、帆柱都市から近隣国に緊急通信を飛ばすぐらいでいい。


「さて、手助けしてあげられるのはここまでよ~」気を取り直した声でティティルンは前方を見据える。「みなちゃまと違って潜水服もなければ、あの戦艦はわたくしの炎に耐えられそうもない。みなちゃまが帰ってくるこの船を、メルちゃまといっしょに護ってあげる程度ね~」


 申し分ない。むしろ期待以上の助力である。

 また、この状況であれば裏切りもないだろうと、ユーリスは考えている。たとえ自分たちが出た後でこの船を燃やされたとしても、あの戦艦を拿捕すればいい。この船からティティルンが攻撃してこようものなら、防衛すること自体は問題ないのだ。

 彼女も承知しているのか、「お手並み拝見ね。星のみなちゃま~?」と観戦気分な口調となっている。


「……全員、準備はいいかい?」


 ユーリスはともに戦ってくれる仲間たちを見まわす。

 フロム。シンシア。ミレイ。テオ。タラニス。潜水服をきちんと装備した五人がこちらと視線を合わせる。


「目標は三つ。レインさんとグウェンドルさん、それに玻璃錨カシオペヤだ。二人の安全を確保したうえで、奪取した遺星錬器をエルコニアンの底へ運び、あの場所でふたたび魔物を封印しよう」


 頷いたみんなとともに、ユーリスは衛星武装を展開した。

 そして。


「さぁ、行こう!」


 船べりから飛び出し、星の魔力で夜空を駆ける。

 シンシアはフロムの竜の翼で運ばれ、テオとミレイはタラニスの風魔術で飛翔することですぐ後方についてきている。

 自分たちの接近を感じとった分家筋の連中が、迎撃しようと魔術や魔導兵器を起動するも、無駄だ。


「はぁっ!」


 ユーリスは衛星を消費し、星属性の槍をばらまくように放つ。彼らの攻撃はすべて、この魔力を感知する槍によって打ち消された。避けることもできたのだが、フロムたちに面倒をかけたくはない。

 また、タラニスも識者の名に恥じぬ機敏(きびん)な動きで攻撃を避けつづけている。彼らの攻撃はかすりもしない。


「おっ、うぉおお!?」


 ただしテオだけが、空を飛ぶという行為に慣れていない様子で、海上にゆっくりと落ちていく。

 彼以外の自分たちが、危なげなく降り立とうとする甲板へと、接近戦をしかけようとする傭兵らしき者たちが移動してきたが。


「しばらく寝ていてくれ!」


 もはや一般的な武力組織では、星属性に対する脅威とはなりえない。

 ユーリスは剣を二度、三度と振るって銀の剣閃を斬り飛ばす。直後、空間に亀裂が走ったかのような細かい銀色の閃光が甲板に満ちあふれ、そして終わった。

 傭兵たちが転がる音と、ユーリスたち五人が床板に着地する音は同時であった。


「タラニスに……星のみなさんっ!」


 潜水服の頭部によって視界は狭い。だが、ユーリスは救出対象である二人の姿を視認した。

 こちらへ叫ぶレインはふたりの傭兵に挟まれている。頭部を除いた潜水服を身に着けてうずくまるグウェンドルのそばには、武装した屈強な傭兵と、見覚えのある男性ビーストが立っている。ユーリスは、あのビーストがボニートと呼ばれていたことを思い出した。

 そしてタラニスから聞いていた、分家筋を真に掌握しているという山猫の男性ビースト、彼が遺星錬器へあわてて駆けよる背中も見逃してはいない。

 先ほど探査魔術で確認したとおり、都合よく甲板の上にすべてが揃っている。


「姉さん、義兄さん!」


 家族を呼ぶタラニスが一歩踏み出すと同時に、レインを拘束する傭兵が彼女へ魔術触媒である長剣を向けた。

 この状況に、ユーリスはいつの日かポートメリオンの浜辺で、星属性の説明を聞かされたエルダの発言を思い出す。


 ──都市部に多い犯罪者たちの鎮圧にとても向いているわ。それに極端な話、人質をとる犯罪者に対して、人質ごとぶった斬るってことも可能ね。


 救出対象がレインでなければ、その選択肢もあったのだろう。

 だが、魔力欠乏症の彼女に星の力をぶつけて、無事に済む保証はない。ユーリスは剣を振るうに振るえない。

 こちらの動きが止まったところを見計らったように、「動くなぁ!!」なんとか危機を脱しようとする山猫のビーストは、焦りを隠さぬ咆哮(ほうこう)をあげる。


「見ろ。こっちにはそこのガキの姉がいるのだぞ! 即刻あの船へと戻らなければ、あの細い首をすぐにでも斬り落とさせてやるわ!」


 彼の言葉に応じるように、レインのそばに立つ傭兵の二人が剣を構えた。


「……無駄な抵抗はやめたほうがいい」星の魔力武装を(ほどこ)した長剣を、ことさら見せつけるように(かか)げる。「この場をしのぎ切ったところで、カシオペヤを元に戻さなければ君たちだって無事では済まない。魔界へと案内してくれる魔族たちはもういないんだ」


 山猫をはじめとした分家筋の者たち。残りわずかな傭兵たち。そしてレインにグウェンドル。

 彼ら全員がこの銀の輝きに注目した。


「義兄さん。()()()()()?」


 タラニスが義兄に向けて、力を込めた視線を送る。

 グウェンドルは、なにかを承知したように頷いてみせた。 


「おまえたち、惑わされるなっ!」山猫は同じ分家筋の者たちへ叫ぶ。「時間が無いのは向こうのほうだ。この船は魔物どもから見つからない。冷静に、われわれに有利な条件を引き出させれば良いのだ」


 この星の剣。山猫の言葉。多くの者が視線を二度も動かされたならば、彼も実行できるというものだろう。

 レインに剣を向けている傭兵が姿勢を変えようとして、一歩だけ足を動かしたときに、水音がした。


「……?」


 不可解そうに足元へ視線を向けた傭兵は、甲板の床、とくにレインの足元周囲にうっすらと水が広がっていることに気が付く。

 海水ではない。その正体は。


「しまっ──」


 魔術によって生み出された水だ。

 レインのそばに立つ傭兵二人に向かって、床に広がる水が突き刺す勢いで飛び出した。わずかに反応が遅れたことで、彼らの手から武器が弾き飛ばされる。


「はぁっ!!」


 船べりの外からテオが飛び込んできた。彼は二人のうち、一人のあごへ硬質化させた水を弾丸のように飛ばしあてて「……っ!」意識を()()る。

 もう一人が反撃しようと武器をかまえるも、「えっ」テオによって動かされた足元の水で姿勢を崩し、何が起きたのか理解できていない表情のまま、海の男による拳をこめかみに喰らい、白目を剥いたまま床を勢いよく転がる。

 同時に。


「がぁあっ!?」


 テオの動きに注目が集まるなかで、グウェンドルが立派な体格の傭兵、男性ヒューマンの顔に向けて炎を放っていた。

 潜水服で見えないが、触媒なしの魔術行使によって、彼は手のひらからひじの辺りまで皮膚が裂けてしまった。しかし痛みを気にしている場合ではない。


「タラニスっ! レインを!!」


 グウェンドルがこちらに向かって走りながら義弟に指示を飛ばし。


「義兄さんを頼んだ!」


 了承したタラニスが、レインを護るテオの援護に向かう。

 走るグウェンドルの背中へ、残り少ない傭兵たちがそれぞれ攻撃を放つが、「遅い!」魔王の弓矢と、「させない!」自分が飛ばした星属性魔術で打ち消した。

 そして、銀に輝く星竜の巨腕を顕現させたフロムが守衛の態勢を整えて、「もうだいじょうぶですよ!」シンシアはグウェンドルを保護しつつ、同調術式によって把握した彼の負傷をすぐに治療する。


「あんたたちの負けよ。観念なさい」


 ミレイのいうとおり、状況は数秒で逆転した。

 レインのそばには雷雲を識る者とスターボード港湾警備隊の副隊長、グウェンドルのそばには自分たちがいる。

 残すは遺星錬器だけだ。


「ぐっ、ぬぅう!」だが、まだあきらめきれぬという顔の山猫が遺星錬器に手を伸ばす。「こうなったら、ワシみずから貴様らの相手をしてやるわぁあ!!」


 ユーリスたちやテオにタラニス、それに傭兵たちの残りやほかの分家筋の者たちでさえも、思わず呆れ顔となってしまった。

 いくら橋渡しが遺した兵器とはいえ、素人が扱ってどうにかできるものではないのだ。これ以上、無駄な時間を(つい)やす意味はない。ユーリスはそう判断して彼の背中に銀の剣閃を飛ばそうとした、直前だ。

 山猫の男性ビーストが、結晶の錨に魔力を込めたことで。


「……これ、は?」


 玻璃錨カシオペヤが、その権能を発動してしまった。




   =   =   =   =   =  




 ローテッド・ヴェーラが残した伝説を、シンシアは唐突に理解した。

 なぜ単身でエルコニアンの元凶に立ち向かい、そしてなぜ生還することができたのか。

 それは、彼という使用者以外が、このように奪われてしまったからなのだろう。


「まりょ、くがっ!」


 玻璃錨カシオペヤを中心にすべての属性の輝きが渦巻いている。

 足腰から力が抜けてしまい、床にひざをつくシンシアの視界では、周囲のありとあらゆる魔力や術式が、あの遺星錬器に引き寄せられていた。

 魔力を身に宿すこの星の生物は、生まれたときから本能によって、身体能力強化を無意識に行使している。

 ゆえに、カシオペヤによってとつぜん強制的に、そして根こそぎ奪い去られるこの引力にはとても耐えきれない。甲板にいるほぼすべての者が姿勢を崩した。

 とくに魔力を身体に多く宿しているフロムとタラニスは消耗(しょうもう)が激しいのだろう。苦悶(くもん)の表情を浮かべて苦しんでいる。


「みんなっ!」


 だがつい最近まで、その魔力に意味をもたせることができなかったためか、魔力の身体強化へ依存せずに済んだ星属性は耐えきった。

 ユーリスはいっしゅんだけ床に手をつくも、すぐに姿勢を正すことができた。しかし、彼はなにかを察したように険しい表情を海へと向ける。


「……まずい!」


 この戦艦を強烈な衝撃が襲う。

 二度、三度。まだつづく。シンシアはなんとか短杖を手放さずにいるものの、とても立ち上がることなんて不可能だ。

 すぐに状況を察する。遺星錬器によって、この戦艦を周囲の魔物から隠していた闇属性の魔道具が、その機能を奪われてしまったのだ。

 とつじょ出現した獲物に対し、周囲の魔物たちがその狂喜(きょうき)をぶつけはじめている。


「あひゃ、あひゃはははっ!? なん、これ、これは、なんだぁあああ!!?」


 喚き散らす山猫のビーストの手には、その結晶質の全体をまばゆく鮮烈に輝かせるカシオペヤがある。

 血は薄いが、このエルフの目と感覚が教えてくれる。彼は遺星錬器によって過剰な魔力をその身に取り込んでしまい、魔力酔いを引き起こしては錯乱しているのだ。

 エルフやドラホーン、あるいは護剣にも迫る魔力を全身に励起させる山猫だが、制御はいっさいできておらず、足元がおぼつかない無様(ぶざま)な様相でカシオペヤに体重を預けている。

 シンシアは懸命に立ち上がろうとする。


「……なんとか」あの男の手から。「カシオペヤを、離させないとっ!」


 しかし、激しい揺れと魔力の強奪で平衡感覚(へいこうかんかく)は消失している。

 ユーリスもまた山猫のビーストに近づこうとするが、「くるなぁあっ! はっはは、ひゃひっ、わし、ワシにさか、さからうなぁああ!!!」正気を失った山猫がその錨を振り上げた。

 素人(しろうと)の魔技あるいは魔術とはいえ、暴走する遺星錬器で放たれれば威力は想像すらできない。

 自分自身だけでなく周囲の者たちも守らなければいけないユーリスが、足を止めて星の防護魔術を広げた瞬間。


「ふぐっ!!?」


 レインが、山猫のビーストに体当たりをした。

 魔界の封魔道具によって、身体から魔力を奪われずに済んだのだろう。突然のめまいや脱力に襲われなかった彼女が全力でぶつかったことで、山猫の手から遺星錬器が離れた。

 

「……はぁっ、はぁっ」


 シンシアはやっとまともに呼吸することができた。

 だが状況は、最悪の結末に向かって(かじ)を切る。顔をあげた自分の視界に映るものは。


「なに、あれ」


 触手。タコにもイカにも見える、大木のような太さがある触手が、船べりの外から出現した。

 力強く動くそれが二本、三本と玻璃錨カシオペヤという星をつかもうとして俊敏に振るわれた。折れたメインマストが轟音とともに倒れ、戦艦の船尾楼周辺が剥ぎ取られていく。

 遺星錬器。山猫のビースト。複数人の分家筋の者に傭兵たち。そして。


「……姉さあんっ!!」


 山猫のすぐそばに倒れていたレインの身体も、弟が叫ぶなか触手で見えなくなる。船の大部分ごと彼女たちは海に引きずり込まれてしまった。

 瞬間、シンシアのそばから駆け出した人物、グウェンドルがいっさい躊躇することなく魔物がはびこる海へと飛び込んだ。


「みんな、聞いてくれ」


 ユーリスの声が潜水服の機能によって二重に聞こえる。


「いま攻撃してきた触手の魔物は、レインさんや遺星錬器をつかみそこなっている。俺がアイツを対処するから、みんなには彼女やカシオペヤを頼みたい!」


 星属性でなくとも、あの強烈な魔力を宿した遺星錬器は、シンシアに圧倒的な存在感を伝えている。彼の指示がなくとも探しだすことは容易だ。


「わかり、ました」


 なんとか返事をするシンシアとともに、「行くぞ、みんな!」フロムに、「頼んだわよ、ユーリス!」ミレイ、「俺が水魔術で支援する!」テオ、「姉さんと義兄さんは、ぼくが!」タラニスが立ち上がる。

 戦艦は航行機能を失うも、沈没することは免れたらしい。魔物どもの攻撃対象からも外れている。離れても良さそうだ。

 シンシアは決意を固めて、仲間たちとともに船べりから海へと飛び込んだ。


「……っ」


 海面に着水するまでのわずかな時間、シンシアは視界の端に捉えた恐怖の存在によって鳥肌が立った。

 ただ、ひたすら、巨大な軟体動物の魔物。

 嵐壁(らんぺき)のスペクトラム、ルクバー。死の湖で踊った、半人半蛇(はんじんはんだ)の魔物。水揺国(すいようこく)で目にした、王樹メレフ。それらと変わらぬ大きさの存在が、すぐそばの海中で数え切れぬ触手を動かしているのだ。

 さらに、海面を突き破って眼前に現れた水面下の光景に息を()む。


「これはっ!?」


 エルコニアンは、血肉に骨や皮膚、そして死によって支配されていた。

 極限環境で育て上げられた大穴の覇者たちと、かつて南の海を支配した魔物たちが、生存を賭けた戦争を繰り広げているのだ。

 海中に飛び込んだシンシアたちに目もくれず、彼らは狂乱の踊りを披露している。


「シンシア」頭部の装備によって、フロムの声が聞こえる。「見ろ、あそこだ!」


 彼女が指さす先を目で追うと、夜の海の中でこそ目立つ光が、群がる魔物のすき間からこぼれている。

 あの様子に顔から血の気が引くシンシアであったが、「吹き飛ばすわ!」ミレイがセレノグラフィアの(つる)を引いた。


「静かの海より来たれ、アークラガン!」


 衝撃とともにおぞましい群体からこぼれ落ちる、清浄な青白い輝き。すでに玻璃錨カシオペヤは、その権能を止めている状態だ。今なら運べる。

 海中を飛ぶように泳ぐフロムが接近しては、「よしっ!」といってつかみ取ることができた。

 彼女へと忍び寄る魔物は「援護するから行って、フロム!」ミレイの月の矢によって打ち払い、大穴の生き物たちは「フロムちゃんに近づかないで!」自分が行使する魔術防壁によって妨害する。

 こんな自分たちの動きを援護してくれる水流が周囲に生じる。テオだ。


「俺が先陣を切る! エルコニアンは見てのとおり、混乱の極みに陥っているからな。今ならダイヴ・コードの範囲内であれば突き進むことができそうだ!」


 彼の言葉にシンシア、フロム、ミレイは頷き返す。時間がない。早急にエルコニアンを封印しなければならない。

 すると背後で、なにか重い物が海中に落ちる音が聞こえた。シンシアは振り返って確認したが、何も見えない。


「ふぇっ?」


 気のせいだったのだろうか。疑問を覚えながらも、テオの水魔術によって生まれた流れに身をゆだねる。


 底に向かって、浅瀬の大穴を潜行する。

 肉を噛み切るのは喰らうためではなく、(はさみ)で砕き斬るのは栄養とするためではなく、毒針を刺すのは捕らえるためではない。

 ただ殺傷するため。命を奪うことだけを目的とした動作が、自分たちの周囲で絶え間なく起きている。

 シンシアは、理解できない心の痛みにさいなまれた。捕食する以外のためにも、自然の生き物がほかの命を害することはなくはない。だが、この場で起きているのは自然の摂理を外れた闘争だ。

 もともと存在したエルコニアンの食物連鎖を、命のつながりを否定するかのような殺意の渦中を泳いでいると、現実離れした感覚に意識がもっていかれそうになる。


「しっかりしろ、シンシア」


 フロムの声にハッとする。

 いけない、みんなから少しばかり遅れていたようだ。


「もう底が見えてきたぞ。あの坂を下ったりした苦労がウソのようだな」


「良かった。このまえ私たちが残したダイヴ・コードも、ちゃんと機能してくれている」ミレイのほっとしたような声色。


「だが、そう簡単には封じさせてくれなさそうだ……」テオの声には、しかし恐怖が入り混じっていた。「二度と目にしたくなかったあの輝きが、底の中心から噴きだしているぞ」


 彼の言うとおり、エルコニアンの輝く底、かつてカシオペヤが鎮座していたガラス質の骨針が紋様を描く中心では、(そら)(こぼ)()が出現している。

 こちらの接近を感知したのか、あの黒い光が魔物の肉体を形成しはじめた。


「させるかっ!」


 水流によって突撃するテオが、水中でこそなおいっそう輝く戦斧(せんぷ)の水刃で切り払う。さらに生じる魔物も、ミレイが矢を放っては瞬時に処理してくれた。

 そうして到着した底の中心に向けて、フロムが手にしていた錨を突き刺そうとするのだが、「なっ、押し返され……!?」黒い光の勢いがすさまじいらしく、彼女の身体が接近できていない。


「手伝おう、フロム殿!」


 テオもカシオペヤの柄に取り付いていっしょに突き刺そうとするのだが、「これは、すごいな……!」まだ足りないようだ。

 シンシアはミレイと頷きあって、すぐに二人へと加勢する。だが、四人で力を合わせてもなお届かない。


「あと、あともう少しなのに」


 そこでミレイが、「そうだ」と何かを思い出したように声をあげる。


「シンシア、星の結界よ。あの結界魔術だったら!」


「宙の零れ火にも負けませんね!」快く応じたシンシアだが、顔をしかめてしまう。「でも、ユーリスさんが来てくれないと!」


 テオが片手を離し、潜水服に取り付けた魔導機器を操作する。


「ユーリス殿。聞こえるか、ユーリス殿!」ダイヴ・コードを介した遠隔通話機能だ。「黒い光の噴き出る勢いが手に負えない。カシオペヤを突き刺せないんだ。対抗するためにはあなたが必要だ! なんとかこちらへ──」


「向かいたいところだけれど、俺の潜水服じゃ遅すぎる!」


 機器を通して聞こえたユーリスからの返事に、シンシアは言葉を失う。そうだ。彼の潜水服は旧式で、自分たちのように速く泳ぐことができないのだ。

 さらに彼は焦燥感(しょうそうかん)を隠さない声でつづける。


「それに、タコだかイカだかわからないコイツが厄介なんだ! 触手や身体を斬り落としても、周囲の魔物や生き物を取り込んで再生してしまってキリがない。……この潜水服さえなければ対処しようがあるのにっ!」


 ミレイも自分の潜水服を操作し「タラニス、あんたは家族を見つけられた? こっちを手伝ってくれそう!?」と呼びかけるも、「くそ。まだだ、ちくしょうっ!」と少年ビーストは涙交じりな声で応答する。


「カシオペヤに引き寄せられた魔物が多すぎる! デカブツ以外なら一掃(いっそう)することは簡単だ。でもそれだと、姉さんや義兄さんを巻き込んでしまう!」


 彼の言葉とひっ迫する状況に、フロムやミレイに、テオも余裕を感じさせない表情となる。

 シンシアもなんとかしなければならないと思い悩んでいると、視界の端に、何者かの影がいっしゅんだけ見えた気がした。

 タラニスの悲痛な声を聞きながら周囲を見渡すも、散乱する巨大生物の骨しかない。


「……識者が聞いてあきれる! ただ威力と規模だけを求めたぼくの魔術なんかじゃ、この状況では意味がないんだ!」




   =   =   =   =   =  




 意味がない。

 レインの心を支配するこの言葉は、両親の葬式に参列した遠い親戚の者たちが、まだ幼かった自分を盗み見ながら発したものであった。


 ──まったく、ヴェーラの名を汚しやがって……。


 あの日、自分と弟を(あわ)れむ者は少なかった。原因は、両親が命を落とした理由にある。

 魔力が豊富な荷物を運搬するときには、必ず闇属性の魔道具を使用して、隠密魔術を施さなければならない。魔物や危険な生き物を近づけさせないためだ。(おこた)れば、兵士や冒険者たちが苦労して確保してくれた交易路に、小さくはない危険を招いてしまう。

 両親の使用した船からは、魔物の襲撃によって血まみれとなってしまった残骸からは、隠密魔術を施した痕跡が見当たらなかったらしい。


 ──……おとうさん。おかあさん……。


 レインは、父と母を恨んでなんかいない。

 ヴェーラの分家筋、その弱小一派である自分たちは、上の有力な連中から無理難題を押し付けられていた。ヴェーラの名に恥じぬ生活。つまり必要のない浪費や投資、気前の良さとかいう理解できない見栄を張ることを強要されていたのだ。

 ()(たけ)にあった生活をしていれば、両親は魔道具を準備することができたはずなのだ。


 ──お姉ちゃん。


 ヴェーラ一族に相応(ふさわ)しいという、無駄に豪奢な葬式のなかで、弟はそっと自分の手を握った。


 ──だいじょうぶ。お姉ちゃん。ぼくがちゃんとそばに居るから、だいじょうぶだよ。


 タラニス。自分の弟であり、(たぐい)まれなる才能をもつ魔術師の卵。

 数週間前。幼い彼は、大陸南部で盗賊の拠点を単身で制圧した。人質が囚われた区画以外を、雷撃の術式で一掃したのだ。それも、証言が必要だとされる盗賊たちの命を奪うこともなく。

 あの活躍により、レインの一派ではタラニスを()す声が日を追うごとに増していた。


 ──うん。わたしには、タラニスがいるもんね。


 頼りになる弟の暖かさに甘えたくなってしまい、レインがつかむ手に力をそっと込めた、そのときだ。


 ──……これから弟のほうは苦労するだろうよ。ふはは。治療できない魔力欠乏症では、文字通り意味をもつことなぞできんわ。生きていても意味のない小娘だな。


 頭が真っ白になり、いったい誰が発言したのか、今でも思い出せない。

 そこから記憶に残っていることは、ふたつだけ。


 ──今ふざけたことを抜かしたやつ、出てこいっ!!


 そんな陰口が耳に届いたことで激昂(げっこう)したタラニスが、声のしたほうへと身体を向けては容赦のない風魔術を準備し、葬式に参列した人々が驚き叫んではその場を離れはじめたこと。

 もうひとつ。


 ──あぁ、タラニスくん。わざわざきみが手を(くだ)す必要はない。


 会場の入口から、つかつかと足早に歩きながら発言した黒豹の男性ビーストが。


 ──ふんっ!!


 まさに全身全霊といえる勢いで、一人の中年男性ビーストの顔面に拳を叩きこんだ光景。


 ──あっ、やっべ。こいつヴェーラ一族のなかでも、けっこう上のほうに位置するやつだ。


 鼻血を噴き出しながら最高級の敷石を滑っていく身体。それを見つめながら言う黒豹だが、後悔なんて微塵(みじん)も感じさせない笑顔をこちらに向けた。


 ──まあ、どうでもいいか。オレ……いや、私の命の恩人に対して、今の発言だ。これでもまだ釣りをもらっていいぐらいだな。そうだろ? レインさん。


 後に夫となる彼との再会だ。


「……──イン……! レイン!」


 一族の中にも、心を許してはいけない連中はいた。

 弟の才能を利用しようと近づいてくる者たちの欺瞞(ぎまん)虚飾(きょしょく)、黒い誘惑といった悪意を打ち払った男性。


「目を覚ましてくれ! レインっ!!」


 自分たちきょうだいを護ってくれては、一族のなかでも弱小一派であったわが家の商業実績を大幅に改善してくれたうえに、こんな意味のない自分と将来を誓い合ってくれたビースト。

 ゆっくり開いていく、ぼやけた視界に映る存在。


「あぁ、まったく無茶をする。そういえば、初めて会ったときからおまえはそうだったな。あいかわらずお転婆(てんば)な私の妻だ」


「……あなた?」


 グウェンドル。波に揺れる彼が、こめかみから血を流しながらほほえんだ。

 いつの日か落石から自分を庇ってくれた、あのときのように。







ここまでお読みいただき、ありがとうございます。


次回も引き続きお読みいただけたら幸いです。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ