プロローグ
「…………」
学園を、ひとりの女子生徒が歩いている。ヴェールで顔を隠し、目立たないよう音を立てずに歩を進めている。
石造りの階段をおり、誰もいない廊下を抜けて。
スカートと長い黒髪を揺らしながら、角を曲がる。
「えっ?」
次の瞬間、少女は闇のなかに引きずり込まれていた。
まるで次元の壁を超えたかのような感覚とともに、世界が暗くなる。
「お?」
目の前に、抜き身の剣を持った男がいた。
刃からは血がしたたり、その下には今まさに崩れ落ちた男子生徒の死体がある。
「あちゃー」
その廊下には、何十という数の生徒と教師の死体が転がっていた。石造りの閉鎖空間を赤黒く生ぬるい液体が流れ、臭気が充満している。
「あ〜あ。また平民か。もっと確認してから引きずり込まなきゃダメだな。まっ、出会ったのが運の尽きだと思って死んでくれ」
少女は事態を理解できないという表情のまま振り返る。曲がり角には黒色の膜が張られていて、廊下の一面を覆っていた。手で触れると、冷たい魔力の塊が反発するように手を押し返した。
「こっ、これは……」
膜の向こうを、男子生徒が談笑しながら通りすぎる。
「もう出られないよ、魔法具で空間を区切ってあるから。俺が招待しない限り外から侵入することもできない」
男はポンポンとポケットを叩く。精緻な魔法陣の刻まれた杖が顔をのぞかせていた。
「こっ、こんな……こんなことをして、すぐ警備のゴーレムが――」
「来ないよ。言っただろ。空間を隔離してるって。外の人間は気づけないし、入って来れやしないのさ」
男は剣をくるりと回した。誰かの血が令嬢のヴェールに飛び散る。
「……」
少女は絶望の表情で男の背後を見やる。
そこには物言わぬ死体の山があるだけ。男は生徒の顔隠しを興味なさげに一瞥してから、頭をかいた。
「諦めな」
「ほ、本当に? 叫んだら外に聞こえたり──」
黒髪の女子生徒は震えながら身をよじり、剣の切っ先から逃れようとする。そんな少女を見て男は一閃。
「めんど。聞こえねぇよ」
刃は寸分の狂いもなく喉元を斬り裂き、鞘に収まった。死体がまたひとつ、異空間に増えた。倒れた少女の首から鮮血がだくだくと流れ出し、床の湖は支配領域を広げる。
「ふぅ……」
男は死屍累々の中央で煙草を取り出す。それを指先に灯した魔法の火にかざそうとしたとき。
「──嘘は言ってないようだな」
たった今殺したはずの、少女の声がした。
「〜〜っ!?」
瞬時にその場を飛び退き、剣を抜いて構える。ありうべからざる事象だ。ひどく奇妙で、異常な事態だ。
黒髪の少女は平然と立っていた。
「お前、どういう手品で──うっ!?」
男は顔色を蒼白にしてうめいた。
見れば、彼の足は地を離れ、宙にもがいている。まるで巨大な腕につかみ上げられたかのように身体が浮いている。男の首を、不可視の力が絞め上げていた。
「な……に……がっ……」
「外に聞こえないのなら好都合。洗いざらい喋ってもらおうか。聞きたいことがいくつかある──」
「ひっ……」
少女はヴェールをゆっくりと外す。
男はこのような状況だというのに見惚れてしまう。穢れなき白皙の肌に、この世のものとは思えない幽玄さと儚さをはらんだ、整った造形。
ひどい容姿か、古傷か。醜さを隠すためのヴェールとばかりに思っていたために、驚きは一際だった。
それに何より、確かに斬ったはずの首に傷跡は影も形もなく、血液だけが滴っている。男を得体のしれない恐怖が支配する。
なんだというのだ、こいつは。
普通の生徒じゃない。明らかにどこか、異質な──。
少女の瞳が視線を絡めとる。底冷えするような威圧が男を貫いた。
つい先ほどまで怯えた様子を見せていた少女の面影はもはやどこにもない。
「──拷問の時間だ」
美しい少女は、しかし少女とは思えない口調で、嗤った。




