44話.返却
植物系の属性の学生達が日夜尽力した結果が実り、学園に緑が戻って来た暖かな日のこと。
いつものように私だけの教室に向かうと、その扉の前でロウエンが腕を組んで立ちふさがっているのが見えた。
「待っていたぞ」
「あなた……! クオレス様にあんな事しでかしておいて、よくも私の前に顔が出せたわね!!」
『前も聞いたなあそんなセリフ』
魔人の手先とやらに付け込まれクオレスを大怪我させたことを忘れたとは言わせない。
掴みかかりたくなるのをこらえて拳を握る私に、神妙な顔をしたロウエンは頭を下げてくる。
「悪かったと思ってる。お前の気が済むのなら好きなだけ殴れ」
「えっ、なに……急にどうしたのよ。気持ちわる……っ」
『ジュノさん、謝ってる相手にそれは流石にひどいんじゃ……』
だってあの高慢が服着て歩いているようなロウエンがここまで態度変えるなんて気持ち悪いじゃない。
何か悪い物でも食べたのかしら。平民だものね。きっと道に落ちている物でも食べたのよ。
「俺は、結局……あの時何も出来なかった弱い俺が許せなかっただけだったのだ。両親からは俺の存在を隠すために他人の振りを強要され、近所に住む子供として親父が痛めつけられるのを黙って見ているしか無かった。連中に立ち向かおうとすることすら出来なかったのだ」
「またどうでもいい自分語りを……」
「その日以来俺は強さを求め続けた。そして俺は仲間内の中では誰よりも強くなった。だが所詮は平民の中での話……貴族には、トワルテやクオレスには手も足も出なかった。俺はそんな自分が惨めで……。過去の因縁の象徴である属性の持ち主のクオレスを倒すことさえ出来れば、あの頃の無力な俺とようやく決別出来るという妄執に囚われるようになったのだ。つまり……ただの八つ当たりだ」
「そんなの最初っからそうだったでしょうが!!」
今の語り必要だった?
「俺はユアナのおかげで真に弱かったのは俺自身の心だったのだと気づかされたのだ。俺達が倒れて医務室に運ばれた後、お前が相当取り乱していたと聞いている。心配させてしまったようだな」
「私はあなたの心配なんて全くしていなかったけど?」
そもそもクオレスと一緒に医務室にいたことすら知らなかったわよ。
「では婚約者の心配だけか。まあどちらでもよい。俺の感傷にお前達二人を巻き込んで悪かった」
ロウエンは再び頭を下げる。
正直、全く許す気にならないんだけど……。
特に最初に殴れと言ったのが気に入らない。女だからたいした攻撃にならないだろうって舐めてるでしょ。
いっそ武器でも使ってやろうかしら。ロウエンが背中に携えている剣なんか丁度良さそう……。
……ん?
あの剣、見覚えがあるような……いや、見覚えがあるどころじゃない!
「ちょっと! その背中の剣、クオレス様の魔剣じゃないの! まだ返していなかったの!?」
「ああ、これか。今から返しに行くつもりだったのだが……ちょうどいい。お前が返しに行け」
「なにがちょうどいいよ! 自分で返しに……重っ!!」
無理矢理押し付けられた剣は想像以上に重たかった。こんなの振り回して攻撃するなんて無理!
「俺よりお前の手から渡された方が奴も喜ぶだろうよ。俺なりの詫びの品というやつだ。ではな」
「これが詫びの品になるわけないでしょうが!? ちょっと!」
私が呼び止める声もむなしく、ロウエンは煙と共に去っていってしまった。
結局一発も殴らせてないじゃない!
とりあえず教室に入った私は魔剣を机の上に置いた。
こうして間近で見ると魔剣はクオレスにふさわしい美しさをたたえているけど……今の私に見惚れているような余裕は無く、その場で頭を抱えていた。
「どうしろっていうのよこれえ……」
『いや、普通に返しに行けばいいだけじゃないですか?』
「ロウエンが前に言っていたでしょ。己の魔力で作り出した魔剣ならすぐに消えるって。クオレスが剣属性でない証拠みたいなものをどの面下げて持って行けっていうのよ……」
『あっ……』
喜ぶどころか気まずくなるに決まってる。
私が盗んだわけでもないのに気が重いわ……。
「まあ、一応魔力でも永続する剣は作り出せると思うけど……」
『えっ? なら剣属性の可能性が無いなんて言い切れないじゃないですか』
「物質を生み出す魔法は難しいのよ。一時的に水や木を出すことは簡単でもそれは幻のようなもの。永続させようとするとマナ消費が尋常でないし、時間もかかるの。最近、植物系の学生達が学園内で汗水垂らしながら魔法を使っていたでしょう? あれは本物の草木と同じように成長し枯れていく植物を生み出していた姿なの」
『へえ、だからあんなに大変そうだったんですか……。最初見た時はみんなで邪神でも召喚しようとしているのかって思いましたよ』
たしかに輪になって儀式めいた動きをしている姿は、何も知らない者からすれば異様に見えるかもしれない。
「あと覚醒者が多い属性でありながら水属性が人気のある属性なのも、永続する水を生み出すのがそれだけ大変でどんなに人員が増えても困らないからよ。貯水槽に水を貯める仕事が最も安定しているの」
『つまんなさそうな仕事だなあ……』
「ここまで言えばあなたでもわかるでしょ? たかが戦闘で一時的に使うだけの魔剣にそこまでの労力を割くわけがないって」
『なるほど。一度にあんだけ大量に出している剣が全部永続のものだったらクオレスが何食わぬ顔で俺スゲーするとんでもないチート野郎ってことになっちゃうんですね』
「クオレスは俺なんて言わないわよ」
全く可能性が無いわけではないけど、非現実的すぎるのよね。
剣属性の者が召喚していた剣が永続のものだって知ったら、誰だって疑問に思うし訝しむでしょう。
流石にそこから封印属性だって真実に辿り着く者はそういないと思うけど……ロウエンの場合は封印属性と個人的な因縁があったからすぐに察することが出来たのでしょうね。
本人に問いただすのが一番自然な流れだとは思う。
もしかしたらクオレスの口からどうして属性を偽っているのかの話も聞けるかもしれない。
だけど今の私にはそんなことをしようという気なんて全く無かった。
ただでさえこの前彼の言葉を拒絶するような言葉を吐いたばかりなのに、これ以上亀裂を生むような行動をしてどうするのよ。
彼の気持ちがユアナに向いていないとわかった今、私にはクオレスと言い争う気なんて全く無いっていうのに。
『いっそ部屋の前にでも置いていっちゃいます? 差出人不明な感じで』
「だめよそんなの。話が広まらないようになるべく人目のつかない場所で本人に渡すべきよ。クオレスは隠したがっていることなんだから」
『ジュノさん意外と律儀なとこあるんですねえ。じゃあもうなんにも気づかないふりして渡しちゃいましょうよ』
「それじゃあただの馬鹿じゃない……。でも、もうそれでいくしかないかしら」
結局、良い策が思い浮かばなかった私は亡霊が言った通りの行動をとることにした。
私は何も察することが出来ないお馬鹿な令嬢! お馬鹿な令嬢よ!
私のようなか弱い令嬢が魔剣を持ち歩いていたらそれこそ目立ってしまうと思ったので、私の教室にクオレスを呼びつけて部屋の中で受け渡しをすることにした。
「殿方を部屋に入れるだなんて、な、なんだか緊張してしまうわね……」
『ロウエンは無かったことにされた……?』
「あれはこちらから招いていないでしょう。ただの侵入者よ侵入者」
亡霊とたわいも無いやり取りをしながら部屋を掃除したりお茶を用意したりして待っていると、やがて扉からノックの音が聞こえてきた。
ロウエンの騒がしい音に比べるととっても控え目ね。落ち着きが感じられて素敵。
「失礼する」
「待っていたわ。クオレス」
何故呼びつけられたのかまだわかっていないクオレスは凪いだ顔をしている。
しかし私に促されるまま入室し、壁に立て掛けた魔剣を見つめた途端にその目を見開かせ足を止めた。
「あれは……」
「今から説明するからまずは座って? お茶も用意したの」
彼を椅子に座らせ、手持ちの中でも最高級の茶を淹れる。
「手慣れているのだな」
「そう?」
これもクオレスに美味しいお茶を飲んでもらうために努力したから……なわけではない。
学園に入る前からもある程度のことは自分でしていたからでしょうね。
使用人達に放っておかれたせいか、それとも私から突き放したせいか、その始まりはもう覚えていないけど。
私はクオレスにロウエンからこの剣を謝罪と共に受け取ったこと、ロウエンがクオレスからこの魔剣を盗んだと話していたことを伝えた。
「巻き込んで悪かった、と言っていたわ」
「そうか……」
話を聞いたクオレスは苦々しい顔をしている。飲んだお茶が苦かったわけではないと思う。
ああもう、やっぱり気まずい空気になっちゃったじゃないの!
「ク、クオレスは勉強熱心よね! 自分が作りだす剣の参考にする為に魔剣を購入していたんでしょう? 本物に触れることも大切よね!」
私はこの場の空気をどうにかしようと思いつきの言葉で取り繕う。
「君はこの剣が購入したものだと知っているのか」
「ロ、ロウエン君がそう言っていたから……」
あああしくじった!!
いくら非現実的でも永続する魔法の可能性を切り捨てるべきではなかった。
何も知らない察してないお馬鹿な令嬢になりきるには魔法で作ったものかそうでないかすらわからないという態度を取るしか無かったのに!
でもそもそも私が何も話さなくても、クオレスがロウエンのところへ行って問い詰めてしまうんじゃないの……?
クオレスを呼ぶ前の段階でロウエンに口止めをしておくべきだった……!
内心頭を抱える私の心境を察してしまったのか、クオレスはなだめるような声をかけてくる。
「気を遣わせてすまない、ジュノ」
「そ、そんな、別に気をつかってなんて」
「結婚したら君に全てを話そう」
立ち上がったクオレスは私の目を真っ直ぐ見つめてそう告げた。
「け、結婚って……っ」
「どうした? 私達は婚約者なのだから今更驚くような事でもないだろう」
「それはっ、そうだけど……っ」
こうも正面切って言われると顔が熱くなっちゃう……!
それに全て話す気があるというのも嬉しかった。そう言ってくれるならいくらでも待てるわ。
私はクオレスと結ばれる未来自体訪れるのか先が見えなくなってしまっていたけれど、クオレスは私との結婚後の未来をちゃんと見据えているんだ……。
でも。
クオレスはそれでいいの……?
今の貴族社会には愛の無い結婚をする風潮なんて無いのに。
あなたは好きな人と結ばれれば柔らかい表情を出来るようになるのに。
本当に私でいいの……?
以前の私ならそんな風に考えはしなかった。
だけど私の前で思いつめた顔をする彼と幻覚の中の幸せそうな彼を見比べていく内に、その思いは大きく成長してしまっていた。
「それにしても、随分多くの生物を飼育しているのだな」
クオレスが部屋の中を見回しながら呟く。
この教室内にはまだナイトメア・カースの実験中の魔法生物達のケージが数多く並んでいる。
ちなみにこれらの魔法生物達、冬の長期期間中は学園の飼育員に預けていた。飼育員の実家で飼育されていたらしい魔法生物達は黒雲の影響を受けることも無く元気に過ごしていたらしい。
「あっ、もしかして動物臭い!?」
不覚。見られても恥ずかしくないよう掃除はしたけれど、匂いにまで気が回らなかった……!
いつもここにいるせいかこの空間の匂いに慣れ切っていた私は今頃になって慌てた。
「いや、特に気にならない。それよりもこれは魔法の実験中なのか?」
「ええ、そうなの。ナイトメア・カースっていう呪いを片方のケージの個体にかけていて――」
クオレスっていつも気にならないって言うから信用ならないのよね……と思いながらも呪いの説明をする。
私の説明を聞いているクオレスは少し顔をしかめているように見えた。
「あ、あのね!? 悪夢の呪いって聞くと怖く感じるかもしれないけど、いい効果もあるのよ!? 野菜にこの呪いをかけて育てるとすごく美味しくなるの! それに今、ハーヴィー先生のご指導のもと、薬草でも実験していて……!」
「ハーヴィー先生が、だと?」
少しでも良いイメージを持ってもらおうと言葉を重ねても、クオレスは余計に険しい顔になってしまう。
「え、ええ。新しい薬草が作れるかもしれないからやってみてほしいって言われたの」
「……そうか」
クオレスの険しい顔は深まる一方で、私は悲しくなってしまった。
他の誰からも理解されないとしても、あなたにだけは理解してもらいたいのに。
私から剣を受け取ったクオレスは部屋を出る際に私を気遣うような言葉を残していった。
――くれぐれも無理はしないでくれ。君は私の婚約者なのだから。
その言葉は「無理をするな」というよりは私が呪いの魔法を使うこと自体を良く思っていないもののように思えてならなかった。




