エピローグ
その夏休み、貴紘はあり得ないほど早く宿題を終わらせた。日常的に宿題をしてこなかったのは面倒だからで、本来彼は勉強その物が嫌いという訳ではない。誰かと遊ばない日は宿題に打ち込んで寂しさを忘れた。
最後に残った宿題は自由研究。貴紘は光一にしつこく誘われて、同じテーマを研究することになった。そのテーマとは「人は死んだらどうなるのか」
「輪廻転生って言葉があるんだよ!」
「はぁ。変な名前……。地下アイドル?」
貴紘は図書館の隅で、興奮気味の光一へ気のない返事をした。
「違うよ! 死んだ魂がまたこの世に産まれてくるって意味の言葉さ!」
「……なるほどね。お前もそうだったな」
「そうさ! だから僕達もし死んでも……また友達になろうねッ!」
「今度はまともな思考に産まれて来いよな」
どういう意味だと怒る光一をよそに、貴紘はひとり胸をワクワクさせる。
――死んでもまた、産まれてくるんだ。
その限りなく現実的でない希望は、しばらくの間貴紘の記憶に残り続けた。
「なに笑ってるの?」
自分の目をまじまじと見つめてくる光一に言われ、貴紘は咄嗟に否定した。
「笑ってねーよ!」
「いや最近よく笑ってるよ。そう言えばさ、君の瞳って普通より少し明るい色をしてるんだね」
「よく気付いたな。俺は地獄の炎の山、ブラッドスコーピオンを裸足で駆ける魔族ルシファーの血を引いてんだ(適当)」
興奮した光一が語り出す悪魔の名前一覧を適度に聞き流すと、今日の晩御飯のメニューは何かなと考える。真織の笑顔を思い浮かべながら。
□
10月半ばも過ぎた頃だった。
花火大会の帰り道、ダイアナを家まで送り届けた貴紘は薄暗いバス停の前で明らかに怪しい人影を発見した。それは、地べたでうずくまって震えているように見える。貴紘はぎょっとして歩みを止めた。
あれはゾンビだ!
すぐに貴紘は、そうだと理解した。
人が近づくとゆっくりフラフラと立ち上がり、柔らかい首筋に噛みつく。そしてゾンビウィルスに感染させて、やつらは仲間を増やしていくのだ。
幽霊の耐性なら講演会を開ける程度には持っていたが、ゾンビと出会うのは初めてだ。貴紘は丸腰でここへ来たことを死ぬほど後悔した。そこに落ちていた石を拾い上げると、固く握りしめる。
頭をぶっ飛ばす。ゾンビと戦闘するときの定石である。しかしここからでは距離があるので、気配を消しつつ背後から近寄った。手が震える。むしろ震えないわけがない。なぜならそこにいるのは、とっても恐ろしいゾンビ――ではなく、人間の女性だった。
チカチカと点滅する電灯が、その人をよりゾンビらしく見せていたが、彼女はれっきとした人間だった。貴紘は握っていた石を手放すと、その人に近寄り声をかける。だって明らかに、今にも死にそうだったから。
「何してんの」
話しかけてみたものの、この後どうしていいのかすらわからない。父親が医者である光一ならばきっと、何か役立つ情報を知ってるのかもしれないが。
「……あ、あの……私」
苦しそうに顔を歪めるその女性を見て貴紘は凍りつく。
――この女!
それは忘れもしない、正人の再婚相手だった。
「う、産まれるかも……」
その言葉に貴紘は腰を抜かした。彼女のお腹と顔を交互に見る。お腹はずいぶん大きくなっていた。顔の汗が尋常じゃない。岩盤浴の途中で逃げたしてきたのかと思うほどの量だ。
「な、なんでこんなとこにいんの!? バカじゃん……! 病院どこ!? あそうだタクシー呼ばねーと……!」
貴紘は焦って聞いた。そして、すぐに携帯電話でタクシーを呼んだ後思った。携帯電話持っててよかった、超役立つ。
「お腹いたい……!」
もう彼女には貴紘に遠慮する余裕すらなかった。歯をくいしばって涙を流している。
貴紘はさらに慌てた。
ヤバイ。ここで産まれたらどうしよう。えっまじでどうしよう。ってかなんで俺が!? そしてよく考えたらこいつが産むのって俺の弟か妹じゃん! なぜなら父親が正人だから! タクシーはやくこいよ! 産まれたらどうすんの!?
あーあ、こんなとき……ララがいてくれたら!
貴紘は気が動転して、おろおろと歩き回った。そうこうしているうちにタクシーがやって来て、運転手の男性が驚いた様子で車から出てくる。
「もうすぐ産まれるんだけど! 早く病院連れてって!」
それを聞いた運転手は慌てて彼女を車に乗せた。勢いで貴紘もその車に乗る。乗った後思った。なんで俺乗っちゃったんだろう。
やっとのことで女性が病院を告げると、タクシーは発車した。貴紘はもう気が気ではない。
「大丈夫? あとどれくらいで産まれんの」
「わ、わかんない……っ、――産んだことないもの」
怖い。貴紘は思った。こんなに苦しそうな表情をする人を、今までに見たことがなかった。この表情を見れば、盲腸で倒れた時とは比べ物にならない痛みなのだということがネットで調べるまでもなく理解できる。
どうしてこんなに苦しい思いをしてまで、人は子孫を残したがるのだろう。自分は子供を産むことは確実にないが、もし女性だったとしても絶対に出産なんて経験したくない。一年近く自分以外の何かが体内に存在しているのだと考えるだけで身の毛もよだつ。
「……ごめんね、あなた、いつかも助けてくれた……よね」
突然喋り出した女性の顔はやっぱり苦しそうだけど、そんな表情でも美人のままだった。
「喋らない方がいいんじゃ……」
余計な力がかかって産まれてくるかも。と、貴紘はそればかりが気がかりで落ち着かない。
「大丈夫、……なにか喋ってた方が気が紛れるの……ごめんね」
話し相手くらいならなれる。貴紘は彼女に喋らせるために一生懸命話題を探したが、焦りすぎて何も浮かばない。しどろもどろになって口から出てきた言葉は、最低な一言だった。
「産むのやめたら? 死ぬんじゃねーのあんた……」
言ってすぐに後悔する。やっちまった。よりによってなんてことを。うわあ、こういうこと言うと怒る女っているよな、縁起でもないとか騒ぎ出して……。
貴紘は青くなったが、彼女は堪えきれない様子で笑い始めた。
「やめないよ……。っていうかここまで来たらもう逃げられないしっ……。、それに、早く会いたい」
会いたい!?
信じられないものを見る目付きで、貴紘はその人を見た。
「そんなに苦しそうなのに……なんでそんなこと言えんの?」
震える手でお腹を撫でながら、女性は言った。
「たぶん、……男の子にはわかんないかもね。それが……ちょっと気の毒だって……思う。……こんなに幸せなことって、ないのに。お母さんに、聴いたら わかるよ、……きっと。……みんなこうやって、……早く会いたいって思われながら、産まれてくるんだよ……」
貴紘は複雑な気持ちでそれを聞いた。その言葉のあとすぐ、運転手が声を掛ける。
「もう少しでつきますからね! 頑張って、お母さん。お兄ちゃんも心配いらないからね」
お兄ちゃんじゃない。ある意味兄だけど……。言えるはずもなく、貴紘は少しだけ安心した。これでもう自分の役目は終わりだ。
「……ねえ、……この子、女の子なの。君に、名前をつけてもらいたいんだけど……いい考え、ある?」
目をぎゅっと閉じたり眉をしかめたりしながら彼女が言った。貴紘の目玉は飛び出た。
「は!? いや、ダメだろ!」
「……っ、だって、君には二回も助けられてるし……絶対に……何かの縁だと思って……お願い、ダメかな?」
そりゃ縁はあるよ。だってアンタの旦那は俺の父親なんだから! 貴紘は心の中で叫ぶ。そしてもうヤケクソになって、赤ちゃんの名前を考え始めた。
□
次の日の明け方、小さな命が生まれた。
まだスーツ姿の正人は赤ん坊を抱くより先に妻の体調をしつこく気遣った。
「平気よ。心配しないで……」
「痛いところは一つもないのか!? 油断するな、産後は無理しちゃダメなんだから」
「そんなこと言ったら身体中がいたいよ。……それより早く抱いてあげて」
その言葉で初めて正人は、産まれて間もない自分の子供をよく見た。真っ赤で眉毛もなくて、全然かわいくない。正人は子供が好きではなかった。それも、産まれたばかりの新生児が。見れば、とある思い出したくもない悲しい記憶がイヤでも甦る。
「……可愛いな」
これは妻のための言葉だ。赤ちゃんを抱いても自分に父性が沸き起こらないのは、十年前と一緒だった。
「名前考えたか?」
妻の顔を見ると、彼女ははっきりとこう言った。
「ララ」
「は!? な、何言ってんのお前……」
「……は絶対に止めて。それ以外の名前で。……だって」
正人は目を丸くして一時言葉を失った。
「それ……どういう意味だよ!? どうしてそんな名前……」
「さあ……わからないわ。だけどあの子がそう言ったの。それ以外の名前で、自分達で考えろって……、ララ。可愛い名前だと思うけどね」
「そんなキラキラネーム、絶対無理だから……」
妻を病院まで送ってくれた見ず知らずの少年が居たという。それも、これで助けられるのは二回目。お礼をしなければならないのに、名前すら聞いていないのだから何もできない。
小学校の高学年くらいかな。と、妻が話した。正人はすぐに貴紘の事を思い浮かべた。
――まあ、そんなわけないよな。第一、そんな面倒なことに首突っ込むような性格じゃねーし……。
世間が意外に狭いこと・息子の成長を、正人は知らない。
□
夏が過ぎ、秋が終わった。冬は日を増すごとに寒さを連れて来る。
二月十七日。
その場所に、正人は居た。煙草を咥えながら気だるげに花を供える。白の胡蝶蘭を乱雑に生けた。砂利の上に一時的に置いていた白い箱を開け、故人の好物であった苺のシフォンケーキをとりだし墓石の前に置く。
線香に火をつけてから手を合わせ、しばらく目を閉じた。
「昨日、貴紘は11になった。信じられるか? あの小っせえ赤ん坊が、いつの間にか小学五年生だよ。……ってことは、お前が死んでからも11年ってことだ。みんなあいつを見て、俺にそっくりだと言うよ。だけど俺にはお前に似てるとしか思えない。貴紘の瞳を見るたびお前のこと、思い出す。すげー嬉しいのに……時々辛い。最低な父親だよ」
空は雲って、雪がちらつき始める。正人の肩に落ちた小さな冷たい欠片が、すぐにじわりと溶けて喪服に染み込んだ。
「……周りの時間はすげースピードで過ぎてくのに、俺の時間はお前が死んだあの日からずっと止まったまんまだよ。どんな綺麗な女と会っても、お前以上の女はどこにもいねえ……ああ心配すんな、今のところはまだ円満だから」
水が入ったバケツの中に煙草を捨てると、正人は立ち上がって大きく伸びをした。
「なんで死んじまうかな。俺みたいないい男残して。可愛い息子を抱く前に死ぬバカが、どこにいるんだよ」
ため息をついたあと、墓石に刻まれた文字を見つめながら呟く。
「幽霊でもいいから俺んとこに会いに来てくんねーかな……ララ」
まだ彼女を想って涙を流すことができる。それが自分にとって必要なことなのかはわからないけれど。
正人は頬に流れる涙を拭うこともせず、静かにそこを立ち去った。
(おわり)




