第4話
「何事なのか、説明が欲しいのだが?」
若いが張りのある声が、戸口が聞こえてきた。
振り返ると、数人の兵士を連れた若い騎士が立っている。床に転がる兵士をしかめた顔で眺め、ケイルを真直ぐに見た。
「あなたが倒したのか?」
問いかけに答えずケイルは若い騎士を見る。
なにも答えないケイルと、両脇に立つ美しく若い女性二人を見て、騎士は大まかな事を理解した。
溜め息のような息を吐くと若い騎士は、後ろに控えていた兵士に、倒れた兵士を連れて行くように指示を出してから、ケイルに近付いた。
「私はデューレ騎士団のアルスリークといいます。失礼ですが、あなたは?」
「わたしはケイル・シード。こちらは……」
「妻のシルビアですわ。そして、姉のグレイスです。私達は商用でカンナベアまで行った帰りです」
「カンナベア? あんなところに商用ですか?」
「ご存知ない? カンナベアはヴィグルの産地ですが」
ヴィグルと言うのは、上質な絹糸の原材料となる蚕の事で、カンナベアは生産地としても有名である。
「なるほど。それで、商用はいかがでしたか?」
「芳しくはありませんでした。理由は言わなくても、騎士さまならご存知でしょう」
「これは耳が痛いですね」
苦笑のような顔でアルスリークは言った。
「それにしても、三人とは不用心ではないですか」
ふわりとシルビアは微笑んでいる。その微笑を理解したアルスリークは、苦笑のような息を吐いた。
「頼れるご主人がいる。と言う事ですか」
いくら下級兵士とは言え訓練を受けている兵士を、それも五人を殺さずに悶絶させた腕前は賞賛に値するといえる。正騎士でも殺さずに悶絶させる事は、難しい所業と言えた。
「兵が不愉快な思いをさせた事を、お詫びします」
「気にせずに。まあ、皆に酒の一杯でも振舞っていただければ、忘れますよ」
ケイルは笑って催促する。
「そうなのか?」
「酒場の礼儀ですよ。見回りに来ても、ここで飲み食いした事はないのでしょう」
声を潜めてケイルは、アルスリークに耳打ちした。
「その通りです」
声が小さくなるアルスリークに、ケイルは笑顔で受け負っていた。
「今までの詫びも含めて奢らせてくれと、言えばいいんですよ」
「そうか……」
咳払い一つして、アルスリークは酒場を見渡して言う。
「みな、今までの詫びも含めて、一杯奢らせて欲しいのだが……どうだろう」
それでも酒場は静まり返っていた。見かねたケイルが口を出している。
「女主人、わたし達にエールを。こちらの騎士さまのおごりですから、遠慮なくいただきます」
「あ、あいよ」
ギクシャクと女主人はカウンターに向かい、エールを持ってくるとケイル達に渡した。それを見た酒場の客が、恐る恐るエールを頼み始める。
「騎士さまも」
エールの杯をアルスリークに差し出して、ケイルは苦笑してしまった。
受け取ったはいいが、どうすればいいのか分からないと、アルスリークは顔で語っている。場慣れしていない事がよくわかってしまった。
「グラディアに!」
そう言ってケイルは、アルスリークの杯に打ちつけてエールに口をつける。隣りでシルビアとグレイスが、同じように杯を打ち付けていた。
ふとアルスリークの顔に笑みが浮かぶ。
「グラディアに!」
杯を掲げて言うと、アルスリークは杯を傾ける。あとは「グラディアに!」の唱和が重なって客達が杯を掲げた。
和やかになって行く酒場を見たアルスリークは、ケイルを外に誘う。
「すまなかった。礼を言う。ありがとう」
「気にせずに。酒を楽しく飲むのが酒場ですから」
「経験が無いから、どうすれば良いのかわからない。だから助かった。あなたのおかげです」
「では、次からは大丈夫ですね」
息を吐いたケイルは続ける。これを言う為に外に誘った訳ではないと、わかっていた。
「それで、わたしに何か?」
「これも職務と思って聞いて、欲しいのだが……これからあなた方は、どちらに行かれる?」
「王都です。行くというより、戻ると言った方がいいですね」
「ケイルどの……」
「なんでしょう?」
「いや、なんでもありません。道中の無事を祈ってます」
目礼してアルスリークはケイルに背を向けた。その背にケイルは尋ねていた。
「騎士アルスリーク。ナセルと事を起こすのは、止めた方がいいです」
瞬間的に振り返るアルスリークに、ケイルは続けている。
「ナセルはグラディアと、事を構える気はないはずですから」
「なぜ?」
「国境付近に来ているのは、銀月の騎士団です。それにナセルが、グラディアに攻め込む理由がありません」
「あなたは、何者か?」
「ただの旅人ですよ」
信じないようなアルスリークに、ケイルは片を竦めて言う。
「生まれはナセルです。だから、銀月の騎士団の事も多少は知っています」
多少どころか大いに、である。それを言う訳には行かなかった。言えばどうなるかなど、言わずとも知れている。
「大儀が無い限り動かない人です。つまり、グラディアが攻めてこないなら、銀月の騎士団は行動を起こさないでしょう」
「では、なぜ国境に銀月の騎士団を布陣させた」
アルスリークはケイルに近付く。
「我々はナセルが国境に騎士団を布陣させたとの報を受けて、急ぎ国境を守るために派軍されたのだぞ。グラディアに攻め込む気がなければ、軍は動かさない」
「どう言う事ですか?」
理解できなかったケイルは、アルスリークに尋ね返していた。
自分達が国境に布陣したのは、グラディアが国境付近に兵を集めだしたからであり、グラディア軍が国境へ進軍しない限り、討って出るなと厳命を受けていた。
にもかかわらずアルスリークの話は、ナセルがグラディアへ攻め込むと言う事になっている。
なぜか、ケイルは嫌な予感を受けてしまった。
何かがおかしいと、本能的に知った。
「どうもこうもない。今言った事は事実だ。ナセルよりも小国ではあるが、そう簡単には進軍を許すつもりはない」
「早まった行動だけは、しないでください」
「それはナセルに言う事。我々は進軍してくれば迎え撃つ」
「そうしてください」
グラディアがナセルへ進軍しないなら、銀月の騎士団は動かない。
他の騎士団が討つべきと進言しても、父や叔父、そしてリソリア卿がいれば、その進言自体を彼らは蹴り飛ばすはずだ。
例え、王命であったとしても従わない。
それが漆黒の騎士ライ・シードであると、ケイルはよく知っている。
だからケイルは、アルスリークに頭を下げる。
「どうか、ご自重してください。国を守る事が騎士の誇りとは知っていますが、御身を大切にしてください」
「あ、すまない。あなたに憤っても意味のない事だった……」
アルスリークが己を恥じるように、ケイルに謝罪していた。
「いえ……」
「では、いつかまた機会があれば」
「はい。その時は、ゆっくりと飲みませんか」
「奥方と姉君とも?」
笑って言うアルスリークに、ケイルも笑う。
「お望みであれば」
「それは、楽しい宴になりそうだ」
片手を挙げてアルスリークはケイルから離れて行った。後姿を見送ったケイルは、ゆっくりと息を吐いて首を振ると酒場に戻る。
部屋の前で、シルビアとグレイスがケイルを待っていた。二人とも少し心配そうな顔ではあったが、それはケイルの身を案じての事ではないと気が付く。
「心配する事はありません。グラディア軍がナセルへ進行しなければ、銀月の騎士団は動きませんので。それより、部屋を二部屋取りましたので、そちらの部屋をお二人で使ってください」
「それは良くないわ」
「どうしてです?」
「夫婦が一緒の部屋でなければ、変に思われるわ」
「はい?」
「シルビアさま!」
何を言われたか理解できなかったケイルと、声は抑えていたが、明らかに叱責を含んだ声のグレイスだった。
くすりと笑ったシルビアは、ケイルの腕を取ると言う。
「さきほど私は、ケイルの妻と言いました。ここの女主人も私とケイルは、夫婦と思っているでしょう。夫婦が別の部屋と言うのは、おかしな事です」
アルスリークに尋ねられた時、確かにシルビアがそう言っていたと思い出したケイルは、反撃を試みた。
「忘れているようですので、言いますが……グレイスの事を姉とも言っていましたが?」
「その方が都合はいいでしょう」
笑って答えるシルビアである。
「覚えていて何よりです。そのうえで言いましょう。姉妹なら一緒の部屋でも問題はないはずですよ。久し振りの旅なら、夫よりも姉と一緒と言うのが夫の心遣いです」
「それは無用な心遣いです。旦那さま」
にっこりと笑って斬り捨てるシルビアに、ケイルは頭痛を感じてしまった。助けを求めるように、グレイスを見てしまうのは無理のない事である。
が、そのグレイスはぎろりとした瞳でケイルを見ると、思いっきり押し殺した声を絞り出していた。
「シルビアさまに指一本でも触れてみろ。朝日は拝めないと思え」
「……」
何も言えなくなってしまったケイルである。反対すると思っていただけに、言うべき言葉が見つけられなかった。
結局、ケイルとシルビアで一部屋を使う事になってしまう。
部屋は簡素で、そんなに広くはないベッドとテーブルと椅子があるだけだった。
ケイルはベッドを指差して言う。
「ベッドはシルビアが使ってください」
「旦那さまは?」
「椅子か床で十分です」
「せっかくベッドがあるのに、一緒でいいではないですか。旦那さま」
「遊ぶのは無しです」
溜め息と共に言うケイルに、シルビアは首を傾げる。
「遊びではないわ、ケイル」
「なお悪いでしょう、それは」
「どうしてです? 私は女でケイルは男です。私は……」
「やめなさい。一時の気の迷いですよ」
椅子に腰掛けたケイルは、深い息を吐いていた。
「わたしはあなたに、何もそれらしい事はしていません。それに、あなたには成すべき事があるのでしょう。そうでなければ、グラディアに戻る事はないはずです」
今度はシルビアが、息を吐いてベッドに腰を降ろす。そして、少し恨めしそうな顔をケイルに向けていた。
「私は、私には自由がなかった……殿方とこんな風に過ごす事も……」
言葉を止める。
「あなたは、何も聞かないのですね」
「必要が無いからです」
「必要が無い?」
首を傾げるシルビアに、ケイルは苦笑らしきものを浮かべていた。
「私にとってあなたが、誰であろうと関係が無いと言う事です。王女だろうと、女王だろうと、貴族の娘だろうと、商人の娘だろうとね。大事なのは、あなたと一緒に居て自分の目と耳で感じ、判断する事です」
ケイルは息を吐く。
「あなたの話を聞けば、わたしは自分自身を縛ってしまうでしょう」
「正しい判断が出来なくなる。と言う事ですか」
「違います。正しい判断などはありません。わたしにとって正しくても、あなたにとっては正しいとは言えない事もある。と言う事です……」
再びケイルの顔に苦笑が浮かんでいた。自分のこの考えは、父ライの影響を大きく受けているとわかってしまう。
「わたしは誰にも従う気もない。そう決めているのです。だから、あなたの判断が間違っていると思えたら、わたしは止めます。何が相手だろうと。そして、間違っていないと思えたら、何が相手だろうとあなたの邪魔をする者は排除します」
「ケイル、あなた……」
「わたしの父や母に言われていると思いますが、わたしを扱き使ってかまいません」
「矛盾、していませんか? 誰にも従わないと言っているのに」
「していません。わたしが私自身で判断しています。あなたに従うわけではありません」
それに、とケイルは微笑んでシルビアを見た。
「父や母の思惑に乗るのは癪に障ります」
「思惑?」
「ええ。あれでも父や母は、中々の策士ですから。たぶんわたしにグラディアで、何かをさせようとしているのだと思います。何かはわかりませんが」
アルスリークと話して感じた事も、シルビアとグレイスの関係も、何かの断片だと思っていた。
欠片がまだ少なく全体が見えてこないが、たぶんそれこそがケイルにやらせようとしている事ではないかと理解していた。
ああしろ、こうしろとは言わないなら、ケイルの行動は想定内か、修正のきく範囲なのだろう。
それなら自分がどう動いても同じであり、好きにする方がいい。
たとえ、それが父の目論見通りでも、自分で見て聞いて感じた事なら、父の思惑とは関係が無い。
大事なのは、自分がその時々でどうしたいのかだけだ。
「ケイルはそれで、いいの?」
「あなたと一緒に居れば、わたしが何をすればいいのか、わかるでしょう。父の思惑とは別に」
「巻き込んでもいいの?」
笑うしかないケイルである。
「シルビア。わたしはもう、巻き込まれていますよ。あなたと出逢った時から、だから気にせずに利用すればいいんです」
ゆっくりとシルビアはベッドから立ち上がり、ケイルに近付くと頭を両手で抱えて、額に口付けをした。
「ありがとう。ケイル」
シルビアはケイルから離れると微笑んでいる。
「明日も早いですから、もう休んでください」
「ええ、そうさせてもらうわ」
ベッドに戻るシルビアを見て、ケイルは立ち上がって戸口へ向かった。戸口の横に腰を降ろして、腰から長剣を外すと左肩に乗せていた




