第19話
先行する飛龍騎士達に、追いついたのは翌朝であった。大地に降り立ち、小休止していたところに合流する。
「ケイル。これを」
ライが皮袋を投げ渡してきた。受け取ったケイルは、中身を見て笑ってしまう。
「そう言えば飲まず食わず、でしたね……」
今更ながら気が付いたケイルだった。
ナセルで良く食されていると言うより、銀月の騎士団の携帯食の『オニギリ』と呼ばれている穀物を三角形に握った物である。同時に渡されたもう一つは、茶葉を一度蒸してから揉んで乾かした物を湯で入れたもので、その名を『オチャ』と言うなんの捻りもない名の飲み物だった。
久方ぶりに口にする物に、ケイルは微笑んでしまう。シルビアは不思議そうにオニギリを口にしていた。
「漆黒の騎士どの」
軽い食事の後、シルビアはライを呼んでいた。
「なんでしょうか、王女殿下」
「あなたの目的は、なんですか?」
「言いませんでしたか? ケイルの奥さんを、見に行くんです」
再び頭痛が起きそうに感じたシルビアは、ライに尋ねている。
「それで漆黒の騎士が動くとは、どうしても思えないのですが?」
「心外ですね。わたしは意外と子煩悩なんですよ。息子の嫁に会いに行くのに、理由がいりますか?」
必要が無いと、誰もが答えるはずだ。しかし、少数とは言え飛龍騎士、国境にいた飛龍騎士全騎を連れて行く事が、まだ信じられなかったのである。
「困りましたね……」
腕を組んで考えこんでしまいそうなライに、フィアンナが笑って言う。
「シルビア殿下。こんな行動ができるのがライです。漆黒の騎士や黒衣の騎士の名は、国の思惑には捕えられません」
笑っていたフィアンナの瞳が、強くなっていた。
「邪魔をするのなら、邪魔をする者を蹴散らす。それがシードの名を持つ者の誇り」
その強い瞳に、シルビアは圧倒されかける。
「銀月の乙女……」
「その名が必要なら、使いましょう。利用される事はお断りですが、必要ならいくらでも使いますよ。シードが必要と判断したのなら」
「それが、グラディアを救う事でもですか」
殿下と、ライは苦笑を浮かべた。
「わたし達にとっては、国を救うとか国のためとかは、どうでもいいのです。わたし達にとって重要なのは、ケイルの奥さんに会う事です。ゼンアが邪魔をするのなら、蹴散らすだけです」
「国の存亡よりも、息子の嫁に会う事が重要、なのですか……」
「もちろんです」
大きくライに頷かれて、シルビアは呆れてしまう。そして、徐々に笑い声を上げてしまうのである。
「あなたにとって、国とはたいした事のないものなのでしょうね」
「そうです。国があるから人がいるのではない。民がいるから国があるんです。わたしやシグは、クナーセルの人にとっては異邦人です。わたし達は、わたし達の流儀を貫きます。全てを敵に廻そうとも」
笑う顔のなんと誇らしい事か。
「だから、わたし達は民のための騎士。漆黒の騎士は、そのための称号です」
翌日の昼過ぎにケイル達は、グラディア王都上空にいた。王都の外側にゼンア騎士団が整然と並び、それよりも王都よりに数人がいる。
王都の城壁近くに、飛龍達が次々と舞い降りて行く。その内、三騎だけが数人いる近くへと舞い降りていた。
ぽかんと近付くケイル達を見ている中で、シーリィだけは楽しそうに微笑んでいる。
「遅れましたか?」
「いいえ。私の予測よりも一日早いです」
ケイルが尋ねると、シーリィは首を振って答えていた。
「ナセルの……飛龍騎士、だとぉ……強気の理由か……」
ぎりっ、とビイザは奥歯を噛み締める。
ゼンア騎士団に、動揺が走るのは目に見えていた。
対飛龍戦は確立されているが、それには十分な用意が必要である。グラディアに進軍してきたゼンア騎士団は、ナセルとの戦闘は考慮していなかった。対飛龍戦の確立と共に、飛龍は昔のような絶対的な脅威ではなくなっている。
しかし、それでも飛龍は脅威と言えた。ゆえに、大国もナセル侵攻には慎重になっているのである。
そんな心情のビイザ達ゼンア騎士団の将とは裏腹に、ライはシーリィを見て目を見張った後で、笑顔になって近付いていた。
「あなたがケイルの嫁になるとは、驚きました」
「初めまして、漆黒の騎士さま。私はシーリィと申します」
「なるほど、そう言う事ですか。では、初めまして、シーリィ。わたしはライ・シード。ケイルの義父です。そして隣りが……」
「ライの妻、フィアンナです。新しい娘を、迎えられる事を嬉しく思いますよ」
「私もお二人の娘になれる事を嬉しく思いますが……」
「が?」
「はっきり言って邪魔です」
ライとフィアンナが固まる。
「今はゼンア騎士団との交渉の最中です。ナセル王国飛龍騎士団の長たるライ・シードと、銀月の乙女フィアンナ・シード。お二人がこの場にいる事で、グラディアの状況を悪くさせます。グラディアはグラディアのみで、ゼンア騎士団と対せなければ、グラディアはナセルに降ったと見られるでしょう。そうなれば、ゼンアに『グラディア王国は、ナセル王国と手を組み、ゼンアの兵力を削ぐためにグラディアに招きいれた』と言う大義名分を与えてしまう事になります」
ぽかんとライとフィアンナは聞いていたが、徐々に感心したように頷いていた。
「言われれば、そうですね……」
「では、ナセル王国飛龍騎士団はこの戦闘に参戦しないと、明言していただけますか」
「わかりました。ナセル王国飛龍騎士団は、この戦闘に参戦しないと宣言します」
答えたライは、にやりと笑う。
「シーリィどの。我らシード一族は、息子ケイルとその妻であるシーリどのが、現在陥っている状況を打開するため、本戦闘に参戦します」
今度はシーリィがぽかんとしてしまった。
「まあ、わたし達はシーリィとゆっくり話がしたいだけですよ。新しい家族とね。それには……」
ライがビイザを見る。
「彼らが邪魔です。家族団欒を邪魔するような無粋な真似をするのなら、全力で叩き潰す」
笑っているはずなのに、シーリィは底冷えするような冷たい気配を感じていた。
「叩き潰す? たかが三十騎余りの飛龍で、我らをか?」
笑わせるなと、ビイザは首を振っていた。
「できますよ」
ぴたりとビイザの動きが止まり、テーフルを叩き付ける。
「大口を叩くな、若造!」
「若造、ですか」
苦笑がライの顔に浮かんでいた。
確かに三十代なら、若造と言われても仕方が無い。ライと同じような苦笑を浮かべたフィアンナだった
「あなたの名もまだまだ、と言う事でしょう」
「困りましたね。わたしの名で、退いてくれると思っていたのですが……」
溜め息を付いたライは、ビイザを見て笑う。
「たかが万程度、しかも三日もかけながら、グラディアの城一つ落とせない軍勢が、言ってくれるものだ」
口調と気配が変わっていた。
「ケイル、おまえ達の出番は終わりだ。後は、俺達が叩き潰す」
答えられないほど、近寄れないほどもものが、ライの身体に纏わり付いている。
「ライ。小者を相手にしても状況は変わりません」
ただ一人、声をかける者がいた。
妻であり、銀月の乙女でもあるフィアンナである。
「それもそうだな。ケイル、シーリィ。お前達だけで、そこの一万を叩き潰せ。俺達はこのままここを離れ、ゼンアを叩き潰してくる」
「出来るものか。我が国は、ナセルよりも強国だ」
呑まれそうになる心を奮い立たせているのは、ビイザの意地に他ならなかった。若造と呼んだ相手に、気圧されるとは思ってもいなかったのである。
ゆっくりとライの口元の笑みが変わって行った。
「本当に、そう思うか?」
シーリィは、なぜか既視感を受けていた。
「あたりまえだ。もし出来るとしたら、そいつは人ではなく化け物だ」
「俺を化け物と言って、死んでいった奴もいる。なぜか、わかるか」
ライの冷たい瞳が、ビイザの心に底冷えするような影を落とす。
「絶対的有利、負ける事は絶対にないと言える状況を、俺が叩き潰したからだ」
「寝言は寝てから言え、若造」
震えそうになる声を、ビイザはかろうじて押さえられた。
ライの言葉の意味を理解できなければ、戦場では生き残る事などおぼつかない。恐れを感じながらもビイザは、踏み止まっていた。
騎士の誇りと、自分の意地が支えている。
誰にも止められないライを止めたのは、以外にもシーリィだった。
「あなたも邪魔です、漆黒の騎士。引っ込んでなさい」
振り返るライの夜色の瞳に、シーリィは身体が震えそうになる。それを支えたのはケイルだった。
「父上。助けを求めましたが、この場はグラディアに関わる者達に任せるべきです。父上が主導すると、グラディアではなくナセルとゼンアの戦争になります」
「誰にも従わない、屈しない。この意味が分かって言っているんだろうな、ケイル」
「わたしが、それを学んでだは父上からです。ですが、家族のためなら別と言う事も、父上から教わりました。それゆえ、銀月の騎士団は負ける事がない。そう教えてくれたのも、父上です。ならばここは、シーリィに従ってください」
「あなたの負けですね」
ケイルとシーリィを見ていたライは、フィアンナの言葉で息を吐いた。同時に底冷えするような気配が散無していた。
「どうやら、そのようですね」
その場の全員が、ほっとしたように息を吐く。
再びテーブルが叩かれ、ビイザがシーリィを見て言った。
「これ以上、話し合いの必要は感じないが。そちらはまだ、話し会うつもりか?」
「いいえ、ありませんね。元々、決裂する話し合いです」
シーリィは答えて頭を下げる。
「ビイザ将軍。応じていただいて、ありがとうございます」
「時間、稼ぎか……」
ビイザは奥歯を噛み締める。
まんまと乗せられ、二日以上の時間をグラディアに与えた事を理解した。
飛龍騎士がいる事で、グラディアはナセルと戦闘にならなかったと言う事を示している。つまり、今この時点でもグラディア騎士団は、王都に向かって移動していると言う事だ。
しかも、グラディア王都の城壁の前には飛龍が居る。
唸るようにビイザは、シーリィを見て踵を返していた。同時にシーリィ達も、踵を返して王都に戻る。
それは、交渉が終った事を意味していた。




