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さよなら、婚約者様  作者: 雨傘 はる


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2/8

恋の理由


真っ白な顔色で帰宅すると、いつもは顰めっ面しか見せない兄が駆け寄ってきて、アデイラはその場に倒れ込んだ。

苛烈なアデイラを厭う兄とこれほど距離が近いのは、婚約前のダンスレッスン以来だ。


「おい? どうし……すごい熱だな!?」


咄嗟に受け止めてくれた兄の声を間近に聞きながら、アデイラはゆっくりと意識を手放した。








何の夢も見ずにひたすら眠り続けたアデイラが目を覚ました時、灯りの加減から夕刻だと知れた。

慌てた侍女が医師と兄を呼び、そこで初めて三日も寝ていたと聞いて、そこまでショックだったのかと少しおかしくなる。


「アデイラ、何かあったのか?」


普段は口も利かない兄が、眉間に皺を寄せながら問う。

嫌いな妹を気遣わねばならないほど、アデイラはひどい顔色で倒れたらしい。


「何もありませんわ」


だから、アデイラは笑った。

兄が自分を嫌っていることなど、もうずっと前から知っている。


両親は、後継ではないアデイラに興味がない。

互いに愛人の家に入り浸り、たまに帰って来ても、兄としか関わらない。

広大な敷地で共に暮らす兄には、蛇蝎のごとく嫌われている。それが、アデイラの家族だった。


一人きりの食事。無表情で判を押したように規則正しい使用人。

両親が帰宅したら、必ず出迎えはするがその後は自室から出てはいけない。兄の婚約者を招く日も、外出禁止。

社交界で過激な言動をすればするほど、アデイラは屋敷で一人きりになり、さらに婚約者に固執した。


家族の前では、ヒステリックに喚いたことはなかった。

クロードに近づく相手さえいなければ、教養も人脈もあるそこそこ出来のいい貴族令嬢なのだ。


「そんなわけないだろう」


兄がさらに問いかけを重ねたが、打ち明けるつもりなどなかった。


クロードの名前を出した途端、また顰めっ面に戻るに決まっている。

そして、まるで穢らわしい醜女を蔑むような顔で、こちらを睥睨するのだ。


アデイラはもうとっくに、家族へのぬくもりなんか諦めている。

兄とは、幼い頃は仲のいい兄妹だった。両親が不在な分、いつも一緒にいた。


けれど、成長し、互いに婚約者ができた頃から、少しずつ距離があいて。

アデイラが婚約者に言い寄る女を排除するたび、兄の視線は温度をなくしていった。


正直、アデイラは今だって悪いことをしたとは思っていない。

人の婚約者にちょっかいをかける羽虫を払うことの、何がそんなにいけないのか。ちっとも理解できない。


ただ、そういう自分を理解できない兄のことは、そういうものなのだと受け入れた。それだけだ。

両親など、夜会で顔を合わせる程度の関わりしかない。期待する余地すらなかった。


「……アデイラ、クロード殿下と何かあったのか」


「いいえ。特に何も」


珍しいこともあるものだ。兄の方から、クロードの話題を出すなんて。

うっすら微笑みながら、それほどひどい状態だったのだなと、アデイラは自己を認識した。


たった、クロードが隣国の王女に見惚れただけ。

それだけのことに、これほど衝撃を受ける自分にこそ、アデイラは驚いていた。


「見舞いの花もない。あの日は、おまえとの茶会ではなかったのか」


クロードから花をもらったことなんかないのに、そんなことを言う。皮肉だろうか。

きっと彼は、アデイラが途中で帰ったことも気づいていないか、ただの癇癪だと思っているに違いない。


────どうして、執着しているのかしら。


ぽつん、浮かんだ問いに、アデイラは狼狽えた。

好きだ好きだと強く思っていて、そこに疑問を覚えたことなど、一度もないのに。


クロードの顔立ちが好き。それは今も変わらない。でも。

家族にすら厭われるアデイラを、王女に焦がれるクロードが振り向くことなど、絶対にない。


ぞわっと、全身に鳥肌が立った。見返りを求めて恋をしてきたわけじゃない。

でも、気持ちを受け止めてすらもらえないなら、どうやって隣にいればいい? 一生、一緒にいるのに。


「お……あの」


「どうした」


いつになく震えてみっともない声に、兄は即座に反応した。

そちらを見る勇気はない。いつだって、兄の冷たい目は好きになれない。


お兄様、とすら、呼ぶ勇気が出ない。


「…………なんでも、ありませんわ」


あまりに動揺して、うまく話せない。口に出せば、また呆れられるかもしれない。

慌てて口を噤んだアデイラに、兄はしばらく黙ってそこにいた。




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