第5話
「失敗したか……」
報告を受けた男は、窓から見える庭を眺めて呟いていた。
精魂込めて職人に作らせた庭は、男の自慢である。四季折々の花々が咲くように植えられた花壇は、一年中花が咲き誇り見る者の目を楽しませていた。
庭から目を離して振り返る男の顔は、残念そうではなかった。跪いてい頭を下げる旅姿の騎士に尋ねていた。
「で、見失った。と言う事か……」
「申し訳ありません。一両日中には見つけ出しますので」
「ナセルで見失ったのに、か?」
「それは……」
「グラル閣下。そう責めるものではありません」
部屋にはもう一人男がいた。
若い精悍な顔立ちと知性を覗かせる瞳が、若者の印象を冷たいものにしている。そしてそれは、若者を一筋縄では行かない相手と認識させていた。
「絶好の機会を潰したのだぞ」
「機会は、またございます。ナセルに救いを求めても、国境にグラディア騎士団が集結している今、ナセルは取り合わないでしょう。行く当ても無い者が、どこに行くかなどは簡単に推測できます」
「心当たりあるのか、キリア」
キリアと呼ばれた若者は、軽く頭を下げていた。
「国境付近には、グラデル騎士団長、キャドル騎士団長以下六千の兵が布陣しています。かりに、ナセルに救いを求めても、ナセルが動くには、その六千の兵をどうにかしなければなりません。なれば、かの者達はグラディア国内に戻ってくるしかありません。国内で味方を作ることでしょう。ゆえに、街道沿いの領主辺りでも見張っていれば、見出す事は出来るはず」
「なるほどな」
グラルはキリアを見て尋ねていた。
「キリア、おまえはどう見る?」
「無駄足になるでしょう。誰も味方はいない、それを思い知る事でしょう」
「思い知る、か。キリア、私に対する者はいない、か?」
「はい。今のグラディアで、グラル閣下に対するほど剛の者はおりません」
答えたキリアは、内心で笑いを抑えていた。
無気力な女王、単なる野心家、日和見の貴族達、これで国が滅んでいないのが不思議なぐらいである。グラディアの現状を知った時、そう思ったものだ。
目の前の利用しやすい野心家に取り入る事など、造作もなかった事でも呆れてしまっていたのである。
そんな思いをおくびにもださずに、キリアは尋ねていた。
「ところで、閣下。捕縛しなくてもよいのですか?」
「必要ない。利用価値が無い者を生かしておくのは、意味の無い事だからな」
「そうですか……」
「ん? なにか含みがあるようだな」
「閣下。閣下のお考えを反対する訳ではありませんが、まだ利用価値がある者と思いまして……」
「ほう。まだ利用価値があると言うのか、キリア」
「はい。大した事ではありませんが、閣下がグラディアを治めるつもりであるなら、他国への生贄は必要かと」
「生贄、な。どう利用しようと言うのだ」
「それは――」
キリアの話を聞いたグラルは方針を変えて、その旨を配下へ指示を出していた。配下の騎士が部屋から出て行くと、グラルは感心したようにキリアを振り返る。
「おまえが、私の配下でよかった。そうでなければ、他の者に出し抜かれていた事だろう」
「過分なお言葉です。閣下」
やんわりと頭を下げたキリアは、グラルの部屋から出て行った。廊下を歩くキリアの後ろに、黒ずくめの覆面をした男が音も立てずに近付いて行く。
「こちらの準備は?」
「ビイザ将軍、フィゼン将軍配下一万五千が、すでに本国を出立しております」
「早くて十日ほどか。では、グラル閣下の名で東のウイゼル砦の全軍を、西のエゼル砦に向かわせなさい。各国には、罪もなき女王陛下をナセルの暗殺者が殺害した。でいいでしょう」
「了解しました。王女の件も、こちらで処理しますか?」
「必要はない。その件は、我々ではなく、この国の者がすべき事だ」
「了解しました」
その言葉を最後に、黒ずくめの男はキリアから離れると、影に潜むように消える。
キリアは立ち止まり、息を吐くと窓の外を眺めた。
二年がかりの計略が、最終局面に来ている事を実感する。
実感したが、なんの感慨も浮かんでこなかった。キリアにとって、グラディア攻略は一つの区切りでしかない。
王女の逃亡と言う不測の事態はあったが、それは修正の範囲内と言えた。王女一人ぐらいの行動で、計画が破綻する事はない。
キリアは自分の立案した計画が、完璧ではないと知っている。ゆえに、自らが計画の先頭に立ち、状況を制してきたのである。本国にいれば、計画の修正などままならないと分かっていた。
それがキリアを有能と言わしめ、本国でも一、二を競う策士の名を得ていたのである。
それでもと、キリアは思う。
自分を偽って生きていく事が正しいのかと。
その答えは、まだ出ていなかった。




