第四章 エイジスと旋律
第四章 エイジスと旋律
人には誰でも何かしら一芸に秀でていると言ったのは誰だろう?
こんなご時世の中、戦争に強いということが今、もっとも求められているのだが、皆が皆そうではない。戦いだけでなく、おそらく職業軍人ですら他にも何か得意なものはあるだろう。
エイジスにもそれはあった。つたないものだが、リュートギターを奏でることが、彼の特技であり、趣味であった。
先ほど、ルワ市の中央へと足を運んでみたが、それは酷いものだった。これが戦争の断片かと思うようにノードランド皇国の重爆撃機による空襲の跡がそれを語っていた。
建物のレンガが吹き飛び、窓ガラスは派手に割れ、民家の瓦はバラバラになっていた。壊された建物には大きな穴が開いており、火薬を詰めた爆弾が落ちてきたのがわかる。これだけ爆撃を食らえば当然のことだが人死にも出てるだろう。とてつもない破壊力を持つ爆弾が町中にばらまかれたのだ。歩く道には爆発した跡が残っており、タイルがはじき飛んでいる。空襲のため避難した住民がたくさんいたのだろう。町の一角はまるでゴーストタウンと化していた。
この町も以前はよく賑わっていたものだ。イベントも多く、この時期は冬祭りが行われている予定である。しかし、この有様では当面、イベントは無理だろう。
エイジスは実家に置いてきたリュートギターのことを思い出していた。
こんな酷い場合でも、もし戦争というものが人を悲惨な目に遭わせるものならば、暗く沈む気持ちを活気づけるために音楽というものが必要だろう。
自分は戦闘機乗りで、戦う兵士だが、爆撃するなら兵隊を狙えばいい。町の非戦闘員を脅かすマネは国際法に反するはずだ。
軍事施設や兵器工場、軍の基地などが標的となるのは当然なのだが、最近は爆撃機の編隊は町を狙うのが当然のようになっているようである。死んで当然な覚悟を決めている兵隊と民間人は違うのだ。こういうのは戦う者にとっての騎士道精神から外れている。どさくさに巻き込まれる非戦闘員もいるだろうが、こうあからさまに町に爆弾を落とす行為などフェアではないはずだ。
これでは前の戦争でやったことと同じではないか。
エイジスは戦争に、というより敵国ノードランドに対して怒りを込めた。
彼が戦う理由としては十分な動機だった。
エイジスの左頬のやけどは実は、かつて別の国が仕掛けた戦争でのじゅうたん爆撃による古傷なのだ。前の戦争では彼は両親と妹と暮らしていた。
爆撃は突然起こり、それは白昼に堂々と行われた。エイジスは妹のクレオナが逃げ遅れたのを助けに戻った時に、火災で激しく燃えた建物の破片をまともに顔に食らい、それでもクレオナを救うべく、焼けただれた左頬の痛みを忘れ、パニックを起こさずに無事クレオナと逃げた時のものだったのだ。
しばらくしてエイジスは軍に入隊を決意した。妹のクレオナはエイジスに負い目を感じているらしいことは聞いた。エイジスが軍隊に入れば、妹は痛々しいやけどの痕を見なくて済むだろう。
クレオナは今は、帝国学校の中等部の二年生になる十三歳の女の子だ。まじめで少しおとなしいところはエイジスに似ている。兄であるエイジスのやけどのせいか、将来は医者になりたいという大きな目標を持っていて、すごくしっかりしていた。妹に会いたい。しかし、それは無理だろう。なにせこの国には圧倒的に前線に出る人員が足りない。そのためか、帝国学校の中等部ともなれば当然徴兵の対象になる。クレオナもおそらく家族との面会すら禁じられているはずだ。この冬の間に大規模な徴兵が行われる。クレオナほど学業に励む者こそ軍が欲しがる逸材なのだ。軍医部隊への徴兵は避けられないだろう。
それは一通のクレオナからの手紙で分かったことだ。
学校側は手紙を調べてところどころ黒いインクで文章を消していて、その消された文字の中に見え隠れするクレオナ自身の今後が書かれたと思われる部分がそれを感じさせていた。基本的に軍のことや互いの配属先などは秘密にされるのだ。それはエイジスも含めて軍の中では当たり前のことだった。
一つ心当たりがあるとすれば、ドクトルエッグ衛生部隊と呼ばれる本軍医部隊の補助要員の部隊が結成されるらしいという噂だった。そのドクトルエッグ部隊には特別に二等兵の位がつけられることが約束されていて、軍人として帝国学校の成績優秀者も何人か、徴収されるとのことだった。
エイジスは手紙の内容からそれを想像した。クレオナは選ばれて、この冬にドクトルエッグ衛生部隊に所属するだろう。そして戦地へと赴くことになる。図らずも医学コースへ進んだばかりに彼女は衛生兵となることが決まってしまうのだ。早くこの戦争を終わらせたい。そのためには一日でも早く敵国ノードランドを打ち砕かなければならない。戦況を変え、そして戦闘機パイロットとしての努めを果たそうとエイジスは誓った。
しばらく町をうろついていると、音楽が聞こえてきた。町の少し入り組んだ上り坂になっているところだ。この辺は丘になっていて、よく自転車で走っている人がノーブレーキで坂道を下っていくようなところだ。上まで登ればかなり見晴らしがよくなるはずだ。
エイジスはコツコツと軍靴の歩く音を立てながら坂を上っていく。
だんだんと人通りがよくなり、すれ違う人や開いている店も何軒か見かけた。ここは町の人たちが用意している小さな雪祭りの舞台のようだった。道の端で音楽隊が聞き覚えのある曲をとても勢いよく演奏している。戦時下でもそれに負けない活気がエイジスにも伝わってきてうれしくなった。
音楽隊はチェロやバイオリン、フルートやリュートギターでなじみの音楽を奏でていた。
「いい音だ。」
エイジスは、人だかりが音楽隊のまわりを囲んで輪っかを作っているのに混じると、一曲が終わるたびに大きな拍手をした。歓声や口笛が飛び交う。
音楽隊が演奏するのはどれもこれも知った曲ばかりだったが、逆にそれが町の人の心を癒した。
「この曲は、『我、汝を許そうぞ』だな。」
エイジスは出だしだけで曲名を当てる。
安息の日々を喜ぶ曲に、人々は聴き入った。名曲で、特にチェロのパートがいい。美しいソロが入り、深い旋律が耳に届く。
チェリストも気合いが入ったかのように激しい音を出し、そのあとでゆったりとした心安らぐ音へと変化させていった。これは怒りと悲しみを表しているのだ。その曲調は見事なものだった。許しを表すパートでは音楽隊全員が音を押さえた音を奏でる。決して激しくも静かでもなく、耳に残る印象的なメロディが響いた。
エイジスは、やけどのことでクレオナが負い目を感じて泣いているかつての頃を思い出していた。
あの日、クレオナを無傷で助けた時、エイジスは自分もこの程度で済んだと思っていたが、やさしいクレオナは心に傷を負った。それはエイジスのやけどの痕と同じで一生消えない傷だった。エイジスは自分の妹の無事を喜び、彼女を許した。この『我、汝を許そうぞ』を聴くと、あの頃が脳裏に浮かんだ。
エイジスはクレオナに「生きててよかった」とは何度も言ったが、許しの言葉を言ったことは一度もないことに気づいた。
クレオナが負っていた苦しみは、エイジスの「怒ってないよ」という一言だったことに今、気づいたのだ。
どうして今頃になって気づいたのか。
エイジスはため息をついた。結局のところ、自分は本当の意味でクレオナを救ってはいなかったのだ。
今もクレオナはインデアル帝国学校で必死に勉学に励みながら、その負い目と戦っているに違いない。
エイジスはクレオナの運命を自分が変えてしまったのだと思った。
しかし、時すでに遅しである。
音楽隊の演奏する許しの旋律が耳に響いた。
その時、遠くで飛行機の爆音が聞こえてきた。
演奏がやむ。
低空で飛ぶ巨大な軍用機、味方のクロッカスが町の上を飛んでいた。護衛にレシプロ戦闘機クレマチスが百三十機、町の上を覆う。編隊の大規模な移動が行われているのだ。耳をふさぐほどの轟音が鳴り響いていた。
ノードランド軍との戦いもだんだん激しくなっていく。チェスの駒が動くようにいつもひっきりなしに軍の飛行機や軍艦は移動しているのである。
戦況の悪化を阻止するための作戦だろう。しかし、今は軍にそんな余裕はなかった。ギリギリで戦っているのである。それは国民も感じていることなのだ。
エイジスは人混みの中から出た。
休暇が終われば自分はいったいどこへ配属されるのだろう。これからの戦況によっては飛行訓練の教官ですら前線へ出なければならないだろうことは感じていた。
エイジスは人一倍、飛ぶことを意識していたが、休暇が明ければ冬から春にかけて両軍は溜まったストレスを一気に発散するように大がかりな作戦をどんどん展開していくだろう。自分もその作戦の駒の一人として、戦場へ出ることを再認識した。
鉄道に戻ったエイジスは、すぐに基地へ帰ることにした。帰るには早すぎるかもしれないが、どうせ召集令状が届けば同じことだ。寒い冬を越す間に必ず戦闘は始まる。間に合うならば早いに越したことはない。
戦況を変えるのだ。そのためには休暇などそれほど重要なことではない。今、自分たちは戦争をしているのだ。やらなければならないことはたくさんある。
基地へ戻っても別にいいだろう。
エイジスは親の顔も見ないうちに、さらなる戦いが始まるであろう基地へと戻っていった。




