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第五話【見えない傷】

虐待描写が含まれます。

苦手な方、トラウマがある方はご注意下さい。

 夕陽が街並みを茜色に染める頃、繁華街の雑踏に一人の女が紛れていた。

 目的もなく、ただ足の向くまま歩を進める彼女の表情は、どこか虚ろで遠い。

 人波に揉まれながら歩いていると、前方から駆けてくる二人の少年と出くわした。避ける間もなく、女は年下らしい少年と正面からぶつかってしまう。

「うわあっ!」

 少年は勢いよく尻もちをついた。女は一瞬振り返ったものの、何事もなかったかのようにそのまま歩き去っていく。

「あいたっ!」

 地面に座り込んだ少年が痛そうに呟く。すぐに兄らしい少年が駆け寄ってきた。

「理人、大丈夫か?」

 兄は優しげな声で弟を気遣い、手を差し伸べる。理人と呼ばれた少年はその手を取り、よろよろと立ち上がった。

「うん、僕は大丈夫だよ」

 理人は膝についた埃を払いながら答える。しかし兄の方は納得がいかないようだった。

「それなら良かった。ったく、なんだあのおばさん。ぶつかったのに謝りもしねえ」

 兄は女が消えていった方角を睨みつける。その険しい表情を見て、理人も同じように視線を向けた。

 だが、女の姿はもうどこにもない。夕暮れの人込みに紛れ、オレンジ色の光の中に吸い込まれるように消えていた。

 街の喧騒だけが、そこに残された。


 夜九時を過ぎた頃、部屋を包む静寂の中で、明日香は居間の低いテーブルに向かって勉強していた。

 期末テストまであと僅か。ロスト救出の任務でいつ呼び出されるか分からない身では、こうして落ち着いて勉強できる時間は貴重だった。

 沙夜はもう寝室で眠りについている。居間には教科書のページをめくる音と、シャープペンシルが紙を滑る小さな音だけが響いていた。

 その静寂を破ったのは、玄関のドアががちゃがちゃと鳴る音だった。

「母さんかな……?」

 しかし時計を見ると、まだ九時過ぎ。明日香の母親は昼夜逆転の生活を送っており、普段なら既に仕事をしている時間のはずだった。明日香の胸に嫌な予感がよぎる。

 鍵が開く音に続いて、がちゃりとドアが開いた。現れた明日香の母、白崎麻美しらさき・あさみの姿は明らかに普段とは違っていた。髪は乱れ、歩き方もふらつき、目には血走ったような異様な光が宿っていた。まるで何かに憑かれたような、明日香の知る母親とは別人のような姿だった。

「母さん……?」

 明日香の呟きが聞こえた瞬間、麻美が振り返る。そして何の前触れもなく、突然殴りかかってきた。

 突然の出来事に明日香は反応が遅れ、麻美の右手が頬を打った。よろけながらも咄嗟に足を踏み込んで体勢を立て直したが、明日香の心は混乱していた。

「ちょっと、待って! 母さん、落ち着いて!」

「なんで……なんでなの……なんでいつも私ばっかり……」

 麻美の声は涙声に変わっていた。しかし手は止まらない。明日香を押し倒すと、馬乗りになって殴り続ける。振り乱された髪が顔全体を覆い、表情は見えない。

「母さん、やめて! お願いだから!」

 明日香は腕で顔を庇いながら、必死に母親をなだめようとした。しかし麻美の拳は容赦なく降り続ける。

 その時、襖が静かな音を立てて少しだけ開いた。

「お姉ちゃん……どうしたの……?」

 眠そうに目を擦りながら現れた沙夜を見た瞬間、麻美の目つきが変わった。血眼になって沙夜を睨みつけ、今度は沙夜に向かって手を上げようとする。

「駄目!」

 咄嗟に明日香は麻美の腕を掴み、羽交い締めにした。

「母さん、やめて! 沙夜、こっちに来ちゃ駄目!」

「なに……どうしたの、お姉ちゃん……お母さん……?」

 状況を理解できず、顔を強ばらせる沙夜。明日香は必死に叫んだ。

「とにかく来ちゃ駄目! トイレに行って鍵をかけて! 早く!」

 沙夜は明日香の剣幕に驚き、慌てて部屋から飛び出すとトイレに駆け込んだ。がちゃりと鍵がかかる音が聞こえる。

 ほっとした明日香だったが、腕の中で暴れる麻美を何とかしなければならない。どこかで見た知識を思い出し、麻美の腕を後ろ手に回すと、首に手刀を落とした。数秒後、麻美の体から力が抜け、意識を失って明日香の腕の中にもたれかかった。

「はあ……はあ……」

 息を切らせながら、明日香は状況を整理しようとした。普段の麻美なら、どれだけ仕事でストレスを溜めていても、決して子どもに手を上げることはなかった。

 ここ数年、母親らしいことといえば食費をテーブルに置いておくくらいで、会話もほとんどなかったが、それでも最低限の一線は越えなかった。

 今夜の母親は明らかに異常だった。何かが彼女を変えてしまったのだ。

 隣の部屋から一回、鈍く鋭い音が響いた。騒ぎに気付いた隣人が壁を叩いたらしい。これ以上騒ぎを大きくするわけにはいかない。

 意識を失った麻美を寝室まで運び、布団に寝かせてから、明日香はトイレのドアをノックした。

「沙夜、もう出てきていいよ」

 がちゃりとドアが開き、沙夜が飛び出してきて明日香に抱きついた。明日香の胸の部分にじわりと水が広がる。

「お姉ちゃん……沙夜、怖かった……」

「そうだよね、怖い思いをさせてごめんね」

 明日香は沙夜の背中を優しく撫でながら慰めた。しかし沙夜は明日香に抱きつきながらも首を横に振る。

「違う……違うの……お母さんが怖いんじゃないの……お姉ちゃんが怪我するのが怖いの……!」

 胸の中で泣きじゃくる沙夜の頭を、明日香はそっと撫で続けた。今夜のような事が再び起これば、今度は自分だけでは沙夜を守りきれないかもしれない。今の家はもう安全ではない。

「……明日、学校終わったら飛渡さんの所に行こう。学校から帰ったら着替えとかまとめてすぐに。良いね?」

「……分かった」

「分かったら沙夜はもう寝な。居間に掛け布団と枕持ってくるから」

 沙夜の素直な返事に、明日香は少しだけほっとした。今夜は沙夜のそばで眠ろう。一人にはできない。

 沙夜を寝かしつけた後、明日香は薄暗い居間で一人、今夜の出来事を振り返っていた。母親に何が起こったのか、明日また同じことが起こらないという保証はあるのか。

 不安と疑問が頭の中を駆け巡る中、時計の針は止まることなく、夜の時間を指している。

 長い夜は、まだ始まったばかりだった。


* * *


 夕方の薄暗いオレンジ色の光が、DSI東京本部のガラス張りの入り口を染めていた。自動ドアが滑らかに開くと、受付カウンターにいた女性が顔を上げる。

「あら、今日はどうしたの?」

 突然の訪問に、受付の女性は少し驚いたような表情を見せた。明日香の隣には沙夜が少し大きめのリュックを背負って立っている。

「その……飛渡さんにお話があって。今、お時間は大丈夫でしょうか?」

 明日香の声はどこか遠慮がちだった。受付の女性は何かを察したように表情を和らげると、受話器を取って内線をかけた。短い会話の後、受話器を置く。

「ちょうど会議が終わったところみたい。休憩室で待っていてほしいって」

「ありがとうございます」

 明日香は軽く会釈をすると、沙夜の手を優しく引いて奥へと向かった。受付の女性は、いつもとは違う二人の様子を心配そうに見送っていた。


 白い壁に囲まれた休憩室で、明日香と沙夜は隣り合って座っていた。沙夜は膝の上で小さな手を握り合わせ、時折明日香の顔を不安そうに見上げる。明日香もどこか神妙な表情を浮かべていた。

 数分後、ドアが開いて章吾が入ってきた。

「明日香、どうしたんだ?」

 章吾が入った瞬間、部屋の空気が張りつめているのを感じ取った。いつもならすぐに挨拶をする明日香が、今日は視線を伏せたまま座っている。沙夜も普段の人懐っこい笑顔はなく、緊張した面持ちだった。

 何か普通ではない――章吾の直感がそう告げていた。

 章吾は明日香の正面に座ると、静かに問いかけた。

「何があったんだ?」

 明日香の伏せていた視線が微かに揺れる。迷うように指先が動き、唇がわずかに震えた。しかし短く息を吸った後、決意を込めるように顔を上げる。

「いきなりで申し訳ないのですが……お願いがあります」

 明日香の声は少し震えていたが、意志の強さを感じさせた。

「しばらくの間、沙夜を預かっていただけませんか?」

 その言葉に章吾は思考が止まった。一体何が起こったというのだろう。

 その時、休憩室のドアが開いて誠司が顔を覗かせた。

「あれ、明日香。なんでいるの?」

 今日はロストの報告も特にないはずだし、明日香が本部に来る予定はなかった。誠司の疑問は当然だった。

 しかし章吾は誠司の問いには答えず、静かに立ち上がって誠司を見つめた。

「誠司、少し沙夜のことを見ていてくれないか。父さん、明日香と話があるから」

 誠司は部屋の緊張した空気を察知したのだろう。訝しみながらも頷いたのを確認すると、章吾は明日香を促して休憩室を後にした。


 DSI本部長室のドアが静かに閉まると、章吾は明日香にソファに座るよう促した。夕日が窓から差し込み、部屋を温かいオレンジ色に染めている。

「それで、何があったんだ?」

 章吾の優しい声に背中を押されるように、明日香は昨夜の出来事を話し始めた。母親の突然の帰宅、異常な行動、暴力、そして沙夜への危険。一つ一つ丁寧に、しかし淡々と語る明日香の話を、章吾は眉をひそめながら聞いていた。

「それは……辛い思いをしたね」

 章吾の声には深い同情が込められていた。しかし明日香は首を振る。

「私は良いんです。ただ、母に何があったのか分からない状況で、もし沙夜に母の矛先が向いた時の事を考えると……今の私じゃ、沙夜を守れないから」

 拳を握りしめ、俯く明日香の肩に、章吾はそっと手を置いた。

「分かった。沙夜を少しの間預かろう。明日香も一緒に来てもいいんだぞ?」

 しかし明日香は首を振った。

「いえ、私は大丈夫です。それよりも、母に何があったのかを突き止めなくては。今まで母は、私たちに手を上げることなんてしなかったんです。何か事情があるなら……私が母を支えなければ」

 その言葉を聞いて、章吾は違和感を覚えた。明日香の言っていることは確かに正しい。しかし、それは十代の少女が背負うべき責任ではない。

 章吾は明日香の両肩に手を置き、視線を同じ高さまで下げた。明日香は俯いたままで、その表情はよく見えなかった。

「明日香、君がそこまで抱え込む必要はない。沙夜もそうだが、君もまだ子どもなんだ。お母さんのことは、私たちに任せなさい」

「でも……母にはもう誰もいないんです。私たちしか……もう」

「明日香」

 章吾の少し強い口調に、明日香は口を閉じた。

「……分かりました」

 長い沈黙の後、明日香は静かに頷いた。

「ただ、今日は家に帰らせてください。明日、荷物をまとめて伺います。それでもよろしいですか?」

 章吾は一瞬躊躇した。今夜また同じことが起これば……しかし明日香の意志の強さを感じ取り、頷いた。

「……それでもいい。ただし、もう少し大人を頼りなさい。一人で抱え込まないで」

 明日香は深く頭を下げると、本部長室を後にした。

 その小さな背中は、いつもより一層小さく、そして重い責任を背負っているように見えた。

 章吾は窓の外の夕暮れを見つめながら、深いため息をついた。


* * *


 飛渡家の食卓には、誠司の母、飛渡志保ひわたり・しほが心を込めて作った家庭料理が湯気を立てて並んでいた。生姜焼き、ひじきの煮物、味噌汁、そして真っ白なご飯。どれも温かい家庭の味がする。

「沙夜ちゃん、おばちゃんのご飯はどうかしら?」

 志保が優しく声をかけると、沙夜は行儀よく箸を使いながら生姜焼きを口に運んだ。

「はい、とっても美味しいです!」

「そう! それは良かったわ」

 沙夜の答えは明るく元気だった。しかし明日香から事情を聞いた後では、章吾も誠司も、その笑顔の奥に隠された本当の気持ちを測りかねていた。

「たくさん食べていいからね。おかわりもあるから」

「はい!」

「沙夜、お茶飲むか?」

誠司がコップを手に取ると、沙夜は振り返る。

「うん、誠司兄ちゃんありがとう!」

 にこにこと笑いながら答えた沙夜だったが、ふと何かを思い出したように表情が曇り、箸を置いた。

「沙夜、どうした?」

 章吾が心配そうに声をかける。

「……その、お姉ちゃんも一緒に食べられたらなって。おばちゃんのご飯、美味しいから」

 ほんの一瞬、寂しげな表情を見せた沙夜だったが、すぐに屈託のない笑みを浮かべた。

 その笑顔の作り方は、確かに明日香の妹だと思わせるものだった。本心を隠す演技が、この年齢にしては上手すぎる。

 章吾が沙夜の健気な笑顔に胸を痛めていたその時、誠司のスマートフォンが鳴った。

「あ、ごめん。ちょっと出てくる」

 画面を確認した誠司は、慌てたようにスマートフォンを手に取り、廊下へと向かった。


「もしもし」

 廊下に出てドアを閉めた誠司の声に、少し不安の混ざった声が応えた。

『あ……誠司?』

「ああ、どうした?」

『……その、沙夜のこと、どうしてるかなって、ちょっと気になって』

 明日香の声には、普段の張りがなかった。誠司はいつも通りを心がけて返事をする。

「今、家族で夕飯食べてるよ。食欲は普通にあるみたいだから、安心しな」

『そっか……良かった』

 ほっとしたような明日香の声に、誠司は続けた。

「ただ、お前がいなくて、やっぱり寂しそうだ。明日はこっちに来るんだろ?」

『……うん、そのつもり』

 電話の向こうから沈黙が流れる。誠司が何か言おうと口を開けかけたその時、明日香が再び話し出した。

『ありがとう。沙夜のこと、見てくれて』

 誠司が返答する間もなく、明日香は続ける。

『誠司たちがいなかったら、私だけじゃ何もできなかったから……とても感謝してる。飛渡さんにも、そう伝えてほしい』

「ああ、分かった。その……お前も——」

『あ、そろそろ切るね。ごめん、また明日』

 少し慌てたような明日香の声の直後、通話が切れた。スマートフォンの画面がホーム画面に戻る中、誠司は先ほどの沙夜との会話を思い出していた。


 休憩室で明日香と章吾を待っている時のことだった。沙夜が学校の宿題をしながら、ふと誠司に問いかけたのだ。

『誠司兄ちゃんは、お姉ちゃんの考えてること、分かる?』

 突然の質問に誠司が戸惑うと、沙夜は静かに語り出した。

『沙夜、時々ね、お姉ちゃんの考えてることが分からなくなるの。お姉ちゃん、大事なことはいつも一人で勝手に決めちゃうから……沙夜、お姉ちゃんの妹なのに』

 その目は寂しげで、けれど姉のことを大切に想う妹の目だった。

 明日香と沙夜の母親は仕事が多忙で、親として接する時間がほとんどない。そのため明日香が沙夜の親代わりになっていると聞いている。

 しかし沙夜は、その立場に甘えることなく、明日香と対等の関係でいたいと願っているのだ——そんな思いが、沙夜の言葉から感じ取れた。

 まだ小さいのに、いろいろと抱えて考えている。その状況に、誠司は何とも言えない複雑な気持ちになった。

『沙夜……』

『だからね! こうやって勉強して、大きくなったら、誠司兄ちゃんみたいにお姉ちゃんのことを守りたいの!』

 先ほどの悲しみや寂しさを隠すように、沙夜は努めて明るい笑顔を作った。これも沙夜の本心なのだろうが、その感情の切り替えに、誠司は胸を痛めた。

『だから誠司兄ちゃん、沙夜が大きくなるまで、お姉ちゃんのこと、よろしくね』

 沙夜は真っ直ぐな目で誠司を見つめる。

『ああ、分かった。約束する』

 誠司は沙夜の頭に手を置き、優しく撫でた。沙夜は嬉しそうに笑うと、再び宿題に取り掛かった。


 あの時の沙夜を思い出し、誠司は苦虫を噛み潰したような表情になった。

 明日香の「感謝している」という言葉は、確かに本心だろう。しかしその言葉の中には、いくつもの複雑な気持ちが隠されている。責任感、遠慮、そして——一人で全てを背負おうとする頑なさ。

「もっと頼ってくれてもいいのにな……」

 誠司の呟きは、夜の闇に染まった廊下に静かに吸い込まれていった。

 ダイニングからは、志保と沙夜の楽しそうな会話が聞こえてくる。しかし誠司の心には、明日香と沙夜、二人の姉妹が抱える複雑な想いが重くのしかかっていた。


* * *


 夕暮れの繁華街に、オレンジ色の街灯が点り始めていた。明日香は何かを探すように、薄暗い街を歩いている。

 帰宅した時、ちょうど麻美が外出するところだった。普段とは明らかに違う様子の母親を見て、明日香は何か手がかりが掴めるかもしれないと、そっと後を追うことにしたのだ。

 人通りの少ない路地を歩いていると、通行人とすれ違った際に後ろから声がかかった。

「おねえさん、これおとしたよ」

 振り返ると、明日香のハンカチを手にした少女が立っていた。年の頃は、明日香と同じか少し上くらいだろうか。深く被ったフードの中から、奇抜な桃色の毛先が見えている。

「すみません、ありがとうございます」

 明日香は素直に礼を言った。

「ううん、すぐにきづいてよかった。ここはひがしずむとすぐくらくなるから、はやくかえったほうがいいよ」

 少女はにっこりと笑いながらハンカチを差し出す。明日香がそれを受け取り、軽く会釈をして立ち去ろうとした時、少女はその後ろ姿をじっと見つめていた。

「……マスターの棘、そろそろ芽が出たかなー」

 少女の口元が三日月のように弧を描き、不気味に笑った。その笑顔は、先ほどまでの人懐っこい表情とはまったく別のものだった。


 日がすっかり落ちた夜、DSI本部に警報が鳴り響いた。

『ロストのエネルギーを確認。ロストのエネルギーを確認。直ちに現場へ向かってください』

 機械的なアナウンスとアラームが施設内に響く中、章吾が誠司に指示を出す。

「誠司、準備ができたらすぐに向かってくれ」

「分かった。明日香には連絡ついた?」

 黒いジャケットを羽織り、コアをバンドにはめながら誠司が尋ねると、章吾は困ったような表情で首を振った。

「まだ連絡がつかない。すまないが先に行っていてくれ」

「了解」

 誠司は短く返事をすると、DSI本部を駆け出した。


 誠司を乗せた黒いバンが夜の街を疾走する。先行した現地対策班からの無線が次々と入ってきた。

『……あれ、おい、もしかして——』

『どうした、何があった?』

『……誰かがロストと接触してます。いや、あれは……交戦中?』

『ロストがターゲットを追跡中。今回の元凶の可能性があります』

『いや、違う。ターゲットと思われる少女がロストと対峙してます。おそらく、白崎明日香です』

「……明日香がもう現場に?」

 誠司は眉をひそめた。普段は自分の方が先に現場に着くことが多い。それは単純に、DSI本部からの連絡体制や移動手段が明日香より整っているからだ。しかし今回明日香が先に到着しているということは——たまたまロストの近くにいたということになる。

「胸騒ぎがするな……」

 誠司は前方を睨みながら、ロストの現場へ急いだ。


 深い闇に染まった住宅街の狭い道で、明日香は黒い影に追われながら走り続けていた。

 街灯の明かりは普通に歩くには十分だったが、戦闘をするには光源が心もとない。ロストの動きは予想以上に素早く、追いかけ回されては弓を引く暇もなかった。

 何とか距離を取り、弦を引く体勢を作って狙いを定める。ロストが明日香に飛びかかろうとしたその瞬間、乾いた発砲音が響いた。ロストは逃げるように明日香の頭上を飛び越していく。

 明日香が発砲音のした方向に視線を向けると、暗闇から誠司が現れた。

「誠司!」

「悪い、遅くなった」

「ううん、大丈夫」

 短い会話を交わした後、誠司が再びロストに向けて銃を放つ。ロストの攻撃対象を自分に向けようとしたのだが、ロストは再び明日香めがけて飛びかかってきた。

 明日香は身を屈めてロストを避けると、前方に向かって走り出す。ロストはそれを執拗に追いかけていく。

「なんで……タゲが俺に移らないんだ?」

 誠司は混乱していた。ロストの攻撃対象は、基本的にロストになった原因の人物に向けられる。その後、セイバーなど別の人間が意図的に攻撃をすれば、ロストは排除対象として攻撃対象を移すのが通常のパターンだ。

 しかし今、明らかに攻撃を加えたのは誠司だったにもかかわらず、ロストの攻撃対象は変わらず明日香のままだった。

 誠司は明日香を追いかける。明日香は走り続けていたが、フェイントをかけて再び誠司の方へ戻ってきた。ロストが明日香めがけて腕を振りかざしたその時、誠司の銃弾がロストの顔面にヒットする。

 ロストはその場に倒れ、のたうち回った。

「なあ……なんであいつ、お前ばっかり狙ってくるんだよ」

 誠司は荒い呼吸をしている明日香に問いかけた。しかし明日香は答えない。呼吸を整えるのに精一杯なのか、無言でロストをじっと見つめている。

 ロストのターゲットが誠司に移らないということは、物理的な攻撃よりも明日香に対する強い執着があるということだ。そうなると考えられることは一つ、明日香がロストの元凶だということである。

 しかし誠司には、明日香が誰かの恨みを買う心当たりが思い浮かばなかった。普段から人と必要以上の関わりを持たず、余計なことに首を突っ込むような野暮なこともしない明日香のことを、ロストになるほど恨むような人物が——

 その時、誠司は思い出した。沙夜が被害を受けるかもしれないと明日香が恐れ、遠ざけた人物のことを。

 誠司の中で一つの仮説が形成された。出来てほしくない、受け入れたくない仮説が。しかしその考えは、誠司の頭の中を支配していく。

「あのロスト……まさか……」

 誠司が眉間に皺を寄せて呟くと、明日香は静かに口を開いた。その声は、諦めにも似た静けさを帯びていた。

「そうだよ、誠司……あのロストは、私の母さんだ」

 夜の闇に、明日香の言葉が重く響いた。誠司は言葉を失い、立ち上がったロストを見つめた。

 二足歩行で顔が猫のような姿で、化け猫と言った方が正しいロストの目が、暗闇の中でひときわ鋭く光っていた。

後半もすぐにあげます。

今回の話は考えてるだけで相当な精神力を削るので、早くアウトプットしないと自分の身が持たないので。

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