62.怒りそうになった時には、数秒間目をつむるといいらしい
「告白されちゃった」
立花家に着いて、姉の顔を見て、第一声、美華はそう告げた。
愛華は廊下の拭き掃除をしていた。無言のまま衝撃を受けたらしく、動きがピタリと止まった。
美華に駆け寄ろうと立って見せたが、一瞬躊躇してから歩み寄るのをやめて、雑巾をバケツに入れ片付け始めた。
洗面所から手を洗う音、ガラガラうがいをする音がした。そして、マスクや三角巾、手袋やエプロンを外して、いつものメイド服姿で改めて駆け寄ってきた。
本能のままに行動しそうに見えるが、衛生面に関してだけは徹底している。こいつはそういう奴だった。
その間、俺と美華は玄関扉を閉めたものの、靴を脱ぐタイミングを見失って、玄関ホールで待ちぼうけをくらっていた。
やはりというか、予想以上にというか、愛華は怒りを露わにした。まだ何も喋っちゃいないが、眉間にシワが寄っている。年頃の少女にあるまじき修羅の顔だ。
「ウフフ……おかえりなさい、美華。一応聞くけれど、どんな人だったのかしら?」と愛華は言う。表情の割には理性的だ。
「えっとね、学年で一番格好いい人って噂を聞きました」
「ンフフフ、そうなのね。そーかそーか……」
愛華の視線が、美華から俺へと向けられる。
「蓮さん、告白してきた男はどんな人だったのかしら」
「今、美華から聞いたろ。俺は知らんよ」
嘘だ。本当は知っている。ゴザル口調の村上と一緒にコソコソ隠れながら告白の様子を見守っていた。というか、野次馬が多すぎてコソコソ隠れるもクソもなかった。木を隠すなら森の中というが、隠れるまでもなく紛れていた。
「ふぅん……。蓮さん、あなたはなんのために学校に行っているのかしら」
「勉強のためだが……」
「違うでしょう! 美華が平穏無事に学校生活を送るためでしょう!」
「いや、学生の本分を否定されてもだな。だいたい、学年違うし、四六時中一緒に居られるわけないだろ」
それを聞いて、愛華は考えるそぶりを見せる。『学年なんて飛び越えてくださいよぉ! なんで私の美華が告白なんてされちゃうのよぉ〜っ! ムキー!』てな感じで怒ると思ったが、存外理性的である。
今日の愛華がたまたまそうであるのか、はたまた、元来そういうたちであるのかは、判別のしようがない。たかだか二週間程度同じ家で過ごしているにすぎないからだ。
「蓮さん、あなたの話には矛盾がありますね。……まあ、立ち話もなんですし、まずは居間へどうぞ」
客人じゃあ、ないんだけどな。
居間に通される。香料のバニラ臭が相変わらず鼻につく。扉の近くに荷物を立てかける。美華もそれに倣う。美華と一緒に洗面所に行き、手洗いうがいを済ませる。
居間に戻ると、紅茶の香りがした。バニラの香りと混ざって、なんとも言えず心地よい香りがしている。
「適当に掛けてください」と、愛華は言う。
ここ、俺の家だよな。……まあいいか。
促されるまま椅子を引き腰掛ける。テーブルの上にはお茶請けが用意されている。クッキーは六枚。量と時間を鑑みるに、晩御飯までの時間がティータイムらしい。
三人が席につき、愛華は紅茶を注ぐ。それぞれに行き渡ったところで愛華は口を開いた。
「美華の話を聞く前に、蓮さんの矛盾を指摘しておきましょう」
「はあ、さいですか」
「まず、学年が違うというのは仕方のない事実です。四六時中一緒に居られないという事情もわかります」
「うん」
「しかしながら、告白に限っては話は別です」
「どうして」
「告白は放課後に行われるべき、大事なイベントだからです。授業の合間とか昼休みとか、そういう時間にはしにくいものです。相手も自分も次の時間に授業を控えているのだとすれば、かかる時間が未確定な告白というイベントを放課に先送りしたいというのが人情ってもんです」
……まあ、たしかに。告白なんて滅多にするもんじゃないし、何分かかるかなんて想像もつかない。第一、断られたら悶々とするし、告白が成功しても授業に集中できなくなるだろうし、どっちにしろ上の空になってしまう。
「ということは、蓮さんが挙げた理由は、理由になっていないということです。クラスごとに放課後の時間は違えど、学年が違うという理由で美華のもとに行けなかったというのはおかしいです」
「蓮さんは休み時間までも勉強に捧げている学生の鑑のような方ですから、誰かに用事を頼まれることなんて無いと思います。紅葉さんからそう聞いています」
「つまり、蓮さんは告白されることを知っていて、なおかつそれを見守っていたということですね」
「さらに言うなら、蓮さんが表立って批判しないとなると、告白してきた男子は、思ったよりも好印象だったということです」
「まあ、そうだな」
美華に告白してきたのは、たしかに好青年だった。顔が整っているとか勉強が出来るとか、そういうのに加えて、フレンドリーで優しい雰囲気を醸し出していた。ただ、美華には合わないなと直感で感じた。根拠はない。だから黙っているのだ。
「美華、もう一度聞くわね。……どんな人が告白してきたの?」
俺への尋問かと思いきや、逃げ道を潰した上での美華への圧力だったらしい。美華の本心を聞くためには手段を選ばないよな、こいつ。
「告白してきた人の話の前に。……お姉ちゃんの推理には、一つ、間違いがあります」
美華は言う。俺も愛華も驚きを隠せない。
「間違いって?」
「蓮さんから告白してきた相手の事を聞き出そうとしていたみたいだけど、それは大きな間違いです」と、毅然とした態度をみせる。
「第三者の視点は大事よ。それよりも何が大事だっていうのよ」
「第三者の意見より私がどう思ってるかが一番大事じゃない?」
「それは……そうだけど」
「それに、蓮さんは人嫌いなたちだから、どんな人が相手でもけちをつける決まっているわ。そもそもが間違いなのよ」
「それもそうね! お姉ちゃんが間違ってたわ!」
おい、俺の扱いひどすぎないか。……まぁいいや。紅茶美味しい。
「それで……そうね、告白してきた相手についてお姉ちゃんは知りたいのね」
「そうよ。気になるもの」
「お姉ちゃんって、人から話を聞くよりも自分の目で見て確認したいってひとだよね」
「そうね。人の話ほど当てにならないものったら、ないわね」
「でしょ。そういうと思ってデートの約束を取り付けてきました」
「なっ、デっ、……そう、デートね」
愛華はうろたえながらも、なんとか冷静を保っている。
「……うん、いい方法だと思うわ。少しびっくりしちゃったけど、付き合う前に一回ぐらいデートしておかないとね。相手がどういう人かもわからないしね。必要なのよね」
頭ごなしに否定して姉妹の溝をより深いものにしてしまうと踏んでいたのだが、存外理性的である。
美華は告白してきた相手と付き合おうなんて考えてないんだろうな。なら、なんでデートの約束なんて取り付けたんだろう。
まあ、いいか。
「愛華、お腹すいた」
「じゃあ、一緒に作りましょっか。美華はゆっくりしててね」
「言われなくとも〜」
たまには、上げ膳据え膳でご飯食べたいな。親が帰ってくるまでの辛抱か。いつになったら帰ってくるんだろう。ていうか、本当に宇宙旅行に行ってんのかな。分からないことばかりだ。
台所に行き、手を洗う。冷蔵庫の中身を見て何を作ろうか思案を巡らす。
今日は何を作ろうかな……。




