第8話 夜会
夜の帳が下りた頃、戦勝会は王宮の謁見の間で優雅に始まる。
並み居る貴族や上級騎士を前に国王は、リソリア城攻防戦の戦勝報告と、功績のあった者に対して賞賛を惜しまなかった。
一番始めに呼ばれたのは、リソリア城城主でもあるエンパートだった。劣勢をものともせずに、良くぞ守り通したと褒め称えられる。
配下の騎士、援軍として参戦したフィアンナたち飛龍騎士、攻防戦に参戦した者全てに賞賛と恩賞が与えられた。そして、後続の援軍として騎士団を率いたケイオスには、特に恩賞は与えなかったのである。
「ケイオスは王子であるがゆえ、ナセルの為に戦う事は責務でもある」
それが国王の言葉だった。
全ての功労者が出尽くしたと思われた時、国王はライを呼んでいた。
「最後にリソリア城攻防戦で、最も目覚ましい働きを示した者をみなに紹介しよう。ライ・シード、我が前へ」
国王に呼ばれれば、出て行かないわけには行かない。
人垣から出てきたライの姿に、周りからざわめきが湧き上がった。
「ライ・シードです。王さま」
右手を胸に当てて一礼をしたライに、国王の前にいた初老の男から叱責が飛ぶ。
「陛下の御前である。無礼であろう」
「どこがです。わたしは王さまに敬意を払っていますよ」
ライは答えてから、国王に顔を向けた。
「膝を付く事が、敬意を払う事になるのですか? わたしは騎士でもなければ、王さまの臣下でもなければ、ましてこの国の者でもありません。それでも、膝を付けと言うのなら、このまま出て行くだけです」
とんでもない暴言である。
周りのざわめきが一段と大きくなった。諦めたようなため息を付いて首を振るフィアンナと、顔を抑えてしまったエンパートである。
「馬鹿が、場所を考えろ……」
ざわめく一同を押さえたのは、片手を上げた国王であった。
「そなたは、そう言う者か?」
「はい。こう言う者です。王さま」
ふむと頷いて国王は立ち上がり、高座を降りてライに近付く。王妃までもが、高座を降りていた。国王と王妃のその行動は、まわりからどよめきを湧き起こす。
「私はナセル王国の王エゼット・ナセル。こちらは王妃のナタリ」
「ライ・シドウ、異邦人です。王さま、王妃さま」
深々とライは頭を下げている。
間近で見る国王と王妃に、そうさせるだけのものを感じてしまっていた。
「そなたは異邦の者でありながら、リソリア城攻防戦に参戦し、我が国の騎士達の誰よりも功を上げた。リソリア卿、飛龍騎士隊長フィアンナ・バーネット、さらには我が王子までもが口を揃えて進言しておる。なぜゆえ、我が国のために戦ったのだ」
「何も知らなかったからです。王さま」
「知っておればそなたは、どうしておったのであろうな」
「同じです。リソリア城攻防戦は成り行きで参戦してしまいました。それに、フィアンナ・バーネット嬢に命を救われた恩義がありましたので。わたしはわたしの出来る事をしたまでです」
「そのそなたの行動が、リソリア城攻防戦に勝利をもたらしたのも確かな事だ。ゆえに、私はそなたに恩賞を与えるべきと考えておる。我が国の騎士を望むのなら、上級騎士に取り立てよう。金品を望むのなら、見合うだけの金品を与えよう」
「王さま、謹んで辞退申し上げます。わたしは、そのお心だけで十分です」
ライは笑って言う。
「何も望まぬと申すか?」
「はい。恩賞が欲しくて参戦したわけではありません。ましてわたしは、ケイオス王子に暴言を吐きました。功績があったとしても、それでお許しいただきました。そして、王国の者でもありませんので、頂く訳にはまいりません」
さざ波のようなざわめきが広間に広がった。褒美を断わる事が信じられないのである。
「それでもそなたがいたからこそ、クランの侵攻をこうも早く撃退で来たと、騎士達の知るところでもある。そなたがいなければ、我国の騎士達はもっと多くの者が亡くなっていた事であろう」
「それでも、頂く訳には行きません」
功を上げれば、それに応じた褒美が与えられる事は、当たり前であり騎士達の誉れにもなった。それを断わる異国の男を、列席者達は信じられない思いで見ている。
「一番の功労者であるそなたが、褒美は要らぬと言うとなると、私は今回の功労者に褒美を与えられなくなるな」
「えっ?」
「一番の功労者が辞退するのであれば、他の者達も辞退するであろうな」
笑うような国王にライが慌てる。
「待ってください。他の方々は王さまの臣下であり、功を上げれば恩賞が出るのは当たり前ではありませんか。わたしは異邦の者で、王さまの臣下ではなくて……」
首を振る国王に、ライの言葉が止まった。
「そなたは勘違いをしておるようだ。我が国の臣は、そんな恥知らずではない。一番の褒美を受け取るべき者が、辞退するのであれば臣たちは、自分が受け取る訳にはいかぬと考える」
「あの、王さま。そこを曲げて、わたし以外者に褒美を与える事は出来ないのでしょうか?」
「できぬな」
あっさりと返されたライは、困り果ててしまった。
褒美を断わるのは、自分が受け取るわけには行かないわけで、しかも褒美としてすでに、フィアンナから口付けまで貰っている身としては、断固として辞退しなければならない。
それを言う訳にも行かずに、どうするかと悩んだ挙句に言った。
「王さま。褒美の件は、保留と言う事ではいけないのでしょうか?」
「保留とな」
「はい。本当に褒美をいただけるとは、考えてもいませんでした。それに、欲しいと思うものは何もありませんので」
「ふむ。良かろう。そなたに対する褒美は保留としよう。叶えられるような望みであれば、どんな望みでも言うが良い」
「ありがとうございます」
深々と頭を下げたライである。
再び壁際へと戻ったライは、ほっとしたように息をついてしまった。
楽の音が流れ始めると、それまで端に控えていた貴婦人達と貴族達が、中央に集まり円舞を始める。
円舞を見ていたライは、隣にいるエンパートに尋ねていた。
「初めて目にしますが、リソリア卿は踊らないのですか?」
「私は苦手だ。無骨者だからな。宮廷舞踊は嗜んでいない」
「貴族の方なら、誰でも嗜むものと思っていましたが?」
「王宮に出入りする者は嗜むが、私は南の守りの要とも言える場所にほほ一年中いる。だから、めったに登城はしない」
ライに答えていたエンパートは、息を一つ付いて言う。
「なぜ、おまえと話をしなければならない」
「リソリア卿の傍だと、人が寄って来なくて済みますから」
笑っていたが、その顔は苦笑に近かった。
「さっきから視線が痛いんですよ……」
国王から一番の功労者と言われたライである。
さらにその独特の容姿に興味を覚えない者はいなかった。貴婦人達や貴族の若者達など、ライに声をかけたくてちらちらと視線を投げかけている。
それでも傍に寄って来ないのは、実戦経験豊富な無骨者のリソリア卿が、隣りにいるからだった。一人になる事を考えると頭が痛くなる思いである。
そこにクリスティを伴ったケイオスが近付いて来た。
「おまえも変った男だな」
「王子……」
ため息しか出てこないライである。
ケイオスが加わった事で、視線がさらに集まって来た。
「褒美を保留にするとはな。誰もそんな事は考えないぞ」
「わたしに何をさせたいんですか?」
「思った通りにすれば良いさ。それにしても……」
ライを上から下まで眺めて、ケイオスは再び笑っている。
ライが身に纏っているのは、エンア夫人が用意した黒衣だった。衣服をあまりと言うかほとんど持たないライに、国王の前に出るのならと渡したのである。
「黒衣がこれほど似合う者を初めて見たな」
一緒にいるクリスティまでもが笑いながら言った。
「ライの容姿は得よ。どこにいてもすぐに分かるから」
「王女……」
「ライ。フィーは一緒じゃないの」
「フィーは……」
そう言えばとフィアンナの姿を捜して首を巡らせた。
「ああ、向こうにいますよ。女性に囲まれているようですが……」
他の女性よりも頭一つ高いフィアンナはすぐに見つけられたが、その顔が少し困っているように見える。
「何か困っているようですね」
理由がわからないライの首が少し傾いた。
「フィーのドレス姿が珍しいのよ」
「珍しい? どうしてですか? こういう会なら、女性はドレスで着飾るものでしょう」
「フィーはいつも騎士装束で出ていたから、ドレスは三年? ぶりかな」
「そうだな。飛龍騎士に任じられてからは、今日が初めてだな」
クリスティとケイオスがライに答えていたが、ケイオスの顔が嫌そうな顔になっている。
気が付いたライがケイオスを見た。
「フィーのドレス姿は、似合っていませんか?」
「そうじゃない。まったく、あいつはどこだ?」
あいつ? 首を傾げたライだったが何も言わずにいた。
「公爵の息子でしたら、先ほどから向こうで踊っています」
憮然としたエンパートの言葉に、ケイオスも憮然とした声で返す。
「こんな時は婚約者の出番だろうに、フィーを放っておいて他の女性と踊っているのか」
「その通りです」
「婚約者……いたのですか、フィーに」
驚いたライがケイオスを見た。
「我らは認めてはおらぬがな」
ロンバルまでもが、いつのまにか傍にいる。
気が付かなかったライは、少し身を引いてしまった。そして、全員の視線が自分に向いているのに気が付く。
どうにかしろと無言の圧力をかけてきているのが、ひしひしと伝わってきた。
息を吐いてしまう。
「こ、この場合。わたしがフィーを円舞に誘っても……」
一斉に頷かれたライは、もう一度息を吐いてしまった。
首を振ったライは、ケイオスたちから離れてフィアンナの元に向かう。近付いてくるライに気が付いたフィアンナの顔が、少しほっとしたようになった。
「失礼」
とライは声をかけて、フィアンナを囲む輪の中へ入ると右手を差し出す。もちろん笑顔をつけてだ。
「わたしと一曲、踊っていただけませんか」
「はい。喜んで」
助かったと言うような笑顔でフィアンナは、差し出されたライの右手を取っている。
囲まれていたフイアンナをあっさりと連れ出したライは、そのまま中央まで進んで円舞の輪に加わった。
迷いの無いライの足運びに、フイアンナは驚いてしまう。
「踊れるのですか?」
「見て覚えました」
「見て、覚えた……」
目を丸くするフイアンナに、ライは苦笑しつつ答えていた。
「わたしの武の師は、出し惜しみする方でして、どんな武の型でも一度しか見せてくれないのです。その一度で覚えなければ、二度と教えてはくれません。必死で見て覚える事を学んで……」
ライの肩が少し竦められるように動く。
「おかげで役に立ちます。宮廷舞踊も今、見て覚えられましたから」
まあとフイアンナは笑ってしまった。
周りよりも頭一つ高いライと、珍しいドレス姿のフィアンナの二人は、回りの眼を惹いてしまう。ただでさえライの容姿は眼を惹き、周りに負けない踊りを見せているのであれば、自然と惹きつけられるものだ。
「踊っている……」
初めて目にする。そう言っていた事を思い出したエンパートが、唖然としたように呟いてしまった。
「上手いものだ」
感心したようなケイオスに、エンパートは恐ろしいものでも見るような顔を向けてしまう。
「どうした?」
「ライは、宮廷舞踊を初めて目にすると言っていました。ケイオスさまは、初めて目にする踊りを踊れますか?」
尋ねられたケイオスの顔がぽかんとなった。
複雑な足運びではないが、一度見ただけで踊れるほど宮廷舞踊は簡単なものではない。事実、エンパートは何度も練習をしていたが、あまり身に付かずに苦手としていた。だから、踊る事はせずに無骨者として、いつも見るだけにしていたのである。
呆れたようにライとフィアンナを、見ていたクリスティが初めに気が付いた。
踊る二人に一人の男性が近付いていた。肩を怒らせて歩く姿は、憤慨しているようにしか見えなかった。
その男は二人に近付くと、曲も終わらない内にフイアンナの腕を取って引き剥がした。
「何をしている。婚約者がありながら、婚約者を差し置いて他の男と踊るのか。おまえは」
引き剥がされたライとフイアンナは、その男を見ているだけだった。
「どこの馬の骨とも知れないような者に、尻尾を振るとは。俺に恥を欠かせる気か」
暴言以外の何物でもない。明らかにフィアンナを蔑んでいるようにしか見えなかった。
無言でライは男の手首をつかんで力を入れる。
痛みに顔をしかめながら男はライを睨んだ。
「離せ、下郎」
それで手を離すライではない。男が痛みでフイアンナから手を離すまで、何も言わずに力を入れたままにしていた。
痛みに耐えかねたように、男の手がフイアンナから離れるとライは、半歩前に出てフイアンナを背に庇うような位置に動いている。
「フィーに詫びろ。おまえの言葉は女性に対する暴言だ」
落ちた声がライの口から出ていた。
身長差が見下すような視線になっている。
「自分の婚約者だ。俺が……」
「おまえが、か?」
せせら笑ってライが一歩前に出ると、男は一歩退がってしまった。
「おまえは、何者だ」
「俺にそれを問うおまえは、馬鹿か?」
自分の容姿が独特である事を十分に承知している。それにも関わらず何者かと尋ねてくる相手に呆れていた。
「きさま、貴族である俺を侮辱して……」
男の言葉が止まる。
ライの冷えた声が聞こえたからだった。
「たかが貴族風情が、大きな口を利くものだ」
貴族だから大きな口を利くのであり、またそれが許されるのである。
震える男が精一杯ライを睨みつけた。
「俺を誰だと思っている。俺はナガール公爵の息だ」
「それがどうした」
「なっ……」
こんな態度を取られた事のない男は絶句してしまう。
誰もがナガール公爵の名を出せば、年上だろうと腰が低くなり、自分の顔色を窺うようになるのに、眼の前の男はそれさえせずに見下してきた。
「ぶ、無礼だろう」
「どこがだ」
真顔で聞き返すライに男は再び絶句した。
「見下げ果てた奴だ。自分を誇ることもせずに、親の名を出すとはな」
ライは呆れた顔で公爵の息子を見ていたが、後ろにいたフィアンナに腕を取られる。
「押さえてください。彼が私の婚約者なのは間違いありません」
「フィーが望んだ事か?」
振り向かずに尋ねてくるライに、フィアンナには嘘は言えなかった。
「いいえ。父と母が決めた事です」
「わかった。では、俺は認めない。こんな奴がフィーの婚約者などとはな」
「ライ」
呼ぶ声にライが振り返ると、悲しそうな顔でフィアンナが首を振っていた。
「国王陛下がお認めになられました。私に拒否する事はで来ません」
「フィーが望まないのか?」
「はい。貴族の婚姻はそのようなものです」
三人の話し声は、周りに聞こえている。注目されていたライを見ていたのだから、必然的にそうなってしまう。誰もが口を挟まずに成り行きを見守っていた。
その中でもにやりと細く笑んだのはケイオスである。予測通りになったと思っていた。しかし、それは勘違いでしかない事に気がつかなかったのである。
そして、ライの言葉を息子に対する暴言と、受け取ったナガール公爵が三人に近付いてきた。
「わたしの息子に対する暴言を詫びるが良い」
高い所から見下ろすような言葉に、ライが冷笑を浮かべる。
「親が出てくるとは、笑える話だ」
「きさま。ここが王宮であり、陛下の御前である事を幸運と思え。わたしは暴言を許すほど甘くはない」
「こんな奴が公爵。こんな情けない奴がフィーの婚約者。ふざけるにもほどがある」
冷気を纏うようにライの気配が変わり始めた。
「侮蔑されてもおかしくないような事をし、さらには嵩にかかって親まで出てくる」
ナガール公爵が何か言うよりも早く、ライの喉が鳴っている。
ぞくりとした悪寒が、ナガール公爵の言葉を止めた。
「一つ尋ねるが。おまえ達は何をしていた?」
冷たく響くライの声は、全員の耳に届く。
「リソリア卿が七千もの敵に、全滅を覚悟して戦いに望んでいた時に……」
エンパートが眼を見張った。
「フィーたち飛龍騎士が命を懸けている時に……」
フイアンナの顔が上がってライの背を見る。ロンバルは静かにライを見ていた。
「ケイオス王子が、リソリア卿達王国の騎士を救うべく、休息も取らずに夜を徹してリソリア城へと駆けていた時に……」
笑みを浮かべたケイオスだった。
「おまえ達は何をしていた?」
声を荒げる訳でもないライの声には異様な魄力がある。
「公爵と言うのなら、リソリア城の重要性を知らないとは言わせない。手勢を引き連れて救援に向かう事もせずに、公爵とはふざけた事だ」
ライの視線が息子へと動いた。それだけで一歩退いていた。
「フィーの婚約者と言いながら、婚約者の窮地に馳せ参じる事も出来ないような者が、婚約者を名乗るな」
底冷えするような空気が広間に広がって行き、誰もが声を出す事を躊躇わせるような静寂が支配する。
怒声を上げて言われる方が、まだ返す言葉が出せた。
淡々と冷え冷えとした声で話すライの姿は、見ている者に恐怖を与える。
ライの口元が笑みを作った。
「こんな者がナセルの公爵か」
暴言どころの話ではない。
このままでは良くないと感じたフイアンナは、離していたライの腕を再び掴んでいた。
気炎を上げる怒り方とは違うが、ライは間違いなく怒っているとフイアンナはわかってしまう。それも静かに深く闇を思わせるような冷徹な怒り方だった。
「ライ、止めてください。ナセル全てを敵にされるつもりですか」
問いかけても、その通りだと答えそうであるのが怖い。
が、振り返ったライの笑みが変わっている。
「フィー。あなたはその男が婚約者と言う事に納得していますか?」
はいと答えられずに、フィアンナは首を振っていた。
そして、首を振ってしまった理由もわかってしまった。
ライと出逢わなければ公爵の息子と婚礼を挙げていたはずである。気が付かないふりをしていたのだと思い知った。
ライに惹かれていた自分。
たぶん一番初めに自分の腕の中に入れた時から、異質であるがゆえに誰もが取らなかった行動をする男性だと知った時から、ライに心惹かれてしまっていたのだと知った。
ライの顔が横を向く。
「王さま。先ほどの褒美ですが、欲しい物があります」
「何を望む」
「フイアンナ・バーネット嬢と、ナガール公爵の息子との婚約を解消してください」
漣のような声が謁見の間に流れた。
「無理な事でしょうか」
「無理、ではないが……」
国王は少し呆れた顔でライを見ている。
「それを褒美に望むのか、そなたは」
「はい。望みます」
少し考えた国王は、一つ息を付いて頷いていた。
「良いであろう。ナガール公爵家とバーネット伯爵家の婚約は、国王の名において解消する事を宣言しよう」
ざわめきがどよめきに変る。
異例中の異例である事は間違いが無かった。
「ありがとうございます」
国王の宣言にライは一礼して、広間の出口へと向かう。
途中、ケイオスの側を通り過ぎる時に囁いた。
「これが、あなたの望みか」
ぞくりとする声にケイオスは何も答えられない。
そんなケイオスにフィアンナは、近付いて頭を下げるとライを追って広間を出て行った。
「ケイオスさま……ライは……ライ・シードは何者なのでしょうか」
答えられない事を聞くものだとケイオスは思う。だが、一つだけライに対して解った事があった。
不用意にライを怒らせては良くないと言う事である。
戦場に身をおいた事のある者なら、ライの恐ろしさが身に染みたはずだ。あれほどの冷え冷えとした気配を纏えるのは、数え切れ無いほどの戦場を経験しなければならない。
若いと言えるライの年では、絶対に身に付ける事は出来ないと言えた。それを身に付けていると言う事は、強者である事の証でもある。
特にリソリア城攻防戦で、ライの軍略と行動力を目の当たりに見ているエンパートには、そら恐ろしく感じているのだった。
「エンパート。フィーは、とんでもない者を拾ってしまったようだ……」
同意するようにエンパートは頷いてしまう。
広間を出たライは中庭に出てため息を付いていた。
自分が何をするつもりだったのか解っていたのである。あのまま誰にも止められなかったら、たぶんナセル王国そのものを敵に回していたはずだった。
「まだ、怒っていますか?」
問いかけたのは、追いかけてきたフィアンナである。
肩を竦めて苦笑したライだった。
「いいえ。わたしを止めてくれて、ありがとう。フィーが止めてくれなければ、わたしはとんでもない事をしでかしていたでしょう」
ふうとライは、息を吐いて夜空を見上げる。
「……わたしは、異質ですね」
はっとしたようにフィアンナはライの顔を見た。
遠くを見るような瞳と笑み。
それは泣き顔にも見えた。
意識しない内にフイアンナは、ライの頭を抱き寄せている。
「泣かないで下さい。あなたが異質な方でも、あなたは今ここにいます」
「泣いてはいませんが?」
フイアンナの肩でライの戸惑うような声がした。
「ご自分で気が付かれていないだけです。あなたは、今泣いていました」
「そう、ですか?」
「そうですよ」
笑うようなフイアンナの優しい声に、ライは抱きしめたくなる。だが、そんな行動を取るわけにもいかず、代わりにフィアンナの肩から顔を上げた。
「あなたは驚かないのですね」
きょとんと首を傾げるフイアンナにライは苦笑する。
「わたしの友人は、怒った時のわたしには近付かないといっていました。恐ろしくてと」
「どんなに恐ろしくても怖くても、退けない時があります。そして、私は飛龍騎士です。騎士ならば、退けない時は知っています」
あまり侮らなでくださいと、その顔は言っていた。
侮っているわけではないが、その事を誇りを持って言えるフイアンナを、ライは羨ましく思う。自分には持ち得なかった誇りだった。
幼い頃より言われ続けられた言葉。
『抗う術を持たない者の、戦う術を持たない者の代わりに戦うが一族の誇り』
納得も理解も出来なかった。
見も知らない他人のために、なぜ命を懸けて戦わなければならないのか。どうして、それが誇りになるのか。
ライは今も納得も理解も出来ない。
そんな心とは裏腹に実力をつけてしまい、幾度と無く戦いの場に借り出され、不満に思いながらも戦い続けた。
多くの仲間が傷つき、死に逝くのを見続けてきたのである。死線を彷徨った事も一度や二度ではなかった。
いつしか理不尽な思いは怒りに変り、ぶつける方向も無く溜め込むしかできなくなり、冷たく怒るしか出来なくなっていたのである。
フイアンナにしても、ライが恐ろしいとは思えなかった。
心惹かれている事を自覚しても、ライを望む事はできないと思っている。自分の運命に『銀月の乙女』の運命に、巻き込んでしまう事は出来なかった。
かつて大切な友を運命に巻き込んでしまい、その挙句に失ってしまった事がある。
ライを同じ目にあわせる事は自分の我が儘であり、いつしか自分達の前からいなくなる男性だと理解していた。
それでもライを望む心は、消す事ができないとわかっていた。ライを愛している事に気がついてしまったフィアンナである。