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30・スピードが命よ


 犬が吠えていた。

 四十キロは優に超えた、がっちりとした体格をしたドーベルマン。

 胸側の皮がはがれていて、あばら骨が見えている。目の玉が飛び出そうなほどに突出し、口周りを泡だらけにし、鋭い牙を剥き出しにしている。噛み切ったのか、舌を半分失っていた。

 ゾンビ化したドーベルマンは、崖の上にいる俺たちを、ブロック積みの擁壁に前足を付けて、狂ったように吠え続ける。

 崖から地上まで二メートルほど。俺は村雨を、ドーベルマンに狙いをつけて飛び下りた。危険を察知したか、ドーベルマンは後ろに下がって刃から逃れた。犬にしたら鈍いが、ゾンビとしたら中々の反射神経をしている。けれど、武器をもつ人間に食らいつく方法を考える知恵は持っていなかった。顎が外れそうなほど口を開いて、向こうみずに突進してくる。

 短剣をぶつけた。脳からは外れたが、キャインと、犬らしい悲鳴をあげながら転がっていった。

 すぐさま首を日本刀で斬った。犬の頭が転がり、残された胴体からドロッとした血が漏れた。

 俺は左右の砂利道を確認をする。

「もう、大丈夫だ。降りてこい」

 崖の上にいる二人を呼んだ。

「了解や」

 美桜と澄佳は降りてくる。

「おっ、可愛いパンツ」

 澄佳の制服のスカートがあがって、薄いピンクが覗いた。美桜と違ってスパッツをはいてない。オシャレしていない無地の下着だった。

「お兄ちゃんのエッチ」

「澄佳、デートしよう。おまえも年頃の女だ。お兄ちゃんが、大人の下着を買ってやるぞ」

「お断わりやで。そういうの、ひびねぇにしてもらうわ」

 思春期の事情の相談役は響歌さんのようだ。姉貴でないことに、哀れみを誘う。

「そいつは残念。代わりに姫さん、どうだい?」

「金だけ貰って、自分で買うわ」

 中学校をぐるっと囲んだ金網のフェンスに、人が一人くぐれるほどの穴が開いている。狼谷会がやったのだろう。

 美桜が、そこから入っていく。

「危険だ。先に行くな」

「平気よ。ドーベルマンはさっきの一匹のみ。他は見事にやられているわ」

 フェンスの向こうに、二匹の大型犬が転がっていた。白い目。脳みそから血が出ている。学校の敷地内の見張り役は、犬のゾンビにやらせていたようだ。

「敵の侵入を知らせる警報音として、役に立っていたのでしょうけど、それを聞いた人はいるのかしら?」

 美桜は、校舎裏を見回す。

 静かだった。それが返って不気味さを誘っている。

 部室や、美術室などの特別教室のある第二校舎。裏側の山の森によって、日の光を浴びることが滅多にない場所だ。人気のないジメッとした空気が気に入って、中学校のころはこの辺りで、剣道の練習をしていた。団体戦はイマイチだったが、個人戦ではまずまずの成績を残したものだ。

 フェンスに沿って植えられた針葉樹の間に、使われなくなった焼却炉があった。その付近のゴミ置き場に、丸々と膨らんだゴミ袋の山と一緒に、ゾンビの死体がいくつも捨てられてある。狼谷敬司が、邪魔だからとここに運ばせたのだろう。ネット放送で見せしめに殺された女生徒の姿もあった。

「イッヤーソンはどこだ?」

「さあてね」

「本当に狼谷敬司ではなくて、良子たちのだれかがイッヤーソンなのか?」

「確実に」

「ならなぜ、学校に戻ってきた? 姉貴にバレたら、ドカンとやられるだろ。人間の中に隠れているうちに、さっさと逃げてしまったほうがいいんじゃないか?」

「あいつは、勝算があると思っているんじゃないかしら」

「勝算?」

「私に分かるわけないでしょ。知りたければ、本人に聞きなさい。あいつのことだから、冥土のみやげに、べらべらと喋ってくれるんじゃない。それが時間稼ぎとなってくれて、助っ人が現れ、イッヤーソンがやられる、なんてお決まりの展開が起こるかもしれないわね」

 苛立ってきたのか、後半から早口になっていた。そんな自分に気付いて、ふぅと小さく息をついた。前に掛かった長い髪を後ろに戻す。

「狼谷会の生き残りは四人、その中の……」美桜は足を止めた。「いえ、三人ね」

 校舎を曲がって直ぐのところに、男が一人、壁に背中をつけて、血で真っ赤に染まった両足をだらりと伸ばしていた。

 木村だ。

 こめかみに銃弾の穴があった。

 ゴーヤが植えられた長細い花壇に、シベリアンハスキーの死体があった。足を噛まれてしまい、良子たちが、ゾンビになる前に永遠の眠りを与えてあげたのだろう。

 体育館へと続くアスファルトに、学生服を着た男女のゾンビが倒れていた。生前はカップルだったのか、寄り添うようにしている。その前を、生きたゾンビがふらふらと徘徊していた。

 俺は近寄って、日本刀で挨拶をした。

 ゾンビなのか、生きた人間のなのか、地面の所々が赤黒く滲んでいる。群れてはいないが、ゾンビはあちこちに散らばっているようだ。数が少ないからと、気を抜くことはできない。

「助けられないで、ごめんな」

 澄佳は、花壇の花を取って、木村に供えた。目をつぶり、両手を合わせて冥福を祈る。

「使えそうね」

 美桜は、木村の隣に置かれたノートパソコンを持った。画面は真っ黒だ。

「壊れてないか?」

「スリープモードになっているだけ」

 美桜がパソコンのボタンを押すと、ディスプレイが明るくなった。

「よく、操作できるな。俺はこういうの苦手だ」

「ネットショッピング大好き」

 得意なのだろう。美桜は、スムーズにパソコンを動かしていく。

「あったわ」

「なにがだ?」

「探知機よ。木村が、そのようなものを仕組んでいたでしょ」美桜は、組員の居場所を調べる。「体育館には誰もいないわ。赤い点はどこにもない。ゾンビと、人質だけみたい」

「ゾンビに食われてないか?」

 ビクっと、澄佳は目を開いて反応した。

「人質は無事よ」と澄佳を安心させる。「イッヤーソンが張ったのは束縛の結界。結界という通り、結界を張ることで人間たちを閉じこめてあるの。ゾンビのような知能のないものが、その中に入ることはできない」

「良子たちはどこにいる?」

「二人、動いている。第一校舎ね。一階か、二階かは分からないけど、体育館の通路を抜けて、さらに先を行った、昇降口の辺りかしら? あまり動いてないから、中にいるゾンビと戦っているのかもしれない。もう一人、美術室の近くでぽつんと止まっているのがいるけど、ゾンビにやられたのでしょうね」

「残った二人は誰だ?」

「赤い点だけだから分からない。この赤いのは、良子の夫でしょうね。給食室のほうに向かっているわ。あら、こんなところに」

 面白いものを見付けたようで、美桜はほくそ笑んだ。

「ちょっとやってみたかったのよね」

「なんだ?」

「残っていたのがあったの。二人とも、ゾンビを歓迎するから、戦闘の準備をしなさい」

 タッチパットに中指を当てて、ポインタを操作していく。

「スタート」

 親指で左クリックキーを押すと、ローラーが転がっていく音がした。真っ白い、四角い箱が動いていた。コロコロと、先にある体育館の方へと向かっていく。

「まさか」

「そのまさか。どうせ全ての扉は施錠されているんでしょ。こうするのが手っ取り早いじゃない」

「危ないだろ」

「人質は壇上の前にいる。入り口付近の扉をドッカーンとやれば大丈夫。それに結界に守られているから多少の、ドッカーン」

 爆発した。熱が俺たちを襲う。

「うわぁ、なんや、びっくらしたで」

 体育館から熱が吹き付けてくる。飛び火をし、周辺の木が燃え上がっていった。

 突然の爆風で、すてんと転んだ澄佳を起き上がらせる。

「わーお、思った以上の破壊力」

「いきなりやるな」

「スピードが命よ」

 危険な女だ。凶器を持たせるべきでないタイプだ。


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