第32節:始まりの4人
「……大丈夫か?」
腕に抱いた少年に問い掛ける黒の一号の声音は相変わらず無愛想だが、その裏にある気遣いを弐号は正確に読み取っていた。
しかし、まだ幼い少年にそれを読み取るのは難しいのだろう、彼は大きく目を見開て黒の一号を見詰めたまま浅い呼吸を繰り返している。
「ハジメ。その子をこっちに」
弐号が言うと黒の一号は頷いて、『羽衣』を解いて人型に戻った弐号に少年を渡した。
頭部外殻の顔部分を部分解除して、弐号は少年に微笑みかける。
「怖かったわねん。大丈夫? 痛いところとかないかしらん?」
柔らかく話しかけると、少年は体から力を抜いてくれた。
しゃくり上げ始めた彼の頭を撫でて、軽く抱き締める。
「はじめまして。私はニーナ。ニーナ・ソトニコワよん。君は、上手にお名前言えるかしらん? 愛くるしい男の子くん」
黒髪だが白人の血が少し混じっているのか、青みがかった瞳で弐号を見た男の子は、
「き……キョウスケ」
「そう! 良い子ね、キョウスケ。もう安心よん」
張っていた気持ちの糸が切れたのか、キョウスケが失神するのと同時に。
「がァ……!?」
誰かの痛みに呻く声が上がり、弐号らは一斉にそちらを見た。
視線の先に居たのは、ジンと―――首だけの姿で断面から触手を生やしたシープだった。
「てめぇ……まだくたばってなかったのか……!?」
「ギヒヒヒッ! そんな易々と死んでやる位なら、わざわざ生き返って来るわきゃねーだろうがよォ?」
首筋と両脇に触手を突き立てられたジンが、皮膚の下で不気味に蠢く触手の枝分かれした先端に全身を侵されていく。
「が、ァ……!」
「ギヒヒィ……さぁ第三ラウンドだぁ! 今度の体はお仲間だぜェ!? 殺してみなァ!」
シープが哄笑と共にジンの体内に消えると、ジンの動きが止まった。
「ジン!」
「す、ま、ねェ……!」
弐号の呼び掛けに応えた言葉を最後に、一度、目を閉じたジンは。
再び目を開いた時には、シープとまるで同じ、醜悪な笑みを浮かべていた。
「ヒィハハハハハッ! 纏身!」
『命令受諾』
両手で逆十字を作り、伍号装殻を纏ったジン……伍号シープは、闇色の雷を身に纏って両手を大きく広げた。
「素晴らしいィィィイイイッ! これが次世代型の力ァ!? ヒヒ、散々旧式とバカにされェ、昔からコソコソと生きて来たが、これでもう、恐れるもんは何もねェ!!」
「……ニーナ」
黒の一号が低く問い掛けるのに、弐号は彼の意図を正確に理解して応える。
「ジンは完全には取り込まれていない筈よ。人体改造型は、貴方の提唱した魂魄霊子体理論によって、コアを魂と同化しているわ。アドバンスドのジンは、コアへのリンクを自由に切り替えるスイッチを持っている点が、完全にコアと同化している私たちとは違う。仮にコアを取り込まれていても、切り離してさえいれば、魂そのものは侵食を受けていない」
「……助かる見込みがある、という事か?」
「ジンが完全に取り込まれているのなら、魂魄情報を剥がされてシープと分化した人相不明になっているわよん」
弐号の言葉に納得した黒の一号は、頷いて伍号シープに向き直った。
先程、《紅の一撃》によってエネルギーを失った参式が、基本形態のまま先陣を切って伍号シープに拳を繰り出したが、あっさりいなされて逆に蹴りを貰う。
「グッ……!」
「けひゃ! 遅いなァ!」
参式への追撃を抑えようと、同様にエネルギーを消費した肆号がブレード・スラスターを放った。
『風撃! ミツキ! もう一度……』
と、ケイカがシープへの侵食を再度提案しようとしたが、肆号の体が突如叩き伏せられて地面に這う。
「ガッ!」
「お前は厄介だからなァ? 先に潰させて貰うぜェ?」
限界機動でブレード・スラスターを躱したその足で肆号を地面に踏みつけた伍号シープは、姿勢を立て直して両手を顔の前に構え、突撃する参式に目を向けると、親指を下に向けた。
「出力解放……《黒の雷撃》!」
黒い雷撃陣が展開し、肆号と参式を襲った。
「ぐあああああッ!」
『ーーーッ!』
「ッ! 出力解放 The second! 《黒の天蓋》……!」
自身へと襲い掛かる雷撃を無視して、参式が肆号を包む防御壁を展開する。
「……《黒の銃撃》」
雷撃陣が収まると同時に黒の一号が出力解放を宣言し、無数の銃弾が伍号シープに牙を剥くが、伍号シープは雷撃を纏う両腕でそれを真正面から受けた。
「ギャハハッ! 無駄無駄ァ!」
「ッ……」
「ナ、メ、腐んなよおんどれァ!」
黒の一号が舌打ちし、肆号が全身から針鼠のようにヒレや突起を伸ばして反撃すると、伍号シープは余裕を持って飛び退く。
「オォォ……!」
最早出力解放すらままならないエマージェンシー状態のまま、肆号へ手を向ける伍号シープに突っかかって行った参式は、ジャブ・ストレート・ローキックのコンビネーションを放つが。
「遅い、つってんんだよぉォ!」
全身から白煙をたなびかせている参式の腹を蹴り上げた伍号シープは、そのまま宙へと飛び立った。
黒の一号が突っ込んでいくが、恐らく間に合わない……そう判断した弐号は、砲塔を一門だけ展開した。
『羽衣』の武装は、基本的には攻撃力という面において他の《黒の装殻》の足元にも及ばない威力のものしかなく、出力解放を伴う攻撃は腕の中のキョウスケに害がある。
「連続励起……《黒の蹴撃》ァッ!」
かつて、自分自身がジンによって受けた技を、伍号シープは参式に向けて使用する。
漆黒の雷撃を纏う螺旋の蹴りが、凄まじい速度で参式に向けて放たれた。
「……発射」
弐号が呟くのと同時に、極超音速の弾丸が一発だけ発射された。
狙ったのは、参式に最初に突き刺さる爪先の一点。
ギリギリで、防御の為に腕を右肩を前に向けて脇を締めた参式と伍号シープの爪先の間に、ほんの小さな殻片が滑り込み、雷撃の威力をそこで炸裂させる。
目を射るような閃光と共に《黒の蹴撃》の威力が炸裂し、螺旋の蹴りを受けた参式の右腕を鎧う外殻が崩壊した。
だが、体は無事だ。
「ミツキ! 根性見せなさい!」
「言われんでもォ!」
肆号はスラスターによって地面を這うように円を描く軌道で参式に向かって加速すると、雷撃と蹴りのダメージに辛うじて立っている状態だった彼を横薙ぎに攫うように抱き上げた。
そのまま円軌道のまま弐号の前まで飛んでくると、肆号と参式は力尽きて解殻し、ミツキとケイカが弐号の足元に転がる。
花立は膝こそついたが、まだ苛烈に伍号シープを睨み据えていた。
「トーガ?」
「……ああ」
声を掛けると、無事な左腕でそっとキョウスケを受け取る花立に頷いて、弐号は、再び『羽衣』を纏うと三人を守るように立つ黒の一号の横に移動する。
「良くやったわん。後は、お姉さん達に任せなさい」
横をすり抜けざまに声を掛けると、花立は頷き、ミツキは仰向けのまま悔しげに顔を歪め、ケイカはうつ伏せで申し訳なさそうな顔をした。
「第4ラウンド、って所かしらん? 私達を怒らせて、無事で済むと思わない事ね」
「……出力変更、突撃形態」
恐らくは、巨殻の稼働限界が近いのだろう。
オーバーヒートする前に特化形態に戻った黒の一号が、前に出した右膝に右腕を乗せるような姿勢で構える。
「邪悪は、滅ぼす。ーーー再び地獄へ戻れ、アンティノラⅧ」
「クク、旧式二体で何が出来るってんだァ!?」
吼えてこちらに飛び掛かって来た伍号シープを、不意に横から現れた閃光が吹き飛ばした。
「ギッ!?」
「二体も要らん。お前を殺すのは、俺一人で十分だ。そうは思わないか? ……シープ」
閃光の正体は、限界機動によって加速していた銀色の外殻を持つ装殻者。
黒の一号に酷似した外観に、緑の双眼と銀の大鎌を携えた……シープとは別の、地獄からの使者。
「無様だな、シープ。雑魚を取り込んで強くなったつもりか。お前はもう少し、矜持のある人間だったと思ったが、所詮は魂の壊れた人形か」
弐号は、黒の一号のデータで彼の存在を知っていた。
再びこの世界に現れたシープとは別の人体改造型であり、同時に襲来体である存在。
アパッチ壊滅後、姿を消したと聞いていたが。
「おやおや。このタイミングで、今更貴方が何の用ですか?」
「目障りな連中が増えたからな。害虫の親玉を駆除しに来ただけだ」
挑発的な伍号シープに対して、感情の浮かばない声音で答えた銀色の装殻者は、鋭い大鎌を無造作に片手で構える。
「俺の優秀な駒だったシープが、壊れたまま操り人形として良いように使われているのもいい加減不愉快だったからな。そろそろ殺してやろう」
そう嘯く、かつて黒の一号と渡り合い、散々彼を苦しめた強者の名を。
黒の一号が呟くのを、弐号は聞いた。
「……アンティノラⅦ」




