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数日後、矢橋は再び上代を呼び出していた。
「俺が悪夢と金縛りに遭いだしてから、花岡が元気になった。あれにはお前が一枚噛んでるだろ?」
花岡の回復と、矢橋の悪夢・金縛り。その分岐点に、矢橋は上代と初めて口をきいていたのだから。
「そうですね。『花岡さんも秋峯さんと同じ被害者ですから、祟るのは止めてあげて下さい』と彼女を説得したのはわたしです。ついでに、『恨むなら矢橋先輩の方でしょう』と助言してあげました」
頭痛がした。――何が助言だ。
「お前な……。もっと違う説得の方法があるだろ? 『あんな男のことは忘れて、とっとと次の恋を見つけましょう』とかさあ!」
「なるほど、そう言うことも出来ましたね。でも、わたしにはとても先輩の悪口なんて言えませんよ」
――『加害者』だと、バッサリ断罪しておいて。どの口がそれを言うか。
「全部、分かっててやったよな?」
「だって、理不尽じゃありません? 一番罪が重いはずの人間だけが何にも知らずにヘラヘラして、あまつさえ被害者をさらに増やそうとしていたんですよ?」
それを言われるともう、矢橋には何も言えなかった。
「一応、わたしも『被害者』の一人だったんですよ、先輩」
そこでようやく気付いた。
『恨むのは矢橋先輩の方でしょう』
あれは、自分が恨まれることの回避と、念晴らしを兼ねた発言だったのだ。
――あ~、実は上代もちょっと傷ついてたんだな。
「悪かったな、上代」
「わたしも二・三発殴った方が良いですかね?」
「……それは勘弁して下さい」
上代に対してだけは未遂とはいえ、低頭平身せずにはいられない矢橋だった。
「とにかくもう、俺はあんな罰ゲームには賛成しない。
友人共にも宣言してきたぞ。真実の愛を探すと決めた、ってな」
「それならピンクのワゴン車に乗って、世界一周でもしてくればいいと思いますよ」
「何でお前まであいつらと同じこと言うんだよ……」
矢橋は、昨日の放課後のことを思い出す。
彼が罰ゲーム反対宣言をすると、阿呆の友人共は、
「オレらはお前があんまりにも鈍いから、お前に気がありそうな女の子を紹介してやってただけじゃん」
などと、のたまった。
――そんなら尚のこと、嘘でも俺に好きだとか言わせたら駄目だろ。
全くどいつもこいつも、もっと他にやり方があるだろうに。そう思う矢橋は、罰ゲームに反対しなかった自分のことは棚に上げていた。
「けど、オレたちもさすがに悪ふざけが過ぎた。反省してる。っつーか、ぶっちゃけ懲り懲りだしな、もう」
友人共の顔には、疲れの色が滲んでいた。
――まさか、こいつらにも何かしたのか? 上代……。
その疑問は、結局怖くて口には出せなかった。その代わり、浮かんだのは別の疑問。
「そういや、なんでヒントが『六条御息所』だったんだ?」
「彼女が――生霊さんの方ですが――ご自分で仰ってたんですよ」
「だいたい、なんで俺が光源氏だったんだろうな?」
「そういう風に見えていたということでしょう。今回の『被害者』達にとっては」
一体自分はどんなふうに見えているのか。矢橋は首を傾げずにはいられなかった。
「ああ、そうだ上代。――ありがとう、な。一応言っとく」
その言葉の真意を問うように、上代が矢橋を見上げた。
「毎晩お前がウチの前まで来ていなければ、俺はとっくに呪い殺されていた……だろ?」
矢橋が夜毎、目にしていた上代の姿は、静謐だった。
本当のことを言えば彼は、最初から上代のことだけは、生霊の正体ではないと信じていた。
彼女を疑おうとする自分がいたことも確かだ。しかし、心の底から疑っている相手だったなら、助けを請うなど決して考えられなかった。あんな得体の知れないものに正面切って挑めるほど、矢橋は勇敢な男ではないからだ――甚だ情けない話ではあるが。
彼は信じられる何かを、彼女に感じ取っていたのだ。理屈ではなく、直感的に。
「わたし、楽しみにしていますよ。先輩がどんな『真実の愛』を見つけられるのか」
去り際、上代は矢橋にそう言った。――ほのかな月明かりのような笑みを浮かべて。
これまで人形のように無表情だった彼女の、初めて見せた人間らしい表情。
それは、初夏の風の匂いと共に鮮やかに焼き付いて、いつまでも矢橋の胸から離れなかった。
源氏物語については、実は私もさほど詳しいわけではないのですが、六条御息所に共感する女性は多いらしいですね。
自分で読み返していて、「月子、ちょっとやりすぎ」と思う時と「花岡・秋峯が苦しんだ時間を思えばこれでは手ぬるい。矢橋は結局何も分かってないんじゃ?」と思う時があります。ここまで読んで下さった方がどう思われたか、気になるところです。
こんなところまで目を通していただいて、ありがとうございました。