104 亨も大変だな
それは少し前に遡る──
現在、エレナは料理教室に通っている。
それも少し離れた場所にある料理教室だ。
なぜなら、誰にもバレたくなかったからだ。
「きょうはなにちゅくるのー」
そう。アンジュはエレナが通い始めた初日から訪れている。
エレナの到着と同時に来校しているのだ。
そんなエレナは、最初の頃は、放課後に巡と礼奈の追跡を振り切り、電車に乗って通っていた。
放課後になると同時に駅まで走ったのだ。あのエレナが走ったのだ。
しかし、意外なことに走るのが早いエレナは、荒い息を吐きながらなんとか改札を抜けて、発車寸前の電車に駆け込んでいる。
時には、飛び込んだり、前回転したり、スライディングしたり。
そうして、電車の中で息を整えてから、通っていた。
そして、沿線の全部の駅に、エレナが何かしていると聞きつけたクラスメイトたちが待ち構えていた。
それを回避するため、アイリに訳を話し相談し、今ではタクシーで通っている。
優雅に学校の校門の前で乗り込んでいる。
「ごめんあそばせ〜」
本来ならそこで問い詰めればいいものを、追いかける方に目的が移ってしまっているため、わざわざ待機している。
「いい? 発車したら追いかけるよ」
「今日こそは何をやっているか暴かないとね」
「あんな楽しそうにしてるんだもの。彼氏がらみよ」
「じゃあ、現場で押さえないとだね」
さすがに学生の財力では、タクシーでは追えないため、先生に車を出してもらって追いかけてもらっている。
「別に追いかけなくてもいいんじゃないかな?」
「事件に巻き込まれたらどうするんですか?」
「なるほど。その可能性はあるな」
どちらも法定速度。スリルのないドライブが続く。
赤信号では止まり、青になれば進む。横断歩道では止まる。常に一定の距離が続く。
だが、そこはタクシードライバー。抜け道を抜けて、あっという間に離されていく。
悔しくなった先生たちが、今度は、通った近辺でレシーバーを持って待ち構えるほど。
完全に目的を見失っていたが、そもそも、探している場所が違うのだ。
そうして、エレナはタクシーから優雅に降りて、料理学校へと通う。
羽鳥料理教室──
都内でも有名な料理教室で、なかなか予約が取れないのだが、たまたま運良く取れたのだ。
教室内へ入り、椅子に座ると、アンジュが真横に転移してくるのだ。
「あらあら今日も来ちゃったの?」
仕方ないなと思いながら、保育士である萌歌にLINEで報告する。
『←アンジュのお迎え完了しました』
『到着報告承りました→』
だが、それで終わらないのが萌歌である。
萌歌も亨を狙っている恋のライバル。
萌歌のLINEは続いていた。
『ところで、いつもは亨さんから連絡くるのに、ここ最近はエレナさんからなんですね→』
『←そうね』
『何でですか?→』
『←料理教室に通っているので』
『そうなんですね→』
普通ならここで終わる。
『どこに通ってるんです?→』
『わたしたち仲間ですよね→』
『一緒に切磋琢磨していけたらいいと思うんです→』
『わたしも亨さんに料理振る舞いたいなーって→』
『エレナさんだけ、上達するのはずるくないですか?→』
『どうして返事くれないんです?→』
通知音が鳴るたびに、よせばいいのに、開いて見てしまう。
『既読ついてますよね?→』
『返事ください→』
『見てますよね?→』
『返事→』
『不在着信』16:52
『不在着信』16:53
『不在着信』16:54
『不在着信』16:55
『不在着信』16:56
『不在着信』16:57
『不在着信』16:58
『不在着信』16:59
さすがにエレナも電源を切った。
バッテリーの容量が40%を切ったのだ。
エレナは思った。
亨も大変だな、と。
横を見ると、アンジュが不思議そうな顔で見ていた。
「どちたの?」
「な、なんでもないの」
そんな様子をエレナの横でボーッと見ていたのは、一緒に料理教室に通っている来栖御幸だ。
御幸も誰かに料理を作ってあげたいとのことで、少し家から離れているこの場所へ通っている。
もちろん、通っていることを隠すためだ。
そうして、同じ理由でエレナと意気投合して、今では二人仲良く、同じ班で作っている。
金髪美人コンビとして、この料理学校では有名になっている。
授業が始まると、アンジュは先生の横で、用意された割烹着を着て、椅子の上に立っている。
先生のアシスタントのようにも見えるが、既に何回もそのようなスタイルでやっているため、最早誰も疑問を抱かないし、ツッコミを入れる者はいない。
それに、できた料理の評価は先生とほぼ同レベルで正確である。
「こんにちは。今日もやっていきましょう。羽鳥料理教室、料理長の羽鳥竜士です。よろしくお願いします」
「アンジュです」
二人してお辞儀すると、みんなが、拍手をした。
「きょーは、なにをちゅくりますか?」
「はい。今日はハヤシライスを作っていきます」
「アンジュ、ハヤシライスしゅきー」
「はい! みなさん、アンジュちゃんが満足するようなものを作っていきましょう!」
「「「「「「「はーい!」」」」」」」
最早誰も疑う者はいない。
早速、調理開始となるが、未だに慣れないのが、エレナと御幸の二人だ。
「まず、手は猫さんの手はいいのですが、真正面に立って包丁を持って切ると、どうしても断面がずれたりして、均一に切れないですね。なので、一歩引いて斜めに立って正面から切る。もしくは、正面に立ったら、まな板の上では少し斜めに置いて切ると見やすくて、やりやすいですよ」
「なるほど」「へぇ」
「そうして、こう、垂直に切るのではなくて、奥か手前側に引くように切ります。和食だと前へ押す切り方、洋食だと手前へ引く切り方も多いですね。まぁ、これはやりやすい方でいいですね。わたしは、奥へ押すように切りますね」
「なるほど」「ほぉう」
言いながら玉ねぎをサッサッと切っていく先生。
それを感動しながら見ている。
そして、見よう見まねでやっていく。
先生と違って、厚さは不揃いだが、危なげなく切っていく。
最初と違って、それなりにできるようになっていた。
今なら簡単なものなら作れるようになっていた二人。
そして、刻んだ玉ねぎを炒め、肉を炒め、刻んだトマトを入れて、水を入れ、最後にルーを入れていく。
そこまで難しいものは作らないし、変に凝った作り方は教えない。
あくまで基本を教えるのだ。
そうしてできたハヤシライスはとても美味しそうだった。
「今日も上手にできたわね」
「ええ。完璧よ」
そして、先生とアンジュが味見をして、頷いた。
「はい。今日も上手に出来ましたね」
「ほしみっつでしゅ!」
「あんまり似てないわね」
「そこは似てるって言ってあげなさいよ」
エレナに御幸が突っ込んだ。
そして、帰り際──
「わたし、バスガイドやってるんだけど、今度よかったら参加してよ。割引するわよ」
「え? いいの?」
「うん。わたしたち戦友でしょ」
それを聞いて、頬を染めたエレナ。
「うん。行く! 絶対に行くわ」
「どうせなら大事な人と来てよ。そのために通ってるんでしょ?」
そう言われたエレナは紅玉のように真っ赤っかな顔になっていた。
その日はアンジュに手を引かれながら帰ったが、どうやって帰ったのかも分からなかった。




