019 デブ、今だけは
キャンプ中の地図は、頭に入っているし。少女の言う場所も、直ぐに思い当たった。
走っても、多少距離のある場所。亜人が来てから、時間も結構経っていて。
「はっ――」
だからキコが、こうして走っていることには、何の意味も無かった。
どれだけ急いだところで、新しい結果が生まれたりはしない。
(――――)
でも、走らずには居られなかった。
何でだろうか、情だろうか。自分が利用しようとした者に対する、贖罪だろうか。
「そろそろっ――」
少女が言っていた場所、近づいていた。
多少なりとも、継戦したなら。少しは、移動している筈。この辺りで、見えてきてもおかしくない。
キョロキョロ、首を振り、辺りを見回して。
(見つけて、どうする)
その場で、埋めるわけにもいかない。キコの体じゃ、運ぶことも出来ない。
だからやっぱり、別れの言葉を言うくらいしか、思い浮かばない。其れだって、何の意味も為さないのに。
それなのに、必死に探すのは、多分。
「楽しかったから――ちょっとだけ」
テッペイと過ごしたのは、半月や其処らで。大した、時間じゃあ無い。
でも、皆々暗い顔ばかりするこのキャンプで。鉄平の陽気さは、とても珍しくて。そんな時間は、嫌いじゃ無かった。
だから――
「――テッペイが。そんな顔して蹲ってちゃ、駄目」
少し前から、気づいてた。
倒れた亜人の体の前で、項垂れて。突き刺した剣を、引き抜けないまま。小さく――震えている。
「勝ったんだ、テッペイ」
其の背中に、言葉を掛ける。
「…………っ」
一応、応答なのだろうか。小さく、鉄平は呟いたけど。
言葉も解らないし。それ以前に、此方の耳にすら届かない、か細い声だった。
『殺した。殺してしまった。やるしか、無かったけど――ご主人様、さっきから其ればっかだ。別に、人殺した訳じゃ無いのにねえ』
代わりに、その右手が喋る。前より少し、大きくなったか。油断ならない、知恵のある魔獣。
今は単に、通訳をしてくれちゃいるが。
「いや、違う。人殺しでしか無い。少なくとも、テッペイにとってはそう」
前にさらっと。亜人は言葉を話すと言ったことがある。拙いながら、文化もあり。社会性は強い、そんなことも伝えた。
そうしたらきっと、テッペイにとっては。亜人と他の人を区別する材料が無くなってしまったのだ。言葉が通じないという点じゃ、そもそも私達も一緒であるもの。
『けどさあ、其れにしたって戦果上げただけだぜえ? 戦争中だし、なんなら正当防衛だし』
コイツは、本気で理解っていないのだろうか。いつもは、妙に鋭いくせに。
いや、そもそもコイツは人間とは違うから。打算とか、そういうのが関係ない根っこの部分は、どうやっても理解らないのかも知れない。
「テッペイ」
其れを無視して、テッペイの右腕に触れる。
――冷たい。いつもはあんなに、暑苦しいのに。どれだけ震えても、温まらないのだろう。
「一旦、抜くよ」
そう言って、亜人の体を押しのけて。
――ずるり。粘っこい血を垂らしながら、剣が引き抜かれる。
其れを見たテッペイが、余計に怯えた様子で。
「スライム。剣を離して」
『ほいほい』
右手の形を変えさせて。きちんとした五本指、人間の手に戻る。
ロングソードはこぼれ落ち、テッペイを繋ぐモノは無くなった。
――どさ。気が抜けたのか、テッペイが倒れ込んで来た。
其れを、ゆっくり受け止めるけれど――重い。一緒に、倒れ込んでしまう。
「テッペイ、大丈夫」
優しく、テッペイの体を抱きしめて。頭、ぐっと引き寄せて。自分の体に、押し付ける。
スライムが、おおやるねえ、と囃し立てるのが耳障り。
「もう、平気」
「キコ……」
ようやく、聞こえる声で。私の名前を呟いた。
体には未だ、力が入らないようだけど。
「おれ、頑張った。頑張ったよ。亜人、倒せた。倒せたんだよ。でも……」
「うん」
お互い、言ってることは理解らない。紡がれた言葉は、耳を通り抜けるだけ。
でも、何となく。お互いが伝えたいことは、理解るから。
「亜人は死んで、そうなるのは分かってたのに。おれ、恐くてっ……!」
戦争でも、何でも。初めて人を殺した途端、壊れてしまう兵は少なくない。
特に、正義感が強くて。自分がやってしまったことを、許すことが出来ない者は――
其れだけ、苦しいことなんだ。初めての、戦いは。例え、生き残っても。
「大丈夫」
だからキコは、そう言って。ぎゅっと、テッペイの体を抱きしめるだけ。
震えが止まるまで、体温を分け与える様に。
「大丈夫だよ」
自分のときは、どうだったろうか。
それはもう、覚えちゃいないけれど。きっと、凄く辛かった。其れだけは、間違いないから。
『キコちゃん、ちょっと其れは、大胆過ぎない?』
「黙ってて」
いい加減、うっとおしい。
お前には、理解できないんだ。この苦しみが、この恐怖が。
「テッペイ、今だけは――」
――泣いても、大丈夫。
腕の中のテッペイは、何と受け取ったのだろうか。
「うぅ…………」
呻きながらも、キコから離れようとはしなかった。
二人、地面に沈みながら。――星の無い、夜が訪れる