恋の理由
真っ白な顔色で帰宅すると、いつもは顰めっ面しか見せない兄が駆け寄ってきて、アデイラはその場に倒れ込んだ。
苛烈なアデイラを厭う兄とこれほど距離が近いのは、婚約前のダンスレッスン以来だ。
「おい? どうし……すごい熱だな!?」
咄嗟に受け止めてくれた兄の声を間近に聞きながら、アデイラはゆっくりと意識を手放した。
何の夢も見ずにひたすら眠り続けたアデイラが目を覚ました時、灯りの加減から夕刻だと知れた。
慌てた侍女が医師と兄を呼び、そこで初めて三日も寝ていたと聞いて、そこまでショックだったのかと少しおかしくなる。
「アデイラ、何かあったのか?」
普段は口も利かない兄が、眉間に皺を寄せながら問う。
嫌いな妹を気遣わねばならないほど、アデイラはひどい顔色で倒れたらしい。
「何もありませんわ」
だから、アデイラは笑った。
兄が自分を嫌っていることなど、もうずっと前から知っている。
両親は、後継ではないアデイラに興味がない。
互いに愛人の家に入り浸り、たまに帰って来ても、兄としか関わらない。
広大な敷地で共に暮らす兄には、蛇蝎のごとく嫌われている。それが、アデイラの家族だった。
一人きりの食事。無表情で判を押したように規則正しい使用人。
両親が帰宅したら、必ず出迎えはするがその後は自室から出てはいけない。兄の婚約者を招く日も、外出禁止。
社交界で過激な言動をすればするほど、アデイラは屋敷で一人きりになり、さらに婚約者に固執した。
家族の前では、ヒステリックに喚いたことはなかった。
クロードに近づく相手さえいなければ、教養も人脈もあるそこそこ出来のいい貴族令嬢なのだ。
「そんなわけないだろう」
兄がさらに問いかけを重ねたが、打ち明けるつもりなどなかった。
クロードの名前を出した途端、また顰めっ面に戻るに決まっている。
そして、まるで穢らわしい醜女を蔑むような顔で、こちらを睥睨するのだ。
アデイラはもうとっくに、家族へのぬくもりなんか諦めている。
兄とは、幼い頃は仲のいい兄妹だった。両親が不在な分、いつも一緒にいた。
けれど、成長し、互いに婚約者ができた頃から、少しずつ距離があいて。
アデイラが婚約者に言い寄る女を排除するたび、兄の視線は温度をなくしていった。
正直、アデイラは今だって悪いことをしたとは思っていない。
人の婚約者にちょっかいをかける羽虫を払うことの、何がそんなにいけないのか。ちっとも理解できない。
ただ、そういう自分を理解できない兄のことは、そういうものなのだと受け入れた。それだけだ。
両親など、夜会で顔を合わせる程度の関わりしかない。期待する余地すらなかった。
「……アデイラ、クロード殿下と何かあったのか」
「いいえ。特に何も」
珍しいこともあるものだ。兄の方から、クロードの話題を出すなんて。
うっすら微笑みながら、それほどひどい状態だったのだなと、アデイラは自己を認識した。
たった、クロードが隣国の王女に見惚れただけ。
それだけのことに、これほど衝撃を受ける自分にこそ、アデイラは驚いていた。
「見舞いの花もない。あの日は、おまえとの茶会ではなかったのか」
クロードから花をもらったことなんかないのに、そんなことを言う。皮肉だろうか。
きっと彼は、アデイラが途中で帰ったことも気づいていないか、ただの癇癪だと思っているに違いない。
────どうして、執着しているのかしら。
ぽつん、浮かんだ問いに、アデイラは狼狽えた。
好きだ好きだと強く思っていて、そこに疑問を覚えたことなど、一度もないのに。
クロードの顔立ちが好き。それは今も変わらない。でも。
家族にすら厭われるアデイラを、王女に焦がれるクロードが振り向くことなど、絶対にない。
ぞわっと、全身に鳥肌が立った。見返りを求めて恋をしてきたわけじゃない。
でも、気持ちを受け止めてすらもらえないなら、どうやって隣にいればいい? 一生、一緒にいるのに。
「お……あの」
「どうした」
いつになく震えてみっともない声に、兄は即座に反応した。
そちらを見る勇気はない。いつだって、兄の冷たい目は好きになれない。
お兄様、とすら、呼ぶ勇気が出ない。
「…………なんでも、ありませんわ」
あまりに動揺して、うまく話せない。口に出せば、また呆れられるかもしれない。
慌てて口を噤んだアデイラに、兄はしばらく黙ってそこにいた。




