63話.ジュノの墓場 前編
――ドウシテ。ドウシテ。ユルサナイ。ドウシテ。クルシイ。タスケテ……。
闇の底から聞こえるたくさんの声。男か女か、子供か大人かさえもわからない声達。
それらの声は聞き覚えがある。たしか、以前聞いたのは……学園の設備によって魔力を覚醒させた時だった。
だけど声が近づくにつれ、私が落ちていくにつれ、その声の正体がわかっていく。それらは誰の声よりも耳にした声。
私自身の声だった。
闇が晴れて、その向こうにあった景色が見えてくる。
そこにはたくさんの人が――私がいた。
おびただしい数の私が、ジュノがいたる所で山積みになっている。
私はその山の一つに降り立った。まるで人形のように動かないジュノ達。死んでいるようにも見えたけど、生きてはいるようだった。悪夢にうなされるように眠っている。
「ここは、何……?」
空は赤黒く、大地は穴でも開いているかのような黒さで、遠くに見える海のような何かは油が浮いているかのような毒々しい色合い。植物は見当たらなかった。
他にあるものといえば、禍々しい姿の巨大な何か。既に人の姿でないそれらも、まるで眠っているように動かない。
私にはそれらの正体がなんなのか、不思議とすぐにわかってしまった。異形の姿と化したあれらも、もとは私、ジュノなのだと。
「どう……して……」
時折、山の中から悲し気な声が聞こえる。私が耳にしていたのはこの声だったらしい。
「ねえ、誰か起きてよ……。ここって一体なんなの……?」
あまりにも気味の悪い空間に心細くなった私は周囲の私に呼びかける。だけど誰も起きてくれない。心が折れそうになった時だった。
「ここはね、ジュノの墓場よ」
私の声に応えたジュノがどこからか現れた。ジュノは私のそばまで近づいてきて、隣に座りこむ。
「墓場って……どういうこと?」
「そのままの意味よ。ジュノが死んだらここに落ちて来るの。ここにいるのはみんな、あなたとは違う世界で死んでしまったジュノよ」
普通なら信じられないような説明。でもこの異様な空間と大量のジュノの姿を見ればそれを受け入れるしかなかった。
「ということは私、死んでしまったの……?」
「いいえ、あなたはまだ死んでいないわ。どうやら弱り切った心身と死を求める強い願いがここへの扉を開いてしまったようね」
死を求める強い願い。
ああ、そうだった。私は自分の中に無理矢理植え付けられた情愛の気持ち悪さに嫌悪を抱いて、こんな自分など消してしまいたいと強く願ったのだった。
まだ死んでいないということは、帰れるのかしら……。
「死後の世界なんて信じていなかったけど……こんな悪趣味な場所だったのね」
「他の人間の魂の行方は私達も知らないけれど……こんな空間に落とされるのはきっとジュノだけよ。だってここは最初のジュノが作った場所だから」
私でないジュノはこの空間が生み出されるまでの経緯を、最初のジュノとやらが歩んだ生についてを語り始めた。
最初のジュノは、私と、いいえ、私達と同じようにクオレスに恋をして婚約を結んだ。
決定的な違いは、学園に入学した日。
最初のジュノは覚醒設備に入っても魔力が覚醒した時に現れる現象が一切起きなかった。
通常、魔力が覚醒する時は精霊様からの祝福によって外見が一時的に変化する。火属性の髪が燃え盛る炎になったり、氷の彫像のようになったり……外見的な特徴が表れにくい属性の場合は精霊様が人間達にお伝えした属性印が出てくるのだという。
しかしジュノには印さえ出ることは無かった。そんなことは前例の無いことで、学園側も当惑した。もちろんジュノ自身も。
魔力はあるのに、何の魔法が使えるのかわからない。試しに使おうとしても主要な魔法は何一つ使えず、覚醒に失敗したと思ったジュノは内心ひどく焦ったけどその焦りを表に出さないようにふるまった。
学園側もそのことは内密にしたことによって、学生達から知られることは無かった。もちろんクオレスからも。
このまま魔法が使えなかった場合に備えて、魔法以外の事で国に貢献できるようにと学園側から指示を受けた事もあり、ジュノは様々な分野で研鑽を積んだ。
おかげでジュノは学園きっての優等生として知られるまでに至った。肝心の魔法の実力は誰にも見せていないにも関わらず。
属性について聞かれれば「その事については学園から伏せるように言われているの」といった風に答えることでよほど価値の高い希少属性なのだろうと勘違いをされた。実際、嘘は言っていない。
これらのことによってジュノは絶大な支持を集めてしまい、更にジュノの心を追い詰める結果となる。
ユアナが学園に来た直後の頃は、ジュノはユアナに対して一切関心を向けていなかった。
当時のジュノは自分の事で手一杯で、他に目を向ける余裕も無かったから。表面上は余裕そうに見せているだけで、その心はいつ割れてもおかしくない薄氷の上に立っていて、未来が壊れる不安に押しつぶされそうだった。
同じ学園内にいるクオレスに会いに行く余裕さえも無いほどに。だからユアナとクオレスが親しくなっていることに気づくのも遅れてしまった。
それは決して恋人同士のような甘い雰囲気ではなかったけれど。ジュノにはクオレスが他の女を気に掛けること自体が許せなかった。
私がこんなに苦しんでいるのに、どうして他の女を助けるの……なんて、クオレスの前で弱った姿を欠片も見せていないのに身勝手な考えをして。
嫉妬心のままに、周囲にあった木に八つ当たりをする。その時、ジュノは意図せず初めて魔法を使った。呪いによって朽ちた木の姿を見て、ジュノは自分が持つ力の正体に絶望する。
こんな禍々しい、誰からも疎まれるような力では、胸を張って生きていけない。あの女が持つ聖女の力と張り合うことも出来ない。悔しくて恥ずかしくてたまらなかったジュノは、呪いの力に目覚めたことを周囲に隠した。
何もかもあの女のせいよ。あの女さえいなければこんな力に目覚めることも無かった。もっと別の力に目覚めたかもしれないのに。あの女がクオレスに近づきさえしなければ……!
他の属性に目覚める可能性なんてはじめから無かったのだとどこかでわかってはいても、ジュノは全てをユアナのせいと決めつけて憎しみをつのらせた。
しかしそのユアナは学園中から認められるほどの実力者となっていた。正々堂々と戦ったところで、とても勝ち目なんて無い。それならばどんな手段を使ってでも蹴落としてやろうと思った。
ユアナが実地試験を受けている時や課題をこなしている時に呪いの力を使って誰にもバレないように邪魔をする。試験結果が台無しになるように、もしくはユアナ本人に危害を加えるために。少しでも学園内での評判を落として、あわよくば二度とクオレスの前に出てこられないような体にしてやろう……そんな企みはユアナ自身の力、もしくはユアナを慕う男達の助けによってことごとく潰えた。
時にはクオレス自身がユアナを救う事もあって、それを見たジュノは余計にムキになっていった。
しかし終業パーティーでユアナの命を奪う呪いをかけようとした時、ついにその所業が明らかにされてしまう。
「キミには何度か釘を刺したつもりなんだけどな……。もうこれ以上は看過出来ない」
「貴女には然るべき罰を受けてもらいます。……ユアナさん、心配なさらなくて良いのですよ。あの方は報いを受けるだけなのですから」
「はあ、ここまで馬鹿をやるとはね。魔法のことを除けば優秀なやつだと思っていたのに……見損なったよ」
「ふんっ、逃がすものか! 貴様が這いつくばってアイツに詫びるまでは離さんぞ!」
ユアナを慕う男どもから侮蔑の目で見られ、力づくで組み伏せられ、周囲の学生からもなじられ嘲笑される。
しかし何よりも。
ユアナを守るように立つクオレスから向けられた、何も感じていないような無表情の眼差しにジュノは打ちのめされてしまった。
失望すらしないだなんて、私はあなたにとってその程度の女だったのかと。
もしかしたらクオレスはその無表情の下でいろいろな思いを巡らせていたのかもしれないけど、極限まで追い詰められたジュノにそんな楽観的な考えは出来なかった。
罪が暴かれたジュノは貴族籍を剥奪され、魔力封印の儀を受けることとなる。
しかし封印される直前。お父様に恨みを持つという封印担当官からの言葉にジュノは耳を疑った。
事前にそれを教えたのは、封印される間の時間を苦痛なものにするためだったのだろう。
「お前もずいぶんと嫌われたものだな。本来極秘の話だが餞別に教えてやろう。お前の婚約者も実は私と同じ封印属性の使い手でな、お前の封印措置は婚約者におこなわせるという案も出たのだ。しかしそれを他でもない本人が拒否したらしい。罪を犯した婚約者の始末くらい自分でつけてやれば良いものを。よほど関わりたくないということなのだろうなあ」
クオレスが封印属性だなんて、そんな話一度も聞かなかった。
その手で私を裁けたのなら、あなたの手で裁いてほしかったのに。そうしたらこの結末に少しは納得出来たかもしれないのに。
私は彼から嫌われてすらいない。彼は本当に、どこまでも無関心なんだ。あの女に対しては信じられないほどの関心を向けているのに。
どうして。どうしてあの女ばっかり。ねえ、あの女にはその秘密も教えたの。どうして私には何も教えてくれないの。どうして私のことを見てはくれなかったの。どうしてどうしてどうして……。
……このまま終わりになんて、させない。
その深い悲しみは激しい怒りへと変わり、かつてないほどに噴き出る負の感情は強大な魔力の爆発を引き起こした。
装着させられていた簡易封印の魔道具も全て破壊して周囲に呪いをばら撒いたジュノはその場から逃走した。だけどそんな逃走劇がいつまでも続かないことはその時のジュノ自身にもわかっていた。
きっとこのままではあの女を呪うこともクオレスにも会うことも出来ないまま捕らえられてしまう。
だからそうなる前にジュノは思いつく限りの最強の呪いを唱えた。
それは、不幸が集まる呪い。
その呪いをジュノは、自分自身にかけた。
より深い負の感情を扱えるように、より強い呪いを生み出せるように。
あの女に決して負けないような強い呪いを、世界を滅ぼせるほどの呪いを作り出すために。
呪いをかけた瞬間、ジュノの肉体はその場で滅びた。
しかしその呪いはジュノの肉体が完全に滅んだ後も解呪されることなく発動し続けた。解呪条件が満たされない限り、呪いは永遠に続く。条件が満たされなくても聖女の力があれば無理矢理解くことも出来たけど、外部から観測されない呪いは何者からも邪魔されなかった。
呪いに導かれるように、数多の人間の恨み辛みがジュノの魂だったものに集い続けた。数百年、数千年と時をかけて。だけどそれらはジュノが思う「不幸」ではない。ジュノが感じた不幸だけがジュノにとっての不幸なのだから。
しかし当然のことながら、その世界から存在が無くなったジュノ自身はそれ以上不幸になりようがない。
それを悟った呪いの力は集まった負の感情の集合体を糧として、ジュノの不幸を生み出す為の分岐世界を生み出した。
ジュノが不幸になることが運命付けられた分岐世界。
それらの分岐世界で不幸になって命を落としたジュノの魂は、全てこの『ジュノの墓場』に集う。最初のジュノが願った、ジュノの不幸を集めるために。あの女を滅ぼすための最強の呪いを作り出すために。




