08 桜並木とお花見屋台
その日私は朝から自室に閉じ篭り、書き下ろし小説の企画を練っていた。
先日、茉莉と話した『グラスホッパーがぁる』の続編の件である。
「うーん……」
床に座布団を敷いて座り、ローテーブルに置いたノートパソコンと睨めっこをしながら、あーでもないこーでもないと、頭を悩ませる。
せっかくならシリーズ化を念頭に置いた企画にしてやろうと思うのだけど、これがどうにも上手くいかないのだ。
「続編、シリーズ……。言うは易しよねぇ……」
ネタがまったく出てこない。
不甲斐ない自らの頭につい愚痴をこぼした。
頭を整理する為にも、とにかく一からおさらいしてみよう。
私の書いた『グラスホッパーがぁる』はお酒を題材とした一話完結タイプの小説で、登場人物は毎回ほぼ固定されている。
いわゆる連作短編と言うやつだ。
とはいえよくあるような、各話を繋いでいけばひとつの大きな物語になるタイプの連作という訳ではなく、一話ごとに完全に独立したストーリーを楽しんでもらう形の連作短編小説だった。
まぁ端的に言えば『こ◯亀』みたいなものである。
この類いの小説はキャラさえ分かれば途中からでも読めるし、手軽で楽しいのが強みで、週刊連載なんかに向いているのだけれど、ストーリー性に弱みも抱えている。
つまり一気に読むと飽きてしまうのだ。
思うに書籍一冊ぶんくらいならなんとか読み続けて貰えても、二冊ぶんとなると厳しいだろう。
「うぬぬ……。どうしたものかしら……」
捻りながら考える。
例えばこういうのはどうだろうか。
主人公の貴子に大きな悩みを設定して、それを乗り越えるようなストーリー展開を用意する――
いや、それとも貴子に恋人キャラを登場させて、恋愛要素をミックスさせてみる、とか。
……だめだだめだ。
グラスホッパーがぁるは作中に流れる緩い雰囲気と、お酒や料理なんかの丁寧な描写が受けている小説である。
なのに安易に悩みや恋人なんて設定したら、それらの魅力が台無しになってしまう可能性がある。
とはいえ何もテコ入れせずに二巻を出せば、きっと飽きられてしまうだろう。
そうなればシリーズ化なんて到底望めない。
「うぅぅ……」
またまた唸ってみるも、よいアイデアは浮かんでこない。
「あー、もうっ。煮詰まってきたぁ!」
私は大きな声をだし、ごろんと背中から勢いよく倒れて大の字になった。
と、そのとき――
◇
トントンとドアがノックされる。
扉が開かれ、ラフな家着姿のいのりが顔を見せた。
両手を大きく広げてゴロンと寝転ぶ私を眺め、くすくす笑う。
「ふふ。お姉ちゃん、そんなジャージ姿でフローリングに寝そべってどうしたの? それに大きな声だしたりして」
「あ、あはは。ごめんごめん。ちょっと仕事で煮詰まっちゃってさ」
「執筆のお仕事だよね。日曜日までお疲れ様」
「あんがと。まあ日曜と言っても、この仕事に決まった休日なんて概念はないしねぇ。……よっと」
お腹に力を込め、勢いよく身を起こした。
ついでに腕をぐるぐる回して、凝った肩を解す。
「ところでお姉ちゃん。ちょっといいかな?」
「ん? どうしたの?」
「あのね。今日はわたし会社お休みだし、外もいい天気だし、お花見なんかしたいなぁと思ったんだけど……」
窓の外を眺めてみると、日曜午前の空には雲ひとつなく、抜けるような快晴だった。
そういえばニュースでキャスターの女性が、桜が満開ですなんて言ってたなぁ。
「……それでお姉ちゃんと一緒にと思ったんだけど、お姉ちゃんお仕事してるんだよね」
「いいわよ。行こっか、お花見」
いのりの顔がぱぁっと明るくなった。
なんかこう、桜の蕾が開花したみたいだ。
「うん! じゃあ用意してくるね。わたし、お弁当作ってくる!」
「あ、簡単なものでいいわよ。きっと屋台も出てるでしょうし、そこで色々買いましょう」
「はぁい! じゃあ、おむすびだけ握っちゃうね」
いのりはにこにこしたまま、パタパタと足音を鳴らして廊下を歩いて行った。
◆ ◇ ◆ ◇ ◆
電車に揺られ、都内のとある公園までやってきた。
時刻は正午過ぎである。
ここは桜並木が美しいと評判の公園だ。
「うわぁ、お姉ちゃん、見てみて! 桜だよ、桜!」
春めいた白のワンピースに着替えたいのりが、華やかに開花した桜の樹の下を嬉しそうにはしゃいで回る。
私も行き交う人々を避けながら立ち止まり、頭上を見上げた。
満開である。
今日は空も澄んでいてとても高く、鮮やかな空の青と桜とのコントラストが美しい。
今日は四月の割には気温も暖かく、絶好のお花見日和だ。
「人がいっぱいだね!」
「ほんとねぇ。良い場所が取れればいいんだけど」
「あ、屋台が出てるよ! あそこにたくさん! 何が売ってるのかなぁ」
いのりが指で指し示すほうに顔を向ける。
するとそこには、桜並木に沿うように様々な出店屋台が並んでいるのが見えた。
「ね、ね、行ってみようよ!」
「あっ、こら待ちなさい。そんな慌てて歩くと人にぶつかるわよ!」
いのりが振り返る。
「わかってるよぉ。きゃっ⁉︎」
と思ったら早速前方不注意で誰かにぶつかった。
まったく、言わんこっちゃない。
「ご、ごめんなさい!」
いのりが慌てて謝る。
どうやら二十歳そこそこっぽい若い男性にぶつかったようだ。
「あ、いや別に大丈夫っすよ。それより、そっちこそ怪我してないっすか? ――って、うぉあ⁉︎ お、お、おま⁉︎ なんでここに⁉︎」
素っ頓狂な声が上がった。
頭を下げていたいのりが、上目遣いに彼を見上げる。
そして二人の視線が混じり合うこと数秒――
「あ、神楽坂くんだ⁉︎」
「よ、よよ、宵宮ぁ⁉︎」
どうやらぶつかられたこの男性は、いのりから話に聞いていた、あの神楽坂くんらしかった。
なんたる偶然か。
いのりに追いついた私は、つい彼をマジマジと眺める。
ほうほう。
少し童顔な気もするけど、スラっとした体型で割と背も高いし、清潔感のあるかなりのイケメンだ。
どっちかというと年上にもてるタイプかもしれない。
「あ、あのぉ……。よ、宵宮の友だちかなんかっすか?」
神楽坂くんが観察していた私に気付いた。
なにやら戸惑っている。
ってまあ、そうか。
こんなジロジロと見られたら、誰でも戸惑うわよね。
私は挨拶をすることにした。
「あ、ごめんごめん。えっと、あなたが神楽坂くんよね? いのりから話は聞いてるわ。私は宵宮環。この子の姉です。歳は26だから、あなたより少し上になるかしら。よろしくね」
「お、お姉さん⁉︎」
神楽坂くんが急にしゃきんと背筋を伸ばした。
「は、はじめまして! 俺――じゃなくて、ぼ、僕は神楽坂悠と言います! よ、宵宮さんとは同期入社で、な、なな、仲良くさせて貰っています!」
急な変わりようだ。
「…………ぷっ」
私は思わず小さく吹き出してしまった。
なんというか可愛らしい男の子だなぁ。
それに私がいのりの姉と名乗った直後の、この挙動不審なこの態度……。
やっぱりこの子、前に私が予想していた通りで、きっといのりに気があるんだわ。
これは俄然興味が湧いてきた。
「ふふふ。そんなに硬くならないでいいわよ。それよりさ、ねぇ神楽坂くん。あなたこれから時間ある?」
「じ、時間ですか?」
「そう、時間。あのね。良ければ私たちと一緒にお花見でもどうかしら? いのりが握った塩むすびとかあるわよ」
「ッ⁉︎ よ、宵宮が握った⁉︎」
神楽坂くんがくわっと目を見開いた。
そしていのりの方にバッと視線を向けたかと思うと、すぐに赤くなって顔を背ける。
これもう確定だわ。
この子、絶対いのりに惚れてる。
わかりやす過ぎる態度がなんとも微笑ましい。
「いのりもいいわよね?」
「うん、いいよー」
一方のいのりはというと、いつもと変わらない嬉しそうな顔でニコニコと笑っていた。
……うーん。
いのりのほうは、まだあんまり彼のことが気になっていないみたいだ。
こうなると、なんとなく神楽坂くんが可哀想になってしまう。
「あ、あの! お、俺、……じゃなくて僕も、よければ――」
「だからほら、あなたは肩の力を抜いて。それに言いにくいなら『俺』で構わないわよ」
「は、はいっ! お、俺も是非ご一緒したいです!」
「ん。なら決まりね」
これは楽しくなってきた。
話がまとまりかけた、その時――
トゥルルルル。
神楽坂くんのジーンズのポケットから、電話の着信音が鳴り響いてきた。
「あっ、そうだった……」
彼はハッと何かを思い出したようにして、顔を顰めつつもスマートフォンを取り出す。
「ちょっと失礼します。……もしもし」
◇
通話を終えた神楽坂くんが、がっくりと項垂れた。
私は気になって尋ねてみる。
「どうしたの?」
「……それが、先約があったことを忘れていました。俺、すっかり舞い上がっちゃって……」
「あー、そっかぁ。良く考えれば、そりゃそうよね。あなたも誰かとお花見するために、ここに来てたんでしょう?」
「はい……。地元の友人たちと……」
「それじゃあ仕方ないわね」
神楽坂くんが力なく頷く。
私もとても残念だ。
とはいえ先約を反故にして私たちと花見をしようなんて言い出さない辺りには、好感が持てる。
「じゃあ、俺は行きます……。お姉さん、失礼します。……宵宮、また会社でな……」
「あ、うん。またね!」
元気よく手を振るいのりに背を向け、肩を落としてしょぼくれた神楽坂くんがトボトボと歩き出した。
なんと不憫な……。
私はその哀愁漂う背中を呼び止める。
「ちょっと、キミ。待ちなさいな」
「…………はい」
残念そうな顔で、ゆっくりと振り向く。
「ねえ神楽坂くん。これも何かの縁だし、私と連絡先を交換しましょうよ」
「え? あっ、はい」
「そしてね。また今度、私とあなたと、……あと、いのりの三人で飲みに行きましょう」
「⁉︎」
項垂れていた神楽坂くんの顔がみるみる明るくなっていく。
ほんっと単純だなー。
「は、はい! 是非! よろしくお願いします!」
「ふふふ。さ、スマホ出しなさい。アドレス教えて?」
途端にウキウキしだした彼と連絡先を交換しあう。
これで良しだ。
私は考える。
きっと神楽坂くんといのりを引き合わせて観察したら、絶対に面白いに違いない。
お酒が美味しくなるぞ。
こんな愉快な肴を逃してなるものか。
私は内心でそんな事を考えながら、ニヤついた。
◆ ◇ ◆ ◇ ◆
神楽坂くんと別れた私たちは、二人で出店屋台を眺めて歩く。
途中、ふわりと漂ってきたソースの香りに食欲が刺激された。
これは焼きそばの匂いだろうか。
他にも焼鳥、たこ焼き、唐揚げ、いかの姿焼き。
色んな種類の屋台が並んでいて、どこも満開の桜に負けじと盛況だ。
「ね、いのり。あんたは何が食べたい?」
「んっと、わたしはね……」
とててと小走りになったいのりが、とある屋台の列に並ぼうとする。
「ここ!」
「……ここって。あんたそれ、クレープ屋台じゃない。まずはお昼にするわよ。デザートはそのあと」
「むぅー。はぁい」
戻ってきたいのりと、出店屋台を楽しく冷やかして回った。
◇
桜がよく見える場所に小さなレジャーシートを敷いて、いのりと二人でそこに座る。
買ってきた屋台料理は、唐揚げとジャンボフランクと焼きそばだ。
それらをいのりが握ってくれた塩むすびと一緒にシートに並べる。
そしてお酒は、キンキンに冷えた缶ビール『アサヒスーパードライ』。
春限定の桜色のラベルが可愛らしい。
「よし。それじゃ食べましょうか。頂きます。そして乾杯」
「かんぱぁい」
缶ビールのプルタブをプシュッと開き、いのりと二人して頭上に掲げあう。
そのまま口をつけて、ぐいっと煽った。
爽やかな味わいのビールがシュワシュワと弾けながら口内に流れ込んでくる。
ポップの苦味は控えめ。
キレの良い喉ごしを楽しみながらごくごくと飲み込むと、喉を通じて空きっ腹に流れ落ちた冷たいビールが、胃から全身へと爽快さを伝えていく。
「んく、んく、……ぷはぁ! あー、美味しい」
「ふふふ。お姉ちゃんってば凄い飲みっぷりだね。でも飲む前に、なにか食べて置いたほうがいいんだよ。はい、これ」
いのりが塩むすびを差し出してきた。
「あんがと」
受け取ってから、がぶりとかぶり付く。
舌に程よい塩気が広がった。
そのままむぐむぐと咀嚼すると、軽く握られたおむすびが口の中でぱらぱらと解けて、塩気が甘さに変わっていく。
付け合わせての黄色いたくあんに手を伸ばした。
指で摘んで口に放り込む。
噛むとぽりぽりとした食感が、奥歯にとても心地良い。
そのまま何度か咀嚼してから、口の中をまとめて全部ビールで胃へと流し込む。
「んく、んく、んけ、……ぷはぁ! あぁ美味し」
「お姉ちゃん。こっちもどうぞー」
今度は唐揚げが差し出された。
「あんがと。ふふ。気が利くじゃない」
揚げたての唐揚げからはまだ湯気がたっていて、ほくほくだ。
爪楊枝を手に取り、ひとつ突き刺してからパクッとひと口で頬張る。
ギュッと奥歯で噛み締めると、カラッと揚がった衣の心地よい食感がして、そのすぐに熱い油と鶏もものジューシーな脂がジュワッと染み出してきた。
それらが旨みとなって口いっぱいに広がっていく。
弾力のある肉の食感と、濃い衣の味付けが堪らない。
これがまた塩むすびによく合うのだ。
「んぐ、んぐ、……はぁ、美味しいわねぇ。いのりもどんどん食べなさいよ。あ、そっちの焼きそばとってくれる?」
「うん。わたしも食べてるよー」
いのりも小さく唇を開け、パクリと塩むすびを頬張ってはもぐもぐと口を動かしている。
「えへへ。外で食べるとなんだか美味しいね」
「ホントにね」
特にこんな晴天の下で満開の桜を眺めながら、可愛い妹と一緒なんだから尚更である。
私は続いてジャンボフランクに噛り付き、幸せそうに頬っぺたを押さえて食事をするいのりを眺めながら、缶ビールを傾ける。
「んく、んく、……ふぅ」
パクパク食べ、ゴクゴク飲んでからようやく人心地ついた。
なんとなく遠くを眺める。
そこかしこで花見客が賑わっている姿が目に飛び込んでくる。
そんな大勢の客の中、遠くで神楽坂くんがお花見をしている姿が見えた。
「あ、あそこ。神楽坂くんがいるわよ」
「ふぇ? あ、ホントだ」
どうやら地元の友人とはみんな男の子みたいで、五人くらいでお酒を飲み、ワイワイしている。
悪戯心がむくむくと湧いてきた。
「ねえ、いのり。あとで彼のところに少しお邪魔してみない?」
「えー? そんなの悪いよぉ。お友達と一緒なんだし神楽坂くんに迷惑だと思う」
「そうかなぁ?」
「そうだよ。そんなことより、お姉ちゃん。クレープの約束忘れてないよね? ご飯食べ終わったら、一緒に買いに行こうねぇ」
ま、そういうことにしておこう。
どうやらいのりはまだ色気より食い気らしい。
これは彼も前途多難だろうなぁ。
そんな事を考えながら、私は焼きそばを食べ、二本目の缶ビールをぐいぐい飲んでいく。
「……ぷはぁ!」
私はもう一度満足な息を吐いてから、その後もいのりと一緒にお花見を堪能した。