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52.となり町へ戻ろう!


 帰りの電車に揺られながら、うたた寝をする。

 まぶたの裏は明るくなったり暗くなったりで忙しい。夕焼けに照らされたオフィス街を抜け、のどかな住宅街へと電車は進む。



 ふと、目がさめる。

 薄眼を開けて周りの様子をうかがう。

 藤原も美華も、俺と同じようにうたた寝をしている。美華は藤原の肩を枕代わりに使っている。仲の良い女友達同士が肩を貸しあっているように見える。片方は男だけれども。


 異性に対して苦手意識を持っていた藤原だったが、今日一日でだいぶ慣れたらしい。

 美少女を見ただけでキャーキャー騒ぐ藤原が、美華に肩を貸して一緒に寝ているのだ。あの状況で寝ていられるのはすごいな。


 窓の外へ視線を移す。

 田植えを終えたばかりの水田が広がっている。あんなにも小さい苗が、秋にはたくさんのお米を実らせる。当たり前だけれど、植えないと実らない。農家の人たちには感謝しないとな。



 ……ん? こんな景色、あったっけ?


 電車はガンガン進むが、田畑は絶える事なく広がっている。たまに目にする古びた案山子かかしが、不安な気持ちをより一層強める。



「……ここ、どこだろう……」


 車内にある電光掲示板を見る。次に停まるところは知らない駅名だった。


 乗り過ごした……ということか。


 スマホで時間を確認する。18時18分18秒。おほっ、ちょっとすごい偶然だ。なにか良いことあるといいな。


 って違う! 現在進行形で悪いほうに進行しているんだよ! こういうところになけなしの運を使い果たすんじゃない!


「おい、二人とも起きろ!」

「んにゃぴ……」

「んん〜……ああ、よく寝た……。ひぇっ! びしょうじょぉっ!」

「んがっ、ふじわらうるさい……枕がうごくんじゃないよ……」

「え、あ、うん、ごめんなさい……」


 美華は二度寝するらしい。藤原は極力肩を動かさないように体の半分を硬直させている。そのままの体勢でこちらを見る。


「で、どうかしたの? そろそろ着くの?」

「乗り過ごした」

「へ?」

「だから、みんな寝てて、乗り過ごしたんだよ……」

「そっかー……じゃ、とりあえず次で降りよっか」

「そうだな」


「おい、美華、次で降りるぞ」

「んぐぐ……あと三十分だけ……」

「そうか。じゃあ、一人で終点まで行ってこい。俺と藤原は降りるから、変な男に何かされても知らないからな」


 美華は藤原の肩から頭を離すと、寝ぼけ眼をこちらに向ける。口元にはよだれが垂れており、この中で一番真剣に眠っていたらしい。


「それは嫌だけど、なんか疲れちゃったんだもん。蓮さん、だっこして……」

「いやだよ」

「ええ〜……じゃあ、ふじわらおんぶして」

「え、僕が? 自分で歩いた方が眠気も覚めていいと思うけど」

「それもそうだけど……気力がないっていうかね。むり。おやすみ」


 藤原の肩を枕にするべく、美華の頭が傾いていく。ポトンと音を立てて着地すると、藤原の肩がビクンと震える。


「ひぃっ、また僕が枕にぃ!」

「枕は跳ねない!」

「はい!」


「『はい!』じゃねーよ。枕は跳ねないけどそもそも藤原は枕じゃないだろ」

「ごめん……でも、起こすのもかわいそうだよ」


 藤原は優しいな。その優しさが時として人をダメにする訳だけれど。


「美華、そろそろ降りるから起きろよ」

「いやでーす。ふじわらがおんぶしてくれるもーん」


 完全に甘えん坊状態じゃないか。小学校高学年特有の、何かあった時だけものすごく甘えてくる時のあの感じだ。


「藤原、ガツンと言っていいんだぞ」

「ええ〜……寝起きにガツンと言われるのは僕だったら嫌だなぁ。あとでガツンと言うから、いまは寝かせてあげちゃダメ?」


「しかたないな……。じゃあ、俺が荷物全部持つから、藤原、背中貸してやってくれ」

「ええ、僕が!? 蓮くんの得意分野でしょこういうの」

「俺が触ると怒る奴がいるんだよ」

「ああ、そういうこと。……でもなぁ、美華ちゃんをおんぶするだなんておそれ多いというかなんというか」

「異性に慣れるいい機会だと思うぞ」

「その異性が可愛すぎるから緊張しちゃうんだって……もう、わかったよ……」


 藤原は座席から立つと中腰になり、美華の手を取って自分の首に回し、美華の太腿の間に背中を押しつける。


「れれれ蓮くん!」

「どうした、藤原」

「これ、めっちゃ恥ずかしいよ!」


 声が大きい。取り乱すのは結構だが、他の人への迷惑も考えたほうがいい。そんなレベルの声の大きさだ。


「落ち着けよ」

「落ち着けないよ! 美少女をおんぶだなんて、頭がフットーしそうだよおっっ」

「……お前、すこしだまれ。他の人に迷惑だ」

「……ごめんなさい……」


 藤原は美華が終始ニヤニヤしながら狸寝入りしていることを知らなかった。美華を視界の端で睨みつつ、とりあえず、駅に降り立った。




「無人駅か……」

「そうみたいだね」

「静かでよろしい。おやすみなさい」

「……はい、おやすみ」


 駅の周りに人の気配はない。駅舎の外には田園風景が広がっている。山の麓には雑木林が広がっており、近づいてはいけない不気味さを感じる。

 薄暗い空には数本の線が伸びている。線をたどると古めかしい木の電柱に行き着く。

 木の街灯に取り付けられた温熱電球の光が、一車線分の道路を照らす。

 周囲に民家はなく、街灯の光だけがポツリポツリと灯っている。


 この時間ともなると、やわらかく吹く風ですら冷たい。

 今はまだ周囲の状況を見て取れるが、完全に陽が落ちたなら周囲は闇に包まれるだろう。


 駅舎の中には二車両分の長さのホームと、ペンキのはげたベンチと、おかしな重低音を立てる自動販売機が設置されている。


「田舎、だね」

 藤原が呟く。藤原の背中では美華が寝息を立てている。


「そうだな。あそこに自販機があるから、なにか買ってくるよ。なにがいい?」

「あー、じゃあ、あったかいお茶がいいな」

「りんごジュース」

「お茶とりんごジュースね……」


 美華の野郎、ばっちり起きているじゃないか。ただ甘えたいだけかよ。


 気を取り直して自販機を見る。ところどころ薄汚れており、明かりに引き寄せられた虫どもの死骸が目につく。

 自販機の中に閉じ込められて死んでいった羽虫の死骸が、粉末状になって積もっている。気持ち悪いが、管理する人がたまにしか来ないんだろうし、仕方ないか。

 とはいえ、この自販機、よく見れば当たりつきじゃないか。番号が四つ揃えばあたりでもう一本もらえるが、このタイプは滅多にあたらないんだよな。


 問題は自販機の内容だ。お茶とりんごジュースがあればいいけれど……お、あった。


 『茶』と大きく書かれた350mlのアルミ缶。八十円。安い。

 『青森県産りんご果汁100%』と控えめに書かれ、ねぶた祭りの山車が描かれたスチール缶。二百円。ぼったくりかよ。

 その二つを購入し、ガタンガタンと落下音が鳴る。どちらとも外れた。缶を取り出し、とりあえず地面に立てて置く。


 さて、俺はなにを飲もうかな。なにかスッキリするような、炭酸系の飲み物がいいけれど……。


 パッと目に付いたのは、『ひやしあめ』という缶ジュース。その近くには『売れてます!』という手書きのポップ。

 今まで生きてきた中で断トツの怪しさを誇るパッケージ。黄色を基調とするシンプルなパッケージに、筆で書いたような字で商品名が描かれている。さりげなく付け加えられた『蜂蜜入り』の文字に、なぜか購買意欲をそそられる。


 今、俺が飲みたいのは、サイダーのようなスッキリとした炭酸系の飲み物だ。ピリピリくるなら味のない炭酸水だっていい。


 それを踏まえても、ひやしあめの魔力は凄まじい。いっそのこと、どちらも買ってしまおうか……。


 百円玉を二枚追加投入。落下音が二回。番号が四つ揃って三回目の落下音が鳴る。お釣りを回収し、缶を取り出す。


 ……買ってしまった。ひやしあめ。原材料を見るために裏面を見ると、『あめゆ』と筆で書いたような文字が目につく。

 原材料で目に付いたのは生姜エキス。それから蜂蜜。あとは糖類。シンプルな見た目だが、原材料もシンプルだ。


「はい、お茶」

「あ、ありがとう。わー、シンプルだね、このお茶。『茶』だって。わかりやすいね」

「わかりやすいのが一番だよ。たぶん、普通のお茶だから安心して」

「普通じゃないお茶なんてあるのかな」


「ほら、美華、りんごジュース。二百円もするぼったくり商品だ」

「ありがと。あとで飲むからふじわらもってて……」

「うん。……わあ、このジュース、青森の特産品のやつだよ。ぼったくりじゃなくてこういうものなんだよ、蓮くん」

「そうなの? 青森の特産品が、なんでこんな片田舎に……」


「それで、蓮くんはなに買ったの?」

「ん? ひやしあめ」

「……へ?」

「あめゆ」

「……んん?」


 藤原は怪訝な顔をする。無理もない。聞いたこともない飲み物だもんな。


「これだよ」


 ひやしあめを差し出す。藤原はそれを受け取ると、「ああ、これかぁ」と声を漏らす。


「なんだ、知ってるのか?」

「うん。知ってるよ。これ、関西の方の飲み物なんだよ。こんなところでお目にかかるとは思わなかったなぁ」

「はあ。関西の。どうりで見たことないわけだ」

「普通は取り扱っていないからね。ここを任されている自動販売機の管理人、めずらしい飲み物が好きなんだろうね」

「そうかもな……藤原は飲んだことあるの? ひやしあめ」

「うん、あるよ。あるけれど、味は飲んでみてからのお楽しみだね。軽く振ってから飲むといいよ」

「あっ、そう。じゃあ飲んでみるかな」


 軽く振って中身を攪拌かくはんさせてからプルタブを倒す。

 匂いを嗅いでみると、かすかに生姜の香りがする。一体、どういう味なんだろう。


 おそるおそるすすってみる。ちびり。

 口に広がる生姜の香り。蜂蜜と砂糖の優しい甘さ。生姜の刺激と臭いがしつこく残るが不思議な爽快感がある。それでいて、はじめてニッキ飴を舐めた時のようなショッキングな不味さもある。


「まずい……でも、癖になるな……」

「ふふ、僕もそんな感じだったよ」

「……この味、どこかで飲んだことがあるな……炭酸の抜けたジンジャーエール……?」

「蓮くんってけっこう鋭いよね。ひやしあめの原液を炭酸で割るとね、ジンジャーエールっぽくなるんだよ。関西ではわりと伝統的な飲み物らしいよ」


「へぇー……藤原って物知りだな」

「蓮くんに言われると皮肉に聞こえるね。まあ、不思議なものは調べたくなるからね」

「不思議なものは調べる。物知りになる第一歩だな」



 ひやしあめはいかにも昔の飲み物といった感じであったが、飲めないくらいまずいということはない。しかし、一本飲みきるのには時間がかかりそうだ。


 電車の中でちびちび飲もう。これを飲んでいる限り、眠くなることはないだろうからな。

 思わぬ道草を食ってしまったけれど、素敵な発見があった。あたりで出てきたもう一本のひやしあめは、愛華にプレゼントしてやろう。


 電車が来る頃には辺り一面真っ暗闇だった。車窓からは見えるのは、窓ガラスに反射した自分の顔と、寝息を立てる藤原と美華の顔。性懲りもなく藤原を枕にしているが、そっとしておいてやろう。


 ちびりと広がる不思議な不味さに、穏やかな日常を感じた一日だった。

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