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中編

 どうやら私の惚れ癖は、幼馴染みに原因があるようだと友人から言われた。初恋の人の話をすれば、それ今まであんたが好きになった人と特徴全く同じじゃん!と目に涙を浮かべまたもや爆笑されたのだ。

 手をバンバンと下品に叩きながら笑う事をやめないこの友人の顔をシンバルで挟み撃ちし黙らせたいが、周りの客に迷惑がかかるし、そもそもシンバルなんて持ち合わせていないので想像だけに留めておく。

 バシィーン!バシィイーン!あぁ良い音。


「それに、あんたが好きな相手の物を好きになろうってのはさ、その初恋の人を今でも無意識に求めているからじゃない?」


 リアはそう言うと、ケーキのフォークを指先で遊ばせる。


「?」


 一方で私は首を傾げた。

 目をパチパチとさせる私に向かって友人は盛大に溜め息を吐く。


「今のその人が分からないから、代わりに違う人で想像しているのよ」


 ポカーンとカラスがバックで鳴きそうな間抜けな表情をして果実茶を飲み干した。友人が言ったその意味を考えるがいまいち良く分からない。


「あんた、本当に今までの人達の事好きだった?」


 


 どうやら今回の論争は、私が負傷して終わるようだ。




◆◇◆◇◆◇◆





 下宿先に帰り、お風呂に入る。

 此処は図書館に隣接しており、図書館長の家屋でもあるとても大きな白亜のお屋敷だ。先日は図書館も屋敷も王都内の避難訓練で使われ、滅多に人が来ないと言うのに約1000人程の人の波が流れ込んで来たものである。

 それにこの図書館は王都の中心部にある城に近い位置にあり、もし城が襲撃され騎警団が宿舎にも赴けない状態になった時の為の立て籠り宿にもなっていた。

 ちなみに騎警団とは国の治安部隊でもあり、王を守る騎士でもある。

 たいへん強く逞しい男達の集まりで、さらに城に仕える騎警士は見目が良い男が多いとの噂がありファンクラブまであるそうだ。

 世の女性の心の騎士にもなっている人気者たち。…やはりこの国は平和でブレない。

 しかし立派な図書館だと言うのに本を読むためというよりも、人を危機から救う頑丈な城と化しているのは何故なんだ。

 家に帰ったら母に笑いながら話してやろう。


 



 風呂から上がりナイトドレスに身を包んで髪を拭く。水滴をタオルに含ませながら部屋へと続く廊下を歩いていれば、後ろから誰かが駆けてくる足音がした。それもけっこう体重のありそうな。どうしよう、屋敷、壊れないかな。

 とは言うが、この足音を私は良く知っていたので、別段気にも止めずにそのまま歩いた。

 どうせ仕事で慌ててるだけだろうし。


「メルくん!メルくん!」

「わ、はっはい?」


 なんて、いつものように資料を持って執務室にでも行くのかなと思っていた私は、声を掛けられたのでビクリと肩を跳ね上げる。

 後ろを振り返れば、額に汗をかいて膝に手をつきゼェゼェと息を切らしている中年プッチョおやじ、別名図書館長がいた。やっぱり予想通り。ドスドスと廊下を鳴らすのはこの人しかいない。屋敷のメイドや執事だって、急いでいてもそんな音出さないもん。

 館長の灰色の短い髪の毛は汗のせいで所々束になっており、特に禿げてはいないというのにハゲ散らかしている、という表現が最も適切である頭をしていた。彼は焦った時や恐怖に慄いた時、感情が一定を振りきれた時には必ずベタベタになる程の汗をかく。

 そんなものなので、また何かあったのかと心配になり膝を折った。


「城の騎警団がっ、今日、ぐぶっほっ」

「大丈夫です、落ち着いてください館長。はい、スー…ハー…」


 丸い背中をさすって深呼吸をさせる。


「スー…ハー…」

「どうしたのですか?」

「…それが、急なんだが、城の騎警団を今夜から1週間だかで泊める事になったんだ」


 ちょっと余裕が出てきたのか、前屈みになっていた姿勢がしゃんとしてくる。

 でも今何て言った?騎警団が泊まりに来るとか言わなかったか。


「それはまた急ですね」

「昨日は雷で雨風が酷かっただろう?城の宿舎に雷が落ちたんだそうだ。今はとても寝起きできるような状態では無いらしい」

「あー。あれ城に落ちたんですね。どうりでやけに近くで凄まじい音がしたと思った」


 それを聞いて、私は頷く。

 実は非難訓練を実施した日、ちょうど春の嵐とも言うべき異常気象が起きていた。年に1度の空のお祭り状態。風は吹き荒れ雨は水圧が強いシャワーの様に降り注ぎ、雷はゴロゴロひっきりなしに鳴っていた。きっと天では雷様や雨神様が歌って踊ってバカ騒ぎをして楽しんでいたのだろう。

 そんなせめてもの神の温情か、雨風は強く木は薙ぎ倒されたりしていたけれど、それでも町が半壊するようなことにはならなかった。


 しかし嵐の終わりに雷が近くで落ちたズドーンと言う音は、町の皆も衝撃だったと思う。天地が裂かれるように響いた怒号は今までで一番心臓を揺らされた。地震が起きたと思ったもの。


 そのかつてない響きを纏った雷が、騎警団の宿舎に落ちただと…?


「館長の屋敷に泊まる騎警士たちは、全員此方に来られるんですか?城の警備とかどうするんです?」

「城の騎警団は4団体に別れているから、1、2団と3、4団で別れて来るみたいだよ。だから交代で、半分は城で警備をして過ごして、半分は屋敷(うち)で休むんだ」

「なかなかライトなスケジュールですね」

「いつもは違うらしいんだが…。個々の仕事もあるしね。この1週間だけのスケジュールなんだろう」

「1週間……」



 1週間、1週間、1週間?

 …そう言えば!と館長に言わなければいけない事を思い出す。


「あのっ」


 洗濯には出すまいとスカートのポッケから出しておいた両親からの手紙を両手でぎゅっと握りしめた。


「館長、私、両親との約束まであと1週間で、…手紙が来まして」


 段々と視線が下に下がってしまう。

 館長が腕を組み、窓の外を見る。


「ああ、そうか。もう1年経つんだね」

「早く帰って来なさい、とのことです」

「早く…ねぇ。少し不安げな顔をしているよ、メルくん。…ご両親はいい方たちだ。娘の君をこんなに心配してくれて」


「でもお見合いが本当に嫌なら、私からご両親へ口添えしよう。メルくんが居てくれて大分助かっているしねぇ」


 館長の優しい言葉に声を詰まらせてしまう。口添え…。家に帰らないで此処で働いてて良いと言うこと?館長がそう言ってくれるなら、じゃあ。


「いいえ大丈夫です。そう言っていただけただけで、私、帰ってもやっていけそうです」


 ついそちらへ傾倒しそうになったが、これは私と両親の約束だ。

 約束は破らない。破っちゃいけない。

 だって、破られた悲しさを、私はわかっている。

 胸が痛くてしょうがないの。


「そうかい?」


 お見合いとは言うが、此処でのお見合いは、もう結婚するも同然の意味だった。なので実家に帰れば直ぐに嫁入りが待っている。

 両親は確かに良い人達だ。私の我が儘を聞いて1年もの時間をくれた。大好きな本と衣食住付きで。

 だからこれ以上困らせるわけにはいかない。

 手紙を持つ両手を更にきつく握って、自分に言い聞かせる。

 きっとこれから良い出会いだってあるわ、メル。恋だけが全てではないし、夫になる人だって私には勿体無いくらいとっても素敵な方かもしれない。それにいつまでもウジウジしていたら、皆が嫌いなウジ虫になってしまう。

 過去を想うばかりに、先を忘れてしまわないようにしなきゃ駄目よ、メル。


「その…両手を握るのは、メルくんの癖かね?」

「はい?」


 指をさされるのは、私が握る手。


「いやぁ…。何かあったとき、例えば前に君が本棚を倒した時なんかがあげられるが、その時も両手をずっと握っていたよね」

「…そのせつはすみません」

「構わないよ。君より私のほうが本棚を倒した回数は格段に多いさ。アッハハハハ」


 そんな事を胸張って言わなくともいいです。









「あっ、来ましたよ館長」


 その数時間後、騎警士達がやって来た。

 今日の仕事を終えた英雄達は重い剣を腰にぶら下げてフラフラと門をくぐり歩いてくる。

 片手には宿舎から持って来たのであろう寝間着とタオルが握られており、傍観をしている身としてはとても心配になる光景だった。

 それと同時にプ…と吹いてしまった姿は誰にも見られなくて良かったと思う。


 屋敷の階段上にいる私と館長は白い手すりに両手を乗せながら、エントランスに入って来たロイヤルホワイトな男達を興味津々に見た。さすが騎警士。ふらふらでも足は揃っている。

 すると規律!と言う声が真ん中にいる水色髪の団長らしき人からあがる。総勢100人を超える男たちがエントランスで列を横に作った。


「ヘイデル王国第一第二騎警士全団員、本日から1週間、世話になる!」

「おお、これはこれは。さぁお疲れでしょうし、どうぞご案内しますよ」


 綺麗な敬礼だな、と肘をついて見ていたら館長に頭を叩かれる。痛い。

 くれぐれも無礼をしてはいけないよ、と口酸っぱく言われたあと、私はそのまま騎警団の皆さんがいる前まで連れていかれた。1000人が来たとき程では無いけれど、男の人達が、しかも騎警士達がズラリと並んでいる様は圧巻という一言に尽きる。

 この国の女性平均身長より少し高い私だが、そんな私より騎警士はうんと背が高い方たちばかりなので、思わず怯みポカンと口を開けてしまった。町でたまに見かけるので騎警士を初めて見たわけではないけれど、こうも揃っていると勢いが凄い。

 そんな私の横では、館長が騎警士たちに向かい風呂の場所や部屋の説明をしている。

 ちなみに風呂は一番広いもので屋敷の奥にあり、個人で入れるものは二つ館長室の隣にあるのだが、百人いるともなればいくら広かろうとも限度があり、せいぜい50人くらいが限界であった。そうなればこれから入るにしてもちゃんと順番を決めて効率良く入るしかなく、いつまで経っても彼等に快適な眠りは来ない。


「ええ、それからですねトイレについてですが屋敷内には合計6つあります、どれもそれぞれの階の端にありますので面倒ですけれどそちらをお使いくださいね。宿舎とは勝手が違うので過ごしにくいかとは思いますが実家に帰った気分でいただければと、ああ、それと朝食の席に関しては城ではバイキング形式と聞いていました、しかしあいにく屋敷に…」


 あぁ…しかし館長の説明が長いったらありゃしない。フラフラで疲れている騎警士たちにとったらこの説明なんてきっと左から右へスルスル流れていっている事だろう。可哀想に。その証拠に一番端にいる人が音の無い欠伸をしたのが見てとれたもの。

 隣の人が軽くその人を小突くが、小突いた本人もまた欠伸をしてしまっており「お前に言われても…」状態になっていた。可哀想に。その欠伸が集団感染しないことを祈る。

 でもそろそろ本当に部屋へ行かせてあげないと明日が辛そうだ。何頭も入る馬小屋なんてこの屋敷には無いので城までは徒歩らしいし、早く寝かせてあげなければいけない。


「あの館長…案内私がしますので、そろそろ休ませてあげませんか」

「え?あ、ああそうだね、そうしよう。じゃあ半分は私が案内するから、メル君はもう半分の方たちをお願いするよ。騎警団の皆さん、私とこちらの図書館員で二つに別れて行きますね。ではそちらの皆さん、説明しながら一緒に行きましょう」


 その瞬間真ん中から左側は明るい顔を見せ、反対の右側勢は一瞬明るい表情を見せるも直ぐに落胆の色を見せた。

 私が右側か左側、どちらを率いるかは説明しなくとも分かるだろう。


「あ、館長!明日の朝食とか、騎警士さま達はどうされるので?」

「あぁ、それならメル君が気にすることは無いよ。厨房に人数はいるし、家のメイドも手伝うからね」


 それならば早起きをしなくても良さそうだ。

 早く終わらせて、早めに寝ようっと。


「団長様はどちらに来られますか」

「俺はお嬢さんの方にしておきます。こちらは副団長がいるので任せますよ」


 館長の言葉に、水色髪の団長は館長の横にいた副団長らしき人の肩に手を置くと、颯爽と私や左側勢がいる方へとやってくる。

 エントランスに響いた副団長のチッ、なんて舌打ちは皆聞こえないフリをしていた。発揮される団結力の使いどころが何とも言えない。

 それに気づかぬ館長には更に何とも言えない。


「よろしくお願いしますね、お嬢さん」


 近くまで来た団長が私の横に立った。

 けれど背が高くて見上げるのが億劫になる。近くて、視界に見えたのは腰の立派な剣と揺れる白いマントだけだった。

 白いマント、白いタイツ、白いカボチャのパンツ、白い馬、…絵本の中の王子さまがよく身に着けている色だな。そう言えばなんで白なんだろう。汚れやすいのに。

 思考が何処かへ行きそうになり、眠くてつい欠伸をしそうになった。


「はい。…ふぁ……んっんん゛。では、急いで行きましょう。あ、ちゃんと付いてきてくださいね。皆さん明日も早いですし」


 後ろを向きながら早歩きで説明する。

 失礼だとは思うが、チャッチャと済ませた方が皆の為だ。


「お風呂には先に入った方が良いと思うので、失礼ですがこのまま風呂へ向かいます。部屋は先程館長が言った通り階段を上がって右側通路の奥から全てを使っていただいて構いません。何処に誰が入るかはそちらでお任せします」

「分かりました」


 隣で優雅に私の早歩きに付いてくる団長さんの歩幅は大きい。横目で下をソロリと観察すれば私の2歩分が彼の1歩分で、うん、なかなか自分がちゃっちぃ生き物に思えました。

 そのまま後ろに騎警士たちを引き連れて、ズンズン屋敷の奥に行けば大浴場の扉が見える。ここまで来ればもうあとは早い。それに館長が率いる軍団はまだこちらへ着いては無さそうだ。

 タオルを持ち疲労感たっぷりの皆に、ニヤリとして私は言う。



「ふふ。皆さん、お風呂先に入っちゃいましょ」


 人のオーラが見える程スピリチュアルなパワーは持っていない筈の私に、空気がブルーからオレンジに変わる瞬間が見えました。


 



◆◇◆◇◆◇◆



 その翌日。

 私は休暇をとっていた。もともとある休みだ。

 いつもの早起きもしないし、身支度なんて何処へ行くわけでも無いのでしない。昨日は仕事終わりに友人とお茶をしたばかりだし、外出を不憫にしていてもお給金が減っていくだけだもの。今日は一日中図書館で本をひたすら読むに尽きる。そういえば紛失した本があるらしいから、ついでにそれも探しといておこうかな。きっと利用者さんが適当に違うジャンルの所へ戻してしまっただけだろうし。

 部屋の時計を見てみればまだ朝の6時。あと3時間くらい寝れるだろう。さぁさぁ羊を数えて夢の中へゴーだメルよ。



「メルくん!メルくん!」


 とか暇をこいていたら、ドンドンと私の部屋のドアを叩き割る勢いで音鳴らす館長が、悲鳴にも似た声で叫んできた。

 羊の一匹目を数えていた所で驚いてベッドから飛び起きる。


「メル君!メル君!たいへんだよ!騎警団たちの朝食が大量過ぎて厨房が回らなくて!一週間分の食費は城から出していただけたけど材料が無いんだ!」

「か、館長?」

「昨日の今日で全く考えて無かったよ…。厨房は戦場だし家のメイドもベッドメイクや準備に掛かりきりで…」


 いやそんなベッドメイクなんて後にすれば…って、そうか、夜間勤務の騎警士が交代で帰って来るんだもんね。メイクしなきゃか。可哀想だもんね。

 ドア越しに言われても一方的で話にならないので、寝ぼけ眼にフラりとドアノブを引き、館長を部屋へと招き入れた。

 そして眠たげに目を擦る私の前には、顔を真っ赤にして汗をかいている館長が見事登場する。

 とりあえず状況を察しなんとも言えない心境故に、たいへんでしたね、なんて館長に言えば首を縦に何回も振って泣き出しそうに目をウルウルとさせていた。この人私より30も上なのに若いな、なんて検討違いな事を思う。


 けれどそんな呑気にぼうっとしていたら、館長に両手をガシッと掴まれた。そのついでに手に何かを持たされた感触がする。

 ん?と思い手元を見てみれば、そこにはある程度重さを持った巾着袋が。鼻先まで持ち上げて軽く揺らしてみれば、チャリ、と細かな金属がぶつかる音がした。

 これは…もしや。


「だからお願いだメル君!朝市で食材を買ってきてくれ!ダッシュで頼む!!」


 鶏がコケッコッコーと外で鳴いている。

 私の休日は朝から体力勝負になりそうだと悟った瞬間だった。




◆◇◆◇◆◇◆



「はぁ、はぁ、はぁ…」


 私は酸欠で死ぬのではなかろうか、と思う。


 ダッシュで朝市に行ったは良いものの、帰りはどうするんだと食材を全部買った後に気づいた私という名のアホ。食材が詰まった大きな手提げ袋を両手に抱え市場を馬車馬のように駆け出したのは多分10分くらい前。

 足がもげそうになりながらも、そのまま走り続けて屋敷へと着いた私に向かい両手を広げて待つ館長をサラリとスルー。すぐに厨房へ駆け込んだ。

 厨房は館長が言っていた通りそれはもう戦場で、朝からバタバタと熱気がこもっていた。

 一昨日の避難訓練は一般向けで、しかも丁寧に食事を出すことも無い、それはそれは軽い行事であった。それに騎警士がこんな団体で泊まりに来るなんて予想もしていない。

 けれど万が一の時の騎警士の泊まり場にもなるとは知っていたから、本来ならばこのような事態も視野に入れておかねばならなかったのに、とんだ危険予測不足である。

 全く、だから大丈夫なのかと昨日聞いたのに、全然大丈夫では無かったじゃないか、館長のおバカ。


 私が屋敷を出て帰ってきてから30分くらいだけれど、大広間のテーブルに集まった騎警士達の様子を見てみれば、彼等の前にはまだパンが各々二つずつしか出ていなかった。

 皆さまのお顔が心なしか絶望に染まっている。


 時刻は6時30分。

 騎警士の皆さんが屋敷を出るまであと15分しかない。

 給仕のメイドさんは何をしているのやら、パンを配ったあとは一向に姿を見せず給仕が誰もいない状態である。忙しい中悪いとは思いながらも厨房の人に聞けば、なんでも館長がメイドさんにまた別の無理難題を言っていたらしく、その対応に追われているらしいということだった。


 いい加減要領良く出来ないものかあのおバカ。

 両手を広げて待つ位なら他にやることがあるでしょうがこのおバカ。ハゲ。

 なんてバカバカ言っていても本人は此処にいないし、いても言えるわけが無いので、私は私が出来る事を早くすることにする。

 別にここは貴族の屋敷でも無いので規則を重んじる事は無いし、誰かが困ったり出来ない事があるなら手を貸して助けてやりきるれる事はやる。

 私は馴染みの厨房長の顔を戦場の中で見つけて声を掛けた。


「厨房長っ、ミルク頂戴しますね!騎警士たちに出しますので!」

「おう!助かるよ」

「サラダは早く出来そうなので順番に配っていっても大丈夫ですか!?」

「そうしてくれ!…あ、今皿洗いの手が空いたから手伝わせるぞ!一緒にやってくれ!」


 ミルクとサラダをセッティングカートに乗せ急いで広間へと向かう。

 皿洗いの人が後ろから人数分のカップやフォークを持ってきてくれて、なんとか早く始められそうだと一先ず息をついた。


「さ、皿洗いさん…」

「メ、メルさん…」


 けれど直ぐに息をつく暇は無くなる。


「急ぎましょう!」

「ええ急ぎましょう!」


 何故なら大広間に着いて見えたお腹を空かせている騎警士たちの様子が、ご飯抜きね、と母親に言われた子どもなみの悲愴感をかもちだしており、ポロリと涙が出そうになる程可哀想に見えてしまったからである。

 国の英雄たちのひもじい姿なんて進んで見たくない。


 私は一人一人に声をかけていき、「大丈夫ですよ」と励ましながらミルクとサラダを配った。

 中にはサラダを見た途端、女神だ、と幻覚が見えてきてしまった方もいて、これは相当だと私の動きがまた早くなったのは仕方がない。

 そしてサラダを配り終え、誰かが早くも平らげた頃、ようやくスープや肉類が運ばれて出てきた。

 力仕事がある皆さんにとっては待ちに待った瞬間である。

 男たちに幸あれとただただ願うばかりだ。

 こうなれば後は専門の方々に頑張っていただく他無いので、私は早々に大広間から出ることにする。

 途中、騎警士の方達から「もう行かれるのですか」と声をかけられたが、小さく会釈をしてそのまま図書館へと向かうことにした。疲れた時こそ、本に囲まれたい。



 屋敷の正面を出て外に出る。

 今度は周りに誰もいなかったので大きな口を開けて欠伸をかいた。裸になれた気分で気持ちいい。空が青くて素敵。

 しかし全く、朝からなんて日だったんだろう。メイドさんたちも気の毒に。普段屋敷には館長か私しかいないからあんな大勢初めてだったろうに。使用人たちの数がいるとは言っても、皆の休みもあるから多い日で5人。5人である。


 目の前を見つめた私は本日何度目になるか分からない溜め息を吐いた。


「箒…持ってこよう」


 花の花弁や新緑の落ち葉が朝から何故だか大量に屋敷周りに落ちているのが目に入る。欠伸をした時点で気づいてはいたが、出来るなら無視を決め込みたかった。

 だって私は今日休日。メイドでも無い。でも衣食付きで住まわせてもらっている。協力できる事はする。そしてなんだか皆忙しい。

 そんな中のうのうと1人、はいお休みですので、なんて言って図書館に籠れるメンタルなど持ち合わせていない。


 図書館の横の倉庫にある箒と塵取りを持って、葉っぱや花弁を集める。お掃除楽しい、楽しいな。本当…楽しいな。

 この花弁の中で一番量をしめているのはこの黄色の花弁、セーラと言う木に咲く花で、風が吹くと簡単に散ってしまう。儚くも面白い。

 でも屋敷の門の横にあり花粉も飛ぶので、私の紺のスカートには細かな粉が付いて非情に面倒だ。花は綺麗なのだけど、こういうところが少々厄介。

 それでも花粉を飛ばすのはその植物なりの繁殖方法なので、客観的に見れば興味深いしやっぱり面白い。


「図書館のお嬢さーん、行ってきまーす」


 門の前で箒を片手に木を見つめていれば、何処からかそんな声がする。

 図書館のお嬢さんとは、今図書館で私と交代で働いてくれているワーフさんの事かな。

 そう言えばワーフさん、この間吐き気がしてトイレに駆け込んで行ってたけど今日は大丈夫なのかな。大事をとって一昨日と昨日は休んでいただいたけど、心配だからこれが終わったら会いに行こうかな。


「図書館のお嬢さーん」

「図書館のお嬢さぁーん!」


 また聞こえる。

 屋敷の玄関付近を見てみればこれから出勤する騎警士の皆さんがゾロゾロと出てきていた。目を凝らして見てみれば此方に向かって元気良く手を振る男たちの姿がある。

 自分の後ろを見てみるがワーフさんはいないし、もしかしてアレは私に手を振っているのだろうか。

 自身が無いので胸元でチョイと手を振れば『行って来まーす!』と覇気のある挨拶が返ってくる。さっきの絶望的な顔は何処へやら。

 それに良く見ればその騎警士たちは昨日私が案内した人達だった。良かった良かった。





◆◇◆◇◆◇◆



 図書館。

 現在20時58分。




「………んぁ?」


 涎を垂らした口元を拭う。

 あのあとワーフさんに会いに図書館へ行って話をして、それから本を読もうと利用スペースに来ていた私。気がつけば不覚にも寝入ってしまっていた。

 起きた時には回りに誰もいなく、今日の図書当番のワーフさんも私だと分かって気を使い声を掛けなかったのか、館内のカーテンだけがしまっている状態。自分が突っ伏していた大きなテーブルの上には、読み終わった本がバサリとだらしなく置いてあって本のお山と化していた。

 朝の出来事に相当疲れたおかげで、嫌に集中出来たみたい。そのわりには読んだ本の内容をあまり覚えて無いので、やっぱり疲れている時に読むものではないなと思う。


 図書館の中はガラス天井から降り注ぐ月の光で仄かに照らされていた。淡い光が目に心地よい。

 気分転換にと椅子から立ち上がって、閉まっていた窓のカーテンを開ければ、ガラス越しに見えるこの国の満天の星空。本も好きだけれど、もう一つ好きなものをあげるとしたら、私はこの夜空だといの一番に答えるだろう。

 夜空が好き、なんて顔に似合わず乙女チックな事を言う奴だな、とか思われるかもしれないけれど。

 星を見つめていたらお腹がきゅるると鳴った。

 そこでハタと気づくが、そういえば夕飯の時間があるということをすっかり忘れていた。騎警士さまたちも戻って来る頃だろうし、図書館の時計は21時を指している。ここに長居していても腹は満たされないし、そういえば私は朝食もとっていなかったのだと今更気づいた。大事な朝の栄養補給を怠るとはなんたる体たらく。早く摂取しなければ。

 夜空の余韻もそこそこに、私は月明かりを頼りにしてテーブルに置いてある本を棚へと返していく。


 ええと、土の王様は右の棚へ、ピエロの憂鬱はその上でしょ。青いパンツと青の鳥は後ろの棚、ええと、ええと。


 そうして一冊一冊を丁寧に片付けていると、屋敷に通じる扉がある方から、キィと扉の開く音がした。

 え、なにお化け?やだやめて。

 とは冗談で思うが、一体誰が来たのやら。屋敷からだから館長かもしれないし、はたまたメイドさんが私を探しに来たのかもしれない。

 でもまだ本を片付け終わっていないので、声を掛けられたら返事をすることにしようかな。と放置する事に決める。


「あの、お嬢さん」


 棚へ意識を戻したかと思えば、ふいに若い男の声が図書館に響いた。若い、と言っても実際若いかどうかは分からないが、耳通りの良い音を持っている声である。

 お嬢さん、とは私の事かと思い棚の列から出て開いた扉の方を見れば、そこには騎警団の団長さんが一人立っている姿が見えた。

 とりあえず、私ですか?と彼に返せば、団長さんはその言葉に首を縦に振り此方へ歩み寄って来る。


「朝はありがとう。助かった」


 何を言われるのかと思い一歩一歩が近づく度に内心ビクついていたが、思いがけない感謝の言葉が紡がれて、なんだか拍子抜けしてしまった。

 朝とはもしや、ミルクやサラダの事を言っているのか。

 確かに早く食べていただくにこしたことは無かったけれど、それでも私が配ったのは腹を満たすか満たされないかと言われたら到底満たされないものだ。団長さんにわざわざ感謝をされる事なんて無く、寧ろ私達のおもてなし能力が低かった事を非難しても良いくらいである。

 寧ろ私達の対応にすみません、と団長さんに頭を下げれば肩を掴まれて顔を上げさせられた。


「いや、いきなり押し掛けた此方も悪い。君が謝る事じゃない」

「そうで、しょうか…」


 そうなんだよ、と赦される口調で言われる。

 この時初めてまともに団長さんの顔を見たけれど、この人は騎警団の団長だというのに全く厳つくは無く、逆にとても綺麗で優しげな顔をしていて心底驚いた。水色の髪は軽くウェーブがかかり透き通るようで、瞳は夜空をはめ込んだ青いビー玉のような輝きを秘めている。私にとっては間近で並んでいるのが申し訳なく思うくらい素敵な容姿をしていた。


 なんだか本当に、なんだか、恐れ多くなって一歩下がれば、ならうように相手は私の二歩分此方に詰めてくる。

 な、なんで詰めてくるの、とチラリと視線で彼に訴えれば、微笑まれてまた一歩詰められる。そしてまた私は二歩下がる。

 この人は何がしたいのだろうか。

 仕事終わりで疲れているんだろうから早くご飯でも食べて安らかな眠りに入ればいいのに、団長ともあられるお方がこんな所で油を売っていていいんですか。だから、ご飯はこれからですか、と聞けば「はい」と答えたので、じゃあ…とまた後ろへ下がったのに、これまた一歩二歩と詰まれて来てわけが分からなくなってくる。


 そんな事を繰り返しているうちに遂に図書館の壁に背中が当たってしまった。思わず両手を握る。

 蛇に睨まれた蛙とはこの事か、なんて頭の隅で思っていれば、天の助けとも言うべき騎警士の方が扉を開いて団長さんを大きな声で呼んだ。


「分かった。今行く」


 騎警士グッジョブ、と心の中で親指を立てる。用事が出来たのならこれ幸いと私は抜き足差し足忍び足で横へずれ、さぁさぁどうぞ行ってらっしゃいませと言わんばかりに頭をペコリと下げた。

 その時の団長さんの顔と言ったら何とも言えなくて、悔しいんだか笑ってるんだか怒ってるんだか、本当に表現しがたい表情をなさっていた。


「貴女の名前は?」


 体をやっと扉の方に向けて帰るのかと思ったのに、首だけを後ろに向けて私の名前を聞いてきた。私の名前など知ってどうする、なんて思ったけれど別に知られて困る程のものじゃないし、有名人でも、それこそ実は指名手配されている犯罪者というわけでもない。


 だから小さく、メルですと答えた。

 けれど少し笑われて、そうじゃなくて、と言われる。


「家名と、略名では無い名前で」

「えと…メルディ・ラブゼットです」


 胸の前できつく両手を握りしめた。


「そんなに両手を握ったら、痛くないかい」


 離れたと思ったのに、また此方へ来る。

 私の手なんて今気にする事無いだろうに。やっぱりこの癖直した方が良いのかな。でもついつい握っちゃうからどうしようもないというか。直せるものなら直したい。自分でもいつからこんな両手を握るようになったのか不思議だ。

 でもこの握るという動作、小さい頃、確か誰かに…


「癖なんで、大丈夫です」

「癖…か。でもどうせ握るならこう、組むんだよ。そうすれば力も入るし、安定感もある。俺も癖ではないけれど、時々両手を組んで祈る事があるから」


『てを、こう組んでね、それから』


 両手の指を一本一本組まされれば、最後に両手を大きな手で包まれる。そしてビー玉のような青い瞳が私を下から覗き込んだ。


『想ってね、ちゃんとおもわないと』


 …?なんだ?

 この感じはなんだろう。この変な感じ。

 記憶にハッキリとしない既視感がある。


『おもわないと、だめだよ』



 誰かの言葉がいやに頭へ響いた。


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