第六章 ファレアの闘い
第六章 ファレアの闘い
ファレアは静かな軍港で、この冬の間何事もないようにインデアル艦隊の様子を施設から見守っていた。それは年が明ける頃まで続いた。とりあえず空母を含むここの機動部隊の戦力は今、インデアル帝国で一番なのかもしれない。この戦況で劣勢に立たされている今、この艦隊はとても貴重だった。空母に配備されている戦闘機も多数で、ファレアの乗る空母ロスト・アイランドに乗せてある戦闘機のほとんどが、この戦争で一番多く使われているクレマチス機とチェリーブロッサム機ばかりである。
戦争がこれからどこへ向かうのかわからないが、この北にあるイサラ基地だけは、凍りついた前線海軍基地として冬の間だけは、平穏で静かな日々を送れると、そう思っていた。しかしそれは間違いであることに気づくのは、もっと後のことだった。
凍てつく空母の上では、順番に新しく入ってきた兵たちが何かと試合をして、賭け事に夢中になる様が目立つ。ここではそれが当たり前のように許されているのだった。基地の上層部はそれが兵たちにとっての士気につながるのならと黙認している。任務中ではなく、今のように訓練も少なく、ただ冬を送るだけのような日々には何かと兵の士気も乱れやすい。ブレッド大佐でさえ、部下に金を渡してケンカ試合の賭け金を増やそうとしている有様だ。そういった男性の軍人の楽しみは、ここで働く女性軍人たちにはあまり理解はできなかった。
ファレアは大佐の部屋へ書類を渡しに行ったとき、試合のことで一度、見に行ってみる方がいいと言われた。頭をかしげながらも、ファレアは暇の多い時間の中で、停泊している空母の中でも一番デッキに人が集まっている艦に乗船してみることにしてみた。今日もまた、ケンカに飢えた水兵たちが殴り合いをしている。それを囲む乗組員たち。戦って負けているのは、なんとファレアの部下であるファルゾン二等兵だった。列車の上で負かしたあの腕っぷしの強いあの男だ。彼の相手はそんなに大きな体をしているわけではないが、素早さとキレのある動きをする空母の水兵であった。二人はお互い代表で基地内の者と新任組の者とで闘っていたのである。しかしこの勝負はあまりにも相手にとって一方的な勝負となってしまっていた。
誰が見ても完全にその相手の勝ちだ。ファレアはファルゾンの実力は知っていた。何せ自分も一度は手合わせをした相手だからだ。相手のパンチを数発食らって倒れているファルゾンは、立つこともおぼつかなくなっている様子が遠くから見てもわかった。その彼の背中をパンチでさらに打つ対戦相手。彼はこの船の伍長の位を持つ水兵であった。
ファレアは日頃のストレスを発散させているようにファルゾン二等兵をどんどん殴りつけている相手を見て、これはやばいと思った。それを誰も止めようとしないばかりか、もっとやれと言わんばかりにはやし立てている光景も含めて。
おそらくファルゾンがファレアにやられたことが艦内に伝わっていたのだろう。ファレアはそのことがきっかけで彼が殴られていることに怒りを覚え、すぐに割って入っていった。
「やめて!やめなさい、水兵。」
反射的にファレアはファルゾンを庇う。
「水兵ではありません。伍長です、曹長殿。」
勝ち誇った顔でファレアを見る空母の伍長。
「勝負はもうついているじゃない。これ以上はいじめだわ。もうやめて!」
ファレアは猛獣のような目をした伍長を見て言った。
「賭けももう成立したでしょう?これからはこんな茶番にはレフェリーをつけるべきよ。さもないと大事な兵が、いざっていうとき戦えなくなる。そうでしょ?」
しばらくの沈黙のあと、ファレアの言葉に対して水兵たちにブーイングが起こった。ヤジがファレアに向かって飛ぶ。
ファレアは彼らをにらむと叫んだ。
「黙りなさい!」
彼女は大声でくだらないブーイングを飛ばす水兵たちに対処した。こういう規律の無礼講でも彼女は許せないものを強く感じたのである。
ファレアは、かなり戦えるその伍長を指さすと、ファルゾンをほかの水兵の仲間に預けて向かい合った。
「じゃあ、わたしが戦うわ。伍長。」
周りを囲んでいた水兵たちがざわめく。強いと評判の曹長、ファレアが自分から勝負を挑んできたのだ。周りは大きな声でどよめくとともに、すぐに掛け金の金が動いた。そのほとんどがファレアに賭けたのは意外なことだったが、伍長もここでは当然かなりの強さを誇っているはずである。ファレアはそれを自分から挑戦したのだ。自分の部下のために。
「さあ、いらっしゃい。わたしは本当はあなたとは戦う気はないんだけれど、今は違うわ。それは、あなたがわたしと戦うにはそれほどふさわしい実力は持ってはいないにもかかわらず、今ここでいい気になってるからよ。わかった?」
相手の伍長はニンマリと、性格の悪い顔でファレアをバカにするように言う。
「そうですか曹長。そんなに言うのなら、こっちも全力でいきますよ?それでも別にいいんですね?」
「かまわないわ。」
軍隊というところは、こういうときにかぎって一番たちが悪い方向に走るのは、ファレア自ら承知していた。ファレアはそれを正すためにもここで試合をすることをためらわなかったのである。
強いか弱いかをはっきり決めておかないと気が済まない連中を相手にするにはこうするのが一番いい。この際、誰がここで一番強いのかをわからせるには最高の舞台であった。空母のデッキはケンカ自慢の伍長との対決の場となる。
「わたしが列車でここに来るときにあったことは知ってる?」
ひと当てする前にファレアは伍長に聞いた。
「なんですか、それ?」
伍長は知らないようだった。
そんなに知れ渡っていないことなのだった、あの時の悶着に少しがっかりするファレア。まぁ、相手を動揺させてから闘おうなんて考えているわけではなかったのだが。
「そうね、知らない方がいいかもね。わたしは兵隊みんなを尊敬しているわ。部下もね。それでもたまにバカなことをする者もいるってことは知っている。だからこそ、ここであなたの相手をしようとしているのよ。わかる、伍長?」
伍長はにやけた表情で構えをとった。
「尊敬とは強い者にこそ得られるものでしょう、曹長?」
少しファレアは沈黙し、冷静になってから答える。
「そうね、あなたの言う通りよ。特にここ軍隊ではね、では始めましょう!」
ヤジが飛び交う中、ファレアは半身の体勢になって伍長の攻撃を迎え撃つ構えをとった。これは相手を誘い込む、待ちの構えである。
伍長は飛び込むように手加減なしで自分のもっとも得意とするパンチをファレアに向けて放った。この時、すでに伍長は、ファレアの誘いに乗ってしまっていたのである。ファレアはその攻撃をかわすと同時に相手の腕を取り、足の運びによって回転をつけて転身し、伍長の腕ごと自分の体の回転に巻き込むと、そのままの勢いで、思いっ切り彼の体全体をデッキに叩きつける。大きな音がした。受け身すら知らない伍長は激しい痛みを覚えた。
様子を見る暇もなく、伍長は自慢のパンチを簡単にファレアに流されて、そのまま投げられたのである。まったく予想できる技ではなかった。
ファレアの使った技、投げというものは、相手の動きに合わせたもので、とても素早く激しい効力を持った技なのである。それをわかる者はこのデッキには一人もいない。
伍長はすぐに起きあがった。そしてファレアの体をつかもうと片腕を出してきた。ファレアはそれもスッと後ろに下がり、紙一重で避けると相手の側面へと入っていき、ひじを相手のあごにめがけて打ち込む。
のけぞる伍長の首の後ろを取ると、勢いよくデッキに引き倒した。
小柄なファレアは自慢の古武術を使い、相手を二度もデッキに沈める。
「まだやる?」
ファレアは伍長に聞いたが、彼はデッキにまだ倒れたままであった。
ゆっくりと立ち上がる伍長は、もう容赦はしないぞといわんばかりの顔をファレアに向ける。
「やるのね?」
ファレアもまた、半身の構えをとった。
相手は熱くなっている。体の動かし方も、さっきよりは大ざっぱになっていた。
しかし肉の厚い男というのは、少々投げられてもまだ効かないようであった。
「覚悟してくださいよ、曹長!これはケンカなんですから。」
そう言うと、伍長は渾身の一撃のパンチを繰り出す。
ファレアは相手の拳をよけた。そして手首に手刀を食らわせてそのまま入り身する。伍長ののどにファレアの拳が入った。
「ゴフッ!」
一瞬、呼吸が止まるのがわかる伍長は、その場に崩れた。
デッキにしゃがみ込むと、呼吸困難にもだえる。
ファレアは倒れた伍長の前に立って言った。
「もうやめる?」
伍長は自分が何をされたのか、わからないまま潮時を自ら悟る。
「まだやるのね?それとも・・・。」
浅い呼吸の中、伍長は言いたいことさえ言える状態ではなかった。
「わたしの勝ちでいいの?伍長。」
首を縦に振ってうなずく伍長。
ほかの水兵たちがすぐに伍長を介抱した。
皆に囲まれている中で、一人立ちつくすファレア。
「曹長、どこでそんな見たこともない格闘術を?」
水兵たちがこぞって聞いてきた。
ファレアは恥ずかしそうに言った。
「東洋にルーツがある実践格闘術の一種よ。父の技をわたしが継承したの。軍の徒手とは違うわ。」
水兵たちが集まってくる。ファレアは大きな声で言う。
「まだ、わたしに挑戦する者はいない?いつでも誰でもわたしは受けるわよ。そして負けないわ。そう、この戦争のようにね。」
水兵の士気は突然上がった。
「そうだそうだ!俺たちも曹長くらい負けなければ、この戦争にだって勝てるんだ!」
ヤジが歓声へと変わっていく。
ファレアは自分の古武術をこの戦争のためのプロパガンダに使った。本来そういうことのために教えられてきた技なのではなかったのだが、意図的に強い者を倒すことで、彼女は空母の英雄としての象徴的な存在へと自分を導いていった。当然それは、周りをも巻き込む流れへとコントロールしていくのだった。
ファレアは誰よりも戦争というものの流れを知っていた。それは誰に習ったわけでもなく、戦争というものはそういうものなのだという自覚と考えが入隊したときから意識してきたことなのである。そういう意味ではファレアは確実に知能犯であった。そして戦争を利用し、兵を戦いに使うことで、彼女の中にある静かな復讐心を燃え上がらせていくのであった。
そう、彼女の家族を殺した悪名高いノードランド皇国への復讐のために。
そのためなら、こんな茶番はたいしたことではなかったのである。




