第六十二話「人形:前編」
背中から六本の大蛇の尾のような触手。
腕は奈落の底のような黒。
全身には言い訳できないほど
くっきりと異様な黒い管が浮き上がる。
気配は魔獣のそれと近いが
少しだけ人間的でもある、
そんな気色の悪い、化け物が
ウィリアムの視線の先、廊下の向こう側に現れた。
「なに、あれ・・・」
ウィリアムの口からそう声が漏れる。
「あの状態と人の間?」
その異様な姿は彼も見たことがなかったようで、
うろたえてしまう。
そんな彼の元へ
化け物が一直線上に跳んで来た。
弾かれたように
一瞬でウィリアムの眼前に迫るソレは
彼に向かって拳を振るう。
(速い!!)
咄嗟に腕で守りを固めるウィリアムだが、
そんなものはお構いなしに
拳は振りぬかれた。
「くっ!!!」
足が浮き、体が浮く。
拳の勢いのまま
左方向へ吹き飛んでいくウィリアムは、
建物の壁を突き破り、様々な部屋へ出入りする。
三つほど先の部屋に
お邪魔した辺りで、
彼は体勢を立て直したが、
ルーカスの足はそこへ追いついていた。
「ガァ!!!!」
ウィリアムの頭を掴み、壁に叩きつけ、投げる。
倒れた彼の足を掴んで
床に叩きつけた後、
また頭を鷲掴みにして
頭蓋ごと粉砕する勢いで握り潰しながら
少年を振り回す。
「アアアア!!」
もはや人の声とも思えない
軋んだ声を上げながら
ミシミシと頭を砕く彼の姿は
本当に怒り狂った化け物、そのものだ。
ウィリアムはその手を必死に
掴み引き離そうとするが
(一体どうなってるんだ!
この形態も、いきなり強くなって)
その手は頑として動かず
引きはがせそうもない。
「ーーーーー!!!」
鳴き声のような叫びをあげるルーカスは
掴み上げたウィリアムの空いた腹に向かって
拳を突き立てていく。
「ぐはぁっ!!」
まるで玩具のように振り回され、
何度も中身を外からぐちゃぐちゃにされて、
溜まらず悶絶するウィリアムも
「くっ、ふん!!」
黙ってやられているだけではない。
化け物が左手を引き、
更なる打撃を繰り出そうとした瞬間に
化け物の右手を掴み、足を化け物の胸にかけた。
そこから思いっ切りウィリアムが力をかける。
化け物の手が横に伸ばされ、
二匹で十字が描かれた。
そうやって、ウィリアムは全身の力を使い、
化け物の右腕を引きちぎろうとしたが、
そんな人間業が化け物に通じるわけもない。
一度はまっすぐにのばされた
ルーカスの腕は
彼が力を込めて、内に引き戻すと、
「ば、馬鹿力め!」
ウィリアムなどは意にも返さず、
関節技は解けてしまう。
「ーーーーーーー!!!!」
そして、そのまま化け物は思いっ切り踏ん張り、
右手をまわした。
叫びと共に振られたその腕は、
ウィリアムを振り落とし、後方へと
吹き飛ばす。
(どうなってるんでしょうねえ!!)
その勢いのままウィリアムは後ろへ飛んでいった。
今度は一枚壁を突き破ったところで
立ち直ったウィリアム。
そこへまたもや飽きもせずルーカスは、突っ込んでくる。
二人は向き合い、
互いに拳で迎えあった。
二人の拳が振りかぶられ、
交差し、お互いの顔へめり込み、砕く。
仰け反る二人だが、
ウィリアムはその場に止まれず、
後ろへズルズルと後退させられる。
一方、ルーカスは少し顔を仰け反らせただけで
再びウィリアムの方へ目を向けた。
「ふぅー、ふぅー」
体の傷はどんどんと
ふさがる彼だが、
服は直らないらしい。
紳士服はボロボロにされ、
内側から肌色が見え隠れしていた。
肩は大きく揺れ、
荒い呼吸を口から垂れ流す。
しかし、ウィリアムをそんな状態にした目の前の化け物は
彼よりも苦しそうにしていた。
「ハァ、ハァ、ハァ、ハァ」
浅い呼吸を繰り返し、
触手の先は夏場のアイスのように溶け始めている。
体中には汗が噴き出ていて、
腕を上げる力も残っていないのか
だらんと下に垂れ下がっている。
だが、その闘志は萎えるどころか燃え上がり、
敵意はそれだけで人一人殺せそうなほど
溢れ出していた。
「もう、付き合ってられませんね!!!」
彼もまた怒りをあらわにして、
そう叫びながら
「ふん!!!」
右手をひっかくように動かす。
虚空を引き裂く腕の動き。
それに呼応するように
天井が裂け、床が裂ける。
ルーカスの斜め上から始まった
勝手に物が裂けるように見えるそれは、
やがて、彼の体に迫り、捕らえ、
ルーカスの左腕に切り込みが入る。
それで終わったかと思いきや、
「ちっ」
舌打ちと共にウィリアムが腕を横に
動かすと、壇上で操られる劇の人形のように
彼の左腕が不自然に動き始めた。
「ア?」
連れ去られそうになる
左手を必死に体に引き寄せるルーカス。
さらに、彼の右腕もまた
同じようにどこかへ引っ張られだした。
「アアアア!!!」
追い詰められてから人間らしさと言うものは
どこかに置いてきたようで、
その声も人間味をどんどんと失っていく。
怒りをあらわにルーカスは叫び、
両手を自分の体に寄せ、彼の自由を奪う
その何かから必死にあらがう。
一方、ウィリアムはというと、
「くっ!」
彼も何かに引っ張られているみたいで、
必死に腕を引きながら足で踏ん張りを利かせていた。
「この!
馬鹿力め・・・・・」
彼は、恨めし気な声を漏らし、
その腕に力を籠めるが
思い通りにはいかないようだ。
「イ、ト使い・・ダナァ?
アリ、ガチ、アリガチな奴だ」
ケタケタと笑いながら
ルーカスは思いっ切り腕を引く。
拮抗していたはずが、
いつの間にか
ウィリアムはズルズルと彼の方へ引き寄せられていた。
「くっ」
それを感じて、彼はその拘束を解き、
後ろへ引く。
「ニガスカ!!」
後ろへ下がったウィリアムを狙い撃つため
ルーカスは背中の触手を伸ばすが、
ウィリアムが引っ掻くような動作をすると
簡単に切り刻まれ、地面へ落ちていった。
「ハァー」
残念そうに、辛そうに
息を吐くルーカス。
ウィリアムは、後ろへ下がり、距離をとる
彼が両手を下に落とした先には
何やら薄っすらと白い何かが見えた。
細くて、長い、
目を凝らさないければ見えもしない
それらは何本も彼の手から伸びている。
「僕の手には負えないですね」
そう言いながら彼は手を縦横無尽に走らせた。
横に、縦に、斜めに、上に、下に。
腕を動かし、
その極限まで細長いそれで
建物を切り裂き続ける。
しかし、ルーカスはそれらを躱す。
体をねじり、跳び、反る。
(手元サエ
見てれば大したことない!)
ウィリアムの手と連動して起こる攻撃を
避けることは彼にとって難しいことではないようだ。
「ハハ!!」
横なぎに振られた腕に合わせて
それを跳び越え、
ウィリアムの顔を蹴り飛ばす。
何もできずに蹴られてしまい、
床へ倒れ込む彼だったが、
「はははは」
どういうわけか笑い始めた。
不気味に笑うウィリアムのことなど
全くもって気にしないルーカスは
そこへまた追撃を加えようと
迫りくる。
だが、
そんな彼の目にも
それは見えた。
彼の方へ向かって向けられた手が
下へ動く。
それが見えた瞬間、
彼の頭上から音がし、
痛みが走る。
視界が一瞬だけ
真っ黒に染まると、
痛みと共に、彼は自分が宙に浮いていることに気づいた。




