第10話 要たるとは
気怠い雰囲気の昼下がり。
スクールバッグを片手に着流しの背中を追い、薄曇りのあぜ道を少し歩いた先に現れたのは、畑の片隅に置かれた茶色の小屋だった。
いや、全面が鉄でできているらしいソレは、小屋と言うより横長の箱と言った方がいいかもしれない。
長い間雨ざらしで置かれているからか、近づいてみればそこかしこに錆が見え、やはり観音開きの扉も相当に重いのだろう。ボツさんが体重をかけて引っ張れば、ギギギと軋みながらその口を開けた。
「建付けの悪い扉が好みなの?」
「まさか。すんなり開いてくれる方がいいに決まってるじゃないですか。ドアでも門でも、人心でもね」
「それ、私への当てつけ?」
「いやいや、そんなつもりはございませんよ。ささ、中へどうぞ。女性の御身には、あんまり居心地のいい場所じゃないかもしれませんが」
意図的に話題を反らされた気がして、どうだか、と僅かに視線を細める。素直で明るい性格でないことくらい、自覚しているのだから。
とはいえ、どうでもいい自虐を引きずったところで、不快感以外に何が生まれる訳でもないため、私は促されるまま、薄汚れた脚立を上って扉を潜った。
「……思っていたより広いのね」
「元々は鉄道貨車ですから。ここも借り部屋ですけど。あぁ、適当にかけてください」
道理で奥行きはさほどもないのに、左右へそれなりに広い訳だと納得する。
促されるまま奥へ入り、古ぼけた木のスツールに腰を下ろす。一方でボツさんは、文字通り倉庫となっているらしい車体の奥をごそごそと漁り、目の前の作業台らしきテーブルに色々と並べていく。
(葉っぱと花のついた木の枝に、鎖のついた容物?)
置物のように座ったまま、よくわからない道具類を眺めていれば、必要な物が揃ったのか、ボツさんは私と直角になる位置へ立ち、これまた年季の入ったテーブルランプのスイッチを引っ張った。
「手前から順に、樒の枝葉と乾いた花弁、青銅の振り香炉、素焼きの土鈴、檀の和紙、その他加工用の道具類やらンなります」
「これが、不思議な力を使うための準備?」
「ザックリ申し上げればそんなとこです。ってのも、屋号にも萬屋と申し上げる通り、俺は師匠筋が道具を作り用いることに特化した系譜でして。難儀なことに、術でも儀式でも結界でも、全部が全部物ありきなんですよ」
「そう言われても、よくわからないのだけど」
解説を聞きながらしげしげと机に並ぶ道具類を眺めてみても、それぞれに繋がりがあるようには思えず、どう使う物かがさっぱりわからない。
とはいえ、相手がオカルトパワーである以上、常人にはわからない方が普通だろう。一旦そう飲み込んでしまえば、私が聞いておかねばならないことは至って単純だった。
「結局、私は何をしたらいいの? いい加減教えてくれない?」
いくら特別だとか可能性だとか呼び水だと言われたところで、自分は何処にでも居るような女子高生に過ぎない。
そんな私が、化物を相手にできることとは一体何か。手を膝に乗せ、背筋を伸ばしてボツさんに向き直れば、彼はいつも通り両の手を袂へ隠しながら真面目な表情を作った。
「では、簡潔に申し上げましょう。無垢神と相対するにあたり、お嬢やんには結界の要としてお力をお貸し頂きたいんです」
「……長くてもいいから、もう少しわかるように説明して。そもそも、結界って何?」
結論から伝えようとしてくれたのかもしれないが、前知識を持たない私にとっては、大事な部分が端折られ過ぎているせいで、理解が一向に深まらない。
結界という言葉自体は、何となくイメージできる。ただそれは、いわゆるフィクションの世界に出てくるバリアー的な何か、という程度のものであり、彼が同じものを指しているかはわからない。
その上、要という新しい言葉が登場したおかげで、疑問はむしろ膨らんだと言った方がいいだろう。
私の向けた半眼に対し、ボツさんはこいつは失礼と笑いながら、指し棒を振るうようにキセルをくるりと回した。
「特別な力が働いている空間、と捉えて頂ければよろしいかと。効能の程はやり方次第、強弱の程は使い手次第と千差万別。単純な防御から、抑制や封印、変性に変質に転移にと、まぁ本当に色々です。この中から目標を封殺に絞れば、準備すべき結界の性質は抑制と封印ってことになる訳だ」
「それと私に何の関係が?」
「大ありですよ。昨夜ご覧になった通り、無垢神はお嬢やんを執拗に追いかけてる。そのお嬢やんを印として据えれば、アレを結界に誘い込むのは難しくない。一旦深みに嵌めちまえば、後は底なし沼に引きずり込まれるが如く、ってね」
掌でパチンとキセルが鳴る。
手慰みから出された音は、これで決着という意味だったのだろう。
ただ、私はその内容に声を落とした。
「結局のところ、私の役目は呼び水なのね」
直接、お前が餌役として必要なのだと教えてくれた分、ボツさんの方が禁域災害対策本部よりも誠実なのだろうとは思う。
それでも、やはりいい気分にはならないものだ。他に何かの役に立てる訳でもなく、解決の糸口を見つけることもできないとわかっているのに。
命を救ってもらった相手に対し、声だけでも随分嫌な態度をとったと思う。しかし、そんな私の言葉にボツさんは焦ることも怒ることもなく、静かに袖口を合わせると、子どもをあやす時のようにしゃがみこんで目線の高さを合わせた。
「そんなチンケなもんじゃありませんよ。先に要と申し上げた通り、お嬢やんにお願いせにゃならんのは、この結界の展開と維持なんですから」
「展開と維持……簡単に言うけど、そんなの普通の人間にできるものなの?」
「どう足掻いてもできないことなら、端から申し上げませんとも。ま、疑わしいお気持ちはお察ししますけど、そこはいっぺんお試しいただければと」
話はあくまで私の納得ありき。心からそう思っているかどうかは別として、少なくとも彼の口はそう言っている。
自分の手へ視線を落とす。そこにあるのはいつもと同じ、火やら水やら光やらが湧き出してくることのない普通の手。
ゆっくりと息を吸って、吐く。
「……わかった。それで、準備って何をすればいいの?」
不安や緊張は当然のこと。けれど、一旦頼ると決めた以上、何に拗ねたところで選ぶ道を変える気は無い。
言い切れば、また彼はニッと歯を見せて笑う。ずっと歳上の男性のはずなのに、何故かその表情は子どものように思えた。
「ではお嬢やん、切紙と染筆なら、どちらがお好きです?」
前に差し出されたのは、黒い鉄の鋏と習字用の小筆。言葉自体の意味が曖昧でも、この2つを差し出されれば言いたい事の想像はつく。
「せんぴつ、というのが字を書くことなら」
「んではそちらを……っとぉ? 墨が切れてるな。予備はどこへ置いたやら」
習字道具入れをひっくり返しても、出てきた黒い塊は硯だけ。これは参ったと、ボツさんはガタガタと引き出しを漁り始める。
最初は手伝おうかとも思った。しかし、こうも物が多いと、何も知らない自分が手を出した所で、余計に引っ掻き回してしまうだけな気がしてならず、結局無言のまま作業机へと向き直り。
(あっ)
ふと目に入ったのは、習字道具から転がり出てきた小筆。それを見ての閃き、と言うのは少し大袈裟かもしれないが、私は一応持ってきたスクールバッグから筆箱を引っ張り出した。
「ねぇこれ、筆ペンでもよければ、持っているけれど」
不思議な力の作法なんて知らないが、問題がないのなら、使い慣れた自分の道具の方がいい。
キョトンとした顔でこちらを振り返ったボツさんに、べっ甲色のそれを見せれば、彼はほぉと感心したような声を漏らした。
「こりゃあまた、学生さんにしちゃあ変わったモンをお持ちですねぇ。何か習い事でもされてらっしゃるんで?」
「別に。小学生の頃、祖母の真似をして少し筆ペンの習字を齧っただけ。これは名残みたいなものよ」
字を書くことは嫌いじゃないと思ってはいるが、別に字が綺麗ということもなく、私は尻すぼみ気味に言葉を濁す。
私がやっているのは、暇つぶし程度の手慰みに過ぎず、本腰を入れて習字を習っている訳じゃないのだから。
しかし、ボツさんは何やら興味深げな様子で私の手にある筆ペンを覗き込むと、ふぅむと言いながら顎を撫でた。
「その割には、随分と大事にされてるようですが。見た感じ、使われ始めて6年ってトコですかね」
「……わかるの?」
「これでも萬屋を名乗ってるモンでして」
そう平然と言い放ったボツさんに、私は改めて筆ペンへ視線を落とす。
祖母から貰ったお気に入り。べっ甲色をしたソレは、そこそこ大切にしていることもあり、一目でわかるような傷や汚れはない。
にも関わらず、彼はピタリと言い当てた。これが当てずっぽうの偶然でないのなら、萬屋とやらの糸目には、一体何が見えているのか。
ただ、どこを見て、と聞くよりも早く、私の前にはペラリと和紙が添えられた。
「愛着のある品のようですし、その方が何かと都合もよろしい。とりあえずはこんな感じで、真ん中にご自身のお名前を願います。まずは30枚ほど」
骨ばった指がくるりと円を描いた紙の中心に、ふむと小さく頷く。
相手がオカルト、あるいは宗教的な何かであるからには、御札のような感じでうねうねと走った文字を書かされるのではと身構えていたのだが、特に書き方の指定はなく、それも自分の名前となれば困ることもない。
筆ペンのキャップを抜いて、先端をそっと和紙の上に落とす。
柚本瑞穂。手が覚えている形のまま筆先を遊ばせれば、インクの黒が意味のある文字を形にしていく。
1枚、2枚、3枚と書いていけば、私の意識もペンを持つ手に集まって。
――その名前って部分に、お嬢やんが何らか特別足りうる切っ掛けがあるのかも知れませんねぇ。
ふと、頭の中でボツさんの声がエコーした。
これまで数えきれないほど書いてきた柚本瑞穂という文字の羅列に、特別な何かがあった事はない。けれど、自称妖怪である2人のモフモフパーツが見えたのは、自己紹介が切っ掛けのような気もする。
そもそも、名前ってなんだろう。
自分を示す文字。いや、もっと大きく見れば、個を切り分けて表すための記号か。どちらにせよ、特別なことなんて何もない、はず。
「俺の見解を言わせてもらうなら、誰かに捧げられた祝いの形であり、その命を己と縛る呪いでもある、ってとこでしょうかね」
「えっ?」
今度は頭の中でなく、耳に届いたボツさんの声にハッとする。見れば、穂の字の終わりがインクで少し滲んでおり、慌ててペン先を離した。
没入していたからだろうか。知らず知らずの内に、私は疑問をそのまま口に出していたらしい。羞恥心から、頬が少し熱くなった。
唯一の救いは、ボツさんも作業をしながらであり、こちらに背を向けていてくれたことだろうか。
一定のリズムでコツコツゴリゴリと鳴る乳鉢の音に、私はどこかホッとしながら和紙を入れ替えた。
「祝いであり、呪い……けど、名前なんて特別なものじゃないでしょう。実際、今までに不思議なことなんて、1度もなかったし」
「しかし、今日はそいつが起こった訳だ。たとえ昨日までなかったとしても、それはそれってモンでしょう。つっても今ンとこは、お嬢やんに関する事はぜぇんぶ、かもしれないって域を出ないんですけど」
可能性ばかりが無限に拡がって、結局答えには至らない話。助けられてからこれまでも、ずっとそうだった気がする。
「私のこと、からかってるだけだったりしない?」
「だとしたら、俺はいたいけな女子高生を捕まえて連れまわしてる、ヤベェ性癖のオッサンってことになっちまいますねぇ」
彼は背中を向けたまま、ヒッヒッと薄気味悪い声を出して肩を揺すった。
しかし、これがまたわざとらしいというかなんというか。胡散臭い感じはナチュラルでも、そこに不気味さを混ぜると、途端に子どもだましな感じに成り下がってしまうらしい。
少しばかり、苛立ちを覚えるくらいには。
「……その方が、ずっと普通っぽい気がするわ」
コトンと音を立て、白い何かが板張りの床へ転がった。棒状であるあたり、多分乳棒だろう。
それを拾いもせず視界の端で眺めていれば、ゆっくりと狐顔がこちらへ振り返ってくる。その眉はしっかりとハの字を描き、唇は富士山型に絞られていて、糸目と視線がぶつかった瞬間、吹き出しそうになるのを必死に我慢しなければならなかった。
「あの、お嬢やん? 自分で言っといてなんですが、できれば否定してもらいたいんですけど」
笑うな笑うな。この人は本気で困っているんだ。仕返しなら、皮肉を効かせたさっきの一言で十分過ぎる。
ぐっと表情筋を強ばらせ、ツンとした真顔を装いながら、それでもなお顔を見続けるのは耐えられそうになく、私は手元へ視線を逃がしながら、小さく口を開いた。
「冗談のつもりだったのだけれど、伝わらなかった? それとも、図星だから慌てている?」
筆ペンを持ち上げながら、しかしその先端を和紙に沿わせようとはしない。こんな状態で字を書こうとすれば、間違いなく手が震えて、自分の名前でもミミズの這ったような形になるに決まってる。
ただ、無意識の変顔さえ見なければ、吹き出す心配はなく、冗談と告げてしまえば、ボツさんは一呼吸置いてから、どへぇと大きなため息をついた。
「脅しとしちゃ一流……ですが、ウケ狙いだとすりゃ三流も良いとこですねぇ」
「先にからかうような事を言ったのは誰?」
「俺が悪ぅござんしたから、そう虐めんでくださいよ。ほい、型抜きしていきますんで、出来上がり分をこちらにくださいな」
バンザイをしてみせるボツさんに、少しばかり罪悪感も覚えながら、書き終えた分の和紙を手渡す。どうやら乳鉢の方は完成しているらしい。
さてここからどうするのか。なんとなく気になって眺めてたところ。彼はハサミを手に取るや、何か思い出したようにこちらへ向き直った。
「さっきの話題から続けてお願いするのは、余計な誤解を生みそうで気が引けるんですが」
「何?」
真面目な口調に体ごと向き直る。
するとボツさんの掌がスルスルと持ち上がり、私の頭を指した所でピタリと止まった。
「そちらのお御髪をば、いくらか頂いても宜しいですかね?」




