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縁結び

 いつか自然と現れて、気づいたら落ちていて、そうして抜け出せなくなっているものなんじゃないのかな……千香はそんなことを思いながら、長く続く石段を登っていた。


「よい、っしょ……」

「ちょっと千香。やる気ないんじゃないの?」

「そんなことないんだけど……」


 額にうっすらと浮かぶ汗を拭きとり、千香は石段を見上げた。

 石段はまだまだ続いていて、目指す本殿は見えない。

 とうとう足を止めてしまった千香を見て、数段先を歩いていた友人の米森よねもり彩夏あやかがため息をつく。


「まだある……」

「さっき登り始めたばっかりでしょ! ほら! 早く!」

「えー? そうだっけー? もうだいぶ歩いたよー。足が痛いー」

「そんなんじゃ、神様がご縁結んでくれないよ! ほら!」

「う~ん……」


 そもそも、どうしてこんなことになったんだっけ? 千香は自分の腕を掴んで歩く友人を見た。



 ある日突然、職場のカフェに乗り込んできた彩夏は、千香を見つけると抱きついてきた。


「千香! 私……私……!」


 気が強くて姉御肌。いつも千香を引っ張っていってくれる彩夏が声をつまらせていた。

 千香は胸が締め付けられるような感じがして、自分より背の高い彩夏を背伸びして抱きしめた。いつも背筋を伸ばしている彩夏が、背中を丸めている。千香は両手を彩夏の背中にまわしてぎゅっと力いっぱい抱きしめる。これはいつもは彩夏の役目だった。千香が彩夏に対してこんな風にするのは初めてかもしれない。それだけ、この日の彩夏は弱っていたのだ。


「どうしたの? 彩夏。私にできることならなんでもするから、元気だして!」

「……ほんと?」

「ほんと!」


 体を離して顔を覗き込むと、いつもは凛としている涼やかな一重の目が潤み、千香を見た。


「千香……私、恋がしたい!」

「うん! ――って、いま何て?」


 彩夏は出版社に勤めており、就活に失敗して義兄のカフェで働いている千香とは違って数十倍の倍率を勝ち抜いたバリバリのキャリアウーマンだ。

 仕事は忙しいらしく、スーツは段々とカジュアルな格好になり、つけまは捨ててナチュラルメイクになったけれど、いきいきと仕事をする姿は同性の千香から見てもカッコいい女だった。

 それがこんな弱弱しい姿を見せて、恋がしたいとは一体どういうことだろう?


「ライバルがいたのよね……。あいつが担当した漫画がアニメ化、映画化ととんとん拍子にいってさ。同期としては負けたくないって頑張ったのよ」


 義兄であり、カフェのオーナーでもある熊埜御堂くまのみどう雅也まさやが出してくれた珈琲を飲んで落ち着いたのか、彩夏が話し出した。

 あいつ――彩夏のその口ぶりから、相手は男性だろうと千香は思った。


「めっちゃ残業してさー。センセのとこも通ってさー。取材も同行して靴ガンガン磨り減るわ、打ち合わせ何時間もかかっておなかポッチャポチャだわ……で、やーっと巻頭ゲットして新刊に特典CDつけてもらえるようになって」

「へー。今ってそんな特典がつくの?」

「食いつくとこそこじゃない」


 時代は変わったなぁーっと思ってたら、どうやら今は口を挟んではいけなかったらしい。彩夏は手を上げて千香の発言を止めた。


「……で、今日ね。その担当してる漫画のさ、アニメ化が決まったの。って言ってもネット配信とCSなんだけどさ」

「へー。今ってそういう放送の仕方も――」

「だからそこじゃないって」

「ご、ごめん」


 千香の言葉を遮ったにも関わらず、彩夏は黙り込んでしまった。そんな彩夏が気になるが、またおかしなことを言ってしまいそうで、千香は何も言わずにただ彩夏が話し出すのを待った。


「……好きだったみたいなんだよね」

「何が?」

「だから! あいつがよ!」

「は?」


 仕事が順調だという話ではなかったのかと千香は目を瞬かせる。

 ライバルで、先に仕事を成功させたのが悔しくて仕事を一生懸命頑張って、担当している漫画のアニメ化が決まって……良かった良かったって話ではないのか? それがいきなり好きだったみたいときて、どうやったら話が繋がるというのだ。千香には理解できない。なのに、目の前の綾香は千香のことをまるで物わかりの悪い子を見るようにジトリと見ていた。


「だから! 仕事、負けたくなかったのはあいつが気になってたから。ライバルだと思って頑張ってたのも、あいつにも私のことを特別に想って欲しかったから。――それに気づいちゃったの」

「わぁ! 良かったね!」

「なんでよ!」


 千香はとうとう怒鳴られてしまった。

 自分の気持ちに気づいたのなら、良かったじゃないか。そういう話じゃないのか? そりゃ、自覚したからといってすんなり恋人同士になれるわけではない。告白のタイミングとか、色々あるだろうけど、間違いなく一歩進んだことになるだろうに……。なのに、どうして怒られるのか、千香はやっぱりよくわからなかった。


「私が最初に言ったこと、覚えてる?」

「ええと……『私、恋がしたい』でしょ? 自覚したから、その人と恋がしたいって意味じゃないの?」

「違う! 振られたの! 今日、アニメ化が決定して。あいつは外出してたから、戻ってくるのを待って、それで報告したのよ。そしたら……」


 千香はそこまでまくしたてると、大きなため息をついた。


「ああ……私、馬鹿だ。ほんと、馬鹿だ」


 千香も悪いのかもしれないが、彩夏だってかなり支離滅裂だ。でも、そう指摘できない程彩夏は肩を落としていた。

 その後、気をきかせた熊埜御堂が千香を早く上がらせてくれて、千香は根気強く彩夏の話を聞いた。

 自己嫌悪に陥りながらも、ポツポツと話す言葉を繋げると、彩夏の話はこうだった。

 担当の先生の仕事場に行っていた彼が戻って来て、彩夏は彼に早速報告した。彼は自分のことのように喜んでくれて、彩夏の仕事ぶりを褒め、刺激になる、と言ってくれたのだと言う。その言葉に、彩夏は喜んだ。連日の残業も、先生と意見がぶつかった打ち合わせも、そんな辛さが一瞬にして吹き飛んだ。そんな彩夏に、彼は自分も報告したいことがある、とはにかみながら言った。彼が今まで見せたことのない表情に、彩夏の胸は高鳴り、あれ……これってもしかして……と思った矢先、結婚が決まったと言われたのだという。

 恋心に自覚した瞬間、彩夏は失恋したのだ。


 無自覚の恋心が、彩夏の燃料になっていたが、それを突然失ってしまった彩夏は、仕事しかない自分の生活が嫌になってしまったのだと言う。


「だからね。縁結びのご利益がある神社に行こう」

「は?」

「女性誌の部門にいる先輩にさ、最近話題のパワースポット聞いてきたの。恋がしたい! 恋がしたいんだよ!」

「だから神社って……飛躍しすぎじゃない?」

「――なんでもするって言ったじゃない」


 彩夏がまたジトリと千香を見た。



 ああ、確かに言った。そう、言った。

 それで今日、千香は長い長い石段を登るはめになったのだった。


「普段運動しないから……。よいしょっ。……はあ」

「だからせめて家まで迎えに行くよって言ったのに……」

「うーん……よいしょ」


 中学からの友人である彩夏は、翔真のことを知らない。

 勿論家に遊びに来たことはあるし、その時にお隣の立派な洋館は見ている。もしかしたら長い付き合いの間に、その洋館に住むお金持ちの息子が所謂幼馴染であるということは話したかもしれないが、彩夏と翔真は直接の面識はない。

 中学の時には、幼馴染たちと離れて自分だけ公立中学に進んだこともあり、なんとなく千香は翔真を見れなかった。自分も新しい環境に慣れるのに精いっぱいだったし、年齢を重ねるにつれて翔真の周りの華やかな噂話が聞こえてきて、なんとなく避けるようになってしまった。それでも、親同士が付き合いがあるからか、なんとなくその存在は忘れることはなかった。長いこと、そんな関係だったのだ。

 それが、今一緒に住んでいる、と千香は彩夏に話せずにいた。

 相手は家族ぐるみの付き合いの幼馴染とはいえ、異性ではあるし、失恋のショックで暴走している彩夏にどう話せばいいのか分からなかったのだ。

 第一、翔真との関係をどう説明したらいいのか分からなかった。

 本当に同居しているだけで、顔を合わせるのは朝と夜だけだ。たまにリビングで同じテレビ番組を見ることもあるが、それは1日24時間の中のほんの2時間程度に過ぎない。でも、単なる幼馴染でただの同居人だ。という説明がそのまま受け入れられるとは思えなかった。


(のんたんにも、なぜか翔真の恋人と思われてるし、当の翔真もその噂を否定しようとしないし……)


 その結果千香は、必要に迫られない限り話さない、という結論を出したのだ。


「千香だって、ずっと1人のままでいるつもりでもないでしょう?」


 腕を引きながら彩夏が問いかける。

 いや、形式は疑問形になってはいるが、それは殆ど断定と言ってもいいニュアンスだった。

 確かに、千香だっていずれは恋をするだろうし、子供も欲しいと思う。けれど、これまでそういう縁に恵まれなかっただけだ。残念ながら異性に好意を寄せられたこともないし、気が付けば25歳というなんとも微妙な年齢になっていた。これではいけない。と、通勤時間を理由に自立を計画したのだが、なぜか翔真の部屋に転がり込むことになった。

 確かに、ずっと1人のままという強い決意があるわけではない。けれど、今その言葉を投げかけられると、自然と翔真のことを思い浮かべてしまった。

 深い意味はない。ただ、今同じ空間を共有して生活している存在だからだ。

 いつか、千香も翔真もそれぞれに愛しい存在ができ、同居を解消することになるのだろうな……そう考えると、少し寂しくて切ない。そう思える位には、翔真との同居生活は順調で、思った以上に居心地が良かったのだ。


(でも、いつか壊れちゃうんだな……)


 それはいつ、どちらが先に言い出すだろう。

 それこそ縁というもので、そんなこと今わかるはずもない。


 千香はなんだかモヤモヤしたまま、石段を登った。



 * * *



「やけに疲れてるけど、何かあったの?」


 その日、なんとか神社にたどり着き、縁結びの神様にお願いをしてきたわけだが、長い長い石段を降りたところで彩夏が職場から呼び出されてしまった。

 最寄りの駅まで車で送ってもらい、帰ってきたのが夕方。夕食の支度には少し早かったため、むくんだ足をさすりつつ、少しだけ……とソファーに横になった千香は、そのまま翔真が帰ってくるまで眠ってしまったのだ。


「うん。長い長い石段をね……あ、そうだ。はい、コレ」

「何これ」


 千香が差し出した手のひらの上には、親指大ほどの丸い巾着型の物が乗っていて、ほのかに花の香りがした。


「縁結びのお守り。今日行ったんだけど、せっかくだから翔真の分も買ってきたんだ」


 目の色を変えてお守りを選ぶ彩夏の横で、千香は一番小ぶりな香り袋タイプのピンク色のお守りを手に取った。いかにもお守りという形は、着ける場所に迷ったりするのだが、これならポーチにでも良さそうだ。ついでに、隣にあった同じデザインの濃紺のお守りも買って来た。ストーカーの存在に困り、疎遠だった千香に助けを求めてくるほど悩んでいる翔真のためだ。


 だが、翔真は手のひらのお守りを複雑な表情で凝視していた。


「あんまり目立たないの選んだつもりだけど……気に入らなかった?」

「いや……じゃなくて……。うん、サンキュ」


 翔真はやっとお守りを受け取ると、困ったように微笑んだ。


「俺、今日1人だと思ってたから食材用意してないや。ピザでも頼む?」

「あ、いいねぇ! 私部屋にメニュー置いてるよ! 取ってくるね」


 翔真の言葉で、急に空腹を覚えた千香は足早にリビングを出て行く。

 ポテトも頼みたいねぇーなんて、のんきなことを言いながら。


「縁結びねぇ……ちぃはほんっと、何もわかってないな」


 小さく呟いた翔真の声は、千香には聞こえなかった。

 




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