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63.おかえりを言うために

「はぁー、疲れたわー! れんー! 帰ったわよー!」

 母の声がする。玄関から物音が聞こえる。扉を開ける音と、荷物を置く音。重い荷物があったらしく、フローリングが鈍い音を立てている。


「ただいま。急に留守にして悪かったな」

 父の声がする。相変わらず声は低くて、落ち着いていて、そして口数が少なかった。


 廊下へ出て状況を確認する。時刻は午後八時を過ぎている。外は暗い。廊下の電気を点けて二人の顔を確認する。

 見間違えるはずもない二人の顔。玄関には父と母が立っていた。無断で二週間も家を空けていた、その二人だった。


 安堵と戸惑いと謎の怒りがごちゃ混ぜになって、「おかえり……?」と疑問混じりの言葉が出た。


「どうしたの? そんな驚いた顔しちゃって」

「いや、その……」

「相変わらずはっきりしない子ねぇ。……あら? この靴、友達でも呼んでたの? こんな時間にお客様がいるなんてねぇ……」

 母の言う『この靴』とは、愛華と美華の靴のことだろう。

「それにしても、綺麗にしてるわね。帰ったらまず掃除しなきゃと思っていたけど、杞憂だったかしら?」

「そうだな。蓮、大人になったな」


 俺自体は特に何も変わっていないんだが。

 全て愛華のおかげだし、俺自身はきっかけがなければ何もしなかったはずだ。


「あのさ、二人に話があるんだけど」

「二週間近く留守にしてたんだから、話もあるでしょう。お土産話なら私たちも沢山あるわよ」

 そういうことじゃないんだ。

「積もる話もあるだろうが、いやはや、疲れたものだ。たまにはソファーに横になろう。そうしよう」

 ソファーはすでに占領されているんだ。

「あなたがソファーで寝るのは珍しいわね。ウフフ、じゃあ、まずはお茶でも淹れようかしら」

 お茶はすでに淹れてあるんだ。


「あー、帰って来たって感じね! わが家に!」


 母は居間の扉を開ける。安堵に満ちた笑顔で清々しく言葉を発する。母と愛華たちが相見えるその刹那、カァッと小さく息を吐くのが聞こえた。


「バニラくっさ!」


 ーー両親が留守にしていた二週間あまりの間に、立花家は結構変わっていた。これはそんな話。



 居間のテーブルには俺と愛華、そして母が対面している。

 ソファーには美華が横になっていたが父に場所を譲ったらしく、父はソファーに横になっている。美華はソファーのすぐ近くの床に座り、父の寝顔を眺めている。


「まさか蓮にそんな趣味があったなんて……」と母は狼狽える。そんな趣味とはメイドを雇う趣味らしい。

「深刻に考えないでくれ。利害が一致していたんだ」

「利害の一致? なによそれ?」

「俺は家事はできないが家はある。愛華は家事はできるが家はない。ついでにそこにいる美華も家がない」

「どうも、美華です」

「え、あ、どうも、母です。息子がお世話になりました」

「いえいえ、それほどでも」

「美華はなにもやってないでしょう。……ええと、挨拶が遅れて失礼しました。私は水無月愛華と申します。美華の姉でメイドをしています」

「ご丁寧にありがとうございます、息子の母です」


「簡単に説明するとだな。父さんと母さんが宇宙旅行に行った日、愛華さんと知り合ったんだ。俺は家事とか料理とかできないから困っていたし、愛華さんは行くあてがなくて困っていた。だから協力した。そのあと、愛華の妹がうちを訪ねてきて、三人で一緒に住むことになったんだ。掃除とか洗濯とか料理とか、いろいろ教えてもらいながらこの二週間なんとか生きてきた」

「そういうことだったのね。でも、一人でも生活できたんじゃないの?」

「ADLは高いけどIADLは低いんだ」

「え、なにそれ」

「なんでもない」

「相変わらず分からないことを言う子ね。まあねぇ、蓮が家事できないのは知ってたわよ。出来ないなりになんとか頑張ってくれる子だってお母さん信じてた。……それがなによ、メイドさんって!」

「愛華はたしかにメイドだけど、ある意味ご主人さまでもあるというか」

「ご主人さま? は? なによ、そんなプレイの話なんて、お母さん聞きたくありません! うちの子はそんな子じゃないって信じてたのに!」


「あ、私と蓮さんはそんなんじゃありませんので」と愛華はフォローの言葉を入れる。真顔のままなのが少し悲しい。この二週間では好感度を上げきるのに足りなかったらしい。


「そうなのね。それはそうと、今日までどうやって生活していたの? お金全然足りなかったんじゃない?」

「ああ、そうだな。一緒に暮らすようになってからすぐ、愛華が株で何千万か利益を出して、ここ二週間は愛華に養ってもらっていたんだ」

「それってヒモってことじゃない! メイド萌えのクソマゾブタ野郎でヒモだなんて、どれだけ罪を重ねるのよ!」


「あの、たしかに蓮さんは生活能力のないクソ野郎でしたけど、私が料理を作るときに一緒に手伝ってくれたり、肩揉みや耳かきやマッサージ、お買い物や妹のボディーガードをしてくれていて、その対価として養っていたんです」

「ああ、もう、理解できない。あなた、どういう事なの?」


 母の言葉を受けて父はむくりと体を起こし、そのまま自然な動きで美華の頭に手を置く。何度か頭を撫でては動きを止めつつ、言葉を足していく。


「ふむ……。つまりだな。蓮には愛華さんが必要だったのだ。この点に関しては私も異論はない。家は綺麗だし息子は元気だからな。愛華くんや美華くんには何か事情があったと考えると合点がいく。未成年だけではアパートを借りることはできない。きっと、行くところがない二人を蓮が保護していたんだろう。三人がお互いに尊重しあってこの二週間を過ごしてきたのなら、蓮の選択は良かっただろうし、愛華くんや美華くんにも感謝しなくてはならない。ありがとう」


「ええ、蓮さんはよくやってくれましたよ。フハハッ」と美華は頭を撫でられながら言う。

「美華……すいません、こんな妹で」と愛華は申し訳なさそうに言う。


「いや、楽しそうでなによりだよ。ところで、私は十万ほど置いていこうと提案したんだが、お母さんに一万でいいって言われちゃってね。お金がなかったのは私の押しが弱かったからなんだ。スマン、蓮」

「母さんには勝てないって分かってるからいいよ」

「蓮、大きくなったな……」と感慨深そうに父が呟く。成長を感じるところなのだろうか。


 隣に座る愛華がスッと寄ってくる。

「蓮さんのお父様って何者なんですか?」

「探偵」

「なるほど、道理で……」


 道理で、のあとの言葉が気になる。たしかに物分かりのいい父親ではある。愛華は感心しているというか、むしろ警戒しているような顔つきだ。そんなに警戒しなくてもいいと思うけれど。


「それで、話は変わるんだが……すこし面倒な話をしなければいけないな」と、父さんは切り出した。

「まず、この二週間で発生した金銭のやりとりだが……愛華くんにはメイドとして働いた分の給与を支払わなければならない。それから生活費も」

「それはありがたいです。では、私も美華もここに住んでいたのでその分の家賃を支払います」

「いや、それはもらえないよ」

「何故ですか?」と愛華。

「いろいろ思うところはあるけれど、書面での契約があるわけではないからね。あとで訴えられたら負けちゃうし」

「よく分かりませんが、私たちがお金を払うことでそちらに不利があるなら、無理にとは言えません」


「それで、だ。私の知り合いにマンションを賃貸をしているヤツが居るんだが、愛華くんと美華くんには新しい住まいをなんとか手配するから、そちらに移ってもらえないだろうか? 年頃の男女が同じ屋根の下というのは良くないからね」


 まぁ、そうだよな。

 もともと両親がいないから愛華を雇っていたのだ。両親が帰ってきた今、二人が家にいる必要はない。二人で生活していく事は、この二人なら出来るだろう。その方がいい。


「……分かりました。私も美華も未成年なので、部屋を借りる事が出来なくて困っていたんです。部屋を用意していただけるならそれ以上のことはありません。ね? 美華?」

「うん。私は、まぁ、学校でも蓮さんに会えるし。……でも、お姉ちゃんはそれでいいの? 蓮さんとお喋りしてる時のお姉ちゃん、楽しそうだったよ? お別れしてもいいの?」


 美華の問いかけに、愛華の表情は曇る。何か言いたそうにしているのはなんとなく分かるが、なにが言いたいのかはわからない。


「……お姉ちゃん、お別れには慣れてるから大丈夫よ」


 そう言って、愛華は美華に向けて笑顔を見せる。その笑顔はどこか寂しげに見えた。


 こうして、人生で最も奇妙な二週間は終わった。

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