第50話「完璧なマクロ経済政策」
【Side: Mia】
エリザベート様が高台に立ち、恐ろしい演説を始めた時、私は背後で血の気が引くのを感じた。
(ぜ、税率八割!? 流通の独占!? パンがなければお菓子を食べろ!?)
なんてことを言うの!?
いくら悪役令嬢でも、それは一線を越えている。領民の生活を脅かす暴言。民衆の怒りが爆発すれば、暴動が起きてもおかしくない。彼女はわざと民衆を煽り、自分にヘイトを向けさせようとしているのだ。
(させない! 飛んでくる石もトマトも、私が全部シールドで弾き落とす!)
私はいつでも防御魔法を発動できるよう、杖を強く握りしめた。広場は静まり返っている。暴風雨の前の静けさだ。農民たちの怒りが頂点に達し、今まさに爆発しようとしている──。
……はずだった。
「……うぅっ」
「おおお……」
広場のあちこちから、声が聞こえ始めた。それは、怒号ではなかった。すすり泣く声だ。
「え?」
私は目を疑った。農民たちは怒りに震えているのではなく、感極まって涙を流し、エリザベート様を拝むように手を合わせているのだ。さっき「パンがなくなってしまう」と言った女の子でさえ、目をキラキラさせてエリザベート様を見上げている。
「ど、どういうこと……?」
私は近くにいた初老の村長に、小声で尋ねた。
「あの、皆さん、怒っていないのですか? 税率八割なんて……」
すると村長は、涙をハンカチで拭いながら、私に信じられない事実を告げた。
「聖女様、ご存知ないのですか? エリザベートお嬢様は、ああしてわざと悪ぶっておられますが……実はこの春、お嬢様のポケットマネーで、村を流れる川に立派な『治水堤防』を作ってくださったのです。おかげで今年は、例年の五倍という大豊作が約束されております」
「五倍の豊作……! でも、それなら逆に小麦が余って値崩れ(豊作貧乏)を起こすのでは……?」
平民出身の私でも、それくらいの経済の基本は分かる。
「おっしゃる通りです。各農家が市場に小麦を溢れさせれば、単価は暴落し、我々は豊作なのに首を括ることになっていたでしょう」
村長は深く頷いた。
「そこで、お嬢様は『税率八割』を打ち出されたのです。つまり、市場に出回るはずの過剰な小麦を、公爵家がごっそりと『現物徴収』してくださる。これにより、市場の小麦の価格は見事に維持されるのです!(※第一次産業の保護)」
私は愕然とした。「税」という名の、公爵家による価格調整(買い上げ)システム!
「で、でも、徴収された八割の小麦はどうするんですか? 農民の皆さんの食べる分は……」
「そこで、先ほどの『お菓子を食べればいい』というお言葉に繋がるのです」
村長が指差した先には、村のはずれに最近建てられたという、巨大な水車と魔力オーブンを備えた立派な加工場(パン屋)があった。
「お嬢様は、徴収した大量の小麦をあの加工場で、日持ちする軍用・輸出用の『硬焼き菓子』として付加価値をつけ、高値で売り捌くのです。あの加工場ができたことで、農閑期の農民や次男三男に新たな雇用が生まれました!(※第二次産業の創出)」
「ひえっ……」
「さらに! 先ほどの『私が指定した商人にしか卸さない』というお言葉!」
村長の興奮は最高潮に達していた。
「あれは王都の巨大商会による中抜きを防ぎ、我々地元の小さな商業ギルドにのみ『専売権』を与えてくださったということです! おかげで馬車引きや仲買人の仕事が激増し、さらに商品を買い付けに来る外部の商人たちのために、村の宿屋や酒場も連日満員の大繁盛なのです!(※第三次産業の振興)」
(な、なんという完璧なマクロ経済政策……!)
私は頭を抱えた。エリザベート様は、悪役として「搾取し、独占し、私腹を肥やす」悪の専売制を敷いたつもりなのだろう。
しかし、その実態は「第一次(農業の価格統制)、第二次(加工による雇用創出)、第三次(地元商人の保護とサービス業の振興)」という、全ての産業を網羅し村を経済特区へと押し上げる、非の打ち所がない名君の所業だったのだ。
「ですから、『パンがなければ、私が作った保存食(お菓子)を安く配給してやるからそれを食べなさい』という、ツンデレ領主様なりの最大限の慈悲なのです……! ああ、一生ついていきます、エリザベート様!」
村長が、わあっと声を上げて泣き崩れた。それに同調するように、広場の領民たちから割れんばかりの拍手と歓声が巻き起こった。私は、高台で目を閉じ、両手を広げて「さあ、トマトを投げなさい!」というポーズで待ち構えているエリザベート様を見上げた。
(……ごめんなさい、お姉様。貴女の元に飛んでくるのは、トマトじゃなくて、万雷の拍手と感謝の花束みたいです)
私は杖を下ろし、そっと拍手を始めた。彼女の「私腹を肥やす悪の計画」は、またしても彼女自身の「前世の論理的思考(有能さ)」によって、完璧な善政へとすり替わってしまったのだった。
エリザベートの悪徳演説を聞いた農民たちの反応は……まさかの「感動の涙」と「万雷の拍手」!
なんと彼女が打ち出した悪の政策は、事前に自腹で作った治水堤防(大豊作)と組み合わさることで、「第一次産業の保護」「第二次産業の創出」「第三次産業の振興」を網羅した、完璧なマクロ経済政策(経済特区化)として機能していたのです。
「パンがなければお菓子を食べろ」=「私が作った保存食を安く配給してあげる」という究極のツンデレ翻訳まで飛び出し、悪徳領主は一瞬にして名君へとクラスチェンジ! トマトの代わりに感謝の花束が飛んできそうです。
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