第18話
飛龍の背でシルビアは、目を見張って眼下を見ていた。
流れて行く景色は、新鮮な体験である。人や馬では踏破する事が出来ずに遠回りするしかない所でも、飛龍ならその上を超えていける。
飛龍が脅威となるいわれが理解できた。こうであるからこそ、ナセル王国は小国ながら、他国の侵攻を許さなかったのだ。
「降りますよ」
そう言うケイルの声さえ、シルビアの耳には入ってこなかった。
王都から二日ほどで飛龍は、小休止はあったものの国境まで飛んで来たのである。
ナセル騎士団とグラディア騎士団が対峙する真ん中に、ケイルは飛龍を降下させた。
舞い降りた飛龍を見たグラディア騎士団にざわめきが起こり、ナセル騎士団には何も起こらなかった。
「ここで、この時に現れますか、あの子は」
呆れたような声が、ライの口から出てくる。隣りでフィアンナが笑っていた。
「血は繋がらなくても、間違いなくあの子はあなたの血を受け継いでいますよ」
「フィー?」
「思い出しました。あの地下での事を」
微笑んでフィアンナはライを見る。
「なんだ? その話は聞いていないぞ。今度、詳しく聞かせろ」
聞きつけたシグが、楽しそうな笑みを浮かべてライを見た。やんわりとフィアンナがシグに言う。
「シグ。お惚気になりますが、いいのですか?」
「ぬう……」
「あはは。シグの負け。人の惚気話を聞いても、楽しくないよ」
サラが笑ってシグに言った。
そこに咳払いが聞こえてくる。
「緊張感がないのか、おまえ達は」
むすとした声はエンパート・リソリアだった。銀月の騎士団と並ぶナセル王国でも、名を馳せるリソリア騎士団の長であり、ライとは八年前からの縁である。
「リソリア卿。今に始まった事ではありませんが」
苦笑するようにフィアンナが言うと、再びエンパートはぬうと呟いていた。
「でもまあ、これでグラディアと一戦交えないで済みそうです」
「だといいな」
言ったエンパートの声に被さるように大声が聞こえてくる。
「ナセル、グラディア両軍に告げる! 戦闘体制を解き待機せよ! この場はわたし、ケイル・シードとシルビア王女殿下が預かる!」
グラディア騎士団のざわめきが大きくなった。
なぜ、この場に飛龍に乗ってシルビア王女が現れたのか、分からなかったからである。さらに、グラル公爵の名でナセル王国への進軍の指示がでていたから、なおの事だった。
「シルビア。グラディア騎士団に、話をしてください。騎士団を連れ戻すにはあなたが話す必要があります。その後で、騎士団の代表をここへ連れてきてください」
「ケイル。私は……」
「まだ迷っているのですか? 今、あなたがやらなくてはならない事はなんですか? 自信などは誰にもありませんよ。それでも何とかしなければならないのなら、全力を尽くすべきです」
自信のなさそうなシルビアに、ケイルは微笑んで言う。
「王都は落ちません。少なくとも、わたしが戻るまでは」
「あの人を信用しているの?」
その言葉にケイルは首を傾げた。
「どうでしょうね」
「はい?」
「わたしの妻になると言いましたからね。謁見の間で言った通りに行動するでしょう。そして、そうなれば王都を落とすには、万単位では足りないと思いますよ」
「……」
呆れた溜め息がシルビアの口から出てしまう。それを信用していると言うのだと、わかっているのか、いないのか掴みづらかった。
「わたしはナセル騎士……いえ、父に話に行きます」
ケイルは飛龍の背から滑り降りると、知りビアが降りるのに手を貸していた。
「では、後ほど会いましょう」
シルビアに一礼をしたケイルは、飛龍をその場に残すと、ナセル騎士団の陣に向けて歩き出している。後姿を見送ったシルビアは、息を吐くと呟いてしまう。
「先に手に入れればよかったわ……今となっては後の祭りね……」
自分の身分と他国人と言う事が、躊躇わせていたのだと理解していた。気が付けばケイルの行動力や強い心に惹かれていたのだと分かってしまう。
そして、手に入れられなくなったと思い知った。
思いを振り切るようにシルビアは首を振ると、グラルやキリアに躍らせられた自国の騎士団に向けて歩き出す。
今はまだ、やらなくてはならない事があった。
ナセル騎士団の前面に、馬を降りた父達がいる。ケイルは臆する事なく近付いて行いた。
「お帰り、ケイル」
ふわりと抱きしめるのはフィアンナで、なにか言いかけたエンパートが口を閉ざしてしまう。
「申し訳ありません、母上。まだ、ただいまとは言えません」
「あら、そうなの?」
「はい。わたしはまだやらなくてはならない事があります」
「でも、今は私の目にいますから、やはり、お帰りですよ」
「はぁ」
「ケイル。話を聞きましょう」
ライが言うと、フィアンナは抱擁を解いていた。
「はい。簡単に言うと、わたしを助けてください」
頷いたケイルは簡素に言う。
これに額を押さえて呻いたのはエンパートで、笑い出したのはシグだった。
「ケイル。簡単すぎだ」
「ああ、すみません、叔父上。実はグラディアにゼンアが侵攻して来ました。シルビア王女は、グラディアを救いたいと思って、グラディア騎士団を呼び戻しにここにきました」
「なるほど。ナセルと戦闘をさせて、その間に王都を落とす。ですか……ここのところのグラディアの不穏さは、その隠れ蓑だった訳ですね」
「その通りです、父上」
「それで、あなたが助けを必要とする訳は?」
「わたしも、グラディアの状況をどうにかしたいのです。それにはわたしだけでは、無理だと判断しました」
「それは、そうでしょうね。あなたが一騎当千の猛者だとしても、騎士団相手では無理と言うものです」
「身の程は知っているつもりです。だから、助けて欲しいのです」
「どうすればいいのですか、ケイル」
「今からグラディア騎士団は、全軍を持って王都に戻りますが……」
「待て、ケイル」
止めたのはエンパートである。
「グラディア騎士団全軍が、このまま王都に戻ると言うのか?」
「はい、リソリア卿。ナセルと事を構えている場合ではありませんので、戻るしかないのです。そのためには、ナセルも騎士団を退いて頂かないとなりませんが……」
「退けると思っているのか、ケイル」
「退けます。まだ、ナセルとは戦闘になっていないこの時なら。それに音に聞くリソリア騎士団が、王都に戻るグラディア騎士団の背後を、突くようなまねはされないでしょう」
「言ってくれる……」
唸りそうなエンパートは、ケイルを睨みつけていた。
「おまえも、ライやシグと同じ血を受け継いでいるな」
「父や叔父の友人であるリソリア卿に、そう言っていただけるとは嬉しい限りです」
嬉しそうなケイルに、エンパートは苦虫を潰したような顔になってしまう。
「誰が友人だ、誰が」
「母にそう聞いていますが?」
「フィアンナさま……」
疲れたような声でエンパートは、呟くとフィアンナを見てしまう。
「八年前から、ライが私の前に現れた時から、リソリア卿は友人でした」
「……」
「あー、ケイル。それで?」
苦笑しつつライは、先を促していた。
「はい。グラディア騎士団が王都に戻るまでは、どんなに急いでも十日はかかります」
「そうでしょうね。それまで王都が、ゼンアの攻撃に耐えられるとは思いませんね」
「それなのです、父上。わたしはグラディア騎士団を、王都が落ちる前に王都に連れ戻すと誓いました。だから……」
「だから?」
「飛龍騎士隊全騎を、わたしにお貸し下さい」
「できると、思いますか?」
尋ねてくるライを、ケイルは真直ぐに見ていた。
「今のままでは、グラディアは十日も持たない事は、わたしも妻も分かっています。持って五日、それが限界でしょう。その五日をわたしの妻が、グラディアで作っています」
「ケイル。そう言う事は、早く言いなさい」
思わずライは笑っていた。
「ふむ。あなたの奥さんが王都にねぇ……」
「ライ。ケイルの奥さんなら、私の娘ですね」
「ほう。どんな娘だ。ケイル?」
「ぜひ、会わなくちゃね」
ライ一党の楽しそうな声を、エンパートは頭を押さえて聞いていた。
この後の行動が手に取るように分かってしまう。止めようにも止めようが無い一党と言う事を、嫌になるほど知っているエンパートだった。
「リソリア卿」
と呼ぶ声に、エンパートは溜め息しか出てこない。
「とっとと行け。後は私がどうとでもする。リソリア騎士団は、銀月の騎士団と長い付き合いだ。口に出す者はいないから、安心しろ。みな、あきらめているからな」
「ありがとうございます」
「いつもすみません」
「やっぱり話が分かる友だ」
「シグの次にいい男だね」
本当に溜め息しか出てこないエンパートだった。
貧乏くじを引いていると自覚はあるものの、銀月の騎士団は数々の功績をナセルにもたらしたのも確かであり、常に隣りで行動をともにしてきたエンパート達リソリア騎士団の面々は、ライ一党の行動力に一目置いていたのである。
「飛龍騎士隊全騎、ケイルの奥さんを見に行きます。用意を!」
「銀月の騎士団全騎、強行軍の用意!」
ライとシグの命令が飛ぶと、騎馬隊、飛龍隊を含む銀月の騎士団全騎が、慌ただしく出発の用意を整え始めた。
ナセル陣営の慌ただしい動きに、グラディア騎士団が警戒を強める。
それを収めたシルビアは、騎士団の主だった者達を連れて、真ん中で休んでいる飛龍のところまで急いだ。
そこにはケイル以外にも、夜色の髪と瞳の二人の騎士と銀の髪の女性二人がいる。
「ケイル。ナセル騎士団に動きがありますが、どう言う事ですか?」
「シルビア王女殿下」
ケイルが答える前に、ライが呼びかけていた。
「銀月の騎士団、またの名をシード一族と言いますが。わたし達はグラディア王都で、ケイルの帰りを待つケイルの奥さんに会いに行きます」
「はい?」
疑問符が浮かんだ。
「ケイルの奥さんなら、わたしの娘も同然。家族に会いに行くのならシード一族は、国など無視します」
笑顔でそんな事を言うライに、シルビアの顔が困惑したようになっている。
「ナセルの騎士団が、グラディアに侵攻すると」
「違いますよ。ナセル騎士団ではなく、漆黒の騎士一党です」
「それが通るとでも?」
「通りますよ。それがわたしの名の意味です」
ぽかんと呆れたように、シルビアはライを見てしまった。それはグラディアの騎士達も同じであった。
「ですので、わたし達はグラディア王都まで会いに行きます。一刻も早く、ケイルの奥さんの顔を見たいですから」
「だな」
笑って同意するのは、もう一人の黒衣の騎士だった。シグと名乗った男は、不敵な笑みを浮かべて言う。
「ライ。どっちが早いか、競争しようぜ」
「シグ……飛龍の方が早いに決まっていますよ」
「じゃ、ハンデ二日で、どうだ」
二人の話を聞いていたシルビアの肩がなわなわと震えだす。
「何を考えているんですか!」
思わず叫んだシルビアに、良く似た笑みを浮かべたライとシグは口を揃えていた。
「ゼンアの撤退」
「なっ!」
「ケイルの奥さんが、篭城戦で時間を作っています」
「俺達が着くまでは持つだろうが、早いに越した事はない」
「な……なぜ、持つと?」
「ケイルの奥さんだからです」
「そうでなければ、ケイルはここにいず、グラディア王都で戦っているさ」
つかめない男達であり、その隣で同意するように、静かに微笑む女と不敵に笑う女。だから納得した。義理とは言え、ケイルが父と母と呼ぶ者達であると。
「ライ。先に行くぞ」
「どうぞ。わたし達もすぐに出ます」
黒衣の騎士と銀髪の髪の女が戻って行く。
「では、ケイル。行きましょうか」
笑ってそう言う漆黒の騎士と銀月の乙女の後ろに、二体の飛龍が舞い降りてきた。
「グラディアの騎士の方々。シルビア王女はわたしが王都まで連れて行きます。王都に残る近衛騎士団も、王女の帰りを待っているはずですから」
「待って、ケイル」
止めたのはシルビアである。
「なぜあなた方が、グラディアのために動くのですか?」
「わたしが父に、助けを求めたからです」
「はい?」
「とは建前で、実はわたしの妻の顔を見たいと言う方が理由でしょうね」
苦笑しているケイルに、シルビアはほとほと呆れてしまった。
「そんな事で、飛龍騎士が、ナセルの切り札というべき騎士達が動く訳が無い」
「それで動くのがシード一族なんですよ。困った事に」
「まさか、それだけの事で……?」
「ええ。我が父ながら、わたしも呆れていますが、おかげで助かります」
「あなたが一族でも、特別だからなの」
「違いますよ。身内ならわたし以外者が、同じように助けを求めたら、父は同じ事を躊躇う事もなくします」
笑うしかないケイルだった。
「父は、国には興味がありません。誰にも従わず、誰にも屈しない事を誇りにしています。叔父も同じ考えです」
「なら、なぜナセルにいるの」
「母がナセルにいたからです。そして、大事な友と言うべき飛龍がいるからです。もし、母がナセルではなく、他の国にいたのなら、父はナセルにいなかったでしょう。父にとって、国がどうだというのは些細な事でしかないのです。必要なら、ナセルを滅ぼすために行動をする事を厭わない人です」
「無茶苦茶だわ……」
正直な感想がシルビアの口から出ていた。
まったくその通りだとケイルも思っているが、その無茶がなければゼンアを退かせる事は出来ないとわかっている。半分はシーリィの顔を見たいと言うのが、理由だろうと思いたいが。
飛び去って行く飛龍を見上げて、ケイルは言う。
「グラディアは……ゼンアを撤退させたとしても、先がないでしょう」
ゼンアに続きナセルまでグラディアの国内に入ってしまう事を言っていた。中堅二国を自国領内に引き入れたつけは、取らなくてはならないだろう。
だが、それはまだ後の事だ。今はまだグラディアは滅んでいない。
「ケイル!」
「あなたには、もうわかっているはずです」
シルビアが言葉に詰まった。
小国には小国の誇りがあると言いながら、その誇りさえ感じられなかった。
「滅んでいないなら、仰ぐ主がいる限り主のために尽くす」
答えられないシルビアの代わりに、グラディア騎士団長が前に出ていた。
「例え朽ちようとしている国であっても、主が戦う意思を持つ限り」
「愚直と笑いたければ笑うがいい。我らはグラディア騎士」
目を丸くするよりもケイルは、感心して微笑んでいる。
「シルビア。あなたは、味方は誰もいないと言いました」
シルビアがケイルを見た。
「こんなにも心強い味方がいるではないですか。それでもまだ、迷うのですか」
「いいえ、ケイル。私が今やらないとならない事は、分かっています。だから、迷いません」
シルビアは騎士団長を呼んだ。
「グラデル団長、キャドル団長、コーン団長。全軍を可能な限り早く、王都へ進軍させてください。ゼンアを追い返します」
「はっ」
「仰意」
「承りました」
一斉にシルビアを振り返って一礼する。
「一つ、いいですか?」
動きかけた騎士団長達が止まった。
「なんだ。ナセルの飛龍騎士」
「銀月の騎士団の移動速度は、どの騎士団よりも速いです。王都までなら五日で進軍する事でしょう」
「まさか……」
「騎士団にしては少数と言う事もありますが、二千近くの人員がその時間で移動できるのは、訳があります」
「わけ?」
「はい。荷駄隊を置いて騎馬のみで駆け抜けるんです。そして、銀月の騎士達は重装な鎧は身に付けません。ほとんどの者が、胸当てと籠手、具足のみです」
わかりますかと言うような顔で、ケイルは騎士団長達を見る。どの顔も思案するように、眉を顰めていた。
「わたしからは、それだけです」
「では、ケイル。帰ります、王都に」
王都からここに来るまでの、迷っているような顔ではなかった。昂然と顔を上げ、真直ぐに前だけを見ている。
王都で待っている近衛騎士達、篭城戦の最中であろうグラディアの騎士達のためにやるべき事は、一刻も早く王都に戻る事だ。今後の事など、今をどうにかしなければ絵空事でしかない。
そのためには、使える力は、どんな力でも使うべきだ。例え、それが国を滅ぼす事になろうとも。
その覚悟は出来ていた。




