第4話 はじめての戦い(3)
「ふーん、お友達の口癖だったわけだ。持つ者、持たざる者……。聖書のマタイ伝だったか、『持てる者はさらに与えられ、持たざる者はさらに奪われる』。この世の真理のひとつかも知れないね」
煙草の煙が、夜空に立ち上っていく。
エリンはあぐらをかいてアスファルトの道路に座ったまま、それをぼんやり見上げていた。
「自虐的になるつもりはないが、俺も〈持たざる者〉なのかも知れないな。俺が、と云うよりも、俺たちが、と云うべきか。持つ者と持たざる者の関係とは、ある意味で人間とNPCの関係だ」
「……えぬぴーしー?」
「身体を持たざる者、心を持たざる者、魂を持たざる者……どんな風に呼んでくれても構わないが、俺たちNPCはやっぱり〈持たざる者〉だ。限りになく人間に近づくことを望まれながら、その一方で、人間そのものになることは望まれていない歪んだ生命。――んん、いや、そもそも生命ですらないか」
彼は二本目の煙草に火をつけた。
銀色のオイルライターはインベントリに放り込まれる。
「俺たちは、悲しいかな、命すらも、〈持たざる者〉だな」
哀愁を込めた語り口ながらも、男には悲しむような素振りは見られなかった。
軽妙に語られる言葉は本心からのもので、嘘や偽りは含まれていないだろう。だが、そこには必要以上の重さもなく、彼はあくまで会話を楽しむスタンスのようだ。
「持つ者と持たざる者、そんな風に区別される者同士が仲良くするのはおかしいと思います?」
「いや、むしろ普通じゃないか」
エリンの素朴な問いには、間髪入れずに答えが返された。
「問題になるとすれば、〈持つ者〉の憐憫か、〈持たざる者〉の嫉妬のどちらか。ただし、NPCが人間に嫉妬することはない。ゲームとしてキャラクターを演じるための、その必要以上の負の感情を抱くことは絶対にない。俺たちはそういう風に作られている。一方で、人間って奴はどうも面倒くさくてな……」
話しながら、その男はちらりとエリンの表情を見た。
そう云えば、今の話相手も人間だったな、と再確認するように。
「NPCは人間ではない。それなのに、人間の中には、NPCを生きているものと同等に扱おうとする者たちがいる。〈持つ者〉と〈持たざる者〉、これまで結構うまくやって来たはずなのに、何が不満なのやら……。NPCにさらなる成長と発展、人間と同一の機能と権利を求める、だったか。そうした主張は一見すると立派かも知れないが、結果として生み出される社会は混沌だと俺は予想するね。そういう点では、〈持つ者〉と〈持たざる者〉がきっぱり区別されている方が良い。たとえ、人間の倫理観で考えた時にそれが『差別的』と感じられたとしても、だ。両者がそれを曖昧に見過ごしている状態の方が、きっと世界は平和に動き続ける」
途中から、エリンは男の言葉を聞き流すようになっていた。
思えば、どうしてこんな話をしているのか。
途中から、話題が脇道にそれてしまった。
別に、御大層な話がしたかったわけではないのだ。
エリンの抱えるものは、もっと青臭く、プライベートなものである。
それは詰まる所、青春の話であり、友情の話である。
『おい、坊主。生きているか?』
『……アーティ?』
『いや、残念ながら人違いだ。誰だ、それ?』
『ここはどこ? いったい、なにがどうなって――』
死んだ。
最初、エリンはそう思った。
真紅の巨大ロボット。天空にいたはずのその異形は、瞬間移動のように気がつけば目の前にそびえ立っていた。突き付けられたのは、殺意たっぷりの銃口。その時点で、エリンは逃れられない死を覚悟した。
果たして、遠慮なく放たれたビームの奔流にあっさり呑み込まれ、全身が塵となって消失していく恐るべき感覚を味う羽目になった。
あれは間違いなく、人生で初めて体験する〈死〉そのものだった。
それなのに、エリンは今生きている。
『よお、少しは冷静になったか? アーティってのは誰のことだい? こんなオジサンと間違うような奴なのか。ん、違う? 友達? 親友? どうやら混乱しているようだな。まあ、VRMMOを初めて体験する時にはありがちだ。かりそめだろうと〈死〉を体験すれば誰でもびっくりする。上の空でなんかぶつぶつ云っていたが、その身の上話、ちょっと続きを聞かせてくれよ。いろいろと話している内に落ち着くだろうから』
エリンが目覚めたのは、仮想世界、新宿エリアの薄汚れた地面の上である。
大の字に倒れていた。
気を失っていたのは、実際の所、わずかな時間に過ぎない。
目を開けば、見えたのは不吉な紅の夜空。
それから、心配と興味が入り混じった目つきで覗き込む男が一人。
視線が合った所で、彼は藤の描かれた白面を額に押し上げた。
『先程はどうも』
『こちらこそ、ご丁寧にどうも』
三人組のエージェントの内の一人である。
彼の名は、ヒッグス。
エリンは簡単に挨拶を交わし、改めて名乗りあったものだ。
ビルの屋上における先程の戦いでは、エリンが機械弓による不意打ちで、藤の仮面を付けたエージェントである彼を地上に突き落とした。
普通ならば、矢の一撃を胸部に受ければ致命傷であるし、あれだけの高所から落下すれば死はまぬがれない。エリンの常識からすれば、ヒッグスは自分が殺した相手となるのだけど――まあ、ここはゲームの世界である。
エージェントであるヒッグスはその程度では死ななかった。
そして、ゲームであるから、ヒッグスはエリンに攻撃されたことに対して、なんら一切の恨みつらみも抱いていない。むしろ、初心者プレイヤーがエージェントを本気で倒してやろうと行動したことに敬意を示していた。
『いや、お前さんは凄いよ。ここまで気合の入った初心者はそうそう見ない』
『……はあ、よくわかりませんが、ありがとうございます?』
繰り返しになるが、エリンからすれば殺意と敵意を向けた相手なのだ。
ヒッグスから同じことをやり返されても文句は云えない。
気を失って倒れていた所を襲われ、復讐されても、むしろその方が当然だと思える。因果応報、力には力を。エリンの生まれ育った土地ではそれが普通の感覚だ。それなのに、ヒッグスはひたすら好意的に話しかけて来るのだから理解できない。なんだか気に入られたらしい。
奇妙な状況であるものの、エリンも無闇に戦いたいわけではなかった。
相手の機嫌を損ねるのもやぶ蛇だろう。
そう思い、なんだかんだ他愛もない話を続けている。
「――よしよし。落ち着いて来たようだな」
そう云われて、エリンも自覚する。ため息と共に立ち上がった。
一方のヒッグスは、ビルの入り口の石段に腰掛けて、仕事をサボる不良中年のようにタバコを吹かしている。
「まあ、この一本を吸い終わるまで待ってくれよ」
他二人のエージェントに比べれば、一回りぐらい年上のようだ。
三十半ばぐらいの男性。
ブラックスーツはくたびれ気味で、ネクタイもラフに外している。無精ひげに、いい大人なのに悪戯小僧を思わせる小憎らしい目つき。ヘビースモーカーで染み付いているのか、最初にエリンが目覚めた時からタバコの匂いがしていた。
雰囲気はある。
大人の余裕を感じさせる、力の抜け方。
思わず、懐かしさを覚えた。
このタイプの男は、エリンの郷里には多くいるからだ。
極北。
異世界の中心大陸、その最北端に位置する自由都市。
そこは、ある意味で究極的に平等な土地だった。
老いも若きも、男も女も、問われるのは強さのみ。
強ければ、それで許される土地。
許されない者は、ただ死んでいく。
今日元気に笑っていた者が、明日には物云わず冷たくなっているかも知れない。そんな誰かの死を嘆き悲しむ者もまた、さらに翌日には涙すら流せない死体となっている。極北とはそんな場所であり、日常を死と隣り合わせに生きて行くためには、どうしても力の抜き方を覚えなければいけなかった。
極北の人々は、だから、よく笑う。
そして、かなり不真面目だ。
享楽的であり、刹那的。
貯蓄しない、酒に溺れがち。
そんな野蛮人の聖地とも云うべき極北で、唯一の例外だったのが〈流刑戦団〉である。彼らは、極北という世界最悪の刑務所に押し込まれた罪人たち。極北の街中に限って多少の自由は認められているものの、罪人である以上、やはり一定の線引がされた存在だった。
持つ者。
持たざる者。
アーティがどんな意味でその言葉を使っていたのか、エリンにはわからない。
ただし、アーティが〈持たざる者〉を自称する気持ちは理解できるような気がした。物心付く頃には両親を失っており、頼れる親類縁者は一人もおらず、天涯孤独。極北という土地で生き延びるには流刑戦団に所属する他なく、それは結局、人生のあらゆる可能性を放棄するにも等しかった。
選択肢の存在しない人生を、物心付いた頃から歩まされた。
アーティはたぶん、そんな己の人生を呪っていた。
ただし、それはエリンも同じである。
エリンにも、無能力者という人生を大いに歪める負の要素があった。
アーティはそれでも、無能力者という事情を理解した上でなお、エリンを〈持つ者〉と
判断していた。
その理由は今もわからないままだ。
「ひとつ、聞いても良いですか?」
「ああ。別に、ひとつと云わず、質問があればどうぞ」
ヒッグスは深く、タバコの煙を吐き出した。
「昔から、NPCはプレイヤーに話しかけられるのが仕事と決まっている」
冗談めかした台詞に、エリンは特に反応を示さなかった。
苦笑するヒッグスに対し、一拍、呼吸で間を開ける。
口を開きかけて、エリンは途中でそれをやめた。
「……」
今度は、気を取り直して尋ねてみる。
「俺は、どうして生きているんですか?」
シンプルな戸惑いの気持ちを、エリンは問いかけに込める。
ここが仮想世界で、あれもこれもVRMMOというゲームの一部であるなんて、エリンには想像すらできていない。
胸元を見れば、ユニークアイテム〈バッジ〉が輝く。
異世界の常識で考えれば、これは神の力を秘めたる神遺物だろう。
現代の大都市、新宿の街並み。
コンクリのビル、アスファルトの道路、電線、鉄道。
あらゆるものが異世界では見慣れない。だから、ここは神々の住まう別世界、天上界と考えるのが自然である。
そして、さらにロアのことを思い出してみた。
無能力者であるエリンが人生で初めて手にした、人の理を超えた力。
それはたぶん、神の加護。
だから、これまで出会った者たちも、神か、その使徒の類だろうと思っていた。
いや。
しかし、だ――。
本当に、そうなのだろうか。
エリンはここまで来て、はっきりと違和感を覚えている。
神の加護や神遺物で引き起こされる事象は、人の理をあっさり超える。それはエリンも知っている。異世界における非常識な常識だった。しかし、その前提で考えたとしても、現状はさすがに理解が追いつかない。
人を超越した神だろうと――。
死は、どうにもできない。
異世界の常識。
死者の蘇生は、不可能。
それは神の力も及ばない領域なのだ。
あるいは、神だろうと手を出してはいけない領域だ。
「俺は確かに、死んだはず――。どうして、生きているのか?」
エリンの中で初めて、当たり前だったはずの物事がゆらぎ始めていた。
異世界の常識としての、神の存在を中心とした考え方――それを疑うということは、何が起きているのか、ここが何処なのか、それを改めて問い直すということでもあった。
これは本当に神の仕業なのか。
ここは本当に神の世界なのか。
今さら、ロアは元より、レンフェロを始めとしたエージェントたちが口にしていた不可解な言葉の数々が気になり始めた。ゲーム、チュートリアル、スキル、プレイヤー、初心者、企業、VRMMO――。一度でも考え始めると、エリンの中で疑問はぐるぐると激しい渦を巻いていく。
「坊主がどうして生きているのか、だって? まあ、〈蜃気楼〉の攻撃を初心者プレイヤーが受ければ、間違いなく死ぬ。坊主が生きている理由は、むしろ、オジサンの方が聞きたいぐらいだ」
呆れたように、ヒッグスは笑った。
「まあ、十中八九、そいつの効果だろうさ」
ヒッグスはそう云いながら、エリンの胸元にある〈バッジ〉を指差した。
「そいつがどんな効果を秘めているのか、お前さん、システムウィンドウで確認してないのか? ……ああ、そうか。初心者だからそんな基本もわからないわけか。よしよし、不真面目なだめだめエージェントでも、初心者にそれぐらいならば教えてしんぜよう」
ヒッグスがタバコを地面に押し付けて、火を消した。
立ち上がるのも面倒臭そうな動きは、元からそうした性分なのだろう。
「ヒッグス!」
その時、空から怒声が響いた。
「うえっ! ヤバい、レンフェロさん……」
ヒッグスが背筋を伸ばすのと同時、今度は声の主本人が降って来た。
夜空から舞い降りるかのごとく。正確には、ビルの屋上から飛び降りて来たのだろうか。傍で見守っていたエリンは突然の出来事に加えて、途方もない高さから落下して来たレンフェロが何事もなく着地するのにさらに驚かされた。
「ヒッグス、まだこんな所にいましたか。あなた、サボっていましたね?」
「いや、レンフェロさん。違いますよ、誤解です」
ヒッグスが目に見えて、うろたえている。
レンフェロの口調には容赦がない。
「緊急事態であると伝えましたよね? すぐに戻って来るように、メッセージを送りましたよ?」
「……あー。はい、〈蜃気楼〉が乱入して来たんですよね。ええ、メッセージには気づいていました」
「仲間からの助けを求める声を、無視していたんですか?」
レンフェロの瞳が、鋭利な刃物のように輝く。
「ち、違います。ここで偶然、彼を見つけたので保護する必要があると判断し、そのために一時的に待機する結果に――」
ヒッグスは云い訳しながら、エリンのことを指差していた。
「ああ、やはり、あなたは生きていましたか。それは重畳です」
レンフェロは一瞬、エリンに視線を向けて素っ気ない調子でつぶやく。
どうにも奇妙である。
エリンからすれば、ヒッグスと同じく、レンフェロも先程まで本気でやり合っていた相手だ。そのため最初は身構えてしまったものの、レンフェロにはもはや一切の争う気配は見られない。そんな余裕はないと云わんばかり、彼には多少の焦りの色が見受けられた。
「えー、それで、先輩……」
「都合の悪い時だけ、あなたは私を先輩扱いしますね」
「あはは、手厳しい。ご勘弁を」
見た目には、二十歳前後の青年であるレンフェロと中年に差し掛かったぐらいのヒッグス。
レンフェロが棘のある視線を向けて、それにタジタジとなっているヒッグスというのは、どうにも情けなく見えた。エリンは妙にやるせない気分になりながら成り行きを見守る。
「レンフェロ先輩。なんだか嫌な予感がしますけれど、状況はどうなっているんでしょうか?」
「ええ、最悪ですよ」
ヒッグスの質問に、レンフェロはこれ以上なく簡潔に答えた。
まさに、それ以上の説明は必要ないと云わんばかりだ。
実際、必要なかった。
すぐに、それはやって来た。
『逃げるなよ』
天空から急降下してきたもの。
真紅の巨大ロボット。
アスファルトの地面を叩き割りながら、重厚感たっぷりに着地する。素人目には一切の減速がされていないようにも見えるが、実際は着地の寸前にスラスターが最大出力で火を吹いていた。その衝撃で周囲の高層ビルの窓ガラスはすべて粉々に砕け散っていく。
『逃げるなよ、と、云うかさ……逃げられると思う?』
「あなたと鬼ごっこするようなバカは、仮想世界に一人もいませんよ」
レンフェロは双剣を構える。
「そして、あなたと一対一で戦おうとする程、私もバカではありません」
『エージェントとは云え、たった二人で? たった二人で、ボクに勝つ? 本気でそう云っているんだったら、やっぱりバカだなぁ』
真紅の巨大ロボット、レッドアリア。
胸部のコックピットの奥には、〈蜃気楼〉カラサワ。
その姿は見えないものの、彼女が小馬鹿にして笑っているのは明らかだ。
「二人? いえ、こちらは三人ですよ」
レンフェロは至極真面目にそう云って、エリンの方を見た。
「すみませんが、手伝っていただけますか?」
「手伝うも、なにも……」
カラサワに先に喧嘩を売られたのは、エリンの方である。
死んだ、と。
そう錯覚するだけの一撃を既にもらっている。
降りかかる火の粉は払わなければいけない。問題は、目の前にそびえる敵は火の粉のようなチャチなものではなく、世界すら滅ぼさんばかりの終末の大火である。抵抗する気概ならば持ち合わせているが、果たしてどうにかできるものか――。
「でも、どうにかしないとダメですね」
エリンは強大過ぎる敵をにらみつけながら、そんな風に感想を漏らした。
レンフェロは現状を『最悪』と評したが、それは確かに正しい。
「ぎゃあー、たすけてくださいー!」
ロボットの片手に握りしめられる形で、ロアが捕まっていた。




