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弟ばかり可愛がる家族を捨てたら、腹黒な侯爵令息に囲い込まれました  作者: あずきまんま


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第5話_自分で選べること

 家を出てから、もうすぐ二年が経とうとしていた。


 エステラは二十歳の誕生日を間近に控えていた。


 監査部門は七人に増え、グレイヴァン商会の各支店を定期的に回るようになった。


 仕事は相変わらず忙しい。


 セヴランとの関係も続いている。


 彼は相変わらず腹黒かった。


「この出張、僕も行きます」


「必要ありません」


「西部支店の責任者と話があります」


「昨日までそんな予定ありませんでしたよね」


「今できました」


「嘘」


「証拠は?」


「もうその手には乗りません」


 部下たちが笑いを堪えている。


 エステラは書類でセヴランを追い払った。


 仕事が終わるころ、受付から来客を告げられた。


 ノエルだった。


 十四歳になった弟は、二年前よりずいぶん背が伸びていた。


「姉上」


「久しぶりね」


「うん」


 少し緊張している。


「学院はどう?」


「まあまあ。勉強は大変だけど」


「そう。困ったことがあったら言いなさい」


「うん、ありがとう」


 ノエルは商会の中を見回した。


「姉上、本当にここで偉い人なんだね」


「偉くはないわ。責任があるだけ」


「父上が、姉上は数字にうるさいって」


「何それ」


「褒めてたよ、多分」


「多分なの?」


 二人で笑った。


 弟とこうして話せる日が来るとは、家を出たころには思っていなかった。


「姉上」


「何?」


「僕、ずっと謝りたかったんだ」


 思いがけない言葉に、エステラは弟を見た。


「何を?」


「父上も母上も、僕のことばっかりだっただろ。姉上が家を出てから、母上に昔のことを聞いたんだ」


「……そう」


「僕、何も知らなかった」


「あなたは子どもだったもの」


「姉上だって子どもだったじゃん」


 エステラは言葉を失った。


 ノエルは俯いた。


「僕が悪かったわけじゃないって、母上にも言われた。でも、姉上がずっと我慢してたのに、僕は何も気づかなかったから」


「それをあなたの責任にするつもりはないわ」


「うん。でも、謝りたかった」


 エステラは少し迷ってから、弟の頭へ手を伸ばした。


 もう子どものころのようには撫でられないほど背が高い。


「分かった。聞いたわ」


 ノエルは照れたように笑った。


「今度、姉上の仕事を見せてよ」


「帳簿ばかりよ」


「それでも」


「いいわ。暇な日にね」


「やった」


 そのとき、背後から声がした。


「随分楽しそうですね」


 セヴランだった。


「セヴラン様」


「こちらが弟君?」


「ノエルです」


 弟が慌てて礼をする。


 セヴランは穏やかに挨拶したあと、なぜかエステラの隣に立った。


 近い。


「何です?」


「何も」


「仕事は?」


「終わりました」


「私のは終わってません」


「待ちます」


 ノエルが二人を交互に見る。


「姉上、この人って」


「上司」


「だけですか?」


「今は勤務中だから上司」


 セヴランが小さく笑った。


「勤務後は?」


「黙っていてください」


「はい」


 素直なのが余計に腹立たしい。


 ノエルは何か察したらしく、にやにやし始めた。


「帰りなさい」


「まだ来たばっかり!」


「じゃあ、その顔をやめなさい」


「姉上、昔より怖くなったね」


「誰のせいだと思ってるの」


「僕?」


「違う」


 横を見る。


 セヴランが笑っている。


「僕ですか?」


「半分くらい」


「光栄ですね」


 やはり反省はない。


     ◇


 その年の二十歳の誕生日。


 エステラは朝、自分の部屋で目を覚ました。


 窓辺には朝日が差し込んでいる。


 今日は休みを取っていた。


 昼前、母から小さな包みが届いた。


 中には淡い青色のスカーフと手紙。


『誕生日おめでとう。


 あなたの好きな色が青だと、去年ノエルから聞きました。


 今まで知らなくてごめんなさい。


 気に入らなければ使わなくていいからね。』


 エステラはしばらく手紙を見た。


 好きな色。


 そんな小さなことを、母は知らなかった。


 けれど今は、知ろうとしている。


 すぐに昔と同じ家族へ戻れるわけではない。


 戻りたいとも思わない。


 それでも、以前とは違う関係を作ることはできるのかもしれない。


 スカーフを首に巻いてみた。


 悪くない。


 午後、扉が叩かれた。


 開ける前に誰か分かっていた。


「お誕生日おめでとうございます」


 セヴランが立っていた。


 手には小さな箱。


「ありがとうございます」


「入っても?」


「どうぞ」


 部屋へ招く。


「何ですか、それ」


「贈り物」


「高価なものは受け取りませんよ」


「知っています」


 箱を開ける。


 中に入っていたのは、銀色の細いペンだった。


「ペン?」


「あなた、ずっと同じものを使っているでしょう」


「よく見ていますね」


「見ていますから」


 さらりと言う。


 昔なら、その言葉を重く感じたかもしれない。


 今は少しだけ頬が熱くなる。


「高くないですか?」


「普通です」


「あなたの普通は信用できません」


「領収書を見ます?」


「見せてください」


「冗談です」


「今、怪しい顔しましたね」


 箱を取り上げようとすると、セヴランが笑いながら避けた。


「本当に常識的な値段ですよ」


「なら受け取ります」


「どうぞ」


 ペンを手に取る。


 重さも太さもちょうどいい。


「ありがとう、セヴラン」


 名前を呼ぶと、彼が止まった。


「もう一度」


「嫌です」


「今呼んだでしょう」


「一回で十分です」


「誕生日なのはあなたなのに、僕への贈り物みたいだ」


「大げさ」


 セヴランは笑った。


 それから、少しだけ緊張した顔になる。


「エステラ」


「何?」


「来年の誕生日も、その次も、できれば一緒に祝いたいんですが」


「それは求婚?」


「まだ違います」


「まだ?」


「あなたが仕事を辞める必要も、家へ入る必要もない形を整えてから言います」


 エステラは瞬いた。


 侯爵家の次男とはいえ、結婚となれば簡単ではない。


 貴族社会では妻に求められる役割もある。


「そこまで考えてるの?」


「腹黒ですから。準備なしで勝負はしません」


「自分で言うんだ」


「あなたが毎回言うので、慣れました」


 エステラは笑った。


「では、整ったら聞きます」


「予約していい?」


「何を?」


「返事」


「駄目です」


「やっぱり?」


「そのとき私が決めます」


 セヴランは少し残念そうな顔をしたあと、頷いた。


「それでこそですね」


 エステラは新しいペンを箱へ戻した。


 十八歳の誕生日。


 家族は忘れていた。


 あの日、自分のために用意されたものは何もなかった。


 けれど、それを悲しいだけの日にはしたくなかった。


 あの日に家を出たから、仕事を得た。


 自分で選んだ部屋で暮らし、自分で稼いだ金を使い、自分で付き合う人を決められるようになった。


 家族との距離も、自分で決めた。


 弟とは少しずつ姉弟になり直している。


 母とは手紙を交わしている。


 父とはまだ遠い。


 それも今は構わない。


「ところで」


 セヴランが言った。


「夕食、予約しています」


「私に聞かずに?」


「三軒」


「三軒?」


「あなたが選べるように」


 エステラは呆れて彼を見る。


「全部断ったら?」


「泣きます」


「嘘ですね」


「ばれました?」


「もう二年の付き合いですから」


「では、どこがいいです?」


 三軒の店名を聞く。


 一つは肉料理。


 一つは魚料理。


 もう一つは、エステラが以前から行ってみたいと言っていた小さな店だった。


「最後のところ」


「承知しました」


「最初からそこへ誘えばいいのに」


「選ぶのはあなたでしょう?」


 エステラは少しだけ目を見開いた。


 セヴランは何でも先回りする。


 策を巡らせる。


 都合のいいように道を作ることもある。


 けれど、最後に選ぶ権利だけは渡してくる。


 それが彼なりのやり方なのだろう。


「行きましょう」


「はい」


 玄関を出る前、鏡に映った青いスカーフが目に入った。


 母からの贈り物。


 手にはセヴランからもらったペンの箱。


 どちらも、自分が受け取ると決めたものだ。


 弟ばかり可愛がられる家で育った。


 長い間、自分は誰かに選ばれる側ではないと思っていた。


 けれど本当に必要だったのは、誰かに選んでもらうことではなかったのかもしれない。


 どこで暮らすか。


 何を仕事にするか。


 誰と会うか。


 誰を許すか。


 誰の手を取るか。


 自分で選べること。


 それが、エステラの欲しかったものだった。


「エステラ?」


 廊下の先でセヴランが振り返る。


「置いていきますよ」


「私の誕生日なのに?」


「では待ちます」


 すぐに立ち止まる。


 エステラは笑って、その隣へ歩いていった。


 もう、誰かの後ろで順番を待つ必要はない。


 これからの人生で一番大切にする人間を、エステラは自分で決めている。


 それはまず、自分自身だった。


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