20話.その表情じゃない
クオレスは夕暮れの修練場で一人剣を振るっていた。
いつもの私ならその姿に見惚れていたのでしょうけど、今はそれどころではなかった。
「クオレス、これって何」
「……何故君がそれを」
「そんなことどうだっていいでしょ! これってあなたが書いたものよね。私に隠れて他の女と文通でもしていたの?」
「そうではない。私が一方的に送りつけていただけだ。ユアナ君は差出人が誰かさえ知らないだろう」
いつものように一切表情を変えずに言い切るクオレスは、私には開き直っているように見えてしまった。
「ああそう。片想いだと言いたいのね」
「そのようなものでは」
「だったら何、この内容。光属性の魔法に関する助言ばっかり。あなたの属性って剣なのよね? なんで全く関係の無い光属性のことについてこんなに詳しく調べているのよ。そんなにあの女が気になるっていうの? 答えて!」
「……私がユアナ君を気にかけているのは事実だ」
少し問い詰めただけで素直に認めてしまうのね。
なんてあっけないのだろう。こんなにも早く決着がついてしまうだなんて。
こんなの認めたくない。いくらなんでもありえないじゃない。
いくらあの女が周囲を、人ならざるものさえも惹きつけるからって、クオレスの心はそんな簡単に動かせるものじゃないはずなのに。
悔しいとか悲しいとかを通り越して、いっそ笑えてくる。
ああやだ、笑えてくるのに涙まで出そう。 クオレスの前で涙なんて見せたくないのに。
……馬鹿ね、そんな見栄を張る必要なんてもう無いじゃない。
いっそ泣きついてしまおうか。そんなことをしても彼の心が変わることはないだろうけど。笑いながら泣いていたんじゃ、きっと不気味に思われてしまうだけね。
「聞いてくれ。君を裏切るような行為をするつもりは一切無い」
「ああそう。己の恋心は胸に秘めたまま生きていきますってこと? ふふ、健気ね……」
「違うと言っているだろう。そういう意味では無いんだ。私が何かを愛することなど、無い」
ずっと前から知っていたはずのことなのに、だけど今となっては説得力の無い言葉なのに、何も愛さないという言葉は容赦無く私の心を抉る。
彼は昔から私を愛そうとする気さえない。
きっと事情があるんだと言い聞かせてきた。
私以外の全ても愛さないのならそれでもいいと思い続けてきた。
けれど、それにも例外があるのだと知った今となってはどんな事情があったところでもう納得できない。
もしも今彼が言っていることが事実で、まだあの女を愛していなかったとしても、私はあの女を愛してしまうクオレスを既に知ってしまっているのだから。
抑えきれなくなった感情が溢れて、目から零れ落ちていく。
結局、私は彼の前で咽び泣いてしまっていた。
「ジュノ嬢。私は思いなど無くとも、妻となる君のことを守り、尊重し、大切にすると己に誓っている。君にいらぬ不安を与えてしまったのならば、今改めて君に誓おう」
愛さないと、想いが無いと言いながらも、愛の告白のようなことを言うクオレスをやっぱり愛しく思ってしまう私は愚かなのかもしれない。
私は涙を拭う。
「それなら証明して。あなたが誰にも心を寄せていないというのなら、私に……キスして。私があなただけのもので、あなたは私だけのものなんだって、この体に教えて。婚約者なのだからそれくらい何の問題もないでしょう?」
「……それで君の不安が拭えるのなら、いくらでも」
い、いくらでもって……何回するつもりなの!?
やだ、自分から言い出したことなのに恥ずかしくなってきたじゃない……!
落ち着いて、私。文脈で判断するのよ。最初から何回もするつもりで言った訳じゃないってわかるでしょう。私から望めば、してくれるのかもしれないけど……ああもう想像しないで!
むしろここは、平然とそんなことが言えてしまうだなんて、クオレスはキスくらいどうとも思っていないんだって落胆すべきところよ。いや、今更そんなことで落胆はしないけど……。
「……私以外にはそんなこと言っていないのよね?」
平然と言えてしまうのが経験があるからなんじゃ、と急に不安に駆られた私はそう口走ってしまう。
「当然だろう。こんなことを口にするのも実行するのも、婚約者である君に対してだけだ。その不安がなくなるまですれば良いのだな?」
あああ待って本当に何回もする流れになってる!!
「い、一回でいいからっ……」
「そうか。では……はじめようか」
なんでいちいちそういうこと言うの!? 余計に意識するでしょ!
さっきまでならキスの一回くらい勢いで出来そうだったのに、そんな勢いは何処かへ吹き飛んでしまった。
彼が少し屈んで私の顎を持ち上げることで、その端正な顔と強制的に向きあわされる。
いつ見ても見惚れてしまう綺麗な顔立ちは、思いつめたような眼差しで私を見ていた。
――そんな顔、あの女にはしていなかったのに。
私の奥から私の声がする。
そう感じた瞬間、目の前の景色が一瞬にして変わった。
ああ、まただ。
またクオレスが、あの女を愛おしそうな目で見つめている。
以前見た時とは違う時の違う場所で。
同じようにとろけるような優しい笑みを浮かべて、あの女に触れる。
もう見たくない。見たくないのに、目をそらすことが出来ない。
やめて。そう叫びたいのに、声が出ない。
ああ、そうか。
ここに私はいないんだ。
この時、私はもうこの世に存在しない。
何故だかそうわかってしまった。
私がいなくなれば、彼は解放されるのかしら……。
あの女にキスをする時の彼の表情は、とても穏やかで幸せそうだった。
「……もう、いい」
「ジュノ嬢? 私はまだ……」
「もういいの。もう……わかったから」
義務感によるキスをされたって、何の意味も無い。そうわかってしまったから。
暗く真剣な表情をする彼の胸を力無く押しのけた私は、おぼつかない足取りでこの場から立ち去ろうとする。
「待ってくれ」
しかしそれを引きとめられる。
彼から背けた私の顔は、彼自身の手によって再び向き合わされた。
「クオ、レス……?」
思いあがりたくないのに、また気持ちが高揚してしまう。
横髪をかき上げられ、頬を撫でられる。
どうしてそんなことをするのかわからなくて、恥ずかしくて、やっぱり嬉しくて、私はされるがままになっていた。
「……やはり、無理をしているだろう」
だけどやっぱり愛おしさからの行為では無かったのだとその言葉で思い知らされる。
それは心配という名の気遣いではあるのだけど、どうしてそこまで心配してくるのか私にはわからなかった。
確かに無理はしたけれど、今は略奪女の回復魔法のせいで調子が良いくらいなのに。
かよわい振りをして気を引くのも手段の一つではあるけど、体の弱い女なんて婚約者としては減点となる対象にわざわざなる気も無い私は彼の言葉を否定した。
「ふふ、心配性ね。無理なんてしていないわ」
「何故そのように隠そうとする。君が努力家なことは知っているが、もう少し自分の身を大事にしてくれ」
……あれ。その言葉、どこかで聞いたことがあったような……。
そう思った瞬間に、クオレスの声が、今ここにいるクオレスとは違うクオレスの声が聞こえてしまった。
――君は無茶ばかりするな。君が努力家なことは知っているが、もう少し自分の身を大事にしてくれ。
「……やめて。そんな風に心配しないで」
同じ台詞を言われたというだけで虫唾が走り目の前が熱くなる。
他の女と同じようになんて扱われたくない。私はあの女の代わりじゃない。
私はあの女とは違う。だから、あの女にかけた言葉と同じ言葉を私に言わないで。
あの女を見るような目で、危なっかしくて放っておけない小娘を見るような目で私を見ないで……!
「君が無理をするからだろう」
「私、あなたが思っているよりずっと強いの。その辺にいる女とは違う。だから私を弱者のように扱わないで。いくらあなたでもこれ以上は侮辱とみなすから」
震える声で言い切った私は、今度こそ彼のもとから立ち去った。
『ど、どうしちゃったんですかジュノさん。なんでそんな情緒不安定になっちゃってんですか?』
「……放っておいて」
今は亡霊の憎まれ口に付き合う気にもならない。
……私は彼にどうしてほしかったのだろう。
あの女に向けていたものとは違う表情でキスをされそうになったら、愛されていないと傷ついて。
あの女に言っていたものと同じ台詞を言われても、他の女と同じ扱いをされたと腹を立てて。
そんなのクオレスを困らせるだけじゃない。
本当はわかってる。クオレスは誰かの代わりにするつもりで私にあの言葉を投げかけたんじゃないって。……そう、よね?
だけど二つの景色が重なった瞬間、私の世界は凍り付いてしまった。
私を想う言葉は、別の誰かを想う言葉でもあったのだと知ると、その優しい言葉が空しいだけになってしまった。
以前の私なら、クオレスといる時間はいつだって幸せだったはずなのに。
今はあの女といた別のクオレスのことばかり思い出してしまう。
思い出したくないのに、記憶よりも鮮明に景色が見えて、声が聞こえてしまう。
これから先も、ずっとこうなのかな。
今の私は彼とどうなりたいのか、わからなくなってきてしまっていた。




