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コーラ

「それくらい自分で持つ」


 さほど量もない荷物が入ったバッグを真織が当然のように持ち上げたのを見て、貴紘は言った。

「大丈夫! お母さん力持ちなのよ!」

 しかしどうしても譲らないので、貴紘は折れて真織の数歩後ろを歩く。


 ようやく退院の日が来た。毎日お粥を食べさせられて、もううんざりだった。今日から自分のベッドで眠れる幸せを思うと、健康の大切さとありがたさを嫌というほど思い知る。

 夕方真織が迎えに来てくれて、二人で病院を後にした。明日からは学校にも行ける。


 病院のロビーを抜け外に出てようやく、どこの病院に入院していたのかを把握する。間抜けな話だ。自分のマンションから目と鼻の先の場所だった。一度も窓から景色を見なかったので、全然気付かなかった。

 外に出たのは久しぶりで、前髪を揺らす風が気持ちいい。排気ガスで汚れた空気でさえも、病室の独特な匂いよりずっとマシだった。なによりこの景色が懐かしい。


 やっと家に帰れるんだと空気を深く吸い込んだとき、白いキャップを被った少年が貴紘の行く道をふさいだ。驚いた貴紘が少年の顔を見ると、彼もまた貴紘の顔を見つめる。

「辻、貴紘くん」言って彼はキャップを脱いで顔を見せた。

 貴紘は彼のことを思い出した。いつかの帰り道に出会った、ヤンキー少年だった。

「ちょっと話があるんだけど、時間ある?」

 堂々とした態度でそう言い切る。遠慮も慎みもなにもないその姿勢には、どこか敵意すら感じられた。

 ……早く帰りたい。現状、貴紘の心はその想いひとつだった。関わると面倒に巻き込まれることは明白だ。

「ない」

 容赦なくそう言い捨て、貴紘は歩き始めた。真織は不思議そうな顔で貴絋に問いかける。

「お友だち?」

 若干不安げな表情なのは、気のせいではないだろう。今まで家につれてきた友達はみんな、真面目で礼儀正しい子供だった。今そこにいる彼は、染髪・ピアス・襟足、全てにおいてキケンな香りのする雰囲気だ。見た目で判断してはいけないと人は言う。しかしこれを見て「真面目で礼儀正しそうだなぁ」と思う人間はそうそういないと思われる。

「貴紘くんのお姉さんですか? 初めまして。ボクは北丸一元(かずもと)と申します。貴紘くんとは先日お友達になりまして……こんなに綺麗なお姉さんがいらっしゃるとは存じ上げませんでした」

 貴紘と真織は驚いて目を丸くした。

「いつ俺がお前とお友達になったんだよ」

「お、お姉さんだなんてやだわ……そんなに若くないのよ」

 真織に貴紘の声は聞こえていない。

 不良少年が捨て犬を拾うとめちゃくちゃいい人に見えるあの原理で、真織の中のこの少年に対する評価はグンと上がった。

 言葉遣いも丁寧だし、きっと実は真面目でいい子に違いない。何と言ったって、貴くんのお友達だもの。貴くんの友達に悪い子はいない。と、結果的にそうまとまってしまった。

「貴紘くんを、少しお借りしてもよろしいでしょうか?」

「ええもちろん。貴くんあまり遅くならないようにね。お母さん先に帰ってるから」

 真織は足取り軽く自宅の方角へと消えていった。貴紘は呆れてかける言葉も見失う。

「お母さんだったんだ。可愛いね」

 そう言った少年は、いたずらっぽく笑った。

「……何なのお前」

「この間はどうも。よくも騙してくれたね。キミ、央子ひさこちゃんのお兄さんじゃなかったんだ」

 そう言った瞬間、彼の目付きが変わった。鋭く冷たい眼差しだ。顔が整っているぶん迫力がある。

「そっちが勝手に勘違いしただけじゃん。話ってそれだけ? 謝ればいいの? ハイハイごめんごめん」

 貴紘はつい攻撃的になってしまう自分に気が付いていた。よくわからないけどこいつのことがあんまり好きではないと、本能が悟る。

「……バカにするな!」

 勢いよく襟元を掴まれた。――殴られる。反射的にそう思った貴紘だったが、怯えた様子は見せない。抵抗することもなく、ただ冷ややかな視線で彼を見つめているだけだ。

「ああ、……すまない、こんなことするつもりで来たんじゃないんだ。……ごめん、本当」

 少年は貴紘のシャツの乱れを直すと、傍にあったベンチを指差して言った。

「座らない?」

 貴紘は黙ってそこへ座る。遅れて座った少年は貴絋に向き直ると、真面目な顔で言った。

「改めて自己紹介させてもらう。ボクは北丸一元。B小の五年、うさぎ係だよ」


 北丸と名乗った少年は貴紘から目を反らさず、話を続けた。

「失礼ながら君の事は少し調べさせてもらった。……辻貴紘2月16日生まれ10歳A型身長151cm体重39kg。得意科目は算数、嫌いな魚はマンボウ。今まで割った卵の数18個、その内7個は間違えてシンクに落とす。現在Aマンション704号室で母親と二人暮らし中、所持靴下の数は5セット。好きなピザのトッピング……」

「もうやめろ! 何なんだよお前ッ!」


 自分ですら知り得ない情報を開示する北丸にドン引きする。無意識に荒げた声はひっくり返ってしまった。当の彼は得意気な顔で貴紘を見つめている。

「ボクに嘘をついても無駄ってことをわかってもらいたくて」

「キモいんだよ! さっさと用件言えよ!」

 座らないかと言ったくせに北丸は立ち上がった。貴紘を見下ろす瞳には、静かに燃える炎が揺らいでいる。

「単刀直入に聞く。キミは央子ちゃんのこと好きなのか?」

 やっぱりくだらないことだった。貴紘はすぐにそう思った。こんなことでケンカを売られるなんてバカバカし過ぎる。

 めちゃくちゃ真剣な顔して出てくる言葉がそれって。聞いてるこっちの方が恥ずかしくなる。

 貴紘は耐えきれず立ち上がった。

「……帰る」

 歩き出した貴紘の肩を、北丸は間髪入れず掴んだ。

「待ってよ! ほらコーラ飲む? あ、炭酸だめなんだっけ?」

「コーラいらん! 離せっ! 俺帰る」

「ボクの質問に答えろよ!」

「そもそも……何でお前にそんなこと教えなきゃならねーんだよ!」

「そう言うってことは、好きなんだな!?」

「はぁ!? なんでそーなる……」

「好きじゃないなら『違う』で済む話じゃないか!」

「じゃあ違うッ!!」


 貴紘は大声を出す北丸につられて自分も声を張り上げてしまった。もう傷は痛くはないが一週間のクセは抜けなく、思わず腹をかばってしまう右手がそこにあった。

「あ、ごめん……お腹痛いのかい?」

「……別に痛くない」

 突然心配されて調子が狂う。なんなんだこいつは。しかも、いきなりにも程がある。


「キミが認めてくれないと話が進まないんだけどな……。病み上がりだから早く帰してあげたいのに」

「お前さっきから何言ってんの? 低評価つけてコメント欄荒らすぞ!」


 貴紘はイライラし始める。早く帰ってのんびりしたいのに。と言うか、こいつと話をしていたくない。


「……央子ちゃんが大変なんだ。……キミにも協力してほしい」

 それを聞いて、貴紘はやっと北丸の目を見た。北丸は黙って貴紘の返事を待っている。その瞳は真剣そのものだった。

「大変って、何が」

「話せば長くなるんだけど……」と、北丸。


「40文字程度にまとめろ」


 貴紘の無慈悲な指示に北丸は空を見上げた。少し考えたあと、小さな声で話しだす。


「弱味を握られた央子ちゃんはファンクラブ四天王の一味に無理難題を吹っ掛けられる予定だ」

 待て。待て待て待て。

「ファンクラブ四天王ってなに……」

「そんなことも知らないのか!? キミそれで本当に彼女のこと好きだと言える!? 央子ちゃんは東西南北にファンがいるんだ! 北の四天王がこのボクだよ!」

「お前は正義の味方なのか?」

「当たり前だろ! この顔を見ろよ!」

「だから見えねーんだよ善人に!」

「失敬なやつだな! ……とにかく、残りの三人の奴等が、央子ちゃんを狙っているんだよ!」


 全然話が読めない。なんでファンのやつらが神森を陥れるような真似をするのか。


「ファンなら応援したり貢いだりすんだろ」

 北丸は切れ長の目を伏せてから言った。

「央子ちゃんはキミと自宅に入る所をパパラッチされたんだ。他の四天王らは全員……そういうのが許せない奴らなんだよ。可愛さ余って憎さ3億倍って言うだろ」


 いつかダイアナと一緒に帰った日の事を思い出した。大きなプールつきの一軒家にお邪魔して、牛乳を飲んで帰ったあの時だ。


「言うっけな……? それで握られた弱味って言うのは」

「だからその写真だよ! ニブい奴だなキミは!」


 貴紘はなぜその写真が弱味になるのかわからなかった。しかし面倒なのでそこは置いておき、次の疑問を口にする。


「じゃあアイツはその写真を取り返すために大金でも請求されてんのか? 悪いけど俺はそんなに金ない。お前儲かってんだろ? 金貸してやれよ」

「違うんだ……言いにくいけど、あれだよ。……キミも男ならわかるだろ? つまり……そういう事なんだ」

 顔を赤くする北丸を見て貴紘は逆に青ざめた。

「何言ってんのお前……アイツまだ小学生だよ? チビだし……ガキじゃん」

「そういうのがいい人だっているんだよ! ってかそうだから央子ちゃんのファンの四天王なんじゃん!」

「ヤベーじゃんかよそれ。それにしたってお前、この間神森と言い争ってたのは」

「ボクは央子ちゃんに忠告しに行ったんだ!

 だけどなぜかめちゃくちゃ怒られて……何か誤解されてる気がする。とにかく話を聞いてもらえないんだ。だからキミから説明してあげてよ! それに出来るなら、ボクの目の届かないところでは、……キミが守ってあげてほしい……」


 そう言った北丸の顔には、悔しさが浮かんでいた。

「お前、そんなこと俺に頼むって。プライドねーのかよ」


 こいつも、俺の事が嫌いに違いない。それなのに頭を下げに来ること、どんなにイヤな気持ちだろう。


「こんなくだらないプライドなんかいつだって捨てられる。ボクは彼女の為ならドブ川の底からブルーギルを素手で取ってこられるんだ。そう、四天王ならね」


 例えがよくわからないけど、貴紘は彼のことを、誇り高い戦士だと認めた。

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