第13話
既に何度か告げた通り、人魚族というのは物を所有するという概念が薄い種族だ。
勿論、その理由としては主な生活域が深い海の底であることが挙げられる。
何かを作るということにはとことん向かない環境だし、何も作れなければ所有することも出来ないというのは道理だろう。
人魚族には建築という概念もないし、家と呼べるような建物だって存在しない。
かろうじて棲家という言葉はあるものの、別に建物を建てて棲んでいるわけではなく、単純に大まかな場所を自分の棲む場所だと主張しているだけのことに過ぎない。
種族全体がそんな感じだし、人魚族の集落には人魚族以外が棲むことも来訪することもまずないため、集落といっても見た目は他の海底と大して変わりはしない。
私達の種族は、そうやって何百年も変わらぬ生活を続けている。
いや、続けていたというべきか。
「こんなもんかな」
『……どう考えてもやり過ぎだと思いますよ』
みんなが寝静まった夜半、目の前にそびえ立つ半透明の城を見上げながら呟いた言葉に、リーンが呆れたように返事をくれた。
Ψ Ψ Ψ
事の発端は長の地位と共にお父さんから引き継がれた水のオーブだった。
その宝玉がクラーケンを引き寄せてしまった恐れがあるため、元のほら穴にそのまま隠しておくわけにはいかなくなり、長として私が預かることになってしまったのだ。
当然私としてはそんな危険物を持ちたくなかったのだが、奪われると古の邪神が復活するかも知れないと言われてしまえば放置も出来ない。
ハッキリ言って、呪いのアイテムよりも性質が悪かった。
しかし、そうした時に次に問題となるのはその置き場だ。
掌大よりも大きいそれを、常に持っているのは難しい。両手が塞がってしまうし、不用心だ。
かと言って、家に置いておくというわけにもいかない。家と言ったってただの岩場の近くのスペースでしかないわけだし、その辺に放置しているのと大差ないことになってしまう。やっぱり不用心だ。
そんなこんなで色々と考えた結果、私はこの水のオーブを安置するための建物を立てる必要に迫られた。
が、建物を建てるといっても「どうやって?」となる。
人魚族の中にそんなことが出来る人物は居ないし、かと言って他の種族から連れてこようにも深海まで来るのは難しい。まず来てくれないだろう。
大体にして建物を建てるには当然材料が要るわけだが、こんな海の底でどうしろというのか。
木など生えていないし、コンクリートもレンガもあるわけがない。
岩なら沢山あるけれど、それを切り出す方法がなかった。
いや、切り出すだけなら【水鋼】の鉾でも出来るかも知れないけれど、建材に出来そうな形に正確に切り出す技術がないというべきか──。
「あれ?」
『どうしたのですか、フィリエス?』
「いや、今何か引っ掛かったような……」
何か重要なことを思い付きかけたような、そんな感覚に捉われた私はもう一度自分の思考を思い返してみる。
私の経験上、こういう時は自分の直感を信じることが正解に繋がることが多い。
海底に木など生えていないから木造建築は出来ない──これはその通り、疑う余地もない。
コンクリートもレンガもあるわけがない──もしかしたらこの世界でも陸上にはそういう技術があるかも知れないけれど、少なくともそれを大量に仕入れて海底まで運ぶのは現実的じゃない。
【水鋼】の鉾で岩を切り出すのも素人には無理──そもそも、建築という行為自体が素人には無理難題……ん? 【水鋼】?
「ああああああーーーーッ!?」
『きゃあ!? フィ、フィリエス? 突然どうしたのですか?』
私が自分の思い付きに思わず叫び声をあげると、リーンが驚いて悲鳴を上げる。
しかし、今の私はそんな彼女に構っている余裕もなかった。
「そうだよ、【水鋼】があるじゃん。
というか、何で今まで思い付かなかったんだろう……」
『フィリエス?』
私は自身の間抜けっぷりに頭を押さえながら、家から少し離れた平らな場所へと泳ぐ。
『フィリエス、こんなところで何をするつもりですか?』
「いいからいいから、ちょっと見ててよ」
『?』
「Pulchra profunda maris──
たゆたう水よ、鋼となりてその姿を永久に留めよ 【水鋼】」
私が右手を翳しながら呪文を詠唱すると、手の先で【水鋼】が形成される。
人魚族が扱う水の精霊魔法の中でもポピュラーな中位魔法、【水鋼】。
大抵の人達は三叉の鉾の形状を好んで生成するが、イメージ次第で他の形にすることも可能だ。
先日クラーケンが襲撃してきた時なども、私はこの魔法で壁を作って対処を使用としていた。
そう、イメージによって形作ることが出来るのだ。この魔法は。
加えて、一度創り上げた【水鋼】は周囲に水がある限り魔力を消費することなく維持することが可能とくれば、もうこのためにあるとしか思えない魔法だ。
『これは……かまくら?』
「雪じゃないけれどね。
初めてにしては上手くいったと思わない?」
私が今【水鋼】で作り上げたのは、人が数人入れそうなドーム状の家だ。
【水鋼】で出来ているために半透明であり、見辛いものの外から中の様子を見ることが出来てしまう。
プライバシーという点では少々欠点がある素材だけれど、フルオープンで覗き見放題の人魚族の棲家と比べれば格段の差があると胸を張ってもいいだろう。
『張る程ないと思いますが……なるほど、確かにこれは使えそうですね』
「そうでしょう?
イメージ出来れば複雑な形も作れるし、わざわざ建てなくても最初から建物の形に出来るよ。
ああもう、なんでもっと早く思い付かなかったんだろう」
リーンが何かボソッと呟いていたようだが、聞き取れなかったのでスルーすることにしておいた。
そんなことよりも、今はこの思い付きの方が重要だ。
まったく、どうしてこれまでこんな身近にあったものの利用方法を思い付けなかったのか。
この世界で人魚族として生まれてン十年、もっと早く気付いていれば色々と生活環境を改善出来たと思うのに。
シースルーで中が透けて見える仕様でも、何も無いよりは全然マシだ。
【水鋼】が魔力消費なしに維持されるのは周囲に水があることが前提だけど、海中で使う分にはその問題はないも同然だし。
「まぁ、いいや。今更言っても仕方ないし。
それよりも、この方法なら魔力が切れない限り幾らでも建物を建てることが出来る。
さっそく、オーブを置く為の建物を建ててみよう」
『え? 先程建てたこのかまくら?はその為の物ではないのですか?』
「これは練習だよ。
流石にこんなものじゃオーブを守ることなんて出来ないし。
これじゃ、その辺に転がしているのと大差ないでしょう?」
不思議そうにするリーンに、私は試しに水のオーブを先程作ったかまくらもどきの中に設置してみる。
一応周囲を【水鋼】に覆われているものの入口から手を伸ばせば取れてしまうし、外から透けて見えているから心許ない。
やはり、このままでは安心して安置出来るとは言い難いだろう。
『それでは、どんなものを建てるのですか?』
「えーと、そうだね……。
よし、決めた!」
私は一つ気合いを入れると、過去最高の魔力を籠めて【水鋼】の詠唱を始めた。
Ψ Ψ Ψ
『まったく、貴女はいきなり城など建てて……。
夜の内に突然こんなものが出来たら、明日目覚めた人魚族がパニックに陥るのでは?』
「う"……」
ついついテンションが上がって築き上げてしまった『城』を前に、リーンが呆れたように説教をしてくる。
考えてなかったことを突っ込まれ、私は思わず口籠るしかなかった。
「そ、それは後でちゃんとみんなに説明するよ。
それよりどうかな、このマーメイド城。
オーブを守るのには十分だとは思わない?」
『安直な名前ですね。
まぁ、仮にも城塞ですし防衛力はありそうです……と言いたいところですが、
よく見ると外側だけで中がスカスカじゃないですか?』
「し、仕方ないでしょう?
イメージ出来たのが外側だけなんだから」
イメージすれば形作ることが出来るとはいえ、私は前世でも建築に明るかったわけではない。
勿論、城の内部構造なんてものも分かる筈がなかった。そして、分からないものはイメージも出来ない。
結果的に出来上がったのは、外側だけ城に見えるハリボテ城。
とはいえ、全体が【水鋼】で構成されている以上は強度は決して低くはない筈だけど。
「内部はこれから少しずつ整えていくよ」
『まぁ、やるのは貴女ですし別に構いませんが……』
城の内部構造なんて知らないけれど、中から必要な部屋を区切っていくことは出来る。
取り敢えず、今は外側だけでも十分。
そうやってリーンの追及を誤魔化した私はハリボテ城……じゃなかった、マーメイド城の中に入ると中央にもう一度【水鋼】を作り出し、台座を形作ってオーブを安置した。
「これでよし、と」
まだまだ整えるところは多いけれど、一先ずオーブの置き場所については解決した。
とはいえ、城だけあったとしても防衛力としては底辺のままだ。
建築における【水鋼】の有用性に気付いた以上、再びクラーケンが襲撃してきた場合に備えて色々と建てていきたい。
勿論、私一人では魔法の行使にも限界があるから、他の人達にも手伝って貰う必要がある。
が、それもこれも……。
「ふわぁ……流石に眠いから後は明日にしよう」
『そうですね、おやすみなさい』
「うん、おやすみ」
作ったばっかりのマーメイド城の中で、私は眠りに就いた。
翌朝、起き出してきたみんなが突然出来た城にどんな反応を示すかなど、頭からすっかり抜け落ちたまま……。