65話.帰還
「お゛ねえぢゃああんっ!」
目を覚ました私の視界に真っ先に飛び込んで来たのは、ぐしゃぐしゃになった泣き顔のティッカだった。
「ううっ、よがっだ……意識、もどっで……ごべんなさい。あいづ、反省しでるって言っでだのに……ごんな事になるなんでっ……」
ベッドで寝かされている私に対してティッカは無遠慮に抱きついてくる。
おかげですぐに体を起こせなかった。
――そうですよ! あんたがこんな家に連れてこなかったらジュノさんが酷い目にあうことも無かったんですからね!!
亡霊の声が私の内側から聞こえてくる。意識を無くしている間に入ってきたのかしら。体の主導権は私にあるようで、私は自分の意思でティッカに言葉を返すことが出来た。
「ティッカ、重い」
「ご、ごめん……て、第一声がそれなの、お姉ちゃん……」
「あなたがのしかかってくるからでしょ」
私はティッカを押しのけながら亡霊も肉体の外へと押しやる。
心の中で呟いた感謝の言葉は亡霊に届いたかしら。
その後、丸一日眠っていたらしい私はティッカと亡霊から様々なことを聞かされた。
まず、何故あの時ティッカとレイファードが助けに入ったのか。
それは亡霊が地下倉庫から出て壁や調度品等に向けて広範囲に石化の呪いを使ったことによって、屋敷にいる者達に異変を知らせたからだった。
そして使用人達から地下倉庫付近で何かが起きていると知らされたティッカとレイファードが倉庫に乗り込み、お父様と私の姿を発見した。
はたから見れば私が一方的にお父様を襲っているようにしか見えなかったでしょうに、レイファードはすぐに私の尋常でない様子とお父様の持つ本から異様な力が発せられている事に気づき、お父様が何からの力を行使したと判断して本に攻撃を仕掛けたという。そのおかげで私は自分を取り戻すことが出来たけど、すぐに意識を失ってしまった。
亡霊は意識を失った私の中に入り込んでずっと私に向かって呼びかけていたらしい。その時私の中で他の誰かの思いのかけらを感じ取り、それらを徹底的に追い出したと亡霊は語る。
どんな風に追い出したのか尋ねたら、亡霊は『たしかこんなことを言っていた気がします』と恥ずかしそうに話した。
――旦那様。貴族様。旦那様。貴族様……。
――この体はあんた達のものじゃない! あんた達が誰だろうと、あたしは一途なジュノさんをおかしくしたあんた達を許さない! 早くここから出ていけ!!
そんな風に怒鳴り散らしていたらいつのまにか追い出せていたらしい。
そのおかげなのか、お父様のことを思い出しても愛しい気持ちは微塵も湧いてこなかった。殿下の時は少し思い出すだけでも私のものでない感情が込み上げてきたのに。
お母様と平民女の残留思念の影響は完全に消えていた。
そもそも、私を狂わせたあの思念は本物のお母様と平民女ではない。
お母様と平民女の霊はあそこにはいない。あの地下倉庫には、お母様と平民女に関する遺品が眠っていたのでしょう。物に宿るお父様への想いが、なんらかの要因によって狂った。それがあの狂暴な思念。
そしてその要因はおそらく、幼き日の私にある。地下倉庫にこもって恨み辛みを吐いていた私の怨念が二人の残留思念に絡みついた……私にはそうとしか思えなかった。
だから本来の平民女はお父様に妻子がいることを最後まで知らないまま幸せな生涯を終えたのでしょうし、お母様もあそこまでお父様に執着していなかったんじゃないかしら。
会ったこともない女のほうはともかく、お母様の残骸を歪めてしまったことに対しては少し心が痛む。
一方、ティッカの話によると、お父様はずっと精神の不安定な状態にあるらしい。
何も無い場所を見つめては体を震わせ涙を流し、謝罪の言葉を繰り返してばかりなのだとか。きっと二人の女性の姿を見ているのでしょう。
夜に眠ることもままならず、まだ一日しか経っていないというのにその顔はすっかりやつれて老け込み、衰弱しきっているという。
……もしもユアナなら、お父様にその二人の女性は本物のお母様と平民女ではないことを告げて、許してあげるのかしら。
私にはそんなこと出来ない。お父様に真実を告げる気になんてなれない。このまま一生、私の悪意によって歪められた偽物の霊に取り憑かれていればいい。そんな風にしか思えなかった。
「それから、レイファードは先に帰ったよ。パ……あいつが持ってた本を学園内の研究機関に調べてもらうからって」
「あれを調べるって……ティッカはそれで良かったの? もしその本に書かれている術が危険なものだと認められたら」
「そんなものをばっちり悪用したあいつが罪に問われるかもしれない、でしょ? お姉ちゃんはそんな心配しなくていいよ。家はちょっと大変になるかもしれないけど、ぼくがなんとかしてみせるから。あいつが慈善事業でやってたアレはむしろ無くなった方が喜ぶ人も多いだろうしね」
『いや、無くなって喜ばれる慈善事業ってなんなんですか……?』
「無償で平民達に癒しの魔法をかけるあれのことね。お父様の魔法ってどんな苦痛も和らげるけど病のもとや怪我は治せていないことが多かったものね」
「あれわざとやってたんだよ。ママが最期に言った『私達が再び巡り合うのは貴方様がたくさんの人々を癒した後となるでしょう』ってあいつに後を追わせないように言った言葉を曲解して、人を癒す回数が多ければ多いほどいいと思ったの。で、同じ患者が何度も来るように病気自体は治さないようにしてたし、真面目にやってる同業者潰しも積極的にやってたんだよ」
『ええ……そんなの聖人の顔した悪徳ヤブ医者じゃないですか!』
「それでも貧しい者達からは感謝されていたようだけど……それ以上に多くの恨みを買っていたでしょうね」
「うん……。だからもしもぼくが癒しの力が使える属性に目覚めたら、ううん、それ以外の属性だとしても、医療用の魔道具をいっぱい開発して、それを医療で働く人達に提供したいと思うんだ。……それでもあいつに潰されて廃業した平民の町医者さん達は、もうどうにもならないんだけど。こんなんじゃただの自己満足、かな……」
ティッカはいつになく思いつめた顔をしていた。
親子仲は悪くないようだったけど、ティッカはティッカなりにお父様に思うところがあったらしい。
お父様はティッカのこと以上に平民女のことを愛していたようだから、そのことに関してはティッカの言葉さえも届かなかったのでしょう。
「立派な心掛けなんじゃない? せいぜい頑張りなさい。……この家のことも含めて、ね」
「うん……。ありがとう、お姉ちゃん。いつかここをお姉ちゃんが帰ってきたくなるような屋敷にしてみせるからね!」
最後に見せてくれた力強い笑顔に安心しながら私はティッカと別れた。
そして屋敷から出る間際。
私の耳にもう二度と聞きたくも無い声が届く。
「許じで、許じでぐれえ……っ」
「旦那様! 旦那様お気を確かに!」
庭園で自分の首を絞めながら許しを乞うお父様と、そのそばでなだめる使用人達。首を絞められる幻覚でも見ているのかもしれない。
私はその姿に愛おしさもあわれみも一切感じなかった。
学園に帰還したのは、その翌朝のことだった。
「ご令嬢様! おかえりなさいませ!」
『ただいまービビくーん!』
「ただいま、衛兵君。クッション達の面倒を見てくれてありがとう」
衛兵は朝からクッション達を全員引き連れて散歩をしている最中だった。
「これくらいお安い御用ですよ。ご令嬢様が作ったにしては恐ろしくないですし……はっ! も、申し訳ございません!」
「……別にいいわよ。あなたがこわがりなのはよく知っているし」
『おーい、ビビ君。なんでさっきからあたしの方見ないんですかー』
「お返しするのは後の方がよろしいでしょうか?」
「そうね。私の腕だと全員を引き連れて歩くのは大変だから、部屋まで連れてきてくれると助かるわ」
『ビービーくーん! ねえ、もしかしてあたしのことが見えなくなっちゃったんですか……!?』
泣きそうな声を出す亡霊。その声を聞いて観念したのか衛兵はため息をつく。
「……なんだよ。どうせお前も俺みたいな醜男よりあの金髪のキラキラした美男子の方がいいんだろ」
『は!? ビビ君がブ男!? 誰ですかそんな酷いデタラメ言ったやつは!!』
「気を使わなくていいって。知ってるんだからな。お前が最近あの美男子見て騒いでるの」
『美男子ってレイファード様のことですか? もう、やだなあビビ君。推しと好きな人は違いますよお。もしかして嫉妬しちゃったんですかあ?』
「すっ、するわけないだろ! というかオシってなんだよ!?」
『推しってのはー、キャラとかアイドルに対する感情で……ん、この世界にはアイドルいないかな。踊り子とか歌姫みたいな?』
「踊り子とか歌姫、って……ぶふっ」
『あっ、ちょっ、何想像してんですか! 女装ネタ地雷なんですけどー!』
二人がじゃれあっている間暇だった私は甘えてくるクッション達を撫でまわしていた。
亡霊はすぐいつものおどけた調子に戻ったけど、衛兵に無視された時の悲しみ方や、衛兵の自虐を聞いた時の怒りよう……そして今も衛兵に向けている視線、一つ一つの表情が衛兵への思いを物語っていた。
好きな人は違う……その言い方からしても、レイファードとは別にもう好きな人がいるということよね。衛兵の方もしっかり嫉妬しているし。
想い合っている相手がいるだなんて、羨ましくもあるし、それでいて色気の欠片も無い二人が微笑ましくもある。
だけど……このままでは二人が結ばれることは無い。
「ぴい。ぴい」
「はいはい、次はエナの番ね」
シナエナガクッションのエナを抱きあげる。
今は二人の邪魔をしないようにと、私はひたすらクッション達の相手をした。




