ウサギのクッキー
翌日の放課後、貴紘はダイアナに話をつけることを決めた。
帰りのホームルームを終えるとクラスメイト達は席を立ち、次々と教室を出ていく。ダイアナとチカの二人がドアを出ようとしたとき、貴紘の細長い脚がその扉を塞いだ。
「ちょっと辻くん何!? チカ達の進路妨害しないで! これから二人で女子会するんだから」
高橋チカが敵意全開の表情で貴紘を睨み付けてくる。甲高い声が耳障りだ。
なんでこの女はいつも喧嘩腰なんだろうと貴紘は思った。それに、明吉はこんな女のどこがいいんだ、とも。
「それ……俺も混ぜろ。てか、高橋さんは帰ってくんない」
「ええっ!! 何それぇ!?」
チカは叫び、ダイアナは絶句した。
「アキ、高橋さんがデートしてくれるって」
遠くでこっちを見ていた明吉が、その声に尻尾を振りながら駆け寄ってくる。
「チカちゃんほんと!?」
「え? 何言ってんの? チカは央子ちゃんと……」
「じゃ早くいこう!」「ちょ、ちょっとぉ!」
半ば強引に連れていかれたチカを見送ると、ポカンとしているダイアナに貴紘は言った。
「話あるんだけど」
「タカヒロ、ど、どうしたの? 突然」
ダイアナは手提げバッグの中から手探りでサングラスを取り出し、それを装着しようと顔の高さまで持ち上げる。それを阻止したのは貴紘の右腕だ。
「あら?」
自分の手の中にサングラスが無くなったことに気が付いたダイアナは、思わず貴紘を見上げる。
「こんなもん付けんな。……いくぞ」
「どこへいくの!?」
考えていなかった。どこか話ができる場所を……と回りを見渡したら、自分の教室が一番いいと思い付く。都合よくみんな居なくなっているし。
貴紘は窓際の自分の席に座り、ダイアナはその前の席――直也が座っていた――今は誰も座っていない椅子へ、座らせた。
「カ、カーテンをしめなきゃ」
立ち上がろうとするダイアナに、貴紘は声を上げる。
「勝手に撮らせときゃいいんだよ…ってかここまで入ってこねーだろフツー」
「私が撮られるのはいいけど、タカヒロ、あなたは一般ヒューマンなんだから気を付けなきゃ……」
何から話せばいいんだろう。何も考えずに来てしまった。貴紘がしばらく考え込んでいると、ダイアナが先に口を開く。
「退院おめでとうござる……これ、退院祝いよ。渡せるチャンスがなくて放課後になってしまったけど……」
貴紘が目を上げると、綺麗にラッピングされた、可愛らしいウサギの形のクッキーが現れた。恐らく手作りだ。
「クッキー嫌いかしら……」
心配そうな表情のダイアナを見て、貴紘は千羽鶴のお礼を言っていなかったことに気が付く。
「あ、お前……鶴、悪かったな。クッキーも嫌いじゃない、もらっとく。……ありがと」
良かった! と、嬉しさを隠そうともしない微笑みに、貴紘は内心ぎょっとする。
……あれ? こいつこんなに可愛い顔してたかな。不覚にもそう思ってしまった。
それに、わざわざ退院する日を覚えていてくれた上、こんなものを作ってきてくれたのだ。貴紘はお菓子なんて作ったことがないので、これがどれほどの手間がかかるものなのかは知らないが。
――何だこいつ……めっちゃハートウォーミングな女じゃん。
光一が以前ダイアナに与えたアドバイスは的確と言って良かっただろう。貴紘はまだ自分が押しに弱いことを、自覚していなかった。
「昨日、北の四天王に会ったn」
そう言い終わらないうちに、ダイアナは激しく声を荒げる。
「……タカヒロッ!! ダメよ! そいつに関わっちゃ! 何を言われたの! まさか危害加えられてないよね!? ああ……神よ! どうしてタカヒロを巻き込むの……!? 許してマリアさま……っていうかガッデム!」
頭を抱えるダイアナのオーバーリアクションをなるべく気にしないようにして、貴紘は報告を続けた。
「お前、写真ネタにゆすられてるらしいけど……ほっときゃいいじゃん。俺が写ってると、何かマズイことでもあんのか? 俺の事で何か気、遣ってんなら、別に気にしなくていいけど」
「あなたの心はッ!! 大田区なの!?」
「意味わかんねーんだけど」
「大田区、それは23区で一番広い……。だけど……だめなの、例えあなたが許してくれたって、私自身が許さない……なぜなら……」
ダイアナはカバンから資料を出すと机に叩きつけた。丁寧にクリアファイルに入れられたそのA4サイズの紙には、貴紘とダイアナの二人の写真がプリントされている。スポーツ新聞風の目立つ見出しでこう書かれてあった。
【ダイアナに双子の兄存在 隠し子!?】
貴紘は言葉を失った。
……馬鹿馬鹿しすぎて。
「なんだよこれ。こんなの信じるやついねーだろ。好きにさせときゃいいじゃん。なにが双子の兄だよ……似ても似つかないっての……」
「嫌よっ!!」
思わず立ち上がったダイアナの瞳には涙が浮かんでいる。今にもこぼれ落ちそうな涙に貴紘は怖じ気づく。
「いや、だってこんなのキリないだろ。意味ないし……ってか涙の安売りすんな……」
ダイアナはその資料をファイルから出すと、勢いよく破り始めた。貴紘は驚いて、止めることもできない。
「だって……だって私はタカヒロのこと、好きなのよ!? ブラザーだなんて言われるの……嫌なの!!」
自分にとっては驚く程くだらないことに思える。だが目の前の少女にとっては、とても大事なことらしい。少なくとも、声を張り上げて泣き出してしまう程度には。
「じゃ……どーすんの?」
「木曜日に約束してるの。四天王に会ってこのデータを取り戻してくるわ!」
「バカお前それ……意味かってんのか? やめろよ絶対! そんなの一回で終わるはずないだろ! 監禁されて終いにゃ殺されめでたく完結だよ!」
「次回作にご期待くださいッ!?」
「よし待ってるぜ! ……って言うわけねーだろ!!」
机を拳で叩き、怒った貴紘を見てダイアナは真顔で尋ねる。
「私の事を、心配してくれているの?」
貴紘は咄嗟に目を反らし、破り捨てられた紙の破片を睨み付けた。
「……俺だけじゃない。北丸だって、お前の事……」
「KAZの話はよしてちょうだい……」
KAZとは北丸一元のハンドルネームである。
「お前は、誤解してんだ。あいつは悪い奴じゃない、俺、昨日聞いた。お前に誤解されてるって。あいつはお前のためなら、アマゾン川からアナコンダを素手で捕まえてこれるんだぞ。そう、北丸ならね。ちゃんと話してやれよ! 話も聞かずに否定するなんて、可哀想だろ。あいつは、本気でお前の事……」
それを聞いたダイアナは目を丸くして唇を震わせていた。彼女のやりきれない想いが限界に達した頃、それは鋭利な言葉となり初めて貴紘への攻撃となった。
「……タカヒロのバカ! この……わからず屋さん!! タカヒロなんか……家に帰って美味しいご飯を食べたあと暖かいベッドの中でクマちゃんのぬいぐるみとキスして寝な!」
「後半は優しい!」
ダイアナは泣きながら教室を出ていってしまった。取り残された貴紘はなぜ罵倒されたのかもわからないまま、呆然と彼女の出ていったドアを見つめるしかない。
「……なんだよ。人が心配してやってるってのに」
『女ってのはな、複雑な心を持ってるんだよ!』
そう言った明吉の言葉が頭の中で木霊した。
□
『クッキーちょうだーい!』
自宅に帰って冷蔵庫を開けたとき、ララの声が聞こえた。貴紘はランドセルに入っているウサギのクッキーを思い浮かべながら、少し考える。
「……だめ」
『えーッ!? なんでなんで!? もう優しさキャンペーン終わりなの!?』
「なんだよそれ……俺はいつも優しいだろ」
『どこが!? 優しさの欠片もない生意気坊やじゃないの』
「もう二度と何も買ってやらねー……」
『ちょっと待って! なんでそんないじわる言うの!? ごめん許して! あっ、イケメン! 全然禿げてない! 少年法で保護されてる! 机の上でも寝られる強靭な精神! だけど意外とセンシティブ!』
「よくわらん褒め方すんな! ちょっと考えたいことあるんだから静かにしてろよ……」
『ダイアナちゃんのこと?』
泣き出したダイアナの顔を思い出しながら貴紘は考える。また自分の知らないうちに傷付けてしまったのかもしれない。
「……ワケわかんねーよ。俺、なんか変なこと言ったのかな」
『お子様』
「なんだよ、それ……」
意味ありげなララの言葉に腹が立った。それでもララが何も教えてくれないのは、自分で答えを見つけられなければ意味がないことだからだ。なんとなく、貴紘はそう思った。答えなんか、全然見当もつかないけど。
貴紘はランドセルから彼女にもらったクッキーを出して、それを眺めた。ウサギの目の所だけに穴が開いていて、赤透明な素材がそこへ注ぎ込まれている。
『やだカワイイ。綺麗に作ってるね』
それを見るとダイアナが泣き出した時の顔を思い浮かべてしまう。その目もこんなに赤かった。
「……なぁ、これ作るのって結構大変だったりする?」
『私お菓子なんて作らないからなぁ。よくわかんないけど……でも、全然大変じゃないってことは、ないんじゃない?』
「……ふーん」
牛乳を飲み終えたとき、玄関のチャイムが鳴った。貴紘は思わず眉をしかめる。辻家にアポなしの来客はめったにない。宅配便も事前に連絡があるし、何かの勧誘も入ってこられないはず。
貴紘は真織が鍵でもなくしたのかと思って、すぐに玄関を開けた。
開けた瞬間、インターホンで対応しなかったことをとても後悔した。
そこには北丸が立っていたのだった。
「ちょっと閉めないでくれよ!」
何事もなかったかのようにドアを閉めようとする貴紘に、北丸は叫んだ。ドアの隙間に汚れひとつないハイカットスニーカーを差し込み、お別れを拒む。
「……お前どうやってここまで入ってきたの」
「ボクレベルになるとエントランスのロックなど問題にならない。まあとりあえず中に入れよ。せまいトコだけどさ」
「ここ俺んちだよ!」
また面倒なことになった。一体何をしに来たんだと、貴紘は警戒する。礼儀正しく脱いだ靴を揃える北丸を見て、嫌な予感しかしなかった。
「これ、退院祝いです。つまらないものですが……おはぎ好き?」
百貨店の包装紙に包まれた重そうな箱を渡される。
『おはぎ好きッ!』
「わざわざすみませんご丁寧に……じゃなくて! 何しに来たのお前!」
北丸は貴紘の質問には答えずに、勝手にリビングの椅子に腰かけた。
「まぁ座りなよ」
「だからここ俺の家!」
北丸の視線はテーブルに置いたままのクッキーを捉えている。何かに気付いたような表情を、貴紘は見逃さなかった。
「貴紘くんが、央子ちゃんに……ボクのこと、話してくれたんだ?」
貴紘くんなどと呼ばれてゾッとする。まだ貴紘は、この少年との間合いの取り方を掴みかねていた。
話したのは今日の放課後、つまり数時間前だ。その間にダイアナが何かこの北丸にアクションを取ったのかと驚く。
「さっき央子ちゃんから連絡があってね……謝られたよ。まぁでも疑われるのも仕方ないことだったんだ。奴等、ボクの名前で彼女に果たし状を出していたらしい」
それを聞いた途端、貴紘はなぜか胸がざわめいた。それでもそれを悟られてはいけない気がして、態度を変えずに彼の言葉に応じる。
「良かったな」
「ああ、礼を言うよ。……ところでそのクッキー、央子ちゃんが昨日作ってたやつだろ?」
北丸が指差したウサギのクッキーを見て、貴紘は頷く。
「なんで知ってんの」
「昨日の配信見たからだよ! キミは見てないの!? それでもファンか!?」
北丸は勘違いしている。
俺は、神森のファンでもなければ、あいつのことを好きなわけでもない。勝手にライバル視されても困る。 貴紘はそう思った。
「やっぱり、央子ちゃんの好きな子ってキミの事だったんだな。ボクはキミが羨ましくてたまらないよ、あんなに彼女に想われて。……そうだ、央子ちゃんがキミを好きになったきっかけの、とびきりの笑顔とやらをボクにも見せてほしいな。ほら、パンケーキ食べてたときの可愛い笑顔って奴をさ! 央子ちゃん、名前は出さないけどいつもキミの事を語ってるんだよね。キミっていつも仏頂面じゃないか。ボクには笑顔が想像できないよ」
なぜ、こんな気持ちになるのかわからなかった。すごくがっかりした気持ち。気分がゆっくりと、重く沈んでいくのがわかる。そのスピードは、知らなくても良かった事を徐々に思い知り、それを受け入れなくてはいけないスピードだった。




