28話.幻覚
大きな蛇かミミズのような形をした、大量の目玉を体中に持つ物体。
黒い霧に覆われた姿はそれも魔物であることを示していた。
『ひいっ!?』
「……っ!」
逃げ、ないと……!
急いで部屋から出ようと逆走するも、それより先に魔物の長い胴体が部屋の内部を囲い、唯一の出口を塞いでしまった。
『に、逃げられなくなっちゃいましたよ!?』
……だったら、賭けに出るしかない!
私は魔法陣が転移のものであることを願って駆けだした。
しかしその動きを見透かしていたかのように魔物の尻尾が大きくうねる。
「う、がっ……!」
全身に衝撃が走る。
気づけば私の体は壁際まで軽々と弾き飛ばされていた。
前のめりに倒れこむ。体中が割れるように痛い。
『ジュノさん……! もうあたし、見ていられません! メドューサ・カース!』
亡霊の魔法が発動し、魔物の巨体を石化した――かのように見えたけど。
一瞬にして表面を覆った石の質感は消えさり、魔物は平然と動き回っていた。
『えっ、なんで……!? 小さいネズミになれ! ビースト・カース! 寝ろ! ナイトメア・カース!』
「やめて……!! 魔物には、魔法が通じにくいものも、いるから……!!」
効かない魔法を使い続ける亡霊に必死で呼びかける。
『じゃあどうしたらいいんですか! あたしには、魔法を使うことくらいしか出来ないのに……!』
「お願いだから何もしないで……私がなんとか、するから……!」
そう言い聞かせながら斧を片手に立ち上がろうとしたその時。
魔物のぶよぶよとした胴体が私の体に絡みついた。
「ああ゛ぁっ!!」
宙に持ち上げられ、絞めつけられる。
体中が嫌な音を立てる。
私は軋む痛みに耐えきれず、斧を落としてしまっていた。
『ジュノさん……! やめろおーっ!』
亡霊が魔物の体に突進するけど、実体の無い体ではやはり何の影響も与えられない。
見えていないからなのでしょうけど、魔物は亡霊には目もくれていなかった。
全ての目玉が視線を向ける先は私のみで、それも舐め回すように凝視してきている。
……本当に気持ち悪い。
「暴れ狂う猛獣と、化せ……っ! ビースト・カース!!」
私は落とした斧に呪いをかける。
呪われた斧の刃から生えたのは獰猛な五本の爪だった。
爪が生えた斧は狂暴な本能の赴くままに、魔物の体を次々に引っ掻いていく。
私の魔法では攻撃する対象の指定は出来ない。けど斧にとって私より魔物のほうが位置的にも大きさ的にも狙いやすいのが功を奏した。
引っ掻かれた魔物はその体をひるませ、私を拘束から解いた。
「うう゛っ!」
床に落下した私はその衝撃に呻く。
落下した場所は幸いにも魔法陣から近かった。
私は這いつくばって魔法陣に触れ、マナを注ぐ。
「お願いっ……何処でもいいから、飛んでえっ!!」
その叫び声と共に魔法陣が光り輝く。
私と亡霊と魔物はその光に包まれ、別の空間へ転移した。
転移した先は外ではなく、アジトの一室だった。
部屋の中にいたのは、略奪女とロウエンとかいう銀髪の男のみ。
「ジュ、ノさん……?」
略奪女は疲弊しきった顔をこちらに向けた。
その隣にいるロウエンも同様に脱力しきっている。
『この様子……もしかしてユアナちゃん、ロウエンに大技使った後!? だとしたら二人とも、もう……』
亡霊が言い終える前に魔物が遅れてこの部屋に転移してきた。
先ほどの部屋よりも遥かに小さい空間の中で所狭しと身をくねらせながら、私達に向かってくる。
「ま、魔物……!? 【光翼の矢】!」
略奪女が複数の光の矢を出して魔物に放つ。
けどその矢の威力は心なしか弱く、魔物にはあまり効いていないようだった。
『だ、だめだあ……! ユアナちゃん、やっぱりヘトヘトになってて戦えなくなってる! 早く誰か来てえーーっ!』
亡霊がそう叫んだ時だった。
「【天の裁き】!」
「【紅血の鞭】!」
「魔導武器、展開! 爆光弾!」
「……!」
部屋の外から男達の声が聞こえた。その直後。
雷撃が、赤い鞭が、爆ぜる光弾が、数多の剣が魔物に襲い掛かった。
狭い部屋の中では逃げ場もなく、その全ての攻撃を浴びた魔物は不気味な声を放ちながら大きく脈動する。
声がした方を見ると、部屋の入口には殿下とレイファードとハーヴィー先生と、クオレスの姿があった。
『す、すごい! 攻略対象が全員来てる!?』
「ク……オレス……」
這いつくばったままの私は彼の名を呼んだ。
あまりにも小さい声だったから、彼の耳には届かなかったかもしれない。
それとも、私の声が聞こえていてなお彼はその行動をとったのだろうか。
クオレスが向かった先は略奪女のところで、彼は――あの女を心配そうに抱きかかえた。
……ひどい。
その女は、疲弊こそはしていても、外傷なんてどこにも無さそうなのに。
私の方がずっと酷い状態なのに。あなたの婚約者なのに。
どうして私には目もくれないの?
その女のことが、好きだから?
それとも私の心が、醜いから……?
失意と絶望と悲しみに包まれながら、私は意識を失った。
私が、その時誰の腕に抱かれていたのかも知らぬまま……。
こうして略奪女が誘拐された事件は解決した。
それから二日後。
あのロウエンという男がどうなったかは知らない。けど、きっと亡霊が言った通りの流れになっているのでしょう。
私の体は何本か骨が折れていたけど、学園から受けた治療のおかげで今では完全に回復している。
そして今は、満月の夜。
青白い花が咲く屋上庭園には、既にクオレスの姿があった。
「待たせちゃった?」
「いや……そのようなことは無い」
呼びつけたのは当然私のほう。
月明りに照らされるクオレスの髪も、とても綺麗。
一見色の無い色のような色をした髪色は、あらゆる色の光を閉じ込めた色に私には見えていた。
「今日は綺麗な月夜ね。昔の人達は月の光を浴びると魔力が上がると言っていたけど、本当かしら」
「実証はされていないらしいな」
「……そうよね。そんなことで上がったら苦労しないもの」
私は彼の隣に立って月を見上げる。
空気が澄んでいるせいか、今日の月はいつもより冷たく見えた。
「それで、用というのは?」
「……あの、ね。ユアナさんから手紙を預かっているの」
内容は既に私が確認済み。
なんの色気も無い、感謝の手紙でしかなかった。
それでもこんなもの、本当は破り捨ててしまいたい。
どんな言葉でも、あの女からの物ならあなたの心に響いてしまうのでしょうから。
でもきっと、こんな手紙なんてあってもなくても同じ。
もう、とうに手遅れなんでしょう?
あなたはあの時、あの女のことしか見えていなかったものね。
愛していないと否定したから、そう信じたかった。
信じたかったのに。
「ユアナ君が君に託したのか?」
「ええ。そうするように私がお願いしたの」
「……そうか。すまない。手間をかけさせた」
そう言いながらクオレスは手紙を受け取った。
この期に及んで私を気遣う言葉が、とても虚しい。
「ねえ、クオレス」
彼の瞳を見つめながらその名を呼ぶ。
「どうした?」
覗き込んだ瞳の中には、今だけ私の姿が映っている。
このまま、私のことだけ見て欲しい……。
けどそんな叶わない願いは呑み込んで、ささやかな願いを彼に伝える。
「私のこと、嫌いになってくれる?」
「……何故だ。私に愛想が尽きたのか?」
「そんな訳無いじゃない。なんとも思われないのが一番いやなの」
私の願いを聞いたクオレスは不可解そうに少しだけ顔を歪めた。
「理解できない。そのようなこと望むものではないだろう」
「私、あなたの中に残りたいの。あなたの心に、この存在を刻みつけたい」
あなたは決して私のことを好きになってくれない。
それどころか他の女を愛してしまっている。
あなたのことなんて、嫌いになれたら良かったのにね。
でも私の愛だけは決して揺るがない。
あの男のように、父のように心変わりするような最低な人間にだけは、絶対になりたくないから。
だから……愛してくれないのなら、せめて。
「私が死んだら喜んでくれるくらいに憎んで、恨んでほしい……」
歪んだ祈りを込めて彼を見上げる。
「ジュノ……」
何を思ったのか、クオレスの手が私の手に伸びる。
その手が触れた瞬間――黒い靄のようなものが、触れあった場所から見えたような気がした。
それと同時に。
「……っ!」
クオレスが、私と触れていなかった方の手で自分の頭を抱える。
その顔は苦痛に歪んだようなものとなり、汗まで浮き出ていた。
「クオレス!? どうしたの……!?」
「いや……何でもない。大丈夫だ」
とても大丈夫そうには見えない顔でクオレスは私から離れる。
「ジュノ嬢……私は決して、君を憎んだりしない。だから……身を滅ぼすような真似はしないでくれ」
苦しそうにしながら懇願するクオレスを見ただけで、私の決意は簡単に揺らいでしまう。
そんな自分が情けなかった。
好きでもなんでもないなら、心配なんてしてくれなくてよかったのに……。
優しいクオレスのことが、今は少しだけ憎らしかった。




