馬鹿! もうばか!
暗い穴の中。
それもどこが底とも分からない場所で、ユーミルは突き刺した矢に、リリスはそのユーミルにしがみついている。
手を放せばどこまで落ちるのか、それは神のみぞ知ることだろう。
「ちょっと一本矢を借りるわ」
矢がぎっしり詰まっているうちから、ひょいと一本だけを拝借し、
リリスは メーラの 呪文を 唱えた!
矢羽の部分が燃え始めた。それを即座に落とす。
視線で追っていくと、それは少し落ちたところでジュ、というなんとも言えない音を立てて消えてしまった。
「水?」
「わかんないけど、そんなに距離があるわけではなさそうね。ゆっくり降りられる?」
「なんとかやってみ――、あ」
元々握力の限界が来ていたのか、それともユーミルのただのおっちょこちょいなのか分からない。結果として今、ユーミルはずるりとその手を放してしまった。
途端に思い出したかのように、二人の身体は落下を始めた。
「ば! 馬鹿ユーミルぅううう! あだ!」
リリスに 12のダメージ!
ユーミルに 6のダメージ!
同時にバシャン! という音が響いた。
靴が濡れる程度の浅さであるが、天然の水源の上に出たらしい。
空を見ると、到底届きそうにない空だけが見えた。
「なんだろうねココ」
「水路? にしても誰かが整備してそうな雰囲気もないし……」
リリスは矢を地面に一本突き立てた。
リリスは メーラの 呪文を 唱えた!
その矢は松明の役割を果たし、辺りを赤く照らした。
分かったのは、そこがかなり広い空間であること。そしてこの水源がどこまでも広がっていたということ。
ここに勇者がいなくて良かったとリリスは心底思った。
絶対に探検すると言い出していたに違いない。そういって何度危険な目に遭わされたか。
「取り敢えず出るわよ」
声が反響している。暗闇の奥から今にも何か得たいのしれないモノが出てきて――、いや、これ以上考えるのはやめよう。
「どうやって出るの?」
「私の魔法で外に出るくらいはできるわ」
空へと繋がっている穴の下に移動し、もう一度転移魔法を唱え――、
リリスは口を塞がれた。
「待って、誰かいる」
「――!」
リリスは周囲を探り、しかし何も見えないし、聞こえない。
それもそうだ。既にユーミルが咄嗟に、突き立てていた弓矢を蹴飛ばし、その松明を消していたのである。
だがユーミルは何かリリスに見えないし、聞こえないものを感じ取っていた。
なおさら早く脱出するべきだ、という至極真っ当な意見を思いつき、
「逃げていく! 追うよリリスちゃん!」
いやいやいやいや。
嘘でしょ?
嘘でしょおおおお!!?
涙目でモフモフと何か叫んでいるが、それも今はユーミルの手で塞がれているため適わない。
自分だけでも脱出したろ、とも思っていたが、何故かユーミルの脇に抱えられているためそれも適わない。
そしてそのユーミルはと言えば、バシャバシャと水を蹴りながら、暗闇に向かって疾走していると来たものだ。
エルフは人と比べて五感が優れている。だからこそ今、ユーミルにだけ感じ取れる何かがあったのだろう。ユーミルはそこを目掛けて走っている。
リリスとしてはたまったものではない。何せ暗闇の中を連れまわされているのである。
それも何が待ち受けているのか分からない。もうやめて、この馬鹿マジで死んで。本当にやめて、と半分泣きながらこの現実を受け入れていた。
ジャブ……、とユーミルの水を蹴る音が止んだ。
「はぁ、はぁ……。参った……。見失った」
いい汗をかきながらそんなことをいうユーミル。
「何をしてるんじゃワレぇ!」
自由になったと同時に、リリスはユーミルのお尻を蹴飛ばした。正確に言うと、何も見えていないほどの暗闇だったので、ユーミルが立っていたであろう場所をだが。
「ちょっと! どうすんのよ! 出口がわかんなくなっちゃってんじゃん!」
「……あぁ」
「本当に分かってるの!? こんな真っ暗闇でどうするつもり!?」
「ごめん、リリスちゃん……絶対何かいたとおもうんだけど……」
「ちょっと! 本当にそんな変なこと言うの止めて!」
今それに襲われでもしたらどうするつもりなの!? というかもうやめて! そういう話するの!
「あ、そうか。リリスちゃんは暗いのと怖いのが苦手なんだったよね」
「えぇ! そうよ! 暗いのとお化けが私は大の苦手なのよ! 冒険してた頃から焚き火がついてないと寝れなかったわよ! だからもうこんな場所に一秒たりともいたくないのよ!」
リリスの怒鳴り声が辺りに響き渡る。
だが怒鳴っていても何も解消されない。
「ごめんリリスちゃん……」
恐らくしょぼくれた顔をしているのは分かっている。
「そうだ、兎にも角にも明かりを……」
言葉に詰まったのは、杖がなくなっていたか、という理由ではない。
――水が撥ねる音がした。
それは遠くからであった。
水滴が落ちたにしてはあまりに大きな音。
誰かが歩いたにしてはあまりに小さい音。
何かがいるのである。
口論を辞め、リリスもそしてユーミルも辺りを警戒した。
流石にこの状態で火を点けるのが、どれだけ愚かなことかリリスも察していた。ただ相手に居場所を教えるだけである。
そのくらいの知恵は回っていたが、リリスはもう半べそで腰も引けている。それでも意地だけで、杖は前に突き出していた。
――、――、――。
今度は三回だ。その音すらも反響してしまっているため、どこから聞こえているのかまるで分からない。
「誰だい?」
「ばかばか! 声を出したら気付かれるじゃない!」
声は反響していて、音源がどこにあるか細かく特定はされない。
それに牽制する方が無駄な戦闘を避けられるかもしれない。
色々と考慮してのユーミルの発言であり、冷静なリリスならばその意図に気付けたかもしれない。だが現在のこの見えない敵、暗闇といった要素が加わっている環境では伝説の僧侶と言えども、ただの臆病な女の子でしかなかった。
付け加えるならば、リリスの声の方が大きかったのもお約束というものか。
近づいていったのか、逃げていったのか。それすらも判別がつかない。
強いて言えるのは、まだユーミルの視界に入ってきていないということだけ。
ユーミルが最初に追っかけていたものであれば、逃げていきそうなものであるが、別の存在であったならば襲ってきてもおかしくはない。
――、――。
水の撥ねる音は確かにしている。
「動いていない?」
その音は近づいているようにも、遠ざかっているようにも聞こえない。
「襲ってこないのね? そうなのね?」
「行ってみよう」
少しだけほっとしたのも束の間、隣にいる相方は変なことを言い出した。
「ちょっと本当にアンタ馬鹿なのぉ? もうやめようよぉ、帰ろう? 私が悪かったから。ほら、あなた達も帰りなさい、って相手の人も言ってるわよ」
「リリスちゃんはここで待ってる?」
「鬼! 悪魔! 私をここで一人にするくらいなら着いて行くわよ! 馬鹿! もうばか!」
リリスはもう幼児くらいまで退化していた。
砕けた腰でユーミルの腰布をしっかりと握り締め、リリスはゆっくりと歩きはじめた。




