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◆兎与田太良
兎与田が運転する車は、何事もなく結界がある地点へ到着した。
先に降車した七海が周囲を見渡し、ある一点を指す。
「車がある。やっぱりここに来てるみたい」
七海が示した先には、画像で確認した車があった。
やはり、ここで間違いないようだ。
そう思って兎与田が周囲を確認していると、更に発見があった。
新しく建てられた監視小屋の側に、人が倒れていたのだ。
駆け寄ってみると、物陰に隠すようにして複数の霊術師が拘束状態で気絶していた。
「……こりゃあ、折れてるな。誰かに思い切りやられたみたいだ」
霊術師たちの腕や足が、可動不可能な方向に曲がっていた。
これでは覚醒させても、まともに動けないだろう。
「現地の霊術師に協力してもらうつもりだったけど、無理っぽいね。私たちだけで、やるしかないみたい」
「仕方ないな。車の音で俺たちが来たことは気付いているだろうな」
辺りは静かで障害物がない。
この状態では、接近に気づかれていると見るべきだ。
「なら、待ち伏せているかも。そうだ、録画機を起動しないと」
「だな。証拠はきっちりと確保しておかねえと」
頷き合った二人は、身に着けていた超小型の録画機器を起動。結界へ向かおうとする。
するとその時、結界がある洞窟の方から人影が現れた。
「ほう、珍しいのが来たな。俺も運が良い」
余裕の歩みで現れたのは、脱獄犯の井和倉慶二だった。
「やっぱり。こいつが脱獄犯だよ」
「まじか。聞いてた通り、井和倉慶二じゃねえか。でも、一緒に行動してた奴らが見当たらないな」
井和倉は元十家の五属性。最悪の相手だ。
しかし、この男は一人で行動していなかったはず。
脱獄後、ここに来るまで複数人と行動を共にしていた。
だが、周囲に人影はなかった。
こちらの会話を聞いていた井和倉が、鼻を鳴らして笑う。
「フン、同行した玄宮の連中は、当主に監視されて結界を破壊中だ。俺はその間ひまだから見張りをしていたってわけだ」
井和倉の言葉を聞き、兎与田が目を見開く。
「おい、まずいぞ。まさか、本当に結界を壊そうとしていたなんて……」
「しかも、今の言い方だと、同行していたのは全員玄宮みたいだね。当主もいるって言ってるし」
「最悪じゃないか……」
結界に干渉するなら、玄宮の力は必須。
だから、何人かは同行していると考えていた。
しかし、そうではなかった。井和倉以外の全員が玄宮の者だったのだ。
その事実を知れたことだけは、運が良かったのかもしれない。
「結界を破壊するには時間がかかるらしい。どうやって時間を潰すか考えていたから、本当に助かった。なんせ、お前が来たんだからな」
そう言った井和倉は、七海の方を見てニヤリと笑った。
その視線に気づいたのか、七海が怪訝そうな顔をする。
「私のことを言っているの」
「そうだ。お前を倒すことも依頼に入っていてな。結界内の妖怪と戦う前のウォーミングアップに丁度いい。せめて、結界が壊れるまではもってくれよ」
「上等だ、やってやる」
井和倉の挑発に七海が応え、両者が構えを取る。
が、そこで兎与田が二人の間に割って入った。
そして、背後の七海の方を見る。
「駄目だ」
「ちょっと!」
「結界に関することはお前じゃないと駄目だ。もし、状態が変化していた場合、俺には何もできん。お前が行かないと無理だ。ここは俺がやる。お前はさっさと中に行け!」
すると、ここまで兎与田と七海の会話を黙って聞いていた井和倉が、不機嫌そうな顔になる。
「お前みたいな三下が俺をどうこうできるわけがないだろう。五属性の女は俺が仕留める」
そう言うと、井和倉が無造作に腕を振るった。
すると、霊気が放出され、衝撃波のようになって飛んでくる。
兎与田と七海は素早く回避行動を取り、井和倉の攻撃をかわす。
兎与田は、かわしざまに霊装を取り出し、最速で土属性の術を発動。
地面から縄の様に細い泥が複数飛び出し、井和倉の身体を縛る。
「行け! ここは俺が抑え込む!」
「……分かった」
七海は一瞬ためらうような顔を見せたが、すぐに切り替え、洞窟へ向かって駆けだした。
その後ろ姿が洞窟の中へ消えていくのと、井和倉が兎与田の霊術を力任せに破るのが同時となる。
「この程度で、どうにかなると思っていたのか!」
力技で泥縄を引きちぎった井和倉は、七海との対戦を妨害されたことで苛立ちをあらわにする。
「……思ってねえよ。それより、あいつを仕留めるとか言ってたよな」
「そうだ。霊術師同士の争いは禁じられているが、これほど昂ぶるものはない。その上、相手が五属性ともなれば、それは極上の体験となる。五属性同士の真剣勝負など、そうそう味わえん。この好機、逃すわけにはいかんのだ」
井和倉が気持ちの高ぶりを表現するかのように、両腕を大きく広げ胸を逸らす。
途端、全身から強烈な霊気が吹き出した。
まるで突風が襲い掛かったかのような圧を受け、兎与田は無意識に後退った。
が、頬を両手で叩いて気合を入れ直す。
「あんたには悪いが、相手は俺がさせて貰うぜ。ウォームアップどころか、オーバーワークで動けなくなるまで付き合ってもらうからな」
「減らず口を……。力の差を思い知るがいい!」
井和倉が両の拳を打ち合わせる。
すると、鋭い金属音と共に、肩まで覆う巨大な手甲型の霊装が装着された。
「ど派手な演出だな。こっちは地味に行かせてもらうぜ」
兎与田は癖のない片手剣型の霊装を握り直し、構えを取った。
◆龍宮清正
龍宮清正は霊気を可視化できるほど高めて見せた。
ここまですれば、どれだけ鈍感な者でも恐怖を覚えるはず。
しかし、眼前に立つ縦巻き髪の女子は無反応。何事もないような顔をしている。
やせ我慢だろうが、気に食わない。
それに、すぐに結果が出ては面白くない。少し可愛がってやるか。
そう考え、霊気に殺気を混ぜて威圧する。
ここまですれば、どんな者だろうと震えが止まらなくなり、顔が引きつる。
はずなのに、無反応。相変わらず何の反応も示さない。
それどころか、不敵にほほ笑んでいる。
「本当は急ぎたいのですが、こんな機会、もう二度と来ないでしょうし、少し遅れてしまうのも仕方ないですよね」
縦巻き髪の女子は楽しそうな顔で何やら呟いた。
「何を一人でブツブツ言っている」
「いえ、比較するのに、丁度良い材料が出来たと思いまして。当時の話を聞いて、おおよその時間を算出したところ、全体の制圧にかかったのは五分程度。つまり、最後の対戦は一分未満だったものと思われます。そして当然といえば当然なのですが、それに加えて全力を出していない、という注釈が付きます」
「一体、何の話だ」
縦巻き髪の女子が長々と話した内容が何一つ理解できない。
こちらの霊気に中てられて、気が触れてしまったのか?
「独り言なのでお気になさらず。つまり、一体一分は絶対条件。後藤、計測をお願いします」
「かしこまりました、お嬢様」
女子の言葉に、側仕えと思われる女が携帯端末で時間を測り始めた。
「わたくしの実力が、どこまで近づいたのか。検証材料となってもらいますわ」
そう言うと、縦巻き髪の女子は洋扇をかざした。
途端、まるでスポットライトを浴びて影が四方に伸びたかのように、黒い何かが足元から広がっていく。
それと同時に、女子の全身を影が包み込んでいった。
そして、数秒と経たぬ内に、黒い装束を身にまとった姿となる。
その衣服は、細部にわたって全てが黒。
色のせいで、全身がほのかな朱色の輝きを放っているのが際立つ。
あれはまさしく霊気……。
なんという密度だ。あまりの強烈さに目がくらむ。
足元から四方に伸びた影は、赤絨毯が展開されるように遠方まで伸びていく。
肉眼で捉えられないほど遠方まで伸びたところで、T字に分断。
そのまま円を作るように、それぞれのT字が伸長と共に連結。
次の瞬間、帯状のそれらから、直方体の巨柱が隙間なく屹立していく。
柱群は女子を円の中心として黒く巨大な壁となり、周囲を完全に囲ってしまった。
――余りに唐突。
――余りに急転。
気が付けば、ただ呆然と事の成り行きを見守ってしまっていた。
一体、何が起きたというのだ。
これは霊術なのか?




