視線の先には
よろしくお願いします。
アデイラ・デミトリアスは、婚約者を溺愛する公爵令嬢である。
王弟の子であるクロードとの婚約は、五年前に遡る。
婚約が公表されて以来、アデイラは彼と他の女性が近づくことを極端に嫌い、あらゆる手段で排除してきた。
雑談を交わした令嬢を噴水に落としたこともあるし、クロードが腕を貸した令嬢のお茶に嘔吐剤を盛ったことも、ダンスを踊った令嬢のドレスを破ったこともある。
隠れた嫌がらせが主流の社交界で、アデイラは逃げも隠れもせず派手に立ち回る。
それは話題性があり、相手への攻撃性と同時に、アデイラへの瑕疵にもなった。
アデイラ自身、スタイル抜群の美女である。
加えて、醜聞を厭わない苛烈さと、周囲を黙らせるだけの権力を持っているため、わざわざ敵に回そうという者は激減した。
かといって、二人は親しい様子を見せるわけでもないため、アデイラの一方的な恋慕というのが社交界での認識だった。
実際、クロードからの手紙や贈り物は、ほとんどない。
夜会へのエスコートはしても、会場入りするとすぐにクロードは紳士たちとの交流に向かい、アデイラを放置する。
ダンスを踊ることも、談笑することもない。
二人の婚約は、アデイラがクロードの容姿を気に入ったため、というのが主流の噂だ。
事実かどうかなど、周囲には関係のないこと。もしかしたら、クロード自身もそう認識しているのかもしれない。
実際は、二人の父同士が幼馴染の親友であったため、息子を案じたクロードの父から申し出たものだ。
家格的にも年齢的にも、彼女以上の適任がいなかったため、本人たちの意思は除外されて決定した。
とはいえ、アデイラが婚約者の容姿を気に入ったのは事実。
彼女は最初から前のめりにアプローチしていたが、クロードの方は一切の興味を示さなかった。
執着心が強く、物事の好みがはっきりしており、口も行動も強いアデイラ。
基本的に物静かで、言葉も少なく至って穏やかなクロードとの相性は、いいとは言えなかった。
アデイラが好きなのはクロードの見目だ。
もちろん中身も好ましいが、寡黙な相手に言葉を尽くすより、見目を鑑賞する方を好んでいた。
クロードも、派手に立ち回るアデイラを諌めたり拒否するでもない。
ただ、ひたすら無関心を貫いていた。
「……ああ。そういうこと」
ガツンと額を殴られたような衝撃に、呻きながらアデイラは震える声を漏らした。
隣には、愛しいクロードの端正な横顔。
見ている者の胸が軋むような切なさと、焦がれてやまない哀れな憧憬とが複雑に入り交じる淡灰色の瞳を、為す術もなく眺めた。
彼の視線の先にいるのは、隣国から留学してきた王女殿下。
王族たちとは幼い頃から交流があり、現在は王宮に部屋を与えられ、社交界や王宮で学ぶ愛らしい姫君である。
ふわっと柔らかいのに、賢く頭の回転が早く、どこへ行っても場の中心になる。
アデイラは、挨拶程度しか交わしたことがないが。
ただ、既婚者である王太子以外の王子や、傍系の王族との婚姻が目的では、という噂は最初からあった。
年頃の姫が留学する理由など、たいてい婚姻相手を探すためだ。
クロードには自分がいるからと、今までは気にも留めていなかった。けれど。
ぐらっと揺れた視界に足をふらつかせるも、クロードは気づかない。
婚約してこれまで、クロードがどれほど無関心でも、こんなに動揺したことはない。
それはたぶん、素っ気ないながらも、彼によそ見をする素振りがなかったから。
────殿下には、想い人がいたのだわ……。
これまでは、目の前にいなかっただけで。
もしかしたら、ずっと昔からそうで、だからアデイラとの婚約も受け入れがたかったのかもしれない。
なぜだろう。こんな時、怒り狂って無理やり視線をこちらに向けさせるのが、アデイラだったのに。
ひたすら胸が痛んで、どうにも身体が動かない。
「……そう、なのね」
これが、恐怖か。恐れなのか。今までのアデイラが、誰にも何にも感じたことのない。
まさかクロードに与えられる最初のものがそれだとは、想像だにしなかった。
たとえ歪んでいても、間違いなく最愛と呼べるはずの男から、アデイラは初めて目を背けた。




