第6話
街道を進むケイル達の歩みは、急いでいる風でもなかった。
「シルビアさま。この辺りはクーレ伯の領地ですが……いかがされます?」
「伯爵に頼っても同じ事よ。誰が味方で、誰が敵か。判断するだけの材料がないわ」
「ですが……わたしとケイルどのだけでは、状況をひっくり返す事は無理かと」
「わかっているわ……」
力なく呟くシルビアに、ケイルは提案できる事があると思いつく。
「シルビア。ちょっといいですか?」
「なに?」
「あなたは味方が欲しいけど、誰が味方になるか判断がつかない。と言う事ですか?」
「そうよ」
「なら、簡単ですよ」
ぽかんとシルビアはケイルを見てしまった。ケイルからは顔が見えないが、グレイスも同じような顔で見ている事だろう。
「クーレ伯、ですか。その伯爵に助けを求めればいいんですよ」
「ケイル。話を聞いていなかったの?」
「いいえ。聞いていましたが?」
溜め息のようなものが、シルビアの口から出てきた。
「クーレ伯が敵だったら、どうするの? 私は何も出来ずに捕まるか、殺されるかになるだけよ」
「そうですか? 味方なら、そこから味方を増やせると思いますが」
「だから。その判断が付けられないの」
こめかみを押さえたくなるシルビアに、ケイルはのんびりと言う。
「その伯爵が敵なら、その時は蹴散らせばいい事でしょう」
「は?」
「いくらなんでも、伯爵の屋敷に何百もの兵が居るとは思えません。十数人程度ならわたしとグレイス、それにあなたがいれば、問題はないと思いますが」
「……」
目が点になるとは、この事である。
確かにクーレ伯が用意できる兵力はおよそ七百、しかし、全員がいつも長剣を携えて屋敷に詰めている訳ではない。剣や馬術の鍛錬は行うが、平時の時は領地内の街や村に点在しているはずだった。
そして、ケイルの剣の腕は十人近くの追っ手をものともしない。グレイスに関しては言わずとも、シルビアはよく知っていた。
ケイルの言う事ができるかと問われれば、シルビアは出来ると、答えるしかない事に気がついてしまった。
「ふふふ……」
気が付けばシルビアは笑いだしていた。悩んだ事が馬鹿らしく思えてくる。
「では、クーレ伯を訪ねましょう。ケイル……」
笑顔でケイルを見ると言った。
「言ったからには、責任を持ってよ」
「わかってますよ。責任を持って逃げます」
「もう一つ、言い忘れていたことがあるわ」
シルビアは笑ったままである。
「私はグラディアの王女よ」
「そうですか。知りませんでした」
「……」
あっさりと表情も変えずに返したケイルに、シルビアは少し恨めしそうな顔になった。
「どうかしましたか?」
「驚いていない……」
「いや、あの……驚くほどの事でもないのですが……」
「わかっていたから?」
「いいえ。ただ、貴族の娘や商人の娘なら、父はナセルであなたを保護するでしょうし、わたしをグラディアに向かわせる事もなかったでしょう。危険と分かっていて戻らせるような事はしない人ですから。それに……」
とケイルは苦笑を浮かべてしまう。
シルビアと良く似た雰囲気を持つ、姫さまと呼んでいた王女を知っていたからである。ケイルを、いや数多くのケイルと同じ境遇の子供を護り、生きる場所を与えてくれた女性。今はもう嫁いで行ったが、ケイルや仲間達は王女の恩義を忘れてはいない。
だからこそ、今度は自分達が護る番だと思っていた。
「わたしは言いましたよ。あなたが王女でも、ただの娘でも関係が無いと。わたしにとって、あなたはシルビアです。そして、王女と言う肩書きがついた。それだけの事です」
「納得いかない……なんか、悔しい」
「そう言われても困ります」
クーレ伯爵の屋敷に向かう間に、こんな会話をする二人にグレイスは、こめかみを押さえたくなる衝動を覚えた。
同時に、ケイルと言う男は侮れない男だとも、感じていたのである。
王女と聞けば誰もが、その後で言葉使いや態度が変わる。同国の者なら、それが顕著に表れるものだ。他国の者でも、他国の王女にそれなりの敬意を払い、言葉使いと態度が少しは変わる。
しかし、ケイルはそのどちらでもなく、自初めに会った時のまま言葉使いも態度も変わらなかった。
こんな男にグレイスは会った事がない。
だから、得体の知れない怖さを受け、危険だとも認識したのだった。いずれ、シルビアにとって良くない事になる。そう思えた。
困った顔をしながらもケイルは、王女が狙われる理由を考えていた。思いつく事はあるが、どれも憶測の域を出ない事で、本当に困った顔になってしまう。
「シルビア」
まだ納得していない顔に尋ねる。
「王女として、接した方がいいですか?」
「今まで通りでいいわ。なぜかケイルに、王女殿下と呼ばれるのは、寒気がしそうよ」
「ひどいですね。それ」
「どこが? 急に変わる方がおかしいいでしょう」
「まあ、そうかもしれませんが……」
「シルビア・さ・ま」
グレイスがこめかみを押さえて呼んでいた。
そろそろクーレ伯爵家に近くなっている、とその目は言っている。
クーレ伯爵家は、グラディア王国でも辺境に近い領地を治めている領主達の一人で、王都への街道沿いを領地に持つ。
まわりは平原が続き、収穫も他の領主に比べ多く、豊かではないものの安定した収入が見込めていた。
そして、辺境に近いがゆえ、王家の影響力もそれほど大きくはなく、王家への忠誠心も大きくはなかった。国内の中堅どころの貴族達と同じと、言っても過言ではない。
突然の訪問にもクーレ伯は、慌てることもなくシルビア達を迎え入れる。旅装姿のシルビアに、首を傾げつつもにこやかに挨拶を返していた。
「突然の訪問とは、なにかございましたか、殿下」
「クーレ伯。なにもなければ、こんな旅装ではなく馬車で訪れています」
「詳しくお聞きいたしましょう。殿下、中へどうぞ」
通された部屋は豪華な調度品が一切なく、質素にテーブルと長椅子、少しばかりの家具が置かれているだけの部屋だった。置かれている調度品のどれもが、良く手入れをされたものであり、伯爵の性格を物語っているようである。
「まずは、おくつろぎ下さいと言うべきでありましょうが。何があったのか、お尋ねする方が先でありましょうな」
シルビアが長椅子に腰を降ろした途端に、クーレは尋ねていた。
「クーレ伯。国境にデューレ騎士団が布陣している事を知っていますか?」
「もちろんであります。殿下」
頷いてクーレは続ける。
「ナセル王国が国境に騎士団を集結させましたゆえ、対するのはあたりまえであります。我が領地からも準備が整い次第、増援を送る事となっております」
「クーレ伯。よく聞いて欲しいのですが、まずナセル王国が国境に騎士団を布陣させたのは、デューレ騎士団が先に布陣したからです」
「これは異な事を申される。私が受けた命は、ナセル侵攻を阻止する為に増援として、兵五百を国境に派遣せよ。ですが」
「その命は、王命でありましたか?」
「王宮からの命であり申した。ゆえに王命と受け取っております」
「署名はどうなっていましたか。確認しましたか?」
質問された事には返していたが、クーレそれを不審そうに思っているようだった。
「殿下。殿下は、いったい何をお知りになりたいのでありましょうか?」
「裏切り者を断罪したいのです」
「裏切り者とは、穏やかではありませんな」
軽く目を見張るク―レに、シルビアは言う。
「クーレ伯。私は暗殺されかけました。それも一度ではなく、何度もです」
「なっ……」
今度こそク―レは、目を見張ってしまった。
「クーレ伯。今、王宮で実権を握っているのが、誰かご存知ですか?」
「もちろん、女王陛下であります」
「そうであれば、私がここにいる事はないでしょう」
「殿下?」
「私が王宮から出たのは、半月も前です。王宮内で暗殺されかかり、身の安全を図るために脱出したのです。その後、追っ手を討ちながら国境近くまで来ました」
息を吐いてシルビアは続ける。
「国境近くが、こんな状況になっている事は、こちらに来て初めて知りました。言えるのは、グラディアがナセルに攻め込む事は、無謀な事と言う事です。それが王命であったとしても」
「殿下は、王命を無視しろと、言われたいのでしょうか?」
「いいえ、違います。王命を無視するような者は、処罰されます。ですが、その王命が女王陛下から出たものでなければ、それは女王陛下に対する謀反であると思います」
「殿下。私にも分かるように、教えて欲しいのですが。私に何をしろと言われるのです」
「私の命を狙ったのは、グラル公爵。あの者以外はいません」
「証拠があって、言われているのでありましょうな。グラル公は陛下の信も厚く、我が国の筆頭公爵でもあります。例え殿下であられても……」
首を振ってシルビアは、クーレを止めていた。
「ありません。ありませんが、私が死ねば誰が一番得か、などは考えるまでもないでしょう。しかも、ナセル王国に戦争を仕掛けるなど、陛下がお考えになる事はではありません」
「殿下。殿下のお言葉を疑いたくはございませんが、それだけでは私にはどうする事も出来ません」
溜め息をつくようなクーレであった。
「クーレ伯。私はグラル公が何を考えて、このような所業に出たのか知りたいのです。私に力を貸してくれませんか?」
再びクーレは溜め息をつく。
「出来ません」
「なぜですか?」
「殿下は、憶測でグラル公を疑っておいでであり、確たる事は一切ありません。また、今はナセル王国の騎士団が国境に布陣しておりますゆえ、私がこの地を離れる事はできません。そして、王命を無視する事など、臣下である私には出来ません」
「クーレ伯。このままではグラディアは滅びます。それでも、ですか?」
「仮に、殿下の言われる通りだとしても、王命である以上、私に否はありません」
「止めましょう」
黙って聴いていたケイルが、口を挟んでいた。
「ケイル?」
「クーレ伯。一つだけお尋ねしますが、答えていただけますか?」
「従者の出る幕ではない」
口を挟むなと、言外の圧力を込めてクーレはケイルを見る。
「あ。違いますよ。わたしはシルビアの従者ではありません」
「貴様。殿下を呼び捨てにするとは、身の程を知れ」
高圧的な態度のクーレに、ケイルは笑っていった。
「困りましたね。シルビアに王女ではなく、親しい友人として接して欲しいと言われた身なのですが」
「殿下! このような者に、そのような事を申されたのですか」
「そんな事は、どうでもいいのですが。クーレ伯」
「どうでも良くはない」
「どうでもいいんですよ。大事なのは……」
真直ぐにクーレを見て、ケイルは言う。
「あなたはシルビアの敵ですか、味方ですか」
「……」
「答えられないのですか?」
「貴様に答える必要はない」
ケイルは首を振ってシルビアに言った。
「行きましょう。ここにいても時間の無駄です」
「ケイル! 簡単に行く訳はないわ」
「シルビア。今のあなたの状況で、即答できない者を必要とするのですか?」
「あなたはできるの?」
「出来ますよ。わたしは、シルビアの敵ではなりません」
「味方とは言わないの?」
「言えません。わたしがあなたといるのは、わたしの都合ですから。ただ、敵になる事は今のあなたの状況であれば、ないとだけは言えます」
溜め息をついたシルビアは立ち上がると、クーレを見る。
「敵でもなく味方でもない。それでもいいでしょう。クーレ伯は臣下として当然の態度を取られた、と言う事」
「殿下。王命を無視するのは臣下ではありません」
背を向けるシルビアにクーレは言った。
「間違った王命なら、諌めるのが臣下です。あなたは、それを放棄した」
肩越しに振り返ったのは、シルビアではなくケイルである。
「放棄などしていない!」
叫ぶク―レを無視して、ケイル達はク―レ伯爵家を後にした。
屋敷の外に出たシルビアは、息を吐く。
「私にもっと力があれば……」
「シルビアさま……」
肩を落とすシルビアに、グレイスはかける言葉が見つけられなかった。対してケイルは首を振っている。
「あなたに力がないのでは、ないでしょう」
「ケイル」
「あなたに力がないのであれば、もっと適当にあしらわれていたと、思いますよ」
馬の手綱を取ってケイルは、シルビアを振り返っていた。
「力がないと言うのは簡単です。ですが、力とはなんでしょう」
馬上に身体を上げてケイルは続ける。
「武力でしょうか、知略でしょうか、それとも人を惹き付ける事でしょうか」
ケイルが何を言いたいのかわからず、シルビアとグレイスはケイルを見ているだけであになってしまう。
「わたしは……」
ケイルは苦笑らしきものを浮かべた。
「すみません。せんのない事を言いました」
それでもと、ケイルは思う。
ライとシグに言われた言葉。
『力はただ力でしかない。自分の持てる力は、たかが知れている。だからこそ、人は力を求める。たとえ、それが間違った事でも』
その時は、何の事かはわからなかった。いや、今でも分かったとは言えない。
だからケイルはグラディアへの道行きで、それを知る事が出来るのではないかと思っていた。ただ漠然と何かをしなければならないのだと感じていたのである。
「街道の領主達に、お会いになられますか?」
そう尋ねたのは、グレイスである。
ク―レ伯爵は味方にはならなかったが、領主が一人しかいないと言う訳ではない。他の領主を味方にすれば済む事だった。
「一通りは会いに行きましょう。グラディアの状況が分かっている領主なら、味方になってくれるでしょう」
それが甘い考えでしかない事を、シルビアは思い知る事となった。
行く先々で訪れた領主達は、みな何を言っているのだろうという顔で、なかには憐れむような顔でシルビアを見て首を横に振っていた。
さらには、怒りも顕わにシルビアを責める者までいたのである。
曰く。
『殿下は内乱を起こしたいのか。確たる証拠も無く筆頭公爵を非難し、味方になるかなどと問うとは、正気を疑いたくなる』
『グラディアは平和的に他国と付き合っているにも関わらず、波風を立てて国を混乱させたいのか』
等などだった。
領主達はシルビアの言葉を、真剣に受け止めてはいなかったのである。
これにはシルビアが落ち込んだ。
王女と言えど、名ばかりなのかと頭を抱えたくなったのは言うまでもない。グレイスがなにかと励ましていたが、焼け石に水のようなものだった。
「あなたも、何か言ったらどうだ」
グレイスに、水を向けられたケイルは肩を竦める。
「グラディアの領主達が、ああだとは知りませんでした。ナセルなら、まず国を割るつもりがあるのかを尋ねます。そのうえで、相手を捕縛するなりしています」
「どういう事なの。ケイル」
「あんな話をする相手を、野放しにする事はないと言う事です。あまりにも国にとって危険ですから」
「私は、間違っていないわ」
「それでも、です」
「どうする事も出来ないと言うの?」
「わかりません。今は無理でも、王都に付けば変わるかも知れません。わたしも全体が見えている訳ではないので」
「他人事のように言うのね」
憮然となったシルビアに、ケイルは努めて冷静に言う。
「他人事でしょうね。ですが、わたしにもグラディアで出来る事があると思います」
ケイルとシルビアの話を聞いていたグレイスは、冷静に淡々と答えるケイルに、ある種の恐ろしさを覚えた。
迷ったり、考え込んだり、悩んだりする事が普通である。しかし、ケイルにその類の事を感じた事がなかった。冷静過ぎる事が、グレイスには危険に思えてしまう。




