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僕はキース・キングスコート大佐が嫌いだ。
嫌いだと言ったら、嫌いだ。大、大、大嫌いだ。
ヤツの顔を思い浮かべるだけで、虫酢が走る、悪寒が走る。コイツと同じ空間に居て、同じ空気を吸っていると思うだけで、恐怖が走る。
何が、パヴァリア侯国の救国の英雄様だ! 気にくわないったら、ありゃしない。ヤツの隠されている真実を知れば、誰もが嫌悪する相手なのに。
僕は分析する。
シュヴァーベン発動機株式会社の誇るアクティー・ハイブリッド車の最高級グレード8クラス。その豪華な革張りの後部座席に座るその本人。ヤツの額の部分を、バックミラー越しに睨みつけながら考える。
抜群の記憶力と計算高さを有している脳味噌を収納する頭蓋骨に沿った少し広い額だ。僕の射るような視線に気が付いたのか、軍人とは思えぬほどの端整な顔を、僕の表情を確認するかのようにミラーに向けて来た。映画俳優のようなハンサムな彼は今、何を考えているのだろうか?
慌てて目線を落とす僕。何でも無いように、車のセンターコンソールのハイブリッド用ディスプレイに目をやる。作動中のハイブリッドの機能、燃料の消費量、バッテリーへの充電の状況などの画面情報を頭に無理矢理叩き込む。後部座席の主人への邪な思考を悟られない様に、召使いの僕は液晶画面のメーターの動きを注視する。
平坦で直線の道なので、運転手のやることは少ない。流石は世界の自動車工業界をリードするシュヴァーベン発動機株式会社だ。やがては、開発中の自動運転装置が本格導入されて、僕の運転中の仕事も無くなるのだろうか。
今は安定した車の走行を心がける。エンジンの回転数を一定にする為に、右脚を乗せたアクセルペダルへの力の入れ方に苦心する程度だ。軽く踏み込んだまま、そのまま足の位置を固定させる。むしろ、森の中の道なので、道路に飛び出してくる動物の方に注意を払わなくてはならない。リスやキツネなどの小動物は勿論だが、大型の角鹿の出現には、細心の注意を払わなくてはならない。衝突すれば、鹿は勿論の事、車の方も大破は免れないからだ。これも、障害物自動判別装置の採用が決まれば、車搭載のコンピューターで緊急ブレーキを作動させてくれるはずだ。
視線をバックミラーに戻す。キース大佐は、顔を右の窓側に向け車外の風景を眺めていた。車の両外に続くのは、古代から人間の手によって植林されてきた針葉樹の黒い森だ。樹齢二百年以上で直径二メートル以上もある大木が、延々と続き、距離感と時間感覚を狂わせてくる。
――ああ、映画で見た風景だ。モノクロームの記録映画。暗い暗い陰鬱な作品。
黒い森にまつわる暗い歴史。それを綴った映画だった。ハイスクール時代の思い出。多感な年頃の脳裏に刻まれた悪夢。
僕は嫌な過去の記憶を振り払うように、頭を揺する。そうして、漫然と前方を見る。昼なお暗い道なので、車幅灯が自動でオンになった。そのまま走らせる。現在は晴れているからよいが、少しでも曇るか夕刻になれば、ヘッドライトを点灯しなければ安全に走れない道だ。
車の方で明るさを判別し、ライトを自動点灯する仕組みになっている。実に賢い車なのだ。
立派に舗装された広い道ではある。センターラインはないが、大型車が余裕ですれ違えられるゆったりとした道幅がある。これは、戦争が生み出した産物なのだ。道路横の所々に大きな切り株が見受けられる。大量の兵員や、大型の兵器を陸上輸送するために大急ぎで作られた道路の証明でもある。一説ではジェット戦闘機が離着陸できるとの話もあった。確かに、平坦で凹凸の少ない真っ直ぐのこの道には、滑走路であると感じさせる説得力を持っている。
僕は分析する。
いわくのある黒い森。過去には悲劇的な事件もあった。それが、人々の侵入を拒んでいるのだ。人では無い者がたくさん住む古い黒い森。
――エルフ。
祖母から聞かされた神話、おとぎ話、創作話。
その超自然的存在を確信できるかのような、歴史有る深い森だった。同時に、トロールや、ドワーフも住み着く禍々しい土地。動物たちと共に、この森に住むのは人間ではない存在なのだ。
「もうすぐ、森を抜けます」
「ああ」
僕の言葉に、キース大佐は感慨もなく、ただただ声を発しただけだった。彼は腕時計に目を移すと、軍服の胸ポケットに入れていた黒革の手帳を取りだし、ページをめくり中身を確認していた。
急に視界が開け、周囲が明るくなる。僕は左手で車幅灯のスイッチをオフにして、アクセルを緩める。目的地までは直ぐそこだ。
僕の視線の先には、太陽光を反射している物体が見える。この森から湧き出た水が湧水池を作り出しているのだ。今の時間は、その池の表面が太陽光を受けて煌めいている。
池を中心点として、周囲二百メートルの木々は綺麗に伐採されていた。元々は森の管理者が住んだ土地だった。今は、森の妖精がただ一人暮らす場所なのだ。
僕はゆっくりとブレーキを踏む。ハイブリッドシステムが、停止時の回生エネルギーを電気に変換させてバッテリーに充電させる。そのコンソールの表示を満足そうに見つめる僕だった。いつの間にか、燃料の消費を抑え、燃費の良い走りを心がける事が運転の主目的になっていた。
惰性で、タイヤホイールを転がしていく。この時点では内燃機関は停止し、電気モーターのみで駆動している。ほとんど無音走行のはずだ。
これは、この場所をねぐらにする妖精さんを驚かせない為の配慮だ。ユルユルと車は進み、池に掛けられた木製のアーチ橋へと突入していく。タイヤが丸太の上を越えて行くとガタガタとうるさい音を立てるが、これは致し方無いことだった。車は、やがて木造の粗末なログハウスの横に停車する。
「到着しました」
「ああ」
「いつもの時間、十六時に迎えに来ます」
「ああ、お願いするよ。ヨハン・フェルゼンシュタイン少尉」
キース大佐は目を通していた手帳を左手で閉じ、それを左胸ポケットに収めた後に、自分で後部左ドアを開ける。革製のシートの上で体を滑らせて、長い左足を車外に出していた。
彼はゆっくりと地面に立つと、ドアを自分で閉じる。重厚なる音がした。これが、最高級グレードたる証だ。僕の所有する大衆向けの車とは、作りからして違うのだ。搭乗者を守る強固な作り。軍が彼専用に用意した車。彼の給与だけでの購入は難しいはず。軍が彼を特別扱いしている証明の品だ。
そうして彼は小屋の方向に大股で三歩進み、立ち止まる。差し込む太陽光に、腕時計の文字盤に埋め込まれた太陽電池を向けるかのような仕草で、時間を確認している。池の横にあるのは半径二十メートルほどの楕円形の草むらだ。元は芝生が植えてあったのだろうが、雑草がその場所を侵蝕し、池の側には背の高い花がたくさん咲いていた。白く小さなこの花は、小屋の主人を思わせる様に、清楚だが生命力溢れる姿であった。
その中心地点に、金髪碧眼の長身の美男子が立っているのだった。
実に絵になる男だった。軍服の広報宣伝のモデルと言っても良い。いや、映画スターのような華やかさがそこにはある。クララクララちゃんがティンカー・ベルならば、彼はスパロウマンなのだ。
僕は車のデジタル表示を確認して、車体を転回させる。こんな風景など、長くは見ていたくはないからだ。
元来た道に戻る。池に架かる橋を乗り越えるために、アクセルをやや強く踏む。そうしてバックミラーを見ると、キース大佐が小屋のドアをノックする場面であった。
僕は、ハンドルに軽く乗せた左腕の時計に目を移す。時刻は、十四時ピッタリであった。実に彼らしい性格だ。
今回で五回目の訪問の日である。
ドアを開ける金髪のエルフ。そこには、人間に対して警戒心など無い、無邪気な子供のような笑顔があった。僕はバックミラーから視線が外せずにいたが、ハンドルを真っ直ぐ持ったまま、アクセルを強く踏み込む。あっという間に時速80キロに達していた。
再び、悪霊の多く住む黒い森に舞い戻るのであった。
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