第9話 【あの人】
第9話 【あの人】
深夜零時。
グリーンヒルズなごみ。
施設長室の灯りだけがついていた。
佐久間誠は机の引き出しから古いファイルを取り出す。
表紙には何も書かれていない。
しかし中身を知る者は少ない。
五年前。
なごみ最大の事故。
利用者転倒事故。
佐久間はゆっくりページを開いた。
八十六歳女性。
夜間離床。
転倒。
頭部打撲。
救急搬送。
急性硬膜下血腫。
死亡。
家族は納得しなかった。
「見守り義務違反だ。」
「施設の責任だ。」
訴訟になった。
新聞記事。
地域ニュース。
ネット記事。
「高齢者施設で死亡事故」
職員募集は止まった。
入居相談も止まった。
一年後。
定員八十名。
入居者五十二名。
経営は崩壊寸前だった。
当時の施設長は辞任。
管理職も退職。
職員も大量離職。
残ったのは、
現場で働いていた数人だけだった。
佐久間もその一人だった。
だから知っている。
事故が一つの施設を殺すことを。
その時。
ノック。
「失礼します。」
大森だった。
佐久間はファイルを閉じる。
「どうした。」
大森は言いにくそうだった。
「佐藤です。」
「またか。」
「山下明美の件を調べています。」
沈黙。
佐久間は窓の外を見た。
「・・・やめさせろ。」
「はい。」
だが大森は動かない。
「何かあるか?」
大森は迷った。
そして。
「施設長。」
「なんだ。」
「佐藤は悪い子じゃありません。」
佐久間は苦笑した。
「知ってる。よく頑張っている、真面目でいい子だ。」
大森は無言だ
「・・・。」
「山下も、そうだったよな。」
その言葉に、
大森は黙った。
五年前。
山下明美も同じだった。
利用者第一。
事故の再発防止。
記録の適正化。
正しいことばかり言っていた。
そして、
現場をかき回した。
検討会。
報告書。
行政相談。
職員は疲弊した。
「また会議か。」
「また報告書か。」
「現場知らないくせに。」
そう言われ続けた。
結果。
退職。
佐久間は低い声で言う。
「理想は施設を守らない。」
「・・・。」
「施設が潰れたら利用者はどうなる?」
大森は答えられない。
「家族は利用者を引き取れるのか?」
「・・・。」
「他施設に入れるのか?」
「・・・。」
「違うだろ。」
佐久間は疲れた目で言った。
「俺は事故を隠したいんじゃない。」
「施設を潰したくないんだ。」
その言葉は本心だった。
同じ頃。
榊は山下から届いたショートメッセージを見ていた。
【会うなら施設の外】
【記録は残さないでください】
【誰にも言わないで】
最後の一文。
【あの人はまだ気付いていないはずだから】
榊の視線が止まる。
気付いていない。
つまり山下は、
今も誰かに見つかることを恐れている。
五年経った今でも。
そして榊は直感する。
問題は田中義雄の死亡事故じゃない。
もっと前から始まっている。
グリーンヒルズなごみには、
まだ掘り返されていない事故がある。
その頃。
美月は夜勤記録を入力していた。
ふと、
田中の死亡前一週間の記録を開く。
そこで手が止まった。
ある日の巡視記録。
【02:00 訪室 異常なし】
【03:00 訪室 異常なし】
【04:00 訪室 異常なし】
記録者。
山下明美。
日付。
五年前の転倒死亡事故前夜。
美月の背筋に冷たいものが走る。
同じ書式。
同じ記録。
まるで、
誰かがテンプレートをコピーしたような記録だった。




