関真輿編著「地理と地形で読み解く世界史の疑問55」 宝島新書 第3章 ー11- 世界恐慌
【書名・タイトル名】「地理と地形で読み解く世界史の疑問55」
【著者・作者】関真輿編著
【発行元・サイト】宝島新書
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本文
第3章 帝国主義と世界大戦、そして戦後
世界史の流れ、ポイント
イギリスの覇権(1815~1914)
ナポレオン3世(1852~1870までフランスを統治)
クリミア戦争(1853~1856)⇒ロシアとオスマン帝国・英・仏の連合国の戦争
ドイツ帝国(1871)⇒ドイツの統一と大国化
アヘン戦争(1840~1842)と清朝⇒イギリスの植民地化
帝国主義と民族運動
日英同盟(1902~1923)⇒ロシアの南下政策の妨害
日露戦争(1904~1905)
第1次世界大戦(1914~1918)
ロシア革命(1917)
パリ講和会議(1919)・ヴェルサイユ条約(1919)
世界恐慌(1929)
ヒトラー(1933首相任命)とナチス
第2次世界大戦(1939~1945)
世界恐慌(1929)
https://www.y-history.net/appendix/wh1504-001.html
1929年に始る大恐慌。
ニューヨーク・ウォール街の株式取引所での株価暴落に始まり、銀行・企業の倒産、失業の連鎖反応から急激な不況となり、1930年代に資本主義世界全域に波及した。
その打開を目指す軍国主義・ファシズムを台頭させ、第二次世界大戦がもたらされた。
1929年10月にアメリカ合衆国の戦間期で始まり、1933年にかけて世界に広がった経済不況(恐慌)のこと。
発端はアメリカ合衆国のウォール街にあるニューヨーク株式取引所で1929年10月24日(後に「暗黒の木曜日」といわれる)に株式が大暴落、以後長期にわたり、かつアメリカだけでなく世界中に不況が拡がった。
1930年代に入っても景気は回復せず、企業倒産、銀行の閉鎖、経済不況が一挙に深刻になって、1300万人(4人に1人)の失業者がでた。
恐慌はおよそ1936年頃まで続いた。
またこの恐慌が世界に波及し、ヨーロッパ各国から日本などアジア諸国にも影響を受け、資本主義各国は恐慌からの脱出策を模索する中で対立を深め、第二次世界大戦がもたらされることとなった。
アメリカの経済不況の要因と背景
アメリカの恐慌発生の要因と背景としては次のようなことが考えられる。
・1920年代の戦後好況の中で資本・設備への過剰な投機が行われ「生産過剰」に陥った。
・農産物も過剰生産のために価格の下落する農業不況が起こり、農家収入が激減、国内の有効需要が低下した。
・各国とも自国産業の保護のため、高関税政策(保護貿易主義)に転換したので、世界市場の拡大も阻止されていた。
・同時にアジアの民族資本の成長、ソ連社会主義圏の成立などで、アメリカの市場が縮小していた。
・企業が生産を減少させたため失業者が増大、さらにそのため購買力は減退し、さらなる生産減少をもたらすという悪循環に陥った。
生産過剰
1920年代のアメリカ合衆国の戦間期で資本主義の矛盾が強まって起こった経済現象で、1929年に始まる世界恐慌の主要な原因と考えられる。
アメリカは第一次世界大戦で高まった需要に対し、設備投資を続けた。
自動車、住宅などからラジオ、洗濯機、冷蔵庫といった電機製品、さらに化粧品などの新たな消費財が大量に生産され、セールスマンと大量広告という新たな販売促進法と月賦販売という信用販売が使われるようになったことで大量消費(必要以上に消費する傾向)に拍車がかかった。
1920年代後半には早くも商品は飽和状態となり、農業不況も加わって購買力も低下し始めた。
しかし、企業は株式ブームという過剰な投機によって支えられ、さらに増産を続けた。
このように1920年代のアメリカ経済の繁栄を支えていたのは、信用販売と株式による資金調達という、いずれも需給関係の実態から離れた手法によるものであった。
過剰な投機
1920年代のアメリカ経済の好況の中で進んだ株式投資ブームの加熱などの状況。
1929年、その反動として起こった株価暴落が世界恐慌の引き金となった。
第一次世界大戦後、世界の金はアメリカ合衆国とフランスに流れこんできた。
特にアメリカは流入する金と、イギリス・フランスからの戦債の返済によって潤沢な資金を抱えることとなった。
銀行はあまった資金を株式仲買人に貸し付け、仲買人はあらゆる人びとに株を買うことを勧め、株式投資ブームが起こり、1929年春から夏にかけての「大強気」相場がピークに達した。
しかし、購買力の低下と過剰生産のギャップも一般人に知られることなく激しくなっていた。
投機的な売買でつり上がった株価と、企業の経営実態は、人知れずかけ離れてしまっていた。
ようやくそのことに気がつき始めた一部投資家が株の投げ売りを始めていた。
株価はやがて「大天井」をうち、1929年10月24日の「暗黒の木曜日」に、一気に猛烈な売りが殺到し、世界恐慌が始まった。株式ブームの実態はつぎのようなことであった。
★「世界恐慌」
Search Labs | AI による概要
世界恐慌(せかいきょうこう、The Great Depression)は、1929年10月24日のニューヨーク
株式市場の暴落(暗黒の木曜日)をきっかけに始まった、世界的な経済恐慌です。
この恐慌は、各国に深刻な不況、失業、企業の倒産、金融機関の破綻をもたらしました。
世界恐慌の原因:
過剰生産と投機バブルの崩壊:
1920年代の好況期に過剰な生産が行われ、株式市場での投機が過熱した結果、バブルが崩壊しま
した。
関税引き上げ:
各国が自国産業を保護するために高関税政策(保護貿易主義)を採用したことで、世界貿易が縮小し
ました。
アメリカ経済の依存体質:
第一次世界大戦後のアメリカは世界最大の債権国となり、世界経済がアメリカ経済に依存する体質に
なっていました。
そのため、アメリカ経済の不調は世界経済に大きな影響を与えました。
世界恐慌の影響:
深刻な不況:
世界中で失業者が増大し、企業倒産や金融機関の破綻が相次ぎました。
政治的な混乱:
国民の不満が高まり、ドイツのナチス政権や日本の軍部独裁につながるなど、政治的な混乱を招きま
した。
国際協調の終焉:
各国が自国優先の政策(ブロック経済)を採るようになり、国際協調が崩れました。
日本への影響:
昭和恐慌:
世界恐慌の影響で、日本はアメリカ向けの生糸の輸出が激減し、深刻な不況(昭和恐慌)に陥りま
した。
銀行や企業の倒産:
多くの銀行や会社が倒産し、財閥がさらに力をつけることになりました。
軍部の台頭:
経済的な混乱の中で、軍部の力が強まり、軍部独裁や戦争への道を歩むことになりました。
教訓:
世界恐慌は、経済の過熱抑制や国際協調の重要性を認識させ、現代の経済政策に大きな影響を与えた
出来事となりました
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