第六十話「孤立」
ゼノに異変が起きた。
「げほっ! げほっ!」
食べたものをすべて吐き出しそうな勢いでせき込み、
赤い液体が彼女の口からあふれ出す。
「!?」
ルーカスは目の前の
唐突な出来事に驚きを隠せない。
ゼノは苦しそうに口から血液を
吐き出し続けており、
両手で口を押えても
その隙間からドバドバと血があふれ出している。
「お、おい!」
彼は立ち上がり、
ゼノに声をかけ、
「ウィリアム、早く」
彼の方向を向いた。
彼に処置を任せるために、
どこか処置のできる場所へ
連れていってもらうために、
彼にも声をかけようと
そちらを向いたその瞬間、
「は?」
彼の視界は半分になった。
(な、なんだ!?)
また半分に、そのまた半分に
どんどんと小さく、賽の目よりも細かくなっていく。
途切れ途切れの散り散りになりかけた
視界に映ったのはウィリアムの姿。
彼が指揮者のように手を上に振るう様子を
最後に彼の視界は暗転した。
(・・・・・・・・・・)
沈黙が続く。
部屋に残ったのは血濡れた肉塊だけ。
しかし、やがてそれは目覚めた。
蠢く肉塊はやがてその動きを止め、
体を黒い液体に変える。
その液体は一か所に集まり始め、
人間の形を作り出した。
ただの黒い塊から、
足ができ、手ができ、
背中ができ、腹ができ、頭ができる。
服を着た人間の姿はやがて形になっていき、
気づけば、
「ふぅー、ふぅー」
ルーカスへと戻っていた。
彼は荒い呼吸を必死に
落ち着かせながら立ち尽くす。
彼が元々居た位置から一歩も動いていないらしく、
彼には、また意識が飛んだのかと思ったが
(いや、俺は確か・・・)
何かをされた記憶がしっかりと残っていた。
「・・・・・・・どうなってんだ」
怒りをあらわにしながら、周りを見渡す。
(誰もいない・・・)
部屋自体は、
テーブルクロスと床が赤く汚れているだけで
他は何も変わりがないようだが、
あの二人の姿はどこにも見当たらなかった。
(何が起きてんだよ・・・・・)
少し重い脚を前に運び、
彼はドアの外へと出ていく。
城塞の廊下にも誰もいない。
昨日と変わらないはずのその廊下も
今では、更に不気味さを醸し出している。
そこにぽつんと一人、
ルーカスは立った。
「っ」
どこに敵がいるのかもわからないのに、
声すらも出せず、
どうすればいいかもわからない。
(まず何をする?
誰に会う?誰を叩く?・・・・)
突如、一人になって放り出された彼が
最初に取った行動は
(まずは・・・・サラに会いに行こう)
上官の元へ指示を仰ぎに行くことだった。
サラの部屋へ記憶を頼りに進む。
誰もいないだだっ広い廊下を突っ走り、
彼が床を踏む音だけが辺りに響き渡る。
「はあ、はあ」
そうやって駆け回っていると
「!」
目当ての人物がいた。
黒いジャケットを着たサラが廊下の先に立ち
彼に背を向けて立っている。
「おい、サラ!」
そう叫びながら彼は彼女へ近寄ると
彼女はそれに気づいたようで
サラはゆっくりと振り返った。
そして、同時にルーカスも気づいた。
もう自分の味方はいないのだと。
振り返り様、彼女の手に見えたのは
革命軍の兵士たちがもつような
あのアサルトライフル型の魔導銃。
城塞内だと言うのに
そんなものを持つ必要は普通ない。
しかも、その銃はゆっくりと
ルーカスの方へと向いた。
(な!?)
そして引き金に指がかかる。
そうなれば、当然、彼に向かって光が飛ぶ。
青く、薄い光。
それが彼の体に当たった時、
爆発が起こった。
煙の中を彼の片腕が飛んでいく。
「くっ!」
苦悶の表情を浮かべるルーカスは彼女の顔を見る。
その赤色に染まった目のサラを見た彼は、
「クソ!」
踵を返し、部屋に入ったり、
壁を破壊したりしながら逃げていった。
(本当どうなってんだよ!)
呼吸を荒くしながら
乱れた足でどこへ向かうでもなく、
ただ銃撃から逃れようと走る。
「はあ、はあ、はあ
な、なんで」
混乱の渦に巻きこまれた彼だったが、
彼を戸惑わせる要素は二つあった。
まず、一つ目は当然、サラに攻撃されたことだ。
彼には何が起きているのかさっぱりわからず、
唯一頼れると思っていた彼女には撃たれてしまった。
望みを絶たれ、もう彼には
次からどう動けばいいのかもわからない。
何せ、今の今まで彼は指示に従っていただけなのだ。
その立場をよく理解していたからこそ
こうしてサラの元まで走ったわけでもある。
こうなってしまっては、彼には何も情報がない。
第一、ここがどこなのかも彼はよくわかっていない。
トランシーバーで救援を呼ぶにしても
彼には誰に何を連絡すればいいのかすら
知らされていない。
彼女が彼の敵となったということはつまり
彼は完全に孤立したことを意味する。
そして、二つ目は
(俺、今、疲れてる?)
顔には大量の汗をにじませ、
荒い呼吸で肩を揺らしながら走る
彼は、心なしかいつもより傷の治りも遅い。
「はあ、はあ、はあ、はあ」
(足が、重い・・
空気が、薄い・・)
度重なる戦闘で
死んだように眠ることはあっても
こういった疲労はあまり感じたことのなかった彼は
今最悪のタイミングでそれを食らっていた。
(あんな程度で腕がちぎれるなんて・・・・
前はバラバラにされても、蘇れたはず・・・
なんで、こんなに・・・・
変身してない時にやられるとこうなるってことか?)
いくら傷ついても、
どうせ治せると高をくくっていた
彼を襲った急激な疲労。
今にも足がもつれて
前のめりに倒れそうになるが
どうにか彼女と距離をとることは成功したらしい。
だが、壁に隠れて
しゃがみ込んだはいいものの、
足は言うことを聞いてくれなさそうだ。
「はあ、はあ、はあ、はあ、はあ」
心臓は、外へ音を漏れ出させてしまいそうなほど
荒れ狂い、血液を送り出し、
肺は、今にも張り裂ける寸前。
しかし、
そんな彼が休む暇はどうやらないらしい。
ドタドタドタドタ
と彼の入った部屋の外から
大勢の足音が聞こえる。
分厚い靴底が地面を打ち鳴らす音が
彼に知らせてくれた。
お前は包囲されているのだと。
「はあ、はあ、はあ、はあ」
窓の外に大量の人影が見え、
パリンッ!!
窓が割られ、銃口が部屋の中へ伸びてきた。
そして、
一斉に火の玉が撃ちだされる。
「ちっ!」
しかし、それが彼を貫く前に
ルーカスは壁を突き破った。
ドゴンッ!
という建材が砕け散る音と共に
外へ飛び出した彼は全身に黒い管が
顔や首にもくっきりと浮き上がっている。
流れるような手つきで近くにいた
一人の兵士を捕らえ、
盾にしながら、周りを確認すると
(全員、赤い)
その目はすべて赤色に染まっていた。
非常に人間らしい動きで
彼らは銃を構えなおし、
仲間がいることもお構いなしに撃つ。
「ふん!」
だが、ただ黙って撃たれる彼ではない。
一気に速度を上げた彼は
まず、捕らえた兵士を他の兵士に向かって投げ、
反対側にいる兵士たちは一瞬のうちに叩き伏せた。
(これでとりあえず!)
窮地は脱したかと、
彼がそう思ったその時、
風切り音が彼の耳を通り過ぎる。
すると、城塞の床と一緒に
彼の腕も綺麗に裂け、
ぽとりと床に落ちた。




