09 実家の仕送りととり天
玄関からチャイムの音が鳴り響いてきた。
時計を眺めると今は夕方前。
自室で執筆をしていた私は部屋を出て、リビングのインターフォンを覗き込む。
すると小さな液晶画面に、ダンボール箱を抱えながらマンションのエントランス前に立っている男性が映っていた。
宅配業者のようだ。
通話ボタンをポチッと押す。
「はい」
「すみません。こちら宵宮さまのお宅でしょうか? お届けものに上がりましたぁー」
届け物?
はて、一体なんだろう。
最近は通販で何かを買った覚えもないし、となるとこれは私宛ではなくいのり宛の荷物かもしれない。
「お疲れ様です。いま開けますね」
私はマンションのオートロックを解除し、荷物を受け取った。
◇
届いた荷物に貼られた伝票を確認すると、送り主の欄には実家の住所が書かれていた。
届け先は私といのりだ。
「これ、お母さんからかぁ。……随分と重たいけど、なんだろう」
早速ダンボール箱を開けて中身を確認する。
そこに詰められていたのは、お米にお醤油に味噌、その他諸々。
それらが箱いっぱいぎっしりと詰められていた。
どうやらこれは、実家からの食べ物の仕送りのようだ。
「ありがたや、ありがたや。……えっと、これはレトルトカレーでしょ。こっちはパスタ。あ、やった。干し椎茸もあるじゃない」
私の田舎は大分県の北部なのだけれど、実は大分は干し椎茸の生産量日本一の県なのである。
そして大分ブランドの椎茸はどれも傘が肉厚で味も香りもよい。
例えば水で戻して椎茸ステーキなんかにしても美味しいのだ。
今度いのりに頼んで作ってもらおうかしら。
「どれどれ、他には? こっちはお蕎麦。あ、吉四六漬けがあるじゃない。これ、コリコリ食感ともろみの味でご飯が進むのよねぇ」
引き続き、ごそごそと漁ってみる。
「……ん? あっ、これは――」
小麦粉のような包装の袋を取り出す。
とり天粉だ。
久しぶりに見た。
そういえばこの商品、東京じゃ一度も見た事ないなぁ。
実家の近所のスーパーなんかだと普通に商品棚に陳列されてたんだけど。
「……なんだか懐かしい」
上京してからこっち、ずっととり天を食べていなかったことを今更ながらに思い出す。
去年実家に帰省した時も食べなかったし。
そんなことを考えていると、なんだか無性にとり天が食べたくなってきた。
「うん。今晩はとり天にしましょう」
◆ ◇ ◆ ◇ ◆
陽が落ちて辺りが暗くなり、いのりが仕事から帰ってきた。
「ただいまぁ」
「おかえりなさい」
リビングで妹を迎える。
「はぁ、くたびれたぁ。お腹ぺこぺこだよぉ」
「ふふ、お疲れ様。ところでいのり。お母さんから食べ物の仕送りが届いてるわよ。そこの箱なんだけど」
「お母さんから? ふぅん、そうなんだ」
バッグを置いたいのりが、ダンボール箱の前にしゃがみ込む。
そしてさっきの私と同じように中をごそごそし始めた。
「ふふふ。お母さんってば、目いっぱい詰め込んで送ってきたねぇ。この缶詰なんて、お姉ちゃんのお酒の肴にいいんじゃないかな?」
「人のこと飲兵衛みたいに言わないの。どうせあんたも一緒に飲むんでしょうに」
「えへへ。そうだね」
「それよりさ。見てこれ、じゃじゃーん」
私は先に見つけておいたとり天粉を見せる。
「あ、とり天粉だー」
「ね、いのり。お願いなんだけど、今日は晩酌にこれでとり天を作ってくれない?」
「うん、いいよ。冷蔵庫に鶏胸肉あったかなぁ……」
「大丈夫よ。材料なら私がちゃんと買ってきておいたわ」
「わかった。じゃあ作るねー」
いのりが立ち上がろうとして、ふと何かに気が付いた。
「……あれ? ダンボールの奥に何かあるよ。ってこれ、封筒だぁ。どれ、どれ? あ、これ手紙みたい」
いのりが箱に手を突っ込み、茶封筒を取り出す。
こんなのが入ってたのか。
封筒の色合いがダンボールとよく似ているから、さっきは気付かなかったようだ。
「これ、お母さんからだよ。お姉ちゃんとわたし宛にって」
「へえ、そうなんだ。見せて」
私はいのりから手紙を受け取った。
◇
手渡された茶封筒は、わざわざ糊で封がされてあった。
ダンボール箱に入れて送ってきたのだから糊付けなんてしなくても平気なのに、こういう無意味に几帳面なところがなんというかお母さんらしい。
ハサミを持ってきて封を開け、中から一枚の便箋を取り出す。
開くと目に飛び込んできた手書きの文章は、懐かしいお母さんの筆跡だった。
「ねえねえ、お姉ちゃん。なんて書いてあるの?」
「えっと……。ちょっと待ちなさい」
私はいのりにも手紙の内容がわかるように広げて見せながら、声に出して読み上げることにした。
『環といのりへ。
元気にしていますか? こちらはお父さんもお爺ちゃんもお婆ちゃんも、みんな元気です。いのりは新しい生活環境で体調を崩したりしていませんか? いのりは少しくらい調子が悪くても無理をして平気なように振る舞う子なので、母はとても心配しています』
いのりがぷっと吹き出した。
私は手紙から顔をあげる。
すると彼女は目を細めて、おかしそうに笑っていた。
「どうしたの、いのり?」
「あはは。だってお母さん変なんだもん。丁寧語? なんだかお淑やかな話し方で、普段は全然そんな事ないのに、変なのー。くすくすっ」
そう言いつつもいのりはとても楽しそうだ。
つられて私も笑ってしまう。
「うふふ。手紙なんて慣れないことするから、多分どういう風に書けばいいのか分からなかったのよ」
「それじゃあ、電話してくればいいのにねぇ。お母さんってば。あはは」
二人で顔を見合わせ、一頻り笑いあう。
しばらくそうしてから、私はまた便箋の文字を読み上げ始めた。
『環はお姉ちゃんなんだから、しっかりといのりの面倒を、……と思いましたが、環よりもいのりの方がしっかり者かもしれませんね。環は暖かくなってきたからといって、お腹を出して寝てはいませんか? ダメですよ。あなたのことも、母はとても心配しています』
「な、なにそれー!」
思わず声をあげた。
いのりはしっかり者って書いていたのに、私はこの扱いか。
大体お腹を出して寝ていないかって、それは子供の頃の話じゃないか。
まったくいつの話をしているのだ!
「……ぷふっ」
「こら! 何笑ってるのよ、いのり!」
「あははっ。だってぇ! あはははっ」
いのりがお腹を抱えてケラケラと笑い出した。
私は軽く頬を膨らませて、むぅとむくれ顔をしてみせる。
いやまぁ、こういう所が子供っぽいのかもしれないけれども。
「それよりさ。お姉ちゃん、続き続き」
「……ふん。あんた、後で覚えてなさいよ。えっと……」
親にとって娘はいつまで経っても子供ということなんだろう。
そう無理やり納得してから、続きを読む。
『いのりはもう会社に慣れましたか? ちゃんと三食食べて健康には気をつけて下さい』
「お母さん、会社に慣れたかってさ。どう?」
「うーん。ぼちぼちかなぁ」
続きを読む。
『二人ともお酒の飲み過ぎはいけませんよ。送った食べ物の中には地産のお野菜もたくさん入れていますから、嫌がらずにしっかり食べるのですよ』
「お野菜だって!」
「あ、そう言えば椎茸あったわよ」
「じゃあ今度バターで炒めて食べようよ」
いのりと会話をしながら、手紙を読む。
便箋は最後の一枚になっていた。
『母からは以上です。あぁ、あと環。あなたはたまには面倒がらずに帰ってきなさい。いいですね。元気なあなたたちの顔が見られる事を、母は楽しみにしています。 母より』
手紙を読み終えた。
便箋を綺麗に畳んで、封筒にしまい直す。
あれだけ笑っていたいのりが、いつの間にか静かになっていた。
リビングに静寂が訪れる。
しばらくして――
「…………お母さんに、会いたいな」
ぽつりといのりが呟いた。
「……なぁに、あんた。もうホームシックになっちゃったの?」
「そ、そんなんじゃないけど。またお母さんの作ったお料理を食べて、お味噌汁を飲んで、一緒にテレビが観たいなって……」
気持ちは分かる。
なんとなく、私も今そんな郷愁染みた気持ちを感じていた。
「そうね。……今年のお盆は一緒に里帰りしようか」
「そうしようよ! きっとお母さん、喜んでくれるよぉ」
「ええ! さぁいのり。着替えてらっしゃい。そろそろ晩ご飯にしましょう」
「はぁい」
いのりがトコトコと足音を鳴らして自室に戻る。
私はその姿を見送ってから、茶封筒に入った手紙を自室のテーブルの引き出しに大切にしまった。
◆ ◇ ◆ ◇ ◆
夕食を終え、サビ猫のねぎさんと並んでリビングのソファにゆったり身を預ける。
今日の晩ご飯も美味しかった。
いのりがやって来てからというもの、我が家の食卓は充実していくばかりだ。
カップ麺やコンビニ弁当で済ますことも多かった少し前までとは大違いである。
しかも、今日は晩酌メニューにも楽しみがあるのだ。
その為に夕飯は少し軽めにしてある。
「お姉ちゃん、お待たせー」
料理をしていたいのりが、お皿を持ってやってきた。
キッチンペーパーが敷かれた平皿には、揚げたてでジュウジュウと油を弾けさせたままのとり天が置かれている。
見た感じは天ぷらに近い。
けれどもこのとり天は、普通の天ぷらとは異なり具材である鶏肉にしっかりと下味がついているし、衣も天ぷらよりずっしりとしている。
「ありがと。……よっと」
丸まって寝息を立てたままのねぎさんをひと撫でする。
そうしてからソファに預けていた背中を起こすと、いのりも私の隣に座った。
リビングの奥側から順に、私、ねぎさん、いのりの並びである。
「いのりも飲むでしょ? これでいい?」
五合サイズの瓶をテーブルから少し持ち上げる。
ラベルには『大分むき焼酎二階堂』の文字。
せっかく大分名物のとり天を肴にするのだからと、今し方いのりが料理をしてくれている最中に、ひとっ走りコンビニまで買いに行っておいたのである。
「お父さんやお母さんもよく飲んでた焼酎なのよ」
「うん。飲みたい! わぁ……。わたし焼酎って飲むの初めてだぁ」
「飲み方はどうする? 私はロックだけど」
「お姉ちゃんと一緒で!」
「ん。了解」
ロックグラスにカランカランと氷を落として、その上からとくとくと二階堂を注いでいく。
ほのかに甘く爽やかな麦の香りがふんわりと漂ってきた。
「はい、こっちいのりの分ね。もしアルコールが強いようなら言いなさい。水割りにするから」
「はぁい」
自分の分を手に取り、口を添えてからクイっとグラスを傾ける。
透き通った無色の焼酎が、下唇を伝ってするすると口内に流れ込んできた。
舌先に感じる甘み。
そこからまろやかな風味が口いっぱいに広がっていく。
鼻を抜ける麦の香りを楽しみながら、ごくりと飲み込んだ。
麦焼酎だけあって後味は実にすっきりとしていて、すぐにでも次の一口を飲みたくなってしまう。
「んく、んく、……ふぅ」
一息ついてグラスをテーブルに置いた。
「……ふわぁ。お姉ちゃん、これ、少しきついけどその割に飲みやすいねぇ。麦焼酎だっけ?」
「そうよ。焼酎には麦以外にも芋や黒糖、それに米焼酎なんてのもあるわよ」
「米焼酎? 日本酒もお米のお酒だよね。米焼酎と日本酒はどう違うの?」
「えっと、それはねぇ――」
お酒には、穀物や果物を酵母の力でアルコール発酵させて作る『醸造酒』と、水とアルコールの蒸発する温度差を利用して醸造酒を蒸留して作る『蒸留酒』がある。
必然、蒸留酒の方がアルコール度数は高くなる傾向にあるのだけれども、味については使った原材料や麹や酵母なんかによってまちまちだ。
そして日本酒はお米から作られた醸造酒で、米焼酎は日本酒を蒸留した蒸留酒という訳なのである。
説明すると、いのりは感心したようにうんうんと頷いた。
「へぇ、そうなんだぁ。さすがお姉ちゃんはお酒に詳しいねぇ」
「ふふん。これでもお酒を題材にした作品でデビューした小説家だからね」
自慢気に胸を張った。
いのりがくすくす笑ってから、グラスを傾ける。
私も同じように麦焼酎を口に含んだ。
そうしてまた、麦の蒸留酒である二階堂の華やかな香りと豊かな味わいを楽しむ。
こんな美味しい焼酎がコンビニで安価に買えるのだから、まったく幸せという他ない。
「んく、んく、ぷはぁ……。あぁ、美味し。さて、お次は――」
ロックグラスを置いて、代わりに箸を持った。
「じゃあ頂きます」
まだ熱々のとり天をひとつ摘み上げ、齧り付く。
サクッとした心地良い歯触り。
けれども衣の内側はふんわりしていて、なんとも不思議で懐かしい食感である。
「はふっ、はふっ……」
口の中が熱い。
衣から染み出した油で頬の内側を火傷しそうだ。
でもそれがいいとも思う。
熱さを堪えながら、柔らかなお肉を奥歯でギュッと噛み締めた。
しっかりと下味のついた鶏肉は、胸肉とはいえパサついてはおらず、むしろしっとりしている。
噛むほどに口の中で衣と混じり合い、旨みが染み出してくるのだ。
旨みをたっぷり堪能してからごくんと飲み込み、焼酎のロックグラスを傾けて口内の余韻を洗い流す。
胃に落ちた満足感が、全身に染み渡っていく。
「んー、美味しい! さすがはいのりねぇ。下味もいいけど揚げ具合がホントばっちりだわ」
「えへへ、ありがとう。とり天粉を使ったからかなぁ。普通の小麦粉でも作れなくはないけど、やっぱり専用のとり天粉の方が、サクッとして内側はふっくら仕上がるよね」
なるほど、そういうものなのだろう。
これはとり天粉を仕送りしてくれたお母さんに感謝である。
「お姉ちゃん、カボスどうする?」
「そうね。搾ってもらえるかしら」
とり天は下味がついているからそのまま食べても美味しいのだけれども、カボスを搾ってかけたり、お醤油や天つゆなんかで食べても美味しいのだ。
私は晩ご飯を頂いた後だというのに、美味しさに負けてつい幾つもとり天を摘んでしまった。
◆ ◇ ◆ ◇ ◆
晩酌を終え、私は自室に戻っていた。
いのりもねぎさんを連れて部屋に戻っている。
掃き出し窓をカラカラと開けてベランダに出た。
春とはいえ夜の空気はまだ冷んやりとしていて、お酒で火照った肌に心地よい。
私は背中から手すりに身体を預け、澄んだ夜空を仰ぎ見た。
……なんだかお母さんの声が聴きたい。
今日はもう遅いから、明日にでもまた電話してみようかな。
「…………。お母さんも今頃、この空を見上げてたりして」
何の気なしに呟く。
ここは実家からは遠く離れた都会だけど、こうしていると、なんだか夜空を通してあの懐かしい田園風景と繋がっているような気がした。




