010 デブ、避難
「ほら、南側の方だっ! 走るなよ――」
民間人のテントの周り。キコが一軒一軒周りながら、誘導していく。
俺はその手伝いだ。最低限覚えた文言、オウム返しに叫んで。今走り去った一団で、見える限りは最後だ。
「そろそろ一時間くらいか……キコ、次は?」
『この辺りは回り終わった。もういつ来てもおかしくないし、テッペイも逃げて』
「そうは行くかよ……って言いたいところだけど、足引っ張るだけですもの。か弱い私は退散します」
『か弱い豚なんて珍しいね』
「キコさんちょっと酷くないっ!? それに豚は、意外と体脂肪率低いんだぞ馬鹿にすんな!」
『うん。あと足も早い。だからもし敵と会っても、ちゃんと逃げきってね』
「あ……うん。ありがとう……」
何その飴と鞭。キュンとしちゃう。
『じゃあ、私は兵隊やってくる』
「オッケー。キコも死ぬなよっ」
『任せて』
キコと別れて、俺も避難する。狼煙は上がってない。すぐに敵が来るってことは無いだろう。
願わくば、もう少し長く、生きられます様に。
「なあ、スライム。亜人ってどんな奴らだ?」
『知らねえよ。見たこともねえ』
駆け足、逃げながら。気になって聞いてみたけれど。
博識なスライム先生にしては珍しく、知らないそうだ。
「知らねえの?」
『あのな、ご主人様。俺は確かに、亜人について多少の説明は出来るけれどよお。それは、キコやリアリの奴らが書いた辞書の、亜人についての項目を読んだからだ。そこに自分の経験は無いし、見た目も知らん。だから、ご主人様が知っている以上の説明なんて、出来やしねえよ』
辞書か。トレースで読み取れる情報のいかんが、その程度だってことなら。確かに、俺がキコに話し聞いたものと、相違はそれほど無いだろうう。
「そうか。まあ、自分で実際に見てみるしか無いか」
『まあ、そうなったらご主人様も俺も最後だけどな』
「違いねえな」
だから、走る。走る。
もう、随分走ったけれど。其れでも未だ足りない。
そこそこ広いキャンプの、更に先までいかなければならない。
「あ、狼煙」
『遂に敵さんの登場か。随分焦らしてくれたねえ』
北の空に、黒い煙が上がっている。
狼煙だ。会敵の合図だ。遂に亜人が来た。
――戦争が、始まる。
「キコ、平気かな」
『どうだかなあ。まあ、一つ言うなら、キコちゃんは、亜人を強敵とは思ってないらしいぜ』
そう、辞書に書いてあった。
スライムが、そう言って。
「――」
攻撃。攻撃。退避。
敵は遅い。いや、亜人の運動能力は優秀だ。並の兵よりも、遥かに早いし、膂力もある。
けれど、其れだけだ。いたずらに振るわれる槍や棒の類は、キコの世界ではノロマ過ぎる。
――ぐちゅ。
左手に、肉の感触が伝わる。大鉈が、亜人の首を割った感触。
後ろから棒が来た。恵まれた体格から繰り出される、重い一撃。カスリでもしたら、軽いキコの肉は、そのまま吹き飛んでしまうだろう。
「退け」
「ガアァ――」
けれど。当たらない。弾かれる。右手の短刀が、異様な金属音を立てて。亜人の一撃を阻む。
キコが出る。軸足を其のまま蹴り出して。下半身の瞬発を、回旋する左肩の先に乗せて。
――ばきい。
背の高い亜人の頭の、丁度額がカチ割れた。
それで、距離を取る。味方の後ろに隠れる。敵中で独り、戦い続ける程の体力は無いから。
「――――ッ」
「――!」
亜人が、吼えている。キコを見て。
だが、理解らない。亜人語、理解できれば、思うところも有ったろうが。キコにはさっぱり理解らぬ。
そうしたら喚き立てる亜人達が、降り注ぐ矢の餌食になって。物言わぬ屍と化す。
「おいキコ。斉射が終わったら敵中に突っ込んでくれ。また、裁量で戻ってくればいい」
「分かった」
亜人の強みは、勢いだ。恐れず、退かず、突っ込んでくる
真正面からは、とてもじゃないが、受けられない。それは、とても厄介だ。厄介だから、勢いを削ぐのに尽力しなければならない。
地形。柵。戦術。それらを駆使して、何としても勢いを削ぐ。敵の足を止めたところをかき回して、削る。それが、基本。
「予定どおり相手が横に流れ出したら、受けつつ追う。まあ、先ず負けることは無いだろう」
「だろうね」
亜人は、知略に欠ける。だから、適切な戦術を立てれば、負けはない。被害は、出るだろうが。
見張りが仕事をしていれば、その被害も無かったのに。
「――なあ、キコ。見張り、本当にサボっていたと思うか?」
「……」
気になるのは、その一点。
ただのサボりなら、そいつらを処分するだけで済むけれど。処分する相手が、もう居なくなっていたら。
「もし違ったら、厄介」
「ああ――厄介だな」
少し、思うところはあるけれど。
亜人狩りは、順調に進んでいた。