52話.【亡霊】亡霊はそろそろ亡霊から卒業したいようです
「んー……美味しくなるどころか、味が落ちているわね。お肉にはストレスを与えたらダメみたい」
『まじか……本当に食べちゃったよ……』
現在ジュノさんが品良く食べているものは驚くこと無かれ、教室内で数か月大事に飼育していた魔法生物達の肉である。
業者さんのように最初から食肉として育てていたならまだしも、だよ?
そんなつもりもなく飼育していた生き物たちを「ナイトメア・カースで野菜の味が良くなったようにお肉の味も良くなっているのかしら」なんて思いつきで平然と食えるか?
ジュノさんに人の心はないのだろうか。
ジュノさん曰く、学園には許可を取ったから大丈夫、らしい。そういう問題じゃあないんだよなあ。
あとヘビっぽいのとかデカいクモっぽいのとかも平気で調理して食べたな。これもう悪役令嬢だからではすまされないよね。普通の悪役令嬢はそんなことしないと思う。
トワルテみたいなワイルド系女子がやるならまだしも、ジュノさんは見た目と仕草だけは可憐でおしとやかな女の子だからギャップが酷い。
「なによ、さっきから不満そうな顔して。そんなに心配しなくても残りの個体はちゃんと最期まで観察するわよ」
『そういう問題でもないんだよなあ……』
「あ、もしかして食べたかった?」
『いりませんよ!!』
それにしてもジュノさんは毎日忙しそうだ。
魔法生物達の飼育にクッションちゃん達のしつけ、畑の手入れもして、新しい料理の開発もして、やる必要があるのかはわかんないけど体型維持の運動も毎日欠かさずしている。
もちろん魔法以外の授業にもちゃんと出て、筆記試験はどれも上位に君臨している。
最初の頃はその優秀さとたたずまいで一目置かれた存在となって、取り巻きモドキまで発生していただけあって本当にハイスペックだ。
今はユアナちゃんがいることもあってジュノさんはそんなに注目されていないんだけどね。
ちなみにユアナちゃんも作法の授業以外は大体の科目で上位に入ってて、ジュノさんの順位よりちょっと下くらいにいる。
最初の頃はそうでもなかったみたいだけどどんどん順位が上がってきているんだって。流石頑張り屋のユアナちゃん!
やっぱりユアナちゃんは本物なんだろうな。攻略対象に興味無いタイプの転生者かと疑っていたけど、何事にも一生懸命な様子も度を超えたお人好しっぷりも本物のユアナちゃんにしか見えない。
ジュノさんはそんなユアナちゃんに対してやっぱりライバル意識を持っているのか、順位が近くなっていることにちょっと危機感を感じているみたいだ。最近は一人で勉強する時間も増やしてる。
そしてハイスペックからは程遠い魔法の特訓もしっかり続けている。あ、いや、まあ、ジュノさんの魔法をしょぼくしちゃったのはあたしなんだけどね……。
そっちの方はやっぱりなかなか結果が出ないみたいだ。それでもジュノさんはめげずに魔法の腕を伸ばそうと頑張っている。
やっぱりジュノさんも頑張り屋さんだ。
でも……それだけ忙しくしているおかげで、あたしがビビ君とおしゃべり出来る時間はめっきり無くなってしまっている。
余った料理はユアナちゃんやハーヴィー先生に持っていくようになったからビビ君には回らなくなっちゃったし。
ビビ君、最初は呪われた料理って聞いてビビリまくっていたけど、美味しいのがわかってからはむしろ残り物を貰うのが楽しみになっちゃってたみたいなんだよね。今すごく残念な思いをしてるんじゃなかろうか。
またビビ君とくだらないお喋りしたいなあ。
でも流石にビビ君を探しに行けるほどジュノさんからは離れられない。
ジュノさんはあたしにいじわるしているわけじゃなくて、ただ頑張っているだけだからそんなワガママは言えないけど。
美味しいもの食べさせてもらっているし、この前はレイファード様のストーキングもしてくれたし、もう結構ワガママ聞いてもらっちゃってるもんね。
あたしはビビ君からもらった香り袋の匂いを嗅ぐことでほんの少しだけ自分の胸の内を満たすのだった。
そんな風にちょっと我慢しながらジュノさんのことを見守っていたある日、なんの前触れも無くジュノさんは倒れた。
『えっ、ちょっ、ジュノさん!?』
しかも倒れた場所が悪かった。教室内の、だけど本来なら執務室にでもありそうな頑丈な机の角に頭を打ち付けたのだ。
倒れたジュノさんはおでこから血を流しながら床に横たわった。
『どどど、どうしよう! ジュ、ジュノさん! 起きてえー!』
倒れた場所がせめて外だったら誰かが発見してくれたかもしれないけど、ここはジュノさん専用の教室だから誰かが来るなんて期待は全く出来ない。
クッションちゃん達が心配そうにジュノさんの周りを囲んでいるけど、クッションちゃん達に何か出来るわけでもないし。
助けを呼びたくてもあたしの体はジュノさんとビビ君以外には見えないし、頼みのビビ君は近くにいるとも限らないし……。
こ、こうなったら!
『えいっ!」
あたしは勢いよくジュノさんの体に入った。
そしてすぐに起き上がる。頭から血は止まらないけど体は問題無く動かせた。
やっぱり意識が無いのか、ジュノさんの心の声っぽいのは全然聞こえてこない。
「えーと……どうすればいいんだろう。とりあえず保健室、じゃなくて医務室? に行けばいいのかな」
ユアナちゃんと遭遇出来たらすぐ治してもらえそうだけど、そううまくいかないだろうなー。
まったく、ジュノさんめ……無理しすぎでしょ!
今は授業中だからか、運が良いのか悪いのか廊下にひと気は無い。
良かったってことにしとこうか。誰かと会ってもジュノさんっぽく振る舞うのが難しいもんね。
誰にも見つからないよう忍び足をしながら医務室へ向かっていくと、曲がり角の先からものすごく聞き慣れた、でもちょっと懐かしい声が聞こえてきた。
「いや……俺はいいよ。そういうの、まだ興味無いというか……」
ビビ君だ!
誰と話しているんだろう。気になって足を止める。
「まだって、もういい年だろ? お貴族様ばっかりの学園じゃ目の保養にはなっても出会いなんてないし、自分から探しに行かないと親が選んだ相手と結婚させられるぞ」
どうやら話し相手もビビ君と同じ平民の男の人みたいだ。衛兵仲間かな。
ははーん、さては女を漁りに行こうぜって誘われたな?
それを断るなんて意外とビビ君って堅物なのかな。いや違うな。きっと女の人にもビビっちゃうタイプだから行きたくないんだ。
なんて想像しながら聞き耳を立てていると、意外な答えが返ってきた。
「……俺、正直自分の見る目に自信無くてさ、親が決めてくれた方がまだマシかなって気がするんだよ」
「なんだよそれ! 自分に自信無さすぎだろ!」
いや本当だよ! ビビ君、自分で相手選ぶことさえ放棄するなんてそれもう優柔不断ですらないじゃん!
でも、そっか。
ビビ君もいつかは結婚しちゃうのか。
そりゃそうだよね。現代日本じゃあるまいし、あえて結婚せず独身を貫くなんて生き方する人いないよね。
そんなの、当たり前のことなのに……なんであたし、動揺してるんだろ。
言葉にならない思いがぐるぐるして、考えがまとまらない。
まるでフリーズした機械みたいに立ちすくんでいると、一つの足音が遠のいていくのが耳に入った。
どっちかがいなくなって、どっちかがこの場に残ったみたい。
そしてその残ったほうは曲がり角を曲がってきて、あたしの前に現れた。
ビビ君だ。
「ひいっ!? お前、どうしっ……ちょ、血!! 血が出てるじゃないか!! 何やってるんだよ!?」
「あはは……やあビビ君。これは、ジュノさんがやらかしちゃいまして……」
もっと元気良く笑うつもりだったのに渇いた声しか出ない。
「……お前、もしかして泣いてたのか?」
「なに言ってんですか……涙なんて出てませんよ」
あたし、今どんな顔してるんだろ。
ビビ君はあたし達のことを心配しながら医務室へ先導してくれた。
先生が留守にしていた医務室では代わりにビビ君がジュノさんのおでこの手当てをしてくれた。
「先生が来たら魔法をかけてもらうんだぞ? このくらいの傷ならすぐに治るから」
「わかりましたー……。それまで寝ておきましょうかね。休んだらジュノさんの意識が戻るかもしれませんし」
「そうだな。……怪我人を一人にさせておくわけにもいかないし、俺も残るよ」
「おやおや。サボリですかな?」
「お前なあ、こっちは心配してるっていうのに……」
「へへ、わかってますよ。ビビ君は真面目ですからね」
あたしがベッドで横になると、ビビ君はそのそばで椅子に腰掛けながらあたしが寝付くのを待った。
「眠れないから子守唄歌ってー」
「いやだよ……俺音痴だし」
寝ようとしてもなかなか眠れないあたしはベッドでずっとごろごろすることになった。
「先生なかなか来ませんねービビ君……ビビ君? やっぱサボリじゃん」
返事が無いのでビビ君の様子を見てみれば、ビビ君はあろうことかあたしより先に眠ってしまっていた。
椅子の上でよく眠れるなあ。疲れてたのかな。
「まったく。ビビ君も無理しちゃだめだぞー」
起き上がったあたしは全く起きないビビ君に近づく。
ビビ君の顔立ちは、悪くないとは思うけどまあ地味だ。攻略対象の五人のイケメン達の方がやっぱり華やかだと思う。
でも見ていてほっとするんだよね。寝顔はいつもよりもちょっと幼く見えてかわいいかもしれない。
多分あたし、ビビ君のことが好きなんだろうな。
「二次元に恋はしないと思ってたんだけどなあ」
いや、でも今いる世界は三次元だから二次元に恋したことにはならないのかな。よくわかんないや。
ビビ君は別に面白いことが言えるわけでも無いし、いつもビビってて全然どっしり構えてない。
だけど一緒にいると楽しいし落ち着くし安心できる。小心者のようで結構言いたいことは言ってくれるところもいいと思う。
もっとずっと一緒にいたい。
誰とも結婚してほしくない。
だけどあたしじゃ……結婚するどころか、触れることだって出来ない。
……今なら出来るけど。
「こういう時さ……寝顔にキスなんてのが、定番だよね」
でもそんなことは出来ない。
だってこの体はジュノさんのものだから。
ジュノさんを傷つけるようなことをしたら、あたしはあたし自身が許せなくなる。
だから早く眠ろう。
変な気を起こす前にぐっすり寝て、早くジュノさんに戻ってきてもらうんだ……。
あたしがなんとか寝て起きた後はジュノさんの意識もちゃんと戻ってきて、あたしを優しく外に追い出してくれた。
おでこの傷も先生の治療を受けてすっかり無くなっている。
「不覚だったわ……。倒れるまで無理をしていた自覚すら無かったなんて」
『もー! ジュノさんは何に対しても全力出し過ぎなんですよ! もうちょっと休む時間も作ってください!』
「そうね。これからは学園祭の準備にのみ注力するようにするわ」
寮の部屋に戻って来たジュノさんは力無く微笑む。
どうやらジュノさん自身にとっても今回倒れたことはかなりショックだったみたいだ。
マナ保有量が増えた今ならもう倒れることは無いだろうって、自分を過信しちゃっていたらしい。
だけどこれで反省してくれたならもう大丈夫かな。
ちょっと落ち込んだ様子で日課のブラッシングをするジュノさん。
クッションちゃん達はいつもよりジュノさんに甘えた様子ですりよっている。倒れた時心配していたもんね。そのもふもふ力でジュノさんを癒してあげてほしい。
あたしはそんなジュノさん達を尻目に香り袋の匂いを嗅ぐ。
「……前から気になっていたんだけど、その香り袋ってどんな香りがするの?」
『あっ、嗅いでみます?』
「いいの?」
『全然かまいませんよ! むしろ嗅いじゃってください!』
この匂いが少しでもジュノさんの癒しになればいいなあ、と思いながらジュノさんにも嗅いでもらった。
まあ、癒しからはちょっと、いやかなりズレた匂いだとは思うけど……。
「……えっ? なにこの匂い。香辛料よね?」
『そうなんです! それ、あたしの世界にあったカレーって食べ物の匂いにそっくりなんですよ!』
「あなたいつもそんな匂い嗅いでたの!? てっきり好きな花の匂いだと思ってたのに……本当、食い意地はってるわね……」
癒しどころか呆れを提供してしまったようである。
『カレーはねえ、とっても代表的な家庭料理なんですよ! 子供の頃から食べてきた一番身近なごちそう! まさに故郷そのものと言っても過言ではない! カレーイズジャパン!』
「絶対過言だと思うけど……どんな食べ物か具体的に聞かせてくれる?」
『いいですよ! なんなら作り方も教えちゃいましょう!』
「それはいいわ。あなたの調理法に関しては全く信用していないから」
『そんなっ!? カレーくらいあたしでも作れますよ! 作ったことないけど!!』
カレーのことをジュノさんに詳しく話してから数日間、ジュノさんは無理をしないって言ったにも関わらず買い出しに奔走していた。
何の為かは、あたしには話してくれないけど……説明されなくてもわかるよ。いろんなスパイス買い漁ったりこの辺りではあまり食べられていない野菜まで見てまわったり、どこかの異国の商人からお米を取り寄せたりしている様子を見たらさ。
材料が揃ったらジュノさんは貸し切った厨房で試行錯誤をしながら、スパイスを調合してご飯を炊いて野菜を切って……とカレーを調理していく。
そうして出来上がったカレーライスはあたしに振る舞われた。
――あなたの世界にあったものとは違うかもしれないけど……食べてみて。
ジュノさんの体の奥から聞こえるジュノさんの声に促されるままに、あたしはジュノさんの体を使って匂いと見た目はまさしくカレーライスな料理を食べる。
おいしい。
けど、全然違う。
お米は日本のお米みたいにもっちりしてないし、スパイシーな匂いのわりにはそんなに辛くないし、ジャガイモやニンジンだってあたしの知っているものとはなにかが違う。
お家の味からは程遠くて、どこかのお店にはもしかしたらあるかもしれないし無いかもしれない、そんなカレーだった。
だけど……本当においしいんだよ。
ここは現代日本じゃないから、ジュノさん達が食べているものなんて見た目が綺麗なだけのものばかりだろうってどこか馬鹿にしてた。でも全然違った。
魔法の世界だからかはわかんないけど、この世界の食べ物はあたしにとってもおいしかった。ジュノさんの手作りじゃないものも食べさせてもらったことがあるけど、どれも良い味がした。そんなおいしいものを食べてきたジュノさんが苦労して作ったものがまずいわけがない。
匂いは本当にあたしが食べてきたカレーそのもので、ジュノさんが頑張って再現しようとしたんだって伝わってきて。
粘度だってあたしが話したような家のカレーに近いとろみのもので。野菜の甘味やなんだかしゃれたまろやかさがあって、それをスパイスが引き締めている。
あたしが食べてきたカレーとは違うけど、ジュノさんが作ったカレーは間違いなくカレーだった。
食べすすめていくうちに涙があふれてきた。
この世界にはおいしいものがたくさんある。
だけどあたしの知ってるカレーは無い。インスタント麺も、スナック菓子も、海苔を巻いたおにぎりも無い。
それがなんだか無性に寂しくなって。
でもあたしの世界にあったものを作ってくれようとしてくれるジュノさんのことが嬉しくて。
あたしはカレーを食べながらいろんなことを噛みしめていた。
ここはやっぱり現代日本とは全然違う別の世界なんだってこと。そしてこの世界はゲームでもなく夢でもなく、ちゃんと生きている一つの世界なんだってこと。
あたし、今まではなんとなくまだ自分のことをプレイヤーなんだって思ってた。
悪役令嬢だったジュノさんが主人公ポジションになったゲームをプレイしているプレイヤーのような視点で世界を見ていた。
だってあたしが干渉出来る相手はジュノさんとビビ君くらいのもので、いつも上からみんなの様子を見ているだけだったから。
だけど違う。ジュノさんはジュノさんとしてちゃんと生きている。そしてあたしもプレイヤーじゃない。実体は無くてもこの世界に存在する一人の人間なんだ。
だからジュノさんはあたしの為にカレーを作ってくれた。現代日本のカレーを再現しようとした、現代日本のカレーじゃないカレーを。
――ちょっと、なに泣いてるのよ。美味しくなかった……?
あたしと感覚を共有しているのに、ジュノさんはあたしの気持ちなんてちっともわからないみたいだ。
「違います。うれしいんです。ジュノさんがあたしのためにここまでしてくれたってこと……。ごちそうさまでした」
食べ終わったあたしはジュノさんの体から出してもらった。
「……別にあなたのためじゃないわよ。どんなものか気になって作ってみただけなんだから」
『もー、ジュノさんはツンデレさんなんだから』
「なによそれ。わからないけど馬鹿にしてるでしょ……」
泣き顔で言い返してくるジュノさんはいつもより一段とかわいく見える。実際には泣いたのはあたしなんだけど。
「……最近ずっと寂しそうにしてたから、元いた世界のことが恋しいのかと思ったのよ」
あたしから顔を背けてぽつりと呟くジュノさん。
寂しかったのはビビ君に会えなかったからなんだけどな……とは言わないでおく。
現在日本に帰れないのもたしかに寂しいけど。
でもあたし、この世界で生きたい。
亡霊じゃなくて、ちゃんと一人の生きた人間として、生きたい……。
そんな叶わない思いを、あたしはこの時明確に抱いてしまった。
「それにしてもこのカレーって料理、変わっているけど良い香りよね。……そうだ。この香りを使えば……」
ジュノさんはまた何か新しいことを思いついたようだ。
あたしの経験がジュノさんの糧になってくれたら嬉しいな。ツンデレじゃないあたしは素直にそう思った。




