53.このメイドはよく暴走し、それでいて容赦はない
玄関の扉を開けたら愛華が待っていた。
「おかえりなさい……暗くなっても帰ってこないから心配してたのよぉ……ぐすん」
愛華は目尻に涙を溜め込みながら、俺たちの帰宅を今かいまかと待っていてくれたらしい。
「よお、ただいま」
「あら、おかえりなさいませ」
俺に対しては湿っぽい息遣いなんて無い。
こいつが俺の心配なんてするわけないから、言うまでもなく、美華だけに心配をしていたのだろう。
両手に提げた荷物を玄関の上がり框に一旦置く。ビニール袋がガサリと音を立てる。
荷重から解放された腕をクルクルと回す。
主に愛華から頼まれて買い集めた日用品が重かった。藤原の買った服はそんなに重くなかった。
「……あれ? 美華は? そちらの方はどちら様?」
そちらの方とは藤原のことだろう。美華は藤原の背中で寝息を立てているところだ。
「俺の友達なんて、藤原しかいないだろ」
「ああ、例の藤原さん。女性の方だったんですね。蓮さんも隅に置けないですね。紅葉さんという方が居ながら……まったくもう……」
……紅葉の名前を出す必要はあったのかい。
仮に藤原が女だったとしたら、別の女の名前を出すのは話がややこしくなるだけだ。知らない名前だったなら『誰よその人?』ってなるじゃないか。
というかむしろ、愛華の狙いは藤原を焚き付けて話を面倒臭くしたいということなのだろう。ただの嫌がらせじゃないか。
藤原が男でよかったよ。まったくもう。
「あの、僕、男です。藤原達也です。美華さんは寝てます」
「え、男? ……男!? っと、まぁいいや。美華はどこなの?」
……シスコンがまたはじまった。
愛華にとっては驚きよりも美華のことが最重要であり、絶対的なウェイトを占めている。愛華の価値基準は偏り過ぎていて、どこに沸点があるのか分からない。
この間も、美華のすぐ後にトイレを使おうとしたら愛華にキレられたし、洗濯物の下着を畳んだだけで愛華に怒られた。布団を干しても怒られるし、二人掛けソファーに並んで座っても怒られるし、美華のすぐ後にお風呂に入ることは厳重に禁じられている。
この調子なら、美華がおんぶされていることに対しても怒りそうだ。
「どこって、僕の背中です」
藤原と二人で顔を見合わせてから、藤原が答える。愛華は何を言われているか理解できなかったらしく、一呼吸できるほどの間が流れる。やっぱり怒りそうだ。
「……せ? え? せなか? なんですって?」
「俺が頼んだんだよ。俺がおんぶしたら愛華怒るだろ」
「そりゃあそうですけど、だからって何処の馬の骨とも知れない男に美華を預けるだなんて……!」
『馬の骨』とまで言われては、菩薩の藤原も顔をしかめる。こうも罵られては仕方ないといえば仕方がない。
「藤原、言いたいことあるなら言ってもいいんだぞ」
「うん。僕、この人は苦手なタイプだ。感情的なんだもん。……でも、美華さんの姉だから、それ以上は言わないよ」
「意味わかんないんだけど」
藤原が愛華をボロクソに言ってくれることを、俺も美華も期待しているのだけれど。
しかしながら、こちらの期待は伝わることはないのだ。彼には彼なりの信条や哲学があるのだから。
「僕にとっては嫌な奴でも、美華さんにとっては大事なお姉さんなんだから、誰かに悪口を言われているところなんて聞きたくないんじゃないかなーって」
……藤原は優しいな。俺はそんなこと考えたこともなかったよ。愛華の変な行動は美華の前で愛華に指摘するし、気持ち悪ければ気持ち悪いって言ってしまう。第三者がどう思うかなんて考えてもみなかったよ。
この藤原はなんだかかっこよく見える。いつもの情けない口調じゃないからかな。
とはいえ、愛華の反応は薄いものだ。冷たくて鋭い目つきは相変わらずだ。
「ええ、それはご立派な心掛けで。……それで、美華をおんぶして、今どんな気持ちですか? 私の美華の太腿を腕で押さえている時の心情は? 美華の綺麗な腕が首筋を触れる感触は? ……覚悟は、できていますか?」
愛華はふらりと立ち上がると、戦闘態勢をとる。腕を前後に構え、腰を落とし、それとなく間合いを詰める。
「え? すいません、ちょっと意味が分かりかねますが……」
「問答無用です!」
「ひぃっ! 美女が殴りかかってくるぅぅ!」
お、おお! よかった! いつもの情けない藤原だ!
愛華は藤原に殴りかかる。本気の形相をしているが、拳を振る速度はそんなに早くない。慣れないことをしている感じがよく出ている。
「フンッ! フンッ!」
「ひいっ……! お腹を、お腹を二発、三発! あまり痛くはないけど、容赦無く殴ってくる! 容赦がない!」
藤原はキャーキャー騒ぐ。悲鳴をあげつつも冷静に解説する余裕がある。解説する余裕があるなら、避ける努力をしろよ。
とりあえず、愛華の動きを止めよう。
俺から言わせてもらえば、愛華の動きほど止めやすいものはない。
「藤原が倒れたら、美華が怪我するぞ」
「フ……ンッ……!」
……効果は抜群だ。
藤原の腹部に六発目の拳が入る寸前に、愛華はビタリと動きを止めた。
「んがっ……美華を怪我させるわけには……。私としたことが、またカッとなって……」
「……ふう……こわかった……」
「……藤原、解説する余裕があるなら避ける努力をしろよ」
「あー、ごめんね。避けるよりも受け止めようと思って。動き回ったら柱とか壁とかに美華さんをぶつけちゃうかもしれないし、寝てるのを起こすのはかわいそうかなって」
カッコつけてないで避ければいいのに。藤原の行動基準は格好良さにあるのだろうか。自己犠牲もほどほどにしておかないと痛い目をみるぞ。
「蓮くん、美華さんを下ろしたいんだけど、どうすればいい?」藤原が尋ねる。
「んー。リビングにソファーがあるから、そこまで運んでもらおうかな」
「わかった。靴脱ぐから、ちょっと座るね。あ、愛華さん、美華さんの靴脱がせてもらってもいいですか?」
「了解です」と、愛華は感情もなくぽつりと言う。
藤原は上がり框に腰を下ろす。愛華は美華を起こさないように注意しながら靴を脱がせる。
ふと、藤原と愛華の視線が合う。お互いに顔をしかめた後、わかりやすい愛想笑いを浮かべる。
「……ところで、先ほどは失礼しました。水無月愛華と申します」
失礼しましたって言っておきながら、詫びている雰囲気は全く感じない。
「ああ、気にしてませんよ。でも、名前も名乗らずに襲ってきましたし、言われてみれば礼儀知らずですしヒステリックでしたし失礼でしたね。あはは」藤原は笑顔を見せつつ、愛華を煽る。
「……その態度、はっきり申し上げますと気に入りませんが、我が主人の知り合いということですので不問といたします」
「そりゃあどうも……さてと、お邪魔しまーす」
靴を脱ぎ終え、ゆっくりと立つ。
各々、荷物を持ってリビングへ向かう。藤原はソファーの上に美華を降ろす。すかさず愛華が毛布を持ってきて、美華の姿を隠すように広げる。寝顔すら見せたくないらしい。
「じゃ、僕はこれで失礼するね」
ここに長居する気はないらしい。帰らせたい理由はあれど、引き留める理由はない。
お茶を出してもこの様子なら飲んですぐに帰るだろうし、それなら、すんなり帰らせてやった方が良さそうだ。
「あら、もうお帰りになるんですか? ゆっくりしていってくださいよ」
「…………。じゃあね、蓮くん。美華さんによろしくね。お邪魔しました」
藤原のやつ、愛華のことがよほど嫌いなのか無視していきやがった。
まあ、こういうのは当人同士で解決させるべきだし、あまりごちゃごちゃ言うべきではないよな。
玄関に移動し、藤原を見送る。玄関は薄暗く、扉の外には夜の帳が下りる。藤原は玄関に置かれた買い物袋を忘れずに回収してから、靴を履く。
「いろいろありがとな。美華のこと、わざわざ家まで運んでもらって」
「ううん、帰り道の途中だからね」
藤原は一片の曇りもない笑顔を見せてくれる。本当は重かっただろうに、泣き言の一つも言わずに美華をおんぶしてくれたのだ。いいやつだな。
「そうか。ごめんな、お茶の一杯も出してやれなくて」
「大丈夫。また今度ご馳走してね。駅前の喫茶店がいいな。じゃ、また明日学校で」
「ああ、じゃあな」
……さてと。
愛華のやつ、なにを考えているんだろうか。
さっきからずっと、俺と藤原が話をしている最中も、愛華は藤原のことをジトッとした目で見ていた。
藤原はまるで相手にしておらず、愛華のことを一切見ずに帰っていった。
この二人は一体どうしたのだろう。




