第22話 【まだその時じゃない】
春子の状態説明が行われた。
施設相談室。
小さな机。
向かいには浩一。
そして。
大森と相談員。
空気が重い。
誰も最初の言葉を選べない。
大森が口を開く。
「お母様の状態ですが・・・」
言葉を選ぶ。
「徐々に食事量が低下しています。」
「・・・。」
「体重も減少しています。」
「・・・。」
「誤嚥のリスクも高くなっています。」
浩一は黙って聞いていた。
分かっている。
そんな顔だった。
ずっと分かっていた。
認めたくなかっただけで。
「あとどれくらいですか。」
大森の言葉が止まる。
介護施設職員が一番嫌いな質問。
誰にも分からないから。
明日かもしれない。
半年後かもしれない。
一年後かもしれない。
だから。
「分かりません。」
それしか言えない。
浩一は頷いた。
静かに。
「そうですよね。」
そして笑った。
無理やり。
「すみません。」
「変なこと聞いて。」
大森は胸が痛んだ。
この笑顔を知っている。
何百人も見てきた。
家族が覚悟を始める時の顔。
説明会終了後。
浩一は車に戻った。
エンジンをかけない。
動けない。
ハンドルを握る。
力が入らない。
「あとどれくらいですか。」
自分で言った言葉。
答えなんてないことは分かっていた。
でも聞きたかった。
奇跡みたいな答えを。
「まだ何年も大丈夫ですよ」
そんな言葉を。
聞きたかっただけだった。
一方。
施設。
美月は春子の部屋にいた。
夕食。
スプーン一杯。
二杯。
三杯。
そこで止まる。
春子は首を振った。
「もういい。」
「もう少し食べませんか。」
春子は微笑む。
「お腹いっぱい。」
違う。
美月には分かる。
食べられないのだ。
その時。
春子が聞いた。
「あなた、お母さんいる?」
突然だった。
「います。」
「元気?」
美月は少し考える。
先月会っただろうか。
電話はいつした。
思い出せない。
「たぶん・・・元気です。」
春子は笑う。
「会っときな。」
「・・・。」
「親はね。」
「急にいなくなるから。」
美月は言葉を失った。
利用者から。
看取られる側から。
そんなことを言われるとは思わなかった。
その夜。
休憩室。
西田がコーヒーを飲んでいた。
退職まであと数日。
「美月。」
「はい。」
「親元気か。」
また同じ質問。
「たぶん。」
西田は苦笑した。
「みんなそう言う。」
「・・・。」
「介護職ってさ。」
窓の外を見る。
「家族に後悔してる人間ばっかり見てるんだよ。」
「・・・。」
「もっと会えば良かった。」
「もっと話せば良かった。」
「もっと早く来れば良かった。」
「毎月聞く。」
静かな声だった。
「なのに。」
「・・・。」
「俺らも親に会わない。」
美月は苦笑する。
笑えなかった。
その通りだったから。
深夜。
施設長室。
大森は母親の写真を見ていた。
七十八歳。
一人暮らし。
実家は遠方。
最後に会ったのは。
いつだろう。
三か月前。
いや。
半年か。
思い出せない。
携帯を開く。
着信履歴。
母。
二週間前。
折り返していない。
理由は覚えている。
夜勤明けだった。
疲れていた。
後でかけようと思った。
忘れた。
大森は携帯を握る。
今からかけようか。
でも。
こんな時間だ。
明日にしよう。
そう思った。
そして。
ふと止まる。
今まで何度もそう思った。
明日。
来週。
落ち着いたら。
その繰り返しだった。
大森は震える指で電話をかけた。
数回の呼び出し音。
そして。
母が出る。
「もしもし?」
聞き慣れた声。
その瞬間。
なぜか胸が締め付けられた。
「どうしたの?」
大森は答えられない。
しばらく黙る。
そして。
ようやく言った。
「いや・・・」
「声聞きたくなっただけ。」
電話の向こうで。
母が笑った。
その笑い声を聞きながら。
大森は窓の外を見た。
春子の部屋の灯りが見える。
そして。
なぜか嫌な予感がした。
理由は分からない。
ただ。
長年現場にいる人間だけが持つ、
説明できない感覚だった。




