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18話.平民の女達

 王都の外れに、それはそれは美しくて働き者の女がおりました。

 誰もが振り返る程の美しさでしたが、女は誰よりもよく働いていたため、その両手だけは荒れに荒れて美しいとは到底呼べないものでした。


 ある日、女は夜の森の泉で貴族の男に出会いました。

 貴族の男は一目で女に心奪われましたが、同時にその手の痛ましい姿を酷く哀れに思いました。


「ああ、なんておいたわしい。どうか私の屋敷で治療を受けてください」

「いいえ、それは出来ません貴族様。私にはたくさんの仕事がありますから、すぐに帰らなくてはならないのです」

「でしたらせめて私の魔法を受けてください。毎晩、ここでお会いしましょう」


 それから二人は毎晩泉で会い、男は女の手に魔法を使い続けました。

 女の手は少しずつ美しさを取り戻していき、女は完璧な美しさを手に入れました。

 二人は深く深く愛し合いましたが、貴族と平民の身では結ばれることはかないません。


「もうこうして会うことはやめましょう。今まで親切にしてくださってありがとうございました」


 女は一方的に別れを告げ、二度と夜の森の泉に現れることはありませんでした。


 しかし男は女のことを忘れることが出来ませんでした。

 男は町の中で女の姿を探しましたが一向に見つかりません。

 そうして幾年の時が経ち、ついに女を見つけ出すことができた時には、女の姿は変わり果てたものになっていました。


 女は病に倒れ、顔はやつれ腕や脚は棒きれのように細くなり、両手どころか全身が荒れ果てた醜い姿となっていたのです。

 それでも男の愛は決して変わりませんでした。

 女の手を癒した時のように、毎日女のところへ通っては女の体を癒したのです。


「ああ貴族様。私のような醜い女に構うのはもうおやめください」

「何を言っている。貴女はいつだって、誰よりも美しい人だ」


 男は諦めることなく女に魔法を使い続けましたが、病の力はそれ以上に強く女の体を蝕み続けました。

 もう自分は助からない。そう悟った女は最期に西の彼方にある海へ行きたいと男に願いました。

 願いを聞いた男はすぐさま女を海へ連れて行きます。


 小さな泉しか見たことのなかった女は初めて見る海に涙を流しながら喜びました。


「ああ、ここが泉の水の流れ着く場所なのですね。私の魂もこの海へ還ってゆくのでしょうか」


 そう言って儚く微笑む女は、今にも海に溶けて消えてしまいそうでした。


「還るのなら、どうか私も連れて行ってくれ。このまま二人で海に飛び込んでしまおう」

「いいえ、どうかそれだけはおやめください貴族様。貴方様にはこれからも人の世を生きて欲しいのです」


 男はその言葉に頷けませんでした。

 女はそんな男の手をとり、とても幸せそうに笑いかけました。


「貴族様。貴方様に会うことができて私は幸せでした。どんなにこの身が荒れ果てても、心までが荒れ果てずに済んだのは、貴方様の魔法のおかげです。だからどうか貴族様、これからも私のような弱き者達を癒してはくださいませんか。貴方様が千の命を癒した時、またこの海で巡り合いましょう」


 そう言い残した女は幸せな笑みを浮かべたまま男の腕の中で息を引き取ったのでした。


 この最期の願いを聞き入れた男は、平民達を癒す心優しき魔法の使い手として王都の人々に語り継がれていったのです。




 ……ふふふ。いつ思い出してもいい話ね。

 父が子持ちの既婚者でなければ、もっといい話だったのでしょうね。


「これが伝えられている中で最も真実に近い話。女が奇跡的に助かって二人が結ばれたり、途中で貴族の女が現れて二人を引き裂こうとしたりする話もありますが、それは後から脚色されたものです。そちらの方が有名ですね」


 殿下と亡霊はしかめ面をしながら聞いていた。


「キミにとってその話はいつの出来事なんだ?」

「父が平民の女に出会った時期は、私が母のお腹の中にいた頃だったそうです。そして再会したのは私が六歳の頃……その時、私の母も同じような症状の病にかかっていました。ですが母はろくな看病もされぬまま、私一人だけに看取られて亡くなったんです。病に伏した母のもとに父が訪れたことなんて一度もありませんでした」


 私がこの世に生まれ出てきた時には既に、お父様はお母様のことを全く愛していなかった。

 そんな女から出てきた子である私のこともまた、一切愛さなかった。


 お父様の愛は平民の女にのみ向けられていて、屋敷の使用人達にはそんなお父様の様子が、身分違いの恋が大層面白いものだったらしい。

 使用人達がはしゃぎながら噂する話はお母様の耳にも届いてしまっていた。

 お母様は使用人に文句の一つも言えないほど気が弱く立場も弱い女性で、父の話を聞く度に隠れて泣くことしか出来なかった。


 そんなお母様の様子を見て幼い私は理解した。

 お母様は平民の女に愛する者を奪われたのだと。


 厄介払いのような形で嫁に出されたらしいお母様は、この世の何処にも居場所なんて無かった。


 あれだけ手をかけていた平民女ですら亡くなったのだから、もしもお父様が平民の女のもとへ通わずお母様を看ていたところで、お母様は助からなかったかもしれない。

 だけどあんなにもがき苦しむことも、心が衰弱していくことも無かったはず。

 私一人じゃ到底埋められない孤独の中苦しみながら死んでいったお母様と、愛する者から愛され熱心に看病をされ魔法で苦痛を和らげてもらいながら幸福の中息絶えた平民の女。

 同じ死なのに、なんて惨い差なのだろう。


 挙句の果てに、お母様は最初からいなかったことにされるか、無理矢理結婚を迫り二人を引き裂く女――さながら悪役令嬢のように改変されて世に語り継がれている。


「……あの話にそんな裏があったのか」

「現実の物語にはまだ続きがあるんですよ。平民の女が亡くなった後、私の父は一人の娘を養子に迎え入れたんです。その娘は私より一つ年下で、父によく似た色の目と髪を持っていました」

『まさか、それって』

「父と、平民の女の間の子です。娘は父から大層可愛がられ、貴族の娘として幸せに過ごしているのでした。……父が子煩悩だったなんて、その時初めて知ったわ」

「キミは……キミと母親から家族の愛情を奪った平民を恨んでいるのか。それで『略奪女』か……。あのさ、わざわざ言うまでもないことだろうけど、ユアナには」

「関係無い、とおっしゃりたいのでしょう?」


 そうね。同じ平民育ちというだけで憎むのは間違っているんでしょう。

 でも私はそんな風には割り切れなかった。

 殿下の言葉を遮った私は続けて語る。


「ユアナさんはね、妹に似ているんですよ。とっても『いい子』な妹に。妹は『いい子』だから、誰からも愛されるんです。平民との間に出来た不貞の子なんて爪弾きにあう筈なのに、持前の明るさで皆から受け入れられる。むしろ受け入れられない私が悪者にされてしまう。そうして私から居場所を、大事なものや与えられる筈だったものを、何の罪も無い『いい子』の顔をしたまま略奪していく。きっとその母親も『いい人』だったのでしょうね。だから母も略奪されたんです。……私にとってはそんな存在なんですよ。貴族の前に現れる『いい子』な平民の女達は」


「……話しづらいことだったろうに、教えてくれてありがとな。これでキミのことが少しわかったよ」


 殿下は苦い顔をしながらも私が略奪女を嫌う理由に納得したようだった。

 ……こんな話、クオレスを取られるかどうかに比べれば些末なことなのだけどね。

 改めて私に向き合った殿下は真剣な眼差しで私を見つめる。


「キミにユアナと仲良くなれだなんて無理強いはしない。けど、ユアナを傷つけるようなことはしないと約束してほしい。そうしたら、オレは……キミのこともまとめて守るつもりだ」

『おおっ!? す、すごいじゃないですかジュノさん! 攻略対象の一人であるアニマが味方になりましたよ!』

「婚約者様以外の殿方から守るなんて言われても困ります」

『いやなんでそこで断ろうとしてんですか!? 相手は王子様ですよ!?』

「ホンットとっつきにくいヤツだな……。今回の騒動のことはキミの助けにもなるように動くっつってんの!」

「別に約束するまでもなく、ユアナさんに手を出すつもりはありませんよ。強力な取り巻きがついているようですからね」

「取り巻きってトワルテのことか」


 いえ、殿下のことですけど。


「もっとも、ユアナさんが私の大事なものに手を出そうとしたら、私は自滅する覚悟で彼女を討ちます」

『ちょっ、何言っちゃってんですかジュノさん!?』


 私だって殿下と敵対したい訳じゃない。

 でもこればかりは譲れないから、手だしさせないようにしてという願いも込めて宣言した。


「やっぱり要注意人物だな、キミ」

『ほらあ!! また敵視されちゃったじゃないですかあ!』


 亡霊はそんな風に言うけれど、殿下が私を見る目に敵対の意思は無いように見えた。

 きっと哀れんでいるのでしょう。生まれた頃から平民に負けているような惨めな私を。

 少し調べればわかるような事実だけを話し、哀れむように仕向けることでそれ以上追及し難い空気を作り出すのも、狙いの一つではあった……のだけど、やはり気分の良いものでは無いわね。

 王太子殿下から敵対されるよりはずっといいから、これで良かったのだけど。


「そろそろユアナさんのところへ戻られては? きっと妬いていらっしゃいますよ」

「あ、あのなあ……。別にオレとユアナはそんなんじゃねーよ。アイツは、なんていうか……危なっかしくて、放っておけない妹みたいなもんだ」


 下手な照れ隠しね。私としてはそんな反応してないでとっとと捕まえておいてほしいのだけど……。


 ……でも略奪女が王太子妃にまで成り上がってしまうのも面白くないというか怖いし、応援しようという気にもなれないのよね。




 殿下が立ち去った後、私はマナが吸収されなくなった体が回復するまでの間少し休むことにした。


『ねえ、ジュノさん。クオレスはさっきの話、知っているんですか?』

「私が彼に言う訳無いでしょう。あんな恰好悪い話」


 クオレスにまでこんなつまらない話で哀れまれてしまいたくないもの。


『あたしには大事な話に思えましたけど』

「そんなこと無いわ。私にとっては何もかも終わったことよ」

『ジュノさんの中では終わってないから、ゲームでユアナちゃんを妨害していたんじゃないかなあ……』


 亡霊は思いつめた顔をしていた。

 ……なに私以上に私のことで思い悩んでいるのよ。


『あたし思ったんですけど……さっきの話だとジュノさんは平民のいい子を敵視しているみたいですけど、一番悪いのはお父さんじゃないですか?』

「べつに私だってお父様が悪くないなんて思っていないわ。心変わりするなんて最低よ」


 略奪する女も、気が多い男も大嫌い。


『ジュノさんがクオレスを好きになったのも、ちょっとわかるかも。クオレスってそういうことしなさそうですもんね』

「変な結び付け方しないでよ。私がクオレスを好きになったのはクオレスがクオレスだからよ!」

『うへえ……全く説明になってない……』


 勝手な憶測を立てられたことに腹を立てた私はふて寝する。

 一晩寝ていなかったせいか眠気はすぐに訪れて、そのまま眠りについてしまった。




 それからどれ程たっただろうか。

 けたたましい鳥の声――私が呪いで作った猛獣の内の一体が遠くから鳴く声に私は起こされた。


『ジュノさん! この鳴き声って!』

「真犯人のおでましのようね……!」


 略奪女の調教が上手くいっていたら、だけど。

 私達は声がする方へ大急ぎで向かい、その先で略奪女達と真犯人と思しき人影……らしきものを発見した。


『うわっ、なんですかあれ……』


 何も無い空間から血が垂れ人体の形を浮かび上がらせる光景は、なかなか凄惨なものだった。

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